一昨年2月に日本活動が再開されて、もうこのブログの役目は終わったと思っていた。彼は自分のことを自分の口で話し、日本活動は順調だったからだ。

日本活動が再開されて1年目は本当に何の心配もなかった。
彼は多くの日本人アーティストと交流し、Hyde氏やYOSHIKI氏のようなレジェンドと呼ばれるアーティスト達とも交流を深める機会を持った。本当に彼は心底から日本活動の再開を楽しんでいるように見えた。
年が明けて昨年、前半は順調に進んだ。新曲こそ出さなかったがフルアルバムを発売し、ツアーを組んだ。ダンサーやバンドの仲間達とチームJJを作り上げ、順調に音楽活動の基盤を作っていた。
しかし、7月以降、彼が韓国の仕事を選んだ結果(選んだのか選ばされたのか、選ばざるを得ない状況に追い込まれたのか、それはわからない)日本での活動はピタリと止まり、発売するカバーアルバムのプロモーション活動すらすることが出来ない状況になった。
メジャーでもない主役でもないネットドラマにキャスティングされ、その準備の為にテニスや筋トレを余儀無くされる様子がSNSを通して公開された。ドラマの公開は12月だと言うのに、7月以降、韓国に縛られたままになった。その間にこなした仕事は、これもネットTVのバラエティー番組の出演のみ。順調な日本での音楽活動を中断するほどの一体どんな重要な仕事が韓国で待ち受けているのだろうかと想像したこととは全く違うものだった。
そうやって日数だけが経っていく。
しばらくするとドラマのキャスティングが遅れ、彼は出演を取りやめたことが発表された。それから約二週間後、転倒して失神。救急車で病院に運ばれ、頭部裂傷の縫合処置を受ける。

年末までポッカリ空いた期間に滑り込むように日本での音楽活動が次々と発表され、彼の音楽活動は再開した。
もしドラマの仕事が予定通りだったなら、彼の歌手活動はなかったかもしれない。即ち、日本での音楽活動はカバーアルバムは出たものの主役は不在。アルバムの評価もレコ大の企画賞もおそらくなかっただろう。
なぜなら、ファン以外の人間が彼の歌を聴く機会はないからだ。
企画賞を受賞したのは、紛れもなく彼の後半の音楽活動に対する評価の高さが反映されている。
そうやって彼は当初の予定を大幅に変更して日本に戻ってきた。

カバーアルバムの特典お渡し会は3月15日。それまでの期間の日本のスケジュールの発表は当初からなかった。ということは最初からこの時期の日本の仕事は入っていなかったのかもしれない。ミニアルバムの発売もそれに伴うアジアツアーもドラマが流れて急遽決まった感が強い。
そうなれば7月以降、約半年もの間、日本での活動は皆無になるはずだった。そんな歌手を一般社会は覚えているだろうか。
日本の音楽業界は厳しい。年明けから多くの歌手の新曲発売ラッシュが続く。ジェジュンの新曲は韓国のミニアルバムの発売時期との調整で告知すらない。TV番組の開始が先行する形になる。結局、彼の日本での音楽活動は中断する。

アジアツアーの日程が発表されてCjes的には思い通りの状況だというのに、ジェジュンは怪我をした。
彼がInsta.に上げなければ果たして怪我は発表されただろうか。彼の告知を受けて一斉にマスコミが記事にした為にCjesは公式見解を出さざるを得なかったのではないのか。
彼の怪我はどう見ても不自然でしかない。
大事なライブ前に怪我をさせてまで思い通りにしたい事案があったのか。

過去に彼が怪我をした時、必ずCjesとの葛藤が起きていた。
最初の怪我は2011年12月、左目を受傷して眼帯の画像をツイッターにあげた。
2012年3月にはサセン問題発覚後の入院。7月には「ジャッカル」撮影中の転落事故。転落事故後のケアを心配したファンの問い合わせに「彼はうちの所属ではない」と言った話は余りにも有名だ。
2013年はCjesの思惑通りの韓流スターとしての来日ライブ。
2014年は歌手活動は何もなく、2015、2016年は入隊。
2017年7月「マンホール」の撮影中の頻繁の怪我と火傷、さらに親指を裂傷して縫合手術を受ける。
2018年はほぼ日本にいて何もなかった。

4ヶ月足らずの間に2度の大きな負傷はどう考えても尋常でない。
過去の彼の受傷時、転落事故とドラマ撮影中の事故以外、事務所からの発表はない。いつも彼自身が告知している。
マスコミに情報がリークされたのを受けての事務所の対応でしかない。

彼とCjesの間に何かが起きている。否、何かが起きているのではなく最初から何も変わっていない。

そんな気がした。