ある日、突然、信頼していた人に裏切られる。
同じ世界を見て、同じ未来を見ていると信じていた相手に。
何が気に入らないのか、何が気に入らなかったのか…
それは、突然、何の前触れもなくやって来る。
ほんの一言だったのか、それともずっと以前からの感情だったのか…
それは、突然、やって来る。
そして、人は知る。
自分が裏切られていた事を。
信頼は、もうどこにもないのだということを。
自分が嫉妬されていただけだったという事を。
裏切った人間は、嫉妬の感情を奥深く隠し、自分でも気づかなかったのかもしれない。
 それとも裏切った相手を自分の束縛の中に置いておきたかったのかもしれない。
裏切った人間は、ほくそ笑む。
何も知らず、信頼の言葉で話しかける相手に、冷たい対応を取ることで、相手が傷つくのを。
裏切られている事も知らず、笑顔を見せる相手に、信頼という文字など、もうどこにもない事を。
相手が傷つき、弱り、自問自答するのを…
冷ややかな感情の奥底に、笑みを隠しながら、眺めているのかもしれない。
裏切られた事を知り、立ち止まり、無防備な笑顔や信頼が消え、苦しみの中に落ちるのを、いい気味だと嘲笑っているのかもしれない。
でも覚えていればいい。
裏切りは、必ず、自分に返って来る事を。
信頼を裏切った人間の数年後を見ればわかる。
信じていた人を裏切った報いは、必ずある。
自分が行なった事の報いは、必ずある。
裏切られた人間は、本心で動いていただけだ。
自分の本心の感じるまま、本心の命じるままにまっすぐ生きてきただけに過ぎない。
本心の命じるままに生きてきた人間は強い。
それは、本能だから。
どんなに裏切られ、傷ついても、最後は、本能のままに立ち上がる。
なぜなら、そこに何も嘘がないから。
どんなに傷ついたように見えても、どんなに弱ったように見えても、それはほんのひと時のことかもしれない。
また、歩き出す。
自分の力で、前を向いて歩き出す。
そして、裏切った人間とは、もう別の未来を見ている。
前を向いて、別の世界を見ている。
そこに、裏切った人間の姿はない。
結果は、必ず形となって出てくる。
本心で動く人間に勝てるものはない。
裏切られる経験は、誰にでもある、あなたにも、私にも…
その時、その人の本質が見える。