昨日から、非常に不愉快だ。

こういう記事を上げると、またアッケと批判するのだろう。

しかし、アッケと呼んでオンリーを攻撃する人達は、その行為こそがアッケにはならないのか。

(私は過去に@マーク付きで攻撃されたことがある。アッケの定義から言えば、その人達は、立派なアッケだろう)そもそもアッケというのは、韓国ファン社会から入ってきた言葉である。

私も韓国ペンに教えてもらった。

その定義は、自分の好きな人以外のメンバーを攻撃するファンの事である。実際に、ユチョンのファンサイトは、ジェジュンにtwitterで@マーク付きの大量の攻撃を送り付け、アッケサイトとして有名になった。

しかし日本で私を含めてアッケファンと呼ばれる人達は、本人に攻撃メールやツイを送ったのか?答えは、NOである。

みな、自分の呟きの中で、又は、ブログで自分の感情を吐露したに過ぎない。@マーク付きで送らない限り、個人の呟きの範ちゅうである。

それは、日本の憲法で保障されている「表現の自由」の範囲なのではないのか。

仮に百歩譲って、それが「メンバーに対する攻撃」だと言われたとして、メンバー本人からの抗議や非難に対しては、甘受出来ても、ファンという第三者に何ら批判される筋合いのものではない。

もし、メンバーを批判する記事やツイ、そしてコメントがあれば、その書き手に対して批判出来るのは、

批判されたメンバー本人だけのはずである。本人が耐えられないのであれば、名誉毀損で訴えればいいだけの話である。それ以外の人間は、部外者なのだ。

人の好き嫌いも、人を批判することも表現の自由の範囲内である。

それなのに、JYJファン社会は非常に窮屈だ。

 

これは、5人当時の東方神起社会にそっくりである。

自分達の価値観、5人全員を応援するという価値観、メンバーを平等に愛さなければファン失格のように批判する価値観、その構造と全く同じだ。

 

私は、長年、音楽の世界で生きてきた。

芸術を表現するのには、自由がないと表現出来ない。

いろいろな制約の中では、自分の感性をありのままに表現することは出来ない。音楽や、文章、絵画、そういう芸術の分野は、統治されている企業とは違うのだ。

そこに生きている人間は、自由を求める。

自分の表現しようとすること、感性、そういうものに制約をかけられることを極端に嫌う。

そういう世界で生きてきた人間にとって、統一の価値観を強要することは、全くナンセンスだ。

 

人それぞれの価値観を認められない社会は、非常に未熟な社会だ。

 

彼が、日本を好んだのは、その自由な土壌にある。

 

憲法で保証された「表現の自由」という権利は、表現者にとって最も大切な権利である。

多くの国が、ナショナリズムや愛国心という名の元に制約をかける。

そんな中でアメリカに次ぐ数少ない自由の国なのだ。

 

それなのに、ファン社会は呆れるほど窮屈で仕方がない。

他人の価値観を認めない。

表現の自由を認めようとしない。

 

多くのオンリーファンが、事務所やメンバーの批判を繰り返すのには、それ相当の理由がある。

自分が大切だと思っている人を尊重しないと感じられる行為を繰り返されたら、信頼することは出来ない。

表に出てくるその時その時の言葉や状況しか、その関係性を判断することは出来ない。

 

3人になって、JYJになって、彼の状況がよくなったと言えるだろうか。

そして、その理由は、本当にSMによる妨害だけなのか。

全くSMとは関係のない場面で、彼の尊厳を傷つけられるような場面を何度も見聞きした私には、彼の自由が、SMとの関係性さえ改善されれば上手く行くとは到底思えない。

 

批判するには、それなりの根拠があっての事だ。

表に出てくる会話、やり取り、インタビュー、そういうものの中から、多くの事を判断していく。

 

不思議に感じるのは、そういうもので関係性を判断しようとすると、「表に出たものだけではない」と批判する事である。そういう人達は、自分達に都合のよいコメントを彼が残すと「彼が実際に話した言葉だけが真実でそれしか信じない」と云う。

この論理の矛盾に自らは気がつかないのだろうか。

都合のいいときには、表に出た事だけを信じ、都合が悪くなると、「何でも表に出た事が全てではない」と言い張る。

 

私は、彼が表で話したことだけを信じたりはしない。

大人になれば、ホンネで話すことは極端に減る。

ましてや、5人から3人になったとき、彼は徹底的に叩かれた。

自分の事を信じてくれていると思ったファンにである。

そんな事を経験した彼が、人前でホンネで話すとは思えない。

自分の本心は、決して見せない。

 

3人になってからの彼は、厚い鎧を身につけた戦士のようだ。

 

本当にその鎧は、SMの妨害に対して身につけたものなのだろうか。

 

今回の公正取引委員会が問題にした事案は、もう2年も前の事案に対する決定である。

その間、韓国以外のところで、JYJは、自由に活動出来たはずではないのか。

JYJとして、本当に活動したかったのであれば、アルバムを出し続け、コンサートを続けるべきではなかったのか。韓国でも世界でもJYJとしての活動をせず、メンバーがソロ活動に専念した理由は何だったのか?

 

音楽番組に出なくてもJYJ活動は出来る。

TV番組に自ら出ないアーティストもいるぐらいで、放送に出れない事が、音楽活動が出来ない致命的な理由にはならない。

ましてや、彼は、ずっとJYJとしての活動を望み、JYJとしての音楽の世界を確立しようとしていた。

そのために自分のソロ活動は極力抑えていた。

 

JYJは、活動出来なかったのではなく、活動しなかったのではないのか。

その理由は、本当にSMによる妨害だけなのか。

 

今回の決定によっても、おそらく状況は何も変わらないだろう。

芸能界というところは、古くからの慣習に乗っ取って運営されている。

秩序を壊し、新しい考えを持ち込むものに対して、徹底的に排除しようとする。

 

公正取引委員会の今回の決定によって、本当に彼がコメントしているように「幸せ」になるのなら、彼は、これからもっと明るい表情になるだろう。

彼の不自由さが、本当にSMからの妨害だけであるのなら、他のメンバーのように自由に明るく振る舞えるようになるはずだ。

 

私には、今日の彼の表情から、そのような嬉しさは微塵も感じなかった。

 

彼の自由を奪っているものが本当は、なんであるのか、私達は、これからの状況を注意深く見守る必要がある。

 

彼が本当の笑顔を取り戻すのは、いつのことなのだろう。

 

 

【追記】

 

過去のファンミの映像をそのまま今回のJYJのコメントとしてLINEに流す事務所の感覚を疑う。

過去のコメントを使い回さなければいけない理由でもあるのか。それとも過去のコメントの映像を流してまで、アピールしなければいけないものがあるのか、私には、わからない。

今回の映像もコメントも、過去の時点での彼の気持ちだったと確認するだけだ。

それでも彼の表情からは、喜びは感じられなかった。

 

http://www.youtube.com/watch?v=YXws7un394o&feature=player_embedded