16日のコンサートに行ってきました。
そのreviewを書かないといけないのでしょうけど、それは、後日。
とてもそんな気分にならないのです。
「似て非なるもの」
横浜アリーナの時と、今回の彼は、明らかに違っていました。
そして、16日の彼の言葉から多くのメッセージが伝わりました。
一日経って、魔法が溶けた今、多くの画像も動画も私は、観る気分になりません。
なので、reviewは後日になります。
今、伝えたいことは、あなたは、彼の日本活動を諦めますか?それだけです。あの場所にいた人にはわかる。
そして、その後、彼が韓国語でツイった内容。
あの内容から、彼が自分の考えで日本活動を模索していたことがわかる。
その全てをおじゃんにしようとする力が働いていることも。
彼は、彼の考えで動く。
彼が、今まで韓国で貫いてきた姿勢。それは、業界に染まらないことです。
業界の悪しき慣習の中でも、彼は、一線をひいて、自分の領域を守ってきた。
その為に闘い続けてきた。
その姿勢も考えも、日本活動に対する彼の考えを投影するものです。
なぜなら、そうやって4年前、Cjesに移った時から、彼の態度は、一度もぶれたことがないから。
どんなに回りが慣習に染まろうとも、どんなにいじわるをされようとも、ガンとして受けつけなかった。
彼には、彼のやり方も考え方もあり、それが、どんなに理想であっても、そこを追求する。妥協を許さない彼の姿勢が、彼だけがクリーンであると日本側から認識される、今の立場を築いているのです。
その彼が、日本活動を再開するためになら、業界人の思惑に乗るでしょうか。
彼の為に、彼の将来の為に動いてくれるのではなく、あくまでも日本の業界として、儲ける対象として彼を日本へ戻そうとする考えの業界人に彼が迎合することはありません。どんなに困難で長い道のりでも、彼はきっと自分のやり方で、自分のスタイルで、日本活動を再開する為に努力するでしょう。
その姿勢が、彼の今までの人生を支えてきたものだからです。
「もう日本でコンサートすることが出来ないかもしれない、と不安になる」と話した彼の言葉や、「何が言いたいかわかりますよね」と言った彼のことばの端々から、彼が日本活動を諦めたと感じたファンが多いのではないかと思います。兵役を控え、どうにもこうにもならない状況の中で、彼が精一杯日本ファンに示せたのは、この時期の野外コンサートと各種FMへの出演です。
そのインタビューの中で、精一杯の自分の考えを伝えること。それしか彼には、方法がない。
一種、さばさばとした彼の様子に悲壮感漂った横浜アリーナとは、似て非なるものを感じたのは、私だけだったでしょうか。
それでも私は、彼が日本活動を諦めたとは、どうしても思えない。
歌手なら、必ず帰ってくる。
こんなに自分を待ち続けてくれる人がいる場所を忘れるはずがなければ、捨てるはずもない。
それは、この4年間、彼が日本語を手放さなかった心に全てが現れている。
彼は、普段全く日本語を使っていない、と言いました。
それと同様にトレーニングもしていないと。
でもそれは嘘です。それは、彼のパフォーマンスであって事実ではありません。
全くトレーニングをしない歌手がフルコンサートを歌える筈はありません。
そして、日本語を話せるはずはないのです。
外国語を専門にする人間に聞けば、それは自ずとわかります。
この4年間で、彼の日本語は上達しました。
16日のMCを聞きながら、あれだけの意思を外国語できちんと伝えられる語彙力は、彼が陰で相当の努力をして日本語力を落とさないようにしている現れです。日常の中で全く日本語を話さない彼の環境の中、あれだけのレベルを維持することは並大抵ではありません。
それだけの努力をするのは、日本を忘れないため。日本を諦めない為です。
私なら、必ず、自分の歌を待ってくれる人がいる場所へ戻ります。
たとえ、一人でも自分の歌を聴きたいと言って待ってくれる人がいれば、そこへ行って歌います。
それが歌手の原点です。
その場所を彼が手放す事は絶対に考えられない。
今までの彼のポジションを支えてきたものは、何なのかは、彼自身が一番知っています。
韓国での彼とは、全く別人のように自由に話す彼を見て、その場所を彼が手放すと思いますか?私には、そうは思えない。
兵役を控え、どうにもならない状況の中で精一杯の彼のメッセージです。
アンコールの時、一日目は、「キムジェジュン」という呼び名と「ジェジュン」という呼び名が錯綜し、混乱して、多くのファンが黙ってしまったと聞きました。
何故、日本で「キムジェジュン」と呼ぶの?と疑念が湧いたと聞きました。
二日目、彼は、ファンに自分の名前を「一度大きな声で呼んで!」と言いましたね。
「ジェジュン」とファンに呼ばせました。
彼にとって、日本では、あくまでも「ジェジュン」なのです。
その彼の意思が明確に現れていた。
だから、アンコールで「ジェジュンと呼ばれて嬉しい」と言いました。
「名前を呼んでもらえるのは、わかりやすくていい」と言いました。
そんな場所を手放すわけありません。
私達が諦めたら終わり。
それが、彼に伝わるから。
彼が、紐を離しそうになれば、くくりつけに行く。
細い紐がちぎれそうになれば、太い紐を結びに行く。日本ファンの気持ちだけが、彼の日本活動を支える。
それは、兵役中も何も変わらない。
彼の心の中にある日本活動への思いを私達が手放したら終わり。
私は、絶対に手放さない、そして、諦めない。