ジェジュンのファンになって一番感じた事は、韓国の私設ファンカフェの存在だった。
日本人の私には、全く馴染みのない習慣ばかりだった。
過去にあるファンサイトの主催者だったとき、韓国のファンカフェのやり方を踏襲した事がある。そのカフェは、今でも韓国式のサポートをする。しかし日本ファンである私は、当時から、韓国式のサポートに違和感を覚えていた。今、多くの日本のファンサイトは、韓国式のサポートを模倣する。これは、韓国人の芸能人を応援するからなのか。それが当たり前の風習だからなのか。

JJDCギャラリーが特別に軍隊に許可を取って自分達のサイトだけが、ファンに呼び掛け、サポートを実行した。
軍の許可を特別に取り、郵便ではなく、直接に慰問品を届けるやり方なのだから、何の迷惑も彼にはかけていない。彼個人だけをサポートしたのではなく、軍楽隊全体に慰問品を届けたのだから、何ら彼にとって迷惑なことではないとの見解を示しているが、果たしてそうなのかと思う。

軍隊に慰問品も郵便物も送らないで欲しいと語った彼と、多くのものが送られて困っていると本人が言っていると呟いた親族の話の中には、個人では困るが部隊全体をサポートするのなら構わないという意味があっただろうか。
何もサポートをしないで欲しいと願った彼の思いの中には、自分だけが特別視されたくない、自分だけが軍隊の中で浮かび上がる事を望まないという意味があったのではなかったか。
事務所がギャラリーのサポート記事を暗に批判するかのようにサポート自粛を呼びかけた背景の中には、もっと違った景色と思惑が存在するだろう。しかし、その根底に流れるものは、彼の明確な意思のように感じる。

事情のわからない海外のファンサイトでさえ、自粛する中で、韓国のファンサイトが堂々と名乗りを上げて、彼のサポートをする意義も正当な理由も私は見いだす事が出来ない。

その上、サポート品の中には、彼だけに特別なものが含まれる。彼の記事の掲載された日本の新聞と、サイトの名前の入ったTシャツだ。
軍楽隊のサポートで、部隊全員が飲食物や化粧品を受取り、感謝しているという呟きが紹介されていたが、確かにそれらのものは受け取ったのだろう。しかし、新聞とTシャツに限っては、全員が受け取ったのだろうか。もし、仮に受け取ったとして、彼の名前の入ったTシャツや彼が大々的に紹介されている日本の新聞を受け取った兵士は何を感じただろう。呟きに紹介されている兵士のように、皆が皆、好意的に感謝しているとは、とても私には思えない。そこに特別な扱いをファンから受ける彼に対しての嫉妬や不愉快な感情は存在しないのだろうか。彼も喜んでいるという呟きは、それを受けた彼がその場で困惑する表情を見せることができるかどうかという想像力に欠けた見解でしかない。彼のファンサイトから受けたものを彼自身が拒否出来るのかどうかという事も含めて、多くの想像力を働かせる必要があるだろう。

韓国軍に従事するものが、日本からの特別な愛情を受けることを大々的に知らせる事に何のメリットがあるというのだろう。
軍隊という場所は、ナショナリズムの塊だ。
その場所に、他国からの特別な恩恵を受けたという事実を知らせる事に何のメリットがあるのか私にはわからない。
韓国のファンにとっては、彼が日本から特別な愛情を受け、大々的に取り扱われた事を自慢するような気持ちがあるのかもしれない。
日本という国から、大きな人気を得る彼は、彼女達にとって自慢以外の何者でもないだろう。しかし、日本を好まない兵士も数多くいる場所だ。特に軍隊という場所では、ありとあらゆるナショナリズムが存在する。
何も彼の事を知らなかった兵士たちが、ファンカフェの行動によって多くの事を知るようになる。それが果たして彼の存在や立場を脅かすものでないという保障がどこにあるというのだろう。

日本人である私は、彼の軍隊生活に、彼が日本で大きな人気を持つことや、彼が日本語に堪能なこと、日本に特別な気持ちを持つことが、彼の立場を脅かす事に繋がらなければいいと願っている。それと同時に、日本ファンとして、彼の立場を危うくするような言動は慎みたいと考えるファンだ。
しかし、韓国のファンカフェはそのように思わないらしい。軍隊に入ってもなお、自分達の存在が彼にとって特別であり、彼のサポートをすることで、彼の立場を良くしたいと思うらしい。
それが韓国式の考え方なのだろうか。

多くの韓流スターが、休日には自分のSNSを使って動向をあげたり、ファンへの直接のメッセージをしたり、どれほどにファンからの愛情や手紙を受け取るかをアピールしたりする中で、一切自分の存在をアピールせず、ファンに対するメッセージも出さない彼のあり方は、それが大きな彼からのメッセージ以外の何者でもないということに思いが至らないのだろうかと思う。

彼は入隊前に幾つかの事を私達に課して行った。
自分の留守中には、どう過ごして欲しいのか、留守中に自分を感じる為にできる限りの物を残したと話した。
それは、入隊中は、一切コンタクトをしないという事だったのかもしれない。

多くの芸能人のように、彼自身も、更新しようと思えば、自分のSNSを更新する機会もあれば、面会に来た友人にファンへのメッセージを託す事も出来るだろう。
しかし、彼はそれを一切やらない。
ほんの数日前までは、彼が軍楽隊にいることすら、事実かどうか疑わしいと思うほどに、彼の情報は一切彼自身から上がらない。
そこに彼の明確な意思とメッセージを感じるのは私だけだろうか。

一つのファンカフェがサポートをしたことが、他のファンサイトとの競合を生まなければいいと思う。
今までもいくつものファンカフェが、サポートの度に内容の自慢をし合い、如何に自分達のカフェが特別な存在であるかということを誇示し合っているようにしか感じられなかった。

軍隊という特別な場所で、命と隣り合わせの場所で、任務を遂行する彼をサポートするという名目で、自分達の存在を誇示し合うような行動だけは慎んで欲しいと、私は日本ファンの一人として願う。
決してファンの存在が、彼自身の立場や存在を脅かすものであってはならない。

そう危惧しながら、今回のサポート記事を読んだ。

ファンサイトは、韓流スターにとってなくてはならない存在なのだろう。
人によっては、芸能人と事務所とカフェがズブズブの関係を築いているところも多々ある。
しかし、彼は、コンサートにおいて、いつもファンに親しみを示すが、プライベートにおける関係はきちんと一線を引いてきた。そのあり方が、多くの韓流スターのあり方とは異なり、「もっと私達を頼って欲しい」とファンサイトの管理人に言わせるほど、特定のファンサイトと懇意な関係を結ぼうとはしない。
その清廉潔白な有り様が、賄賂や癒着の当たり前な韓国の社会構造の中で、特別なあり方であり、だからこそ、日本人の私達は、彼に大きな信頼を感じるのかもしれない。

そういう彼のあり方を理解し、彼が望むように、ただ静かに自分達の事をして待っているという行動が、彼の立場を唯一守るあり方ではないのだろうか。

今後、他のファンサイトがこのようなサポートを追随しないことを望む。
そして彼だけをサポートするのではなく、軍人の彼をサポートすることは、彼の部隊をサポートすることにつながり、ひいては韓国軍をサポートすることになるのだということを、日本人の私は覚えておきたいと思うのである。
日本人である私が、どんなに韓国人の彼のファンであっても韓国軍に繋がるサポートをすることはありえない。

ファンとして彼の立場も存在も少しでも脅かす事のないファンでありたいと思っている。

彼が韓国人であるから、韓国のファンサイトのあり方を踏襲したいとも思わなければ、韓国式のファンスタンスを見習いたいとも思わない。
日本ファンには日本のやり方もあれば、ファンスタンスもある。

彼が嫉妬という醜い感情の餌食にならないことだけを願うものである。

文責 kuko

追記

SPYチームが面会に行ったという画像を見た。そこに疲れている彼の表情を伺い知ることが出来る。
あの画像の胸元には、ドッグタグがぶら下げてある。その部分を見るだけでも私は胸が痛む。彼がどのような立場で、どのような感情で部隊で過ごしているのかを知るからだ。ドッグタグを胸元から下げ、その重みをいつも感じながら任務につく。どんな時もその存在を忘れることはないだろう。そんな場所にファンカフェ特有の感情も思惑も持ち込んで欲しくない。
そして、疲れきった彼の表情には、相変わらず笑顔はない。この画像が出回る事を十分知った上でなお、ドッグタグを胸元からぶら下げ、笑顔のない表情を見せる彼からは、彼の今の状況を隠そうとしない思いが見えてくる。
面会も結構だが、休息日には、休息をさせたい。慣れない軍楽隊の練習と、休息の時に、自分の練習をしなければならない下級兵士としての立場をもっと理解することが必要だろう。
いつも非常な緊張の中で過ごしている彼にとって、家族以外の面会が多い事が、彼の負担に繋がることにならないことを願っている。

どんな些細な事でも、普通の場所にいない彼にとっては重要な事に繋がるかもしれないのだということを感じながら、彼の画像を見た。
そして、そんな彼の表情をカッコイイと相変わらず平気で呟くファンの心理をファンの一人として到底理解することは出来ない。

私の書く懸念が、「ファン生活は楽しいものじゃないといけない」と批判する人には、彼が韓国人であって、日本の芸能人ではなく、今軍隊にいるのだということの認識が欠乏していると感じる。単に楽しいだけのファンでありたいのなら、韓国の芸能人のファンになることはお薦め出来ない。韓国は日本とは違うのだ。
日本の平和ボケした感覚を持ち込むことは、到底許されるものではないと感じる。

私は、そういうファンでありたい。