大阪コンサートに2日間参加したあと、22日の自分のクリスマスコンサートの準備と練習に追われる毎日で、無事終えて、やっとブログに向かっています。昨年は、城ホールのコンサートの二日後に自分のコンサートでした。

 

福岡に帰ってきたジェジュンは、風邪をひいているみたいですが、この時期のコンサートは歌手にとっては過酷。

特に日本は空気が乾燥している上にコンサートホールはどこも空調の関係で空気がさらに乾燥しています。

乾燥は歌手の大敵で、少し歌うだけで声帯がバリバリになります。頭声発声する歌手にとっては乾燥は過酷な状況ですね。私もコンディションを整えるのに苦労しました。マスクとのど飴は手放せないアイテムです。

 

前記事には多くのアクセスがあり、閲覧条件を外しましたので、ジェジュンオンリー以外の人もたくさん読みにこられたようでした。

多くの方にご心配頂きましたが、批判コメントはこれから紹介する一件だけでした。

 

少し時期を逸したこともあり、公開を迷いましたが、シアペンの方の考えを知る機会になりますので、ここに公開します。

 

 

音楽

byマリーナ

12月11日 01:26

初めてコメさせていただきます。

今回の検証読ませていただきました。

さすが専門家ですね私も過去ですがTV局で仕事をして来て音楽に携わって来た人間ですのでいろんな事を考えさせられました。

東方神起からJYJと彼らの音楽も聞いて来ました。

私は3人それぞれの良さがあると思っているので音楽を楽しんでいます。

私の周りの友人もそのような感じですただみんな口を揃えて言っているのが魂まで響いた生の歌声は美輪明宏さんとシアジュンス君だと。これは私も同じです。

理屈ではなく不思議な感覚でした。

JYJは3人共いずれはソロのステージが増えていくであろう実力の持ち主。

この検証内容もご本人達が1番解っている事でしょうね。

一つ不思議なのは音楽家であるあなたがここまで1人の才能ある音楽家を公然と批判している事なんです。

音楽を世に出す事は簡単な事ではありませんよね。

事務所の運営、スタッフの対応や本人の言動へのご意見はもちろんあるでしょう。

でも音楽性への批判は理解しかねるのです。

あなたの大切な歌声を守る為であっても誰にでも大切な歌声があるわけで音楽家なら一番に身に沁みるところではないでしょうか?

素朴な疑問でお邪魔しました。

 

 

このコメントを読んで一番思ったことは、私はジュンスの音楽を批判しただろうか、という疑問でした。

私は、シア・ジュンスという歌手の音楽と歌い方を検証するにあたり、できる限り多くの楽曲を聴いたつもりです。また、シアの歌手としての特徴的な歌い方を分析しても、批判はしたつもりはありません。

私は、批判したのではなく、音楽家として批評をしたに過ぎません。そして、このコメントを送ってきた人こそ、私の音楽性を批判したことになるのではないでしょうか。

 

なぜ、シア・ジュンスが「アジアNo.1」と呼ばれるのか、それほどに高評価される原因を知りたいと率直に思っただけです。そして、一人の音楽家として、その理由がわからなかったという率直な意見を書いたに過ぎません。「音楽性を批判した」と言われるなら、シア・ジュンスという人の歌についてはひと言の批評も出来ず、全て肯定しなければならないということになります。

そして、そういう肯定的なファンの中に彼が存在しているのだということがよくわかりました。

 

私はジェジュンオンリーですが、今までも彼の歌を全て肯定したことはありません。ダメなときはダメだとハッキリ書いてきました。それは、一人の音楽家として、彼の歌手としての成功を望む心からです。批判を恐れては進歩はありません。これは、どの世界にも共通のことではないでしょうか。

 

KBOOMの2010年6月号に「東方神起」を指導した高名なONE先生のインタビューが掲載されています。その中にとても興味深い部分があります。

 

「歌手が〝歌う″という資格を持つことは出来ますがその歌う資格を与えてくれるのは、いつもオーディエンス(聴衆)だということを必ず覚えておくべきです。だからいつも聞く人を考えて、聞く人の為に心をこめて歌い、そして時々、自分達の為に歌いなさい

と常々5人には話してきた。

歌のレッスンにおいて大事なことは、自分の欲を捨てて、自分の思い出(経験)を込めて人々に伝えるというのが、歌手が持つべき心構えだと思います」

 

私が前記事でシア・ジュンスの音楽性を批判したというのであれば、このONE先生のコメントをそのまま引用させていただき、私の答とさせていただきたいと思います。

 

そして大阪で実際に聴いた「Begin」は、主旋律を消すほどのサブパートの音量で、そのパートを誰が歌っているかは明らか。二日目に聴いた「Beigin」は、主旋律を歌うジェジュンが遠慮するという、実に単なる声のぶつけ合いでしかなかったと感じたこと。

あれほどハーモニーが上手かった3人の音楽は、どこにも存在していませんでした。

他人の声を聞きながら歌うことが出来ない歌手は、ハーモニー音楽を捨てて一人で歌えばいい。

しかし、決して一人では「音楽」は成り立たないものだということを書き添えておきます。

 

これは明らかに紛れもない批判です。

この批判に対しての批判コメントにはお答えしません(笑)