釜山コンサートのJYJについての記事を書きます。

但し、これから書く事は、あくまでも私個人の感想です。

BLOGは、私の個人的な気持ちを書く場所でもあります。
もしお読みになった方が不快に思うような記載があったとしても、それは私個人の意見をお読みになったのであって事実を伝えるものではありません。

人にはいろいろな考え方や捉え方があり、言動ひとつとってもさまざまな解釈の仕方があります。
ご自分の意見と違うからと言って批判されるのは本望ではありません。

公開記事で書く場合、様々な意見に晒されることを覚悟して書いています。
もし意見が違うと言うのであれば批判なさらずスルーして頂けたら有難いです。

これは、あくまでも私個人の意見なのですから…

私は今までにJYJのコンサートを4度見ました。

昨年10月の彼らのスタートと言えるソウルshowcase
11月のソウルコンサート
今年6月の国技館日本チャリティーコンサート
そして、釜山コンサート

そのどれのシーンをとっても今もはっきりと記憶しています。

私にとって、そのひとつひとつにJYJというグループの成長の足跡をはっきりと感じることが出来るのです。

彼らが「東方神起」から脱退して自分達の音楽の世界を求めたことは、音楽人として当然の要求でした。

音楽性もスタイルも何もかも用意された世界を何年か経験した後に自分達のオリジナリティーを確立したいと考える事、
自分達のスタイルを持ちたいと考えることは音楽人として当然の要求です。
その進化が無ければ、それは音楽人ではありません。

それだけは、何十年もこの世界の端っこで仕事し多くの偉大なアーティストを見てきた私の確信です。

昨年の2つのコンサートの間には約1ヶ月しかありませんでした。

十分準備されたとはいえ、20曲近い新曲は、完全消化するには期間が短すぎました。

ヴォーカル曲は歌えば歌うほどこなれてきます。
ダンス曲は、踊れば踊るほどキレが良くなります。

高度な音楽性を求めたカニエ・ウエストの音楽を彼らは驚くほど短期間で身につけました。
おそらく他の歌手なら、こうはいかなかったでしょう…

しかし、彼らは、ステージにかけ、観客に披露する事が出来るほどの消化力で私達に新しいJYJの音楽の世界を披露しました。

ソウルコンサートでは、自作曲新曲4曲も披露されました。

驚くほどの進化です。

もともと持っていた才能が、枠を外されたことにより一気に開いた…
そう感じた瞬間でした。

それでもまだ、彼ら自身の世界を完全に消化しきって、自分の物にするには絶対的な時間が足りませんでした。

ステージ回数をこなすほどに多くの事が良くなっていきます。
しかし、わずかな回数しか与えられず、一ヶ月余りの期間では、消化し自分達の物にする事は出来ませんでした。

JYJの新しい音楽の世界のスタートでしかなかったステージでした。

それから、半年…

釜山コンサートで見たどの曲も彼らは完全に消化しきっていました。

もうカニエ・ウエストから提示された世界ではありません。
完全にJYJの色が付けられた彼ら自身の音楽の世界に変わっていました。

どの曲も完全に消化され、JYJの新しい愛すべき曲となって存在していました。

その大きな原因のひとつにKim・Jaejoongの演出があります。

メンバー3人の長所も短所も知りぬいたジェジュンだからこそ出来る世界がありました。

ジェジュンが演出をするという事が随分話題になりましたが、歌手として歌う事とステージを演出することは全く違う能力を要求されます。

歌手である彼は、自分を表現しきらなければなりません。
自分を前へ前へと押し出す表現力が求められます。

それに反して、演出家としては、自分の要求を捨て去り、あくまでも客観的に自分を含めてメンバーを配置することが求められます。

この相反する2つの事を同時にこなすことが出来るのは限られた人間しかいません。

ビートたけしや松本人志…
自分が演技者としても優秀であるものが演出家として優秀であるかどうかは全く未知の才能になります。
その才能は、与えてみて初めて花開くものです。

ジェジュンにこの才能があったことは、本当に彼自身にとっても新しい発見だったと思います。
やりたいことが必ずしも才能に繋がるのではないという事は、
私達が多くの俳優やスポーツ選手が現役で優秀であっても裏方へ回った時に必ずしもそうではないという事を沢山見てきた経験からもわかるはずです。

釜山コンサートにおいて、JYJのステージは、どの曲を聞いても完全に消化され確立されていました。
何をおいても、彼ら自身が自信に満ち溢れていました。

これがJYJの音楽の世界だとはっきり示していました。

そして、完全に「東方神起の呪縛」から解き放たれた彼らの姿がありました。

堂々と自分達の音楽を披露する彼らに、もう与えられた曲を歌っていた頃の姿は何処にもありませんでした。

アイドルとしてデビューし、数々の失敗を繰り返していた頃の不安げな表情も、与えられた曲の中でしか自分を表現できなかった頃のパフォーマンスもどこにもありません。

堂々と自分達の音楽を自信を持って私達に伝える彼らの姿がありました。

フォーメーションを間違えても落ち着いて対処する成長した姿がありました。

そして、日本活動が出来なくても多くの国から支持される彼らのファンの姿を見ました。

彼らは、もう日本活動していた頃の彼等ではありません。

JPOPを歌っていた頃の彼らの姿は何処にもありませんでした。

両国国技館で、「必ず日本へ戻ってきます」と言ったジェジュンの言葉が頭をよぎります。

必ず私達は、彼らの日本活動を取り戻したい…

けれども訴訟に負ければ、もう二度と彼らの歌声を日本で聞く事は出来ません。

負ければ、A社に彼らが戻ると考えているファンが多くいる事を知りました。
けれども、そうでしょうか?

所属している会社を訴えるという行為は、負ければ和解できるというそんな簡単な気持ちで起こすものではありません。

S社の手先となったA社に媚を売ってまで戻る必要は彼らにないのです。

戻る必要はありません。

彼らが日本活動を諦めれば、A社に戻らなくても日本を除く世界中で彼らは活動できるのです。

確かに彼らは日本でデビューし、活躍し地位を築きました。
彼らにとって日本が特別の場所であることは、疑いようのない事実です。

しかし、多くの困難を乗り越えてきた彼らが日本活動を取り戻すためにA社と和解するという事は考えられません。

私達日本ファンは、この5年間、いつでもチャンネルを回せば彼らの姿を見ることが出来ました。

日本語を話し、日本の食事を好物といい、日本の習慣に溶け込んでいった彼らを当然のように私達は受け入れていました。

でもその陰には、日本に溶け込もうとした彼らの血のにじむような努力がある事を私達は知りました。

彼らが日本活動を諦めない限り、可能性は残るでしょう…
しかし、裁判が不利となり、妨害がいつまでも続けば、彼らが日本活動を諦めてしまう可能性がないとは限らないのです。

かつて「東方神起」時代に特別な場所だった日本は、世界中にファンが広がる「JYJ」にとって同じように特別な場所になるとは限らないのです。

恋人のような日本と彼らの関係は終わり、これからは、日本ファンの片思いの時代が続くような気がしました。

彼らに私達の気持ちが届き、かつての蜜月のような関係を取り戻すためには、私達は先ず裁判に何としても勝たなくてはなりません。

そして、JYJの日本活動が始まる前に、たとえ、メンバーの誰かの個人活動が日本で始まろうとも、
それを足掛かりに日本活動の突破口として捉えていく気持ちがなければ、
私達は二度と彼らの歌声をこの日本で聞く事は出来ないと思います。

JJの個人活動が始まらない事をJJファンが不安に思う気持ちを理解せず、
批判を繰り返すJYJファンを多く見ました。

そのあなたの言動が彼らの日本活動を不可能に追いやる原因になるかもしれない…

彼らは韓国人なのです。

どんなに彼らが日本活動を望んでも仕事がなければ帰って来れない海外スターに変わったのです。

もう彼らはJPOPの歌手ではありません。

海外で活躍し海外に多くのファンを抱える海外のアーティストなのです。

その事を自覚して、私達は言動に注意しなければ、彼らの姿を二度とこの日本で見ることは出来ません。

あなたは、彼らのステージを見に海外へ出かけることが出来ますか?