2013年06月14日(金) 20時25分41秒
テーマ:プライベートメッセージ
いつからだろう、JJへの思いをこの場所に書けなくなったのは。
いつからだろう、堂々とJJへの思いを綴れなくなったのは。
オンリーだというだけで批判された。
JJだけが好きというだけで叩かれた。
最初からJJのソロ歌手としての活動を望んでいた。
それは、音楽の専門家から見て当然の思いだったから。
彼だけが歌手だと思えた。
彼だけがどんな小さなフレーズも魂を込めて歌っていた。
それは、デビュー当時のお世辞にも歌が上手いと言えない時から。
歌が上手い人は、他にもたくさんいる。
5人のメンバーの中で一番上手いと言えるかどうかは、評価が分かれるかもしれない。
それでも彼は、歌手として一番大事なものを持っていた。
それが、私達音楽を専門にする人間の心を揺さぶる。
彼は、歌手として最も魅力的だった。
彼の中にある歌手としての魂の叫びが、どんなに小さな短いフレーズにも顔を出して、
「自分は歌手だ」と主張していた。
歌手は、自分の歌に命を削る。
人生の全てをかけて、歌に命を吹き込む。
そうやって歌った歌だけが、人の心を揺さぶる。
その瞬間だけを歌と共に生きる。
その覚悟がある人間だけが、歌手として生き残っていく世界だ。
歌えなくなり、インターネット歌手と言われ、俳優業や広告モデルのタレントとしての仕事が長く続いた時、
彼の歌手としての炎は小さく小さくなって、影を潜めているように思えた。
俳優業の中に表現者としての方法を新たに発見した喜びを語る姿からは、歌手ジェジュンの面影はなく、俳優の顔が見え隠れした。
その度に私は切なかった。
彼ほどの歌い手が、歌える場所がないことが。
彼が歌える場所は、韓国にも日本にもなかった。
歌手ジェジュンは、過去のDVDの中に存在しているだけだった。
今年、突然、彼は、ソロ歌手、ロック歌手キムジェジュンとして、ステージへ帰ると宣言した。
そして帰ってきた。
今までの空白を埋めるかのように貪欲にステージで歌うソロ歌手ジェジュンの姿を観た。
それは、グループ歌手としての顔とは全く違う姿だった。
一人でステージに立つ。
一人で歌を歌いきる。
ステージでたった一人で歌う。
その孤独と恐怖は経験したものでしかわからない。
そして、恐怖と孤独に打ち勝ち、自分の歌を歌いきることが出来た人間だけが得ることの出来る自信と快感。
それも体験した人間にしかわからない感覚だ。
その双方に耐えながら、一人で歌うことを選んだ人間の覚悟を、彼のステージで観た。
そして、その両方を体験した彼のソロ歌手としての物語は、まだ始まったばかりだ。
4年前、私を捉えて離さなかった歌声。
それは、JPOP歌手としてのジェジュンの歌声だ。
韓国人の彼が歌う日本語の歌は、日本人が歌う歌よりも
日本語を伝える。
ことばの裏に隠された本当の意味を彼は伝える。
彼の歌うバラードに多くの日本人が涙を流すのは、ネイティブな日本人よりも正確に日本語を伝えるから。
ことばの一つ一つのニュアンスを見事に伝える彼の歌に琴線が震えない人はいないだろう。
日本語の曲を7曲も歌うというプログラムを引っさげて
彼は、二週間後、帰ってくる。
自国語の曲より多い日本語の曲を歌うと決めた彼の姿勢は、これからの彼の日本に対する決意の表れかもしれない。
多くのことを求めなくても、
彼の歌手としての感性が、
私達ファンの望むものを的確に捉える。
彼の作り出す世界は、間違いなくソロ歌手キムジェジュンの世界であり、
日本語の歌を歌うとき、
彼は、JPOP歌手として、そこに存在する。
日本でソロコンサートを聴きたい、と願ったファンの願い。
どんな形であれ、叶えられる準備は整っている。
一つ叶えられれば、ファンは、また貪欲になる。
彼の日本活動。
彼の日本語の歌。
彼の日本語のCD発売。
彼のフルアルバム。
初めて彼のファンになった日から、ソロ歌手ジェジュンがJPOPを歌う日を夢見てきた。
今、私の心は複雑だ。
彼が初めてのソロコンサートを開催しても、その後の道筋が何も見えない。
彼の歌手生命を考えたとき、
この一年は、彼にとって最も重要な一年になるだろう。
二十代に出す歌声と三十代に出す歌声は、明らかに違う。
それは、十代の声が余りにも青々しいのと同じように。
歌手ジェジュンの活動が、順調であって欲しいと、それだけを願っている。
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