いくつかの記事にたくさんのコメントやいいね!を頂いてありがとうございました。
オンリーとしての記事しか書いていないのですから、当然と言えば当然ですが、こんなにオンリーの方がたくさんいらっしゃったとは、思いませんでした。
なぜなら3年前に韓国から戻った時は、オンリーなどということばすら、存在していなかったからです。

ときどき私は、思います。
どうして私は、オンリーなんだろう、オンリーに なったんだろう、と。

あのまま5人の活動を続けていたら、間違いなくオンリーにはならなかったでしょう。
あのまま3人が日本活動を続けていたら、きっとオンリーにはならず、他のメンバーも応援していたかもしれない。
最初、JYJが発足したとき、彼のソロ活動など望む心はなかったように思います。
なぜなら、彼がセンターで歌う歌に満たされていたから。
5人のハーモニーの世界は圧巻でした。
私は、今でも5人時代の歌をよく聞きます。そして、本当に上手いと思うのです。
何も私は、5人のオルペンでもなければ、5人復活を願うペンでもありません。
音楽をする人間として、5人の作り出すハーモニーの世界を敬愛しているだけです。
いつも満足出来なかったポップス界の歌に、アイドルの音楽に、初めて満足しました。
私の音楽的知的欲求を満たしてくれた。
それぐらいレベルの高い音楽を作り上げていた。
その事に同じ音楽人として尊敬の念を抱くだけです。
そして、もう二度と聴けない、ということに心から残念な思いに囚われるだけです。

JYJの3人になって、あのまま日本で活動していたなら、きっとそのハーモニーの世界に満足していたかもしれません。東方神起5人時代より、3度ほど高めになったハーモニーラインは、間違いなくジェジュンの音域を中心に作られていました。
彼の歌声が一番綺麗に響く音域を中心とした楽曲に満足していました。
だから、あのまま日本活動が順調なら、オンリーにならなかったかもしれません。
現に私は、ユチョンとのハーモニーの音色が一番好きでした。
親和性の高いユチョンの声は、ジェジュンの声にとてもよく合います。二人で作り上げるハーモニーの世界はとても心地よかったのを覚えています。
私は、5人時代を実際には知りませんから、すんなり3人時代を受け入れたかもしれません。
THANKSは、今でも思い出に残るコンサートです。

でも私は、結局オンリーになりました。
それは、最初から、彼の声が一番好きだったから。
ハーモニーの世界が好きだったのは、彼の声が中心にあったから。
彼の華のある伸びのある声が大好きでした。
どこまでも伸びる高音域や、甘く濃厚な響きを奏でる中音域がとても好きだったからです。
いつのまにか、彼だけの歌を聴きたくなりました。
それは、声に魅せられたものの当然の欲求だったかもしれません。

クラシックのコンサートでも、上手い人のコンサートに行くと、いつまでもいつまでも歌って欲しいと思います。
それと同じように彼の歌声を聴くと、いつまでもいつまでも彼だけの歌声をずっと聴いていたい、と思うのです。
歌手というものは、そういうものだと思います。
全員がソロを取れるメンバーであるなら、尚更、そうであったはずです。だから、今、一人ずつのファンに別れていく人が多いのかもしれません。

ある時期までは、グループ活動していても、それぞれの個性に磨きがかかり、それぞれのやりたいこと、進みたい道が見えてくると、それは、それぞれの道を歩きたくなる。
人間として、表現者として、それは当然の欲求ではないでしょうか。
どんなに仲がよくても、全く同じ価値観、同じ目標、同じ目線を持つことは不可能です。
もし、そんなグループがいたら、私は、それは、誰かがどこかで無理をしていると思います。
自分だけの欲求があるのが人間としての当たり前の姿であり、それが大人になる、ということなのではないでしょうか。

私は、今の彼が大好きです。表現者としてひとまわりもふたまわりも大きくなった彼を心から尊敬しています。
3年、まともに歌えなくて、声は荒れてしまいました。以前ほどの伸びのある高音域を横浜で聴くことは出来ませんでした。
それでも、彼なりに出来る限りの調整をしてきたであろうことは、1月のソウルコンよりずっと声帯の状態がいいことを感じました。
中音域や、低音域は、ほとんど戻っていたからです。
そんな彼が歌う歌は、以前の声の美しさに偏りがちな歌よりずっと人間性に溢れていて、表現者としての表現力に磨きがかかっていました。
そういう人間的な内面の成長が、歌手の歌を変えるのです。
その変化を見ることが出来る私は、とても幸せなファンだと思います。

笹原氏の暴露によって、来年、JYJがC-jesから離れ、日本活動を再開する準備があることがわかりました。
ルッコリの内情も親族が100%出資した会社だったとは驚きでしたが、今までのジェジュンの扱いや、仕事の進め方などを見れば、納得出来るものは多いと感じます。
笹原氏の言うことが、真実であるなら、来年、彼は日本へ戻ってくる。
彼が一番望んだJYJの日本活動。日本語の歌の発売。
彼の思い描いていた日本活動が再開されるのです。
ソロ歌手としてではなく、JYJのグループ歌手として、日本の音楽界に復帰してくる。
3年前に中断された活動の続きの物語が始まる。

けれども、3年前と違うことは、メンバーそれぞれが、ソロの活動を経験し、基盤を作ったことです。
それぞれにソロとしてやっていける土壌も自信も持っている。
その上であえて、JYJとしての活動を始める。それは、きっと3年前の続きではないでしょう。

グループの活動の楽しさとソロ活動の充足感。
その二つを3人は、きっと手放さないでしょう。

どんなにJYJとして活動しても、オンリーの私には、それは、彼の活動の一部としてしか見ることは出来ません。JYJが全てではなく、活動の一つだと認識するだけでしょう。

そして、やっぱりオンリーとして、応援するのです。それは、どんなに枠組みが変わっても変わらない。

彼が、ドラマの仕事を断って歌手の仕事を選んだこと。
ずっと歌い続けたい、と言った彼の欲求を満たす土壌は、韓国にはありません。
韓国では、演歌歌手以外、ソロ歌手はほとんどいない。そして、歌い続ける土壌もないのです。

多くのアイドルが兵役前に稼げるだけ稼ぎ、地位を築き、やがて、ソロ活動をして俳優へとシフトしていく。俳優へとシフト出来なければ、兵役後、戻る場所は、ないと言えるかもしれません。
戻れなかった人間は、多くが実業家や起業家として生きていくことになります。また、音楽界の裏方へとシフトしていく。
けれども日本では、一生、現役で歌い続けることが出来る。
60歳を越えて現役のロッカーもいれば、J-POP歌手もいる。
多くの名前が出ている歌手は、40歳以上なのです。

彼が、ずっと歌い続けたい、と言った時、思い描いた世界は、きっと日本でのジェジュンとしての歌手活動だったと私は思います。
その場所に戻ってくる第一歩を来年は、見ることが出来るかもしれない。

11月の横浜スタジアム用にオリジナルの日本語曲を作っていると言った彼の歌手としての未来が、やっと開けていくのかもしれません。
その足がかりに横浜がなることを祈っています。