ファンが、ジェジュンの所属する部隊に慰問品を送ろうとしているとか、ある韓国のファンサイトは、慰問品を送る事の許可を軍隊に取ったとかというツイを読んだが、一人のファンとして大きな懸念を抱くものである。

前記事には、書かなかった軍隊の事実の中で、関心兵という存在がある。
これは、ググれば実体が書いてある。
過去に軍隊において、何度も銃乱射事件が起きているのは、多くの人の記憶にもあるだろう。銃乱射事件を起こす軍人の殆どが、この関心兵だということは紛れもない事実であり、多くの部隊にこの関心兵は存在する。
関心兵というのは、簡単にいえば、部隊不適合者と認められたもので、A.B.C級の3段階に分けられている。もちろん上等兵の中にも関心兵はいるわけで、階級と関心兵かどうかの判断は別個のものとなっている。
この関心兵の存在は、多くが部隊の中で孤立し、虐めの標的になっている場合が多い。実際に自分が関心兵でなくても、部隊に関心兵がいれば、虐めの現場を避けて通る事は出来ない。

軍隊の本部隊と新兵訓練所との決定的な違いは、新兵訓練所は、原則、新兵とそれを教育管理する教官しかいない。
即ち、訓練所の新兵に上下関係はなく、全員が同列の身分である。訓練所は簡単に言えば、兵隊養成学校と同じで、新兵の身分階級は全員同じである。そういう中では、自分が頑張りさえすれば、頑張るだけ認められる社会である。
ジェジュンが新兵訓練所を一位の成績で通過したのは、人格的にも技術的にも軍人として優れていると認められたからにほかならない。彼自身が与えられた場所で、真面目に努力した結果である。そしてその結果をそのまま評価として認められた場所だったからだ。

しかし本部隊ではどうか。
そう単純な社会ではない。
同じ部隊の中に、彼のように新兵もいれば、古参の上官もいる。また、職業軍人も当然いて、2年の任期が終われば除隊する人もいれば、ずっとそのまま勤める人もいる。
そういう社会構造ではなにが起きるかと言えば、特権に対する羨望と嫉妬である。
羨望と嫉妬は、表裏一体の感情であり、優秀な人間に対して、羨望の気持ちもあれば、その事に対して嫉妬する気持ちもある。
芸能兵が廃止された要因の中に、もちろん芸能兵としての特権を不正に使用して、軍人にあるまじき行動を取った芸能人がいたことも理由の一つだが、芸能兵に対する激しい嫉妬感情が批判を呼んだことも忘れてはならない。
芸能人は一種、羨望の対象である。
ジェジュンと同じ訓練所にいた新兵達の書き込みやツイから、彼らが如何にジェジュンに対して羨望と尊敬の眼差しで見ていたかがわかる。
彼の外見的な要素に触れ、憧れを持つ。自分との落差に落胆する。外見的な要素だけではなく、軍人としての技術的優秀さを知り、さらに憧れる。その上、彼が人格的にも優れているということを知り、とても自分には叶わないと自覚し、彼の優秀さを認め、尊敬する。
こういう構図は、彼らが横一線、同じ条件の元に暮らし、同じ身分であり、同じ経験をしてきているからこその連帯感の中で生まれる感情であり、嫉妬の感情を持ったとしても、それはやがて彼に対する羨望と尊敬へと変化していくものである。
しかし、本部隊ではまるで違う状況が生まれる。

同じ部隊の中で殆どの人間が彼よりも上等兵であり、経験も豊富で、軍歴も長い。彼は一番下の格下である。その上、訓練学校を優秀な成績で修了したという事実の上で配属されてくる。
軍隊においては、たとえ芸能人でスターであっても、そういう背景を捨て、単なる一人の韓国人として軍人訓練を受ける。そこには特権はない。一般人と同じ階級に下りてきたにも関わらず、軍人としての優秀だった。という事実である。
この背景を持って配属されてくるということは、ファンにとっては自慢出来る事であり、多くの尊敬の対象になるが、軍隊の本部隊においては、優秀であるという事、多くの特権を持っているということが必ずしもそういう感情の対象に成り得ないということを私達は知っておく必要がある。

二年を共にする閉鎖された社会においては、閉塞感が常につきまとう。
優秀さは、長所ではあるが、優秀なだけに嫉妬の対象になるという事も知っておく必要がある。多くのファンレターが届く事、多くの慰問品が届くこと。
これらはファンとして当然、彼の背景にはこれほど多くのファンがいて、彼は多くの人から大切にされている存在であるということを部隊の人間に知らせることが、彼の立場の有利さに働くと考えるのは、余りにも短絡的な思考である。

なぜ、彼が「一人の韓国人として軍務を果たしたい」と言ったのか。
なぜ、彼がファンレターも書き込みも断ったのか。
部隊の人間に迷惑をかけることだけでなく、多くの特権を持った人間だということを知られる事によって、それが多くの嫉妬感情を呼ぶということも考えの中に入れたおかなければならない。
芸能人である、芸能人が一緒の部隊にいる、ということを好意的に考える人間もいれば、迷惑だと思う人間もいるということも事実として知っておく必要がある。

軍隊という場所は、「死」と直面する場所であり、例え軍楽隊であったとしても、有事の時には楽器を銃や武器に持ち替える場所であるということを忘れてはならない。
部隊は一心同体であって、一人の人間の特異性が、多くの他の兵士の安全に直結するのだということを知る必要性がある。
そういう中で、ファンやファンサイトが、軍隊に許可を貰ったからといって、慰問品をその部隊に送るという行為が、彼の立場の優位性に繋がると考えるのは、ファンとして余りにも実体を知らなさすぎる行為のように思える。

なぜ、彼が、部隊に慰問品や手紙を贈らないで欲しいとわざわざ言っているのか。その言葉から彼がどのような立場にいたいと考えているのか、また、そのような物をたとえ軍隊の上層部が許可したとしても、彼が実際にいる現場で、どのような感情を呼び起こすものなのか、懸念を感じるものである。

これは、ドラマの撮影ではないのだ。
ドラマ撮影の現場に集う人々は、原則、彼に好意的だ。彼に対して悪意を持つ人間はいないと考えても構わない。しかし、軍隊という場所は、彼に好意的な人間ばかりの集まりではない。悪意を持っている、存在自体が気に食わないと思う人間もいるかもしれない現場だ。
部隊に差し入れられたものが、彼のファンやファンサイトからだとわかって、好意的でない人間が彼に対してどういう感情を抱くかということまで、考える必要があるのではないだろうか。
一つのファンサイトに許可を出せば、次々、許可を願い出るファンサイトが続出するだろう。いや、うちだけは特別な許可を取ったのだと言うかもしれない。しかし、ファンサイトという立場は、横並びの立場である。そういう風に彼はあえて扱ってきた。彼のファンサイトに対する態度は、韓国のサイトであろうが、他国のサイトであろうが、どのサイトに対しても平等の扱いである。一つのサイトにだけ特権を与えたり、懇意な関係を作ったりは意識的にしてこなかった。そして、どのサイトともプライベートな部分できちんと一線をひいてきた人である。軍隊が一つだけに許可を特別に出しても、他のファンサイトは納得しないだろう。特に私が以前から感じるのは、サポートの自慢合戦とも言うべき、認証ショットとサポート品やサポートの報告のし合いである。如何に自分達のサポートが彼の役に立ち、彼の立場を有利な存在にしているかということを自慢しあっているように見える。
しかし、軍隊は、ドラマ撮影ではない。現場の雰囲気も違えば、集う人間も全く異なる。そして、ありとあらゆる環境で育ってきた人間が集う場所でもある。
ファンからのサポートを単純に感謝する人間もいれば、反対にウザイと思う人間もいるかもしれないのだ。
そういう場所で、次から次へとファンからの慰問品が届けば、彼の立場はどうなるだろう。

私は、彼がファンレターも書き込みも、慰問品さえも断った背景の中に、そういう環境と、彼自身が決して自分を部隊の中で特別視されたくないという強い意思が働いているように思えて仕方がない。
多くの人に応援される立場、多くの人の愛情を受ける立場から、単なる一人の普通の人間になって、軍隊で、他の人と同じように何のバックボーンも持たず、特権も持たない立場の人間として軍務を遂行したいという意思を感じる。

そして、羨望という感情が嫉妬と表裏一体なのと同じように、目立つということは、標的にもなりえるのだということ。
自分の全く知らない人間から、多くの悪意の感情の標的にされる可能性もあるということを考える想像力が必要なのではないのか。

軍隊という場所は、特殊な閉塞感と規則の中での不自由な空間である。同じ身の回り品を支給され、同じものを食べる。本部隊に配属されれば、少し自由になるとはいえ、多くの制約がある。
彼が本部隊に配属されたなら、SNSを覗けるのではないかとか、twitterも出来るのではないかとか言う人もいるが、彼の立場はペーペーの一番格下の存在である。そんな人間が、多くの上官をさしおいて、そういう事ができるかどうか。出来たとしても、彼の性格として、そのようなことをするかどうか、そういうことも含めて彼が置かれている立場や環境を考える必要があるのではないだろうか。

冒頭に関心兵の存在と書いたのは、彼の部隊にそういう兵士がいないとも限らない。そして、そういう現場に彼は直面する事もあるかもしれない。
そういう時に、特権を持った芸能人であるという事が、どのように働くかわからないという事実を頭に入れて慎重な行為を取るべきなのではないかと思うものである。
このような事を書くと、必ず韓国ファンは、「そう深刻にならないでください。心配しないでください」と言うが、自国の軍隊で虐めによる自殺や銃乱射事件が頻繁に起こる原因を考えてもみるべきなのではないのか。
ありとあらゆる人間が集う場所であり、あらゆる感情の渦巻く場所で、多くの事件が起きてきた事実を直視するべきである。
彼は絶対に大丈夫だという保障は何処にもなく、誰にも言えない。それは彼自身が一番知っていることなのではないのか。

目立たない事。
軍隊で無事に過ごす最大の武器は、目立たない事である。
目立つということ、特権を持つ人間になるということは、多くの悪意と危険をはらんだ感情の餌食になる可能性があると日本人である私は懸念する。
特に階級意識と身分差別意識を持つ韓国の国民性を考えた上では、尚更である。

私は、「自分以外の事に取り組んで、自分のことは静かに待っていて欲しい」と話した彼の言葉通り、自分の出来ることを見つけて、取り組みながら、彼の帰りを待ちたいと思っている。
決してファンとしての軽率な行動や考えによって、彼の軍隊での立場を危ういものにしたくない。
自分の大切な人を危険な環境や悪意に晒すような行為は、たとえ、針の先のような可能性であっても、決して取りたくないと思っている。

ファンとして、どのような選択をするのかは、自由だろう。
しかし、私は一人のファンとして、大きな懸念を持つものである。