9月16日。

 

 

この日は、ジェジュンとジェジュンファンにとっては、特別な日だ。

 

 

それは、日本活動を打ち切られた日だからだ。

 

 

 

7年前の今日、彼は、日本の音楽界から姿を消した。

彼の歌声が、日本から消えた。

 

 

 

 

 

7年前、彼が韓国へ戻る最後の朝。

彼は、羽田の出発ロビーの前で、周囲をグルッと見渡し、深々とお辞儀した。

もう二度と、日本に戻れないかもしれないことを彼は覚悟していたのかもしれない。

 

必ず戻ってくる、と心に誓ったとしても、何の保障もなかった。

 

 

 

 

この7年は、余りにも辛いことが多かった。

日本ツアーで、「古くからのファンの人は知ってると思うけど、この7年、本当にいろんなことがあったね。辛いことがいっぱいあった」と話した彼。

 

 

彼の中では、歌手への気持ちも、日本活動への気持ちも変わらなかったのかもしれないが、彼の気持ちが見えない最初の数年は、ファンとして本当に辛かった。

 

 

 

 

打ち切られた翌年の6月、両国国技館で、「必ず日本に戻ってくる」と言った彼は、10月のひたちなかでは、「これからどうなるかわからない」とトーンダウンした。

思えば、最初から、彼は、外圧と内圧の双方と戦わなければならなかった。

 

 

 

反日が当たり前の社会。

 

ましてや、日本企業から活動打ち切りを宣告され、日本の音楽界から締め出されたグループの人間が、そんな仕打ちを受けても日本にこだわることに関しての批判は当然あったはずだ。

韓国に戻ったのだから、韓国芸能人として、活躍していけばいい。締め出した日本企業に対する反感も反発もあって当然だ。

それにも関わらず、彼は、活動をしていた頃の日本を懐かしがり、日本活動再開に固執した。

 

 

そんな彼に対する内圧は、外圧よりも実は酷かった。

 

 

彼に誤った情報を与え、彼に日本活動を諦めさせようとした。

彼の考えをマインドコントロールし、日本に対する考えを改めさせようとした。

韓国人として、当たり前の反日の感覚を彼に植え付けようとした。

 

 

その度に周囲に流されまいとする彼の姿があった。

周囲の考えには染まらない。

どんなに嫌がらせをされても、自分の感覚を貫こうとする彼の姿があった。

 

 

 

彼が抵抗するたびに、嫌がらせはエスカレートし、最後には隠さなくなり、誰の目にも明らかなほど酷い状況になった。

 

 

 

それでも彼は、ひと言も「辛い」とは言わなかった。

 

どんなに酷いことをされても、どんなに裏切りにあっても、決して人のせいにせず、自分の中にその理由を見つけようとした。

人生の指南書を読みあさり、自分の感情をコントロールして、決して彼らと同じ土俵に立とうとはしなかった。

そして、決して自分の選択を後悔しなかった。

 

 

 

いつも前だけを見て、過去を振り返らなかった。

過去の感傷にも浸らなかった。

 

 

ファンだけを信じて前を歩き続けた。

 

誰の干渉も受けず、自分で決めたことは、頑固に守り続けた。

 

 

 

泣いてばかりいて、自分に自信の持てなかった彼は、軍隊の2年間で大きく変わった。

 

 

軍隊の2年の経験が、彼に与えたものは大きい。

 

 

 

除隊後、彼は、自分の意思をハッキリ表現するようになった。

決して諦めなかった日本活動への気持ちを堂々と表現するようになった。

 

 

 

「人生、何があるかわからないよ」

 

 

今までの辛い気持ちを隠さなくなったのも、彼の人間としての大きな成長だ。

 

一人で耐え忍んで、自分を攻め続けることをやめ、客観的に自分の状況をあっけらかんと話せるようになった。

事実から逃げず、向き合えるだけの強さを身につけた。

 

 

 

 

大きな事務所の後ろ盾も持たず、彼にはファンしかいない。

 

 

 

彼にあるのは、己の能力とファンだけ。

 

 

自分を切り捨てた日本音楽界への復帰を決して諦めなかった彼。

 

その日本音楽界に、自分の力とファンの後ろ盾だけで戻る。

 

 

 

 

ドリフェスへの出演は、日本音楽界への歌手としての復活を意味する。

 

7年ぶりに彼の歌声が、日本の音楽界に戻る。

 

 

 

 

2017年の9月は、ジェジュンとジェジュンファンにとっては、特別な月になった。

それは、彼が日本音楽界への復活を決めた日だからだ。

 

 

 

7年の時を経て、奇しくも同じ月に、彼は日本への復帰を決めた。

 

 

 

7年前、9月が辛い思い出になることがいやで、始めたブログ。

 

彼は、新しい思い出をくれた。

 

 

 

2017年9月8日は、彼とファンにとって、特別な日になった。

 

 

 

 

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ドリフェスの出演が発表された9月8日は、日本活動最後のミニアルバム「THE…」の発売された日でした。

 

 

「君だけに会いたかったよ。いつだって会いたかったよ…」

 

 

 

この歌詞で始まる彼の美しく細い音色は、今も耳の中に甦ります。

 

 

この曲の歌声を最後に、日本音楽界から消えた彼。

 

今度は、一人で復帰する。

 

 

 

7年の時間は、彼を歌手としても人間としても大きく成長させました。

 

余りに辛いことが多かった7年は、彼の人生に取り組む姿勢、与えられたものに誠実に真摯に向き合う姿勢で、彼の肥やしになりました。

 

 

 

彼の十代後半から二十代前半は、余りにも順風満帆でした。

あのまま何の苦労もなく人生を進んでいれば、彼は、ここまで歌手活動にも日本活動にもこだわらなかったかもしれない。

何より、ソロ歌手として活動するという決意をしなかったでしょう。

 

 

 

歌う場所を奪われ、日本活動を奪われたからこそ、彼は、自分の気持ちを見つめ直すことが出来たと言えます。

 

 

過酷な人生は、彼に歌への執着と日本活動への執着を自覚させたと言えるかもしれません。

 

 

この7年の道のりは、彼がソロ歌手として、一から日本でやり直す為に必要な時間だったのです。

 

 

 

私は、彼のファンで良かった。

 

 

彼の5人時代を知らなくて良かったと思います。

 

もし、5人時代を知っていたら、彼にソロ歌手を求めなかったかもしれない。

いつまでも5人時代のハーモニーに固執していたかもしれないのです。

 

 

 

でも私は、5人時代を知らなかった。

 

最初から、彼しか見えていませんでした。

最初から、彼のソロ歌手への転向を望んでいた。

 

 

 

この7年、辛いときも、彼と一緒に前を向いて歩いてこれた。

それは、決して彼が諦めなかったからです。

 

 

 

そして、どんなに嫌がらせをされても、日本への気持ちを隠さなかった。

 

 

 

彼と共に歩けた7年は、幸せだったと言える。

 

 

そしてこれからも、彼と一緒に歩いていく。

 

彼が、日本で正式に復活するその日を、この眼で確かめたい。

 

 

 

ドリフェス出演は、彼の日本での新しい一歩なのです。

 

 

 

「…きっとこの先にまだ光は指すから」

 

 

 

彼の歌声で締めくくられたこの曲の歌詞のとおり、

彼のこれからの人生の先に、光が指すことを信じています。