今日は、ジェジュンの記念すべきハイタッチ会でしたね。
その記念すべき日に、ブログの更新を辞めることにしました。Vocal.Review専用ブログの更新も辞めます。
今まで8年間、本当にありがとうございました。
拙い記事に毎日、たくさんのアクセスを頂いたことを心から感謝します。
「ジェジュンに恋してる」のブログは、2010年9月27日に開始しました。
何度か書いてきたように、それまでの私は、単なるジェジュンのファンでしかありませんでした。お気に入りのブログを読みに行き、ときおりコメントを残すというような、普通のファン生活をしていました。
それが、ブログを書こうと思ったのは、彼の日本活動が打ち切りになったからです。
2010年1月末、当時、まだ東方神起にいた彼の歌声に強烈に惹かれました。エイベックスの「今回が最終のBigeast入会募集」というアナウンスに背中を押されるようにして、人生初の芸能人のファンクラブに入会しました。それまで、私は、芸能界には全く興味がなく、JPOPにも疎く、ただひたすらクラシックの世界で音楽の仕事をしているだけの人間でした。
私の生活は一変しました。
娘の薦めで、YouTubeを漁り、過去の映像を見ては、遅れをとったファン生活に追いつこうと必死で情報を追いかけていました。
分裂が決まり、JJYの3人になって、人生初のライブ「THANKSGIVING」の京セラドームの初日に参加しました。
それが、彼をこの眼で見た初めての経験です。
その時も彼は、今と同じように、自分の気持ちを言える範囲の中で、必死に自分の言葉で語る人でした。
彼は、自分は変わらない、と言いますが、本当に誠実に真摯にファンに向き合う姿は、その頃も今も同じです。
彼が、物事に誠実に真面目に真摯に向き合う人であるのは、歌を聴けばわかりました。
真面目で努力家です。
同じ歌を志すものとして、心から尊敬出来る人でした。その気持ちは、今も変わりません。
ファンとして、CDを購入し、ライブに参加する。彼の出演する番組を観る。
ごく当たり前の普通のファン生活が始まりました。
でも平坦なファン生活ではありませんでした。
分裂時に起きたバッシングの嵐や、真実は何なのか、という疑問と常に向き合わなくてはならなかったからです。
8月に行われたa-nationの大阪二日間と味スタの最終日に参加したことが、奇しくも彼の日本活動の最後になってしまいました。
a-nationでの尋常でない彼の様子から、何かがあると感じても、それが一体何なのかわからない不安に襲われました。
その後、発売された「The…」のミニアルバム一枚を残して、彼は日本から去りました。
打ち切りの記事は、9月16日の夜、指導しているコーラスの会場で知りました。
当時、たった一人だけ、ファン友達がいたからです。情報に疎い私は、いつも彼女から情報を貰っていました。
日本活動打ち切りを聞いて、私は、掛けていた梯子を途中で外されたような気持ちになりました。
どこにもその憤懣を持っていく場所がないことを知りました。
そして、彼が、もう日本の何処にもいないのだという事実。もう二度と彼の歌声をこの日本で聴くことは出来ないのだという事実に打ちのめされそうでした。
正直、寂しかったです。
空虚な気持ちになりました。
その穴をどうやって埋めて行けばいいのかわかりませんでした。大切にしていたものと自分だけの場所が欲しいと思いました。それが、ブログを始めたきっかけです。
たまたま見つけた彼の韓国での個人ファンサイトのブログを訪れるようになった事がきっかけで、Vocal.Reviewコンテストに応募し、入賞することになりました。
その作品が、ファンサイトのブログに掲載されたことで、多くの方が、私のブログを訪れるようになってくださった事が、私がブログを書き続ける始まりだったように思います。
当時、韓国に戻ってしまった彼の歌声を評価する記事は、皆無でした。
日本でセンターを取り、メインヴォーカルを務めた彼の歌声の評価は、韓国では、低く、彼は、どちらかと言えば「ただハンサムな人」という評価が大半だったかもしれません。
そして、新たに結成されたJYJでは、彼はメインヴォーカルを取りませんでした。
それが、本当に私には、不思議であり、彼の歌についての記事を書こうと思ったきっかけです。
高評価されていた彼の歌声は、日本から消えていました。
それが何とも残念であり、どうしても日本に彼の歌声を取り戻したかったです。
彼の歌の素晴らしさ、彼の歌手としての魅力。
そんなものを多くの人に知って欲しいと思いました。それで、彼の歌についての評価をVocal.Reviewとして書き綴りました。
私にとって、彼は、最初からソロ歌手以外の何者でもありませんでした。
なぜ、彼がソロ歌手でないのか、不思議でならなかった。
ソロで十分歌える技量があるのに、彼はソロにはならないという。
それが残念で堪りませんでした。
そして、どうしても彼の歌声を日本に取り戻したかった。彼に日本に戻って欲しかったです。
でも韓国に戻った当時は、とてもそのようなことを言える雰囲気ではありませんでした。
ジェジュンは韓国のもの。
日本で傷ついた彼を日本には戻さない。
そう韓国ファンからハッキリ言われたこともありました。
彼が、日本語でtwitterをしたことで、彼の気持ちが、日本活動を希望しているのだと感じる事が出来ました。彼の気持ちがわかって、本当に嬉しい瞬間でした。
この8年は、本当にいろんな事が彼の上に起きました。
もう日本には戻れないのではないか、戻っては来ないのではないかと思ったことも何度もありました。
どんなに彼が日本活動を希望してくれたとしても、周囲の状況がそれを許さない。そういう場所に彼がいたからです。
そして、歌手として歌えず、俳優の仕事ばかりしている彼が、歌手の仕事を諦めてしまいそうで、本当に辛かったことを覚えています。
私は、ファンとしては、特異なタイプだったと思います。
当時、グループ全員を応援するというスタイルが日本の常識であったにも関わらず、ジェジュンだけを応援してきました。
ジェジュンだけのブログを書き、彼だけを応援しました。
彼だけが好きなファンのことをオンリーと呼ぶと教えられたのも、韓国ファンサイトとの交流の中でした。
オンリーということで、多くの非難を受けて来ましたし、彼の日本活動に少しでも力になるのではないかと、いろいろな企画を実行してきました。そういう点で奇異な存在だったかもしれません。
ブログを書くことで、多くの人と知り合い、多くの情報を知る立場になりました。
その中から、公開して文字にしてもいいと思うものだけを書き綴って来ました。
少しでも彼を応援する人を増やしたかったから。
彼だけを応援する人を増やしたかったからです。
彼を守りたいと思って、時には過激な記事や、強い口調の記事も書いてきました。
そうやってこの8年、記事を書き続けました。
私は、ファン歴も短く、当然、東方神起の頃の彼を知りません。
ブログやファン社会の右も左も知らないで、この世界に入りました。
彼にも様々な事がありましたが、私にも様々な出来事がありました。
この8年の間に、ブログの世界とファン社会というものを嫌というほど、知ることにもなりました。
私は、彼がこの日本から消えたことをきっかけにブログを書き始めました。
今、彼は、この日本で、ソロ歌手として、一からやり直しています。
彼の歌声が日本に戻った事で、私のブログの目的も果たすことができました。
これからは、多くの新しいファン、若い世代のファンが増えるでしょう。
そして、私のようなブログは、必要がないと思います。
私のブログは情報ブログではなく、私の彼に対する思いを書き綴ってきたブログです。
彼の言葉、彼の態度、彼のスタンスなどから、私が感じる彼の人物像を書き綴って来ました。
今、彼は、自分自身の口で多くの事を語ります。
彼の言動から、推測しなくても、彼の言葉が全てを語ります。
そして、多くのファンが彼の歌手としての素晴らしさを認めています。
これからは、彼が活躍すると共に、彼の歌手としての高評価の記事が増えるでしょう。
彼が、日本でソロ歌手としてデビューする、という夢のような私の願いは、すべて叶えられました。
今まで私は、彼への思いを多くの人と共有したくて、ブログを書いてきましたが、今、自分の思いを他の誰とも共有したいと思いません。
彼への自分の気持ちは、自分だけが知っていればいい、と思います。
それで、この8年に及ぶブログを閉じることにしました。
記事の更新はせず、このままの形で、ブログを残すことにします。
彼の新しいファンの方達が、このブログを訪れて下さった時、彼に何があったのかを知ることが出来るように…
そして、私はファン社会を離れます。
今後は、一人の普通のファンとして、彼のライブを楽しみ、彼の番組を観て、応援したいと思っています。
今まで多くの人に読みに来ていただき、本当にありがとうございました。
多くの方が読みにきてくださる事が、私の唯一の励みであり、書く原動力でもありました。
コメント返しもせず、ただ、記事だけを一方的に配信するような、そんなつたないブログでしたが、本当にありがとうございました。
いつも彼の幸せを祈っています。
彼が、何者にも左右されず、自分の意思で決めた人生を歩き続けることが、私の願いです。
彼が日本社会の中にしっかりと根づき、活動が安定することを祈っています。
ジェジュンという歌手と出会った事で、私は、文章を書くという事、言葉の影響力というものを知る事が出来ました。
彼を通して、様々な人と出会い、一人では到底できない事を経験させて頂けたことは、ありがたかったです。
2012年2月のJYJラッピングカー企画では、東京、名古屋、大阪の地を1週間、走り回る事が出来ました。停車地に多くの方が待っていて下さったことは、記憶に新しいです。
また、同年6月から7月にかけて、ソウル駅と明洞駅に、彼単独の地下鉄広告を出させて頂いた事。
奇しくも、JYJの初めてのファンミが行われ、多くの日本ファンに広告を見て頂く事が出来ました。
当時、彼のことを、多くの日本ファンが待っているという事を、どうしても、韓国の人に知ってもらいたかったです。
そのために、日本語で、桜の画像を背景にした広告を出しました。
この時、彼の画像をcjesから借りる交渉をした事が、cjesの事をいろいろと知るきっかけになりました。
この広告は、桜の画像を背景にした事が印象的だったのか、多くの韓国人が画像に収めていると、当時、ツイッターで話題になりました。
本来なら、1月の契約で外される広告が、たまたま、その区画に次の広告が決まらなかった事で、広告会社の好意で、広告期間が延長され、7月末に行われた彼のドラマファンミに参加された多くの方に、見て頂く事が出来たのも、本当に有難い事でした。
様々な企画を実行させて頂けたのは、私の主旨に賛同して下さった多くの方がいたお陰です。
私は、ただ企画を思いついただけで、いつも実行するのに必要な人が現れ、助けて下さった事、実行するのに必要な資金を多くの方が提供して下さったおかげで、これらの事を実行する事が出来ました。
参加、協力して下さった方々には、改めてお礼を言いたいと思います。
本当にありがとうございました。
今後は、一人のファンとして、少し距離を置いて、彼の活躍を楽しみたいと思っています。
彼が日本の芸能界で成功する日を楽しみにしています。
ありがとうございました。