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ジェジュンのOST「生きても夢のように」を聞きました。
この曲のReviewを待っているという方もいると思いますが、今回、Reviewを書かないことにしました。
それは、この曲が余りにも辛くて、書く事ができないからです。
ジェジュンは、韓国へ戻って、ソロOSTを3枚出しました。
「成均館」「BOSS」そして、今回の「Dr.JIN」です。
これら3曲と彼のソロ曲「忘れられた季節」を聞いて下さい。
そうすれば、歌手としての彼の今の状態が手に取るようにわかると思います。
私は、常々、日本語の彼の歌と韓国語の彼の歌との発声ポジションの違いについて、何度も書いてきました。
それは、「ことば」の発音が、発声に与える影響が大きいからです。
特に彼のように「ことばの発音に忠実」になろうとするタイプの歌手の場合、その影響は顕著です。
多くの人は、彼の歌手としての魅力に「伸びやな高音部」をあげます。
それは、クラシックで俗にいう「抜ける」という高音部の伸びです。
この特徴を持つ歌手は、日本でもクラシック界をのぞけば、数人しかいません。
平井堅や布施明などにみられる特性を彼の高音部は持ちます。
しかし、私は、彼の魅力は、
「ミルクのような濃厚な響きの中音域」にあると考えます。
これらの中音域は、残念なことにJYJとしての活動の中にはほとんど、聞く事が出来ません。
彼がもっともその特性を発揮したのは、「東方神起」時代の数々のメインヴォーカルです。
彼の「日本語の歌」は、日本語の発音に忠実になろうとするがゆえに、上口蓋がよく開き、伸びやかな発声と艶やかな中音域を手に入れました。
彼が、日本活動の中で自らの発声を変え、進化させてきたことは、よく知られている事実です。
彼が、もし、韓国語の歌しか歌っていなければ、あれほどの劇的な歌手としての変化をしたかどうか、私は疑問を感じます。
すなわち、歌手としての彼の評価は、日本活動(日本語の歌)なくしては、ありえない事なのです。
伸びやかな高音域を維持するのに、もっとも重要なことは、濃厚な響きを持つ中音域の存在であることは、専門的に歌を勉強した人であるなら、よく知っている事です。
歌手の多くは、その中音域の響きを維持するために、多くの時間を費やします。
歌手自身がその日の自分の状態を見るのには、中音域をチェックすることによって、判断すること、また、聴衆がその歌手の状態を知るのには、中音域を聞くのが一番手っ取り早い方法だという事は、歌に詳しい人であれば、良く知られた事実です。それぐらい、歌手にとって中音域は、他のすべての音域を圧倒するほどの重要な音域と言われています。歌手が歌手として衰えていくとき、まず、それは中音域に現れるといわれるほど、歌手にとっての生命線といえる音域なのです。
今までの歌手ジェジュンの歌声で、私はこの中音域に不安を感じたことは、彼が歌い方を変えてから、ただの一度もありません。それぐらい、彼の中音域は、見事にコントロールされ、安定していました。
しかし、彼の今回のOSTを聞いて、私は、彼の歌手としての辛さを感じました。
甘美なメロディーに誘われるように歌う彼の歌声は、始まりの低音域から最後の高音域まで、
私の知っているキム・ジェジュンの歌声ではありませんでした。それは、どちらかといえば、彼のごく初期の歌声(地声で歌っていた韓国デビュー時代)にとてもよく似ています。
その変化が一時的なものなのか、それとも、彼が歌手として4度目の変化をしようとしているのか、私にはわかりません。もし、彼が、日本語の歌で身につけた発声ポジションを韓国語の歌を歌い続ける間に忘れようとしているのか、韓国語の発音に忠実なあまり、このような発声になったのか、私には判断が出来ません。しかし、BOSSのOSTでは、彼は、韓国語を日本語と同じポジションで歌っています。そのことからわかるように、韓国語の発音と歌によって、彼がわざとそのようにしているとは考えにくいのです。
しかし、これは、変化でなく、今の歌手としての彼の状態を顕著に現している歌であることを願っています。そうでなければ、私は、余りにも辛く、今後、彼の歌を聞く事を躊躇するでしょう。
過去の彼の歌声に、自分の安心を見出す事しか出来なくなるかもしれません。
歌手は、体調に大きく左右される職業です。
また、多くの鍛錬を伴う職業でもあります。
それは、楽器ではなく、人間の声帯を使って音を奏でるからです。
ですから、一人として同じ声の歌手は存在しないし、だからこそ、奇跡のように感じるのです。
同じ歌手から発せられる歌声であっても、同じ歌を歌っても、一度として全く同じ演奏にならないのは、「歌はその瞬間を生きている芸術」だからです。
ですから、今、彼がOSTを歌えば、それは、きっと配信された歌と同じものではなく、また、明日、彼が歌うOSTも同じものではないのです。
私達は、「同じ歌詞」「同じメロディー」の曲を聞いているだけであって、彼が歌う「歌」は決して一度たりとも同じものではありません。
今回の彼のOSTを歌手ジェジュンの過去の歌と比べて評価することは出来ません。
それは、彼が歌手活動を満足にして来れなかったからです。
二年前まで、ほぼ毎日のように歌を歌ってきた歌手と、その後、ほとんど歌を歌う事が出来ない環境の中に置かれた歌手との「歌」を同一線上で評価することは、余りにも残酷です。
「歌手」は、毎日毎日、声を出さなければいけません。
「歌を歌うこと」は、よくスポーツに例えられます。
伸びのある高音部を歌う事は、野球のバッターがホームランを打つことに例えられるほど、全身のバネと筋力とを使って、身体を駆使し、呼吸と腹筋の支えとのタイミングがすべてあった瞬間に、伸びやかな声が出るといわれています。
バッターがホームランを打つ、その瞬間の為に、何千回、何万回も素振りを繰り返すように
歌手も、伸びやかな高音を手に入れるために、何千回、何万回も発声するのです。
そうでなければ、身体が、そのタイミングを忘れてしまうからです。
野球選手も歌手も、その一瞬のタイミングを忘れない為に、何度も何度も練習を積み重ね、身体に記憶として刻み込んでいくのです。
これが、自分の現状を維持していく唯一の方法です。
彼は、練習生時代、そして、デビューしてから以後も、ずっとレッスンを積み重ねてきました。
特に彼のように、身体を駆使して歌を歌うタイプの歌手は、歌い続けないと声が出なくなります。
俗にいう、「当たりが悪い、息漏れする」声になりがちです。そして、声そのものが痩せて艶やかさを失います。
そして、それをカバーするために歌手は「喉声」で歌うのです。
私は、今回の彼のOSTにこれらの兆候を感じ、非常に不安になりました。
彼が望んでこうなったわけではなく、彼を取り巻く環境が、「彼が歌手であること」「彼が歌手であり続けること」「彼が歌うこと」を許さないのです。
その状態がもう二年以上も続いています。
その間に彼が歌手として行った仕事は、OSTとJYJです。
JYJにおいて、彼はメインヴォーカルを降りました。
彼の歌声は、ほとんど、高音部のハモリしか聞く事が出来ません。
また、多くの精神的ダメージを今回、彼は受けました。
私は、ファンとして、「ただ、生きていて欲しい、生きていればいい」と何度願ったかしれません。
それらの事柄を乗り越えて、彼が歌ったOSTを音楽の専門家として評価することは、余りにも辛いのです。
自分の声の状態は、彼自身が一番よくわかっています。
彼ほどの歌手が、自分の状態をわからないはずはありません。
そんな状況の中で、彼があの歌を配信する事を許したのは、あれが、彼の今の歌手としての精一杯であるからに他なりません。
そうでなければ、自分に厳しい彼は、BOSSの時のように、録音し直しているはずです。
今回の曲が、どの程度、撮りなおしたものなのか、それとも一度しか歌わなかったのか…
いずれにしても、歌手として、配信をOKするのは、彼自身だと思います。
私は、彼に望んでいます。
体調を管理して、喉をベストコンディションに保つことを…
なるべく多くの睡眠をとる事を…
どんなに忙しくても、たとえ、鼻歌でもいいから毎日歌い続けることを…
そうでなければ、二度とあの艶やかな中音域も伸びのある高音域も聞く事は出来ないかもしれない…
そんな不安を抱きながら、彼のOSTをファンとして聞くのです。
彼は、ドラマだけでなく、映画も撮影が始まっています。
映画では「歌手」の役ですね。
その役の中で、思いきり歌い、歌手としての感覚を取り戻して行く事を心から願っています。
これだけが、私の願いです。
彼の歌声が復活することを願っています。
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