ジェジュンは変わった。
本当に変わったと思う。
それは、ここ最近、顕著に感じることだ。
カメラを構える自分の姿を誰が撮っているのか?というコメントに対して、マネージャーのムンギョンテが撮っているというコメントを書き込んだが、photoのスペルの綴りをpotoにしたことに対して、綴りが違うと指摘が相次いだ。
それに対しての彼の答えがこれだった。
poto by moondori ムンギョンテ
わざとpotoにしたんだから 普通に photoのことなんだなと理解してください
それでも指摘が相次いだ事に対して、以下のInsta.をあげた。
冗談が通じないのなら みんな 正しい言葉だけ話して暮らします
jj_1986_jj 장난을 받아들지 못할거면 다들 바른 말만 하고 살아요😮
冗談を受け入れられないのなら みんな 正しいことだけ話して生きてください。
ファンの指摘に対して、ハッキリ自分の意思表示をした。
即ち、わざとpotoにしたんだから、理解しろよ、という意思。
入隊前の彼なら、決してこのようなコメントはしない。
入隊直前のドラマファンミで来日前に、Moldirのランチングショーが発表されたことについて批判が相次いだ時、彼は、日本語で、こう呟いた。
一番大事なの何?
僕には、人。
そして時間…だから今は泣くしかない
この2つのコメントに彼のファンに対する気持ちの変化を感じる。
入隊前のコメントには、ファンの批判や指摘に対して、自分には時間がない。だから何とかわかって欲しい、という願いが込められている。
それに対し、直近のコメントには、理解出来ないのなら、冗談は言えない、という自分の考えを明確に現している。
これは、ファンとの力関係において、前者は、あくまでもファンの気持ちは理解出来るが、何とか、自分の事情も理解して欲しい、というどちらかと言えば、懇願に近い感情に対して、後者は、冗談だと理解しないファンなら、理解してくれなくてもいい、自分の考えは、こうだから。という強い意思が感じられる。
かつての彼なら、決してここまでの意思表示はしなかった。
日本で伸び伸びと自由に自分を表現していた彼しか知らなかった私は、7年前、初めて韓国での彼の姿を見たとき、余りの違いに愕然とした。
彼は、まるで別人だった。
5人時代、日本で番組に出れば、必ず彼に質問が司会者から振られた。
それは、事務所の強い意向だったかもしれない。
良くも悪くも彼は、いつもメンバーより多く話さなければならない立場だった。
そうやって、彼は、自分を表現することに臆病でなくなった。
人懐こい笑顔と共に何の不安もなく自分を表現する彼の姿があった。
しかし、韓国に戻った彼は、そうではなかった。
古いファンは、「元々彼は、韓国ではそうだから…」という言葉で違和感を示さなかったが、まるでデビュー1年目の「神秘的なイメージ」と共に「笑うな」と言われていた頃の彼に戻ったかのようだった。
今も記憶に残るのは、2011年1月19日にSBSで放送された「良い朝」のJYJ特集だ。
1時間のインタビュー番組で、スタジオでメンバー3人に司会者が質問をして、それに答える、というトーク番組だった。
日本と違い、司会者は、ただ質問を投げかけるだけで、誰に答を求めるというものでもなかった。
そんな中で、積極的に質問に答えたのは、彼以外の二人のメンバーで、彼は全く自分から言葉を発さなかった。
メンバーの答に頷きながら、黙っているだけだった。
堪りかねた司会者が、「ジェジュンさん、どうですか?」と聞かれて、やっと答え始める、という有様だった。
それを見た夫が、「ジェジュンって本当におとなしいんだな」と言うぐらい、彼は中央に座っているにも関わらず、二人のメンバーの影に隠れるようだった。
そして、あの弾けるような笑顔もなかった。た
だ、微笑んでいるだけだった。
「こんなにおとなしかったら、芸能界でやっていけるのか?」
何の事情も知らない夫が心配するほど、彼は自己主張をしなかった。それに反して日本にいるときよりもずっと笑顔で伸び伸びと自分を主張するメンバーの姿があった。
自己主張の激しい芸能界では、自分を主張することが何より求められる。
とくに、韓国芸能界では、日本よりも自己主張が激しいと感じる芸能人を多く見てきた。
競争社会の中で、自分の主義主張をハッキリと表現しなければ、蹴落される社会だからなのだろう。
そんな風潮の中で、彼の姿は、余りにも違和感があった。
韓国に戻った彼は、厚い鎧を被って決して本心を見せなくなった。
いつも遠慮がちで、常識的で、自己主張をせず、メンバーに先を譲った。
日本にいた頃の彼とは余りにも違っていた。
2010年、韓国へ戻った当初、初めて行なった仕事に化粧品のモデルがあった。
実は、その仕事は、当初、彼だけをモデルに指定してきた仕事だった。
しかし、彼はその仕事を、「せっかくだから3人でしよう」と言って、3人の仕事にしたのは、知る人ぞ知る話かもしれない。
そうやって、いつも他を優先する彼の姿があった。
それからも彼は、3人でいるときは、いつも中心にいるにも関わらず、メンバーの発言を優先させ、自分は決して自己主張しなかった。
彼が、自己主張するようになったのは、ソロのステージを行うようになってからだ。
それでも入隊前は、ソロのステージでさえ、必ずメンバーへの気配りを見せた。
自分だけでなく、メンバーの動向、メンバーへの気遣い。
内圧が酷くなる度に、何かある度に、彼は、ファンとの関係を大事にした。
ファンに「守ってあげる」と言われて号泣し、「軍隊に入れば誰も自分を守ってくれない」と言って泣いた。
不安げで、儚げで、自分を主張し、ファンをリードするというよりは、ファンにすがるような気持ちが見え隠れする入隊前だった。
あの頃の彼は、竹のようにしなり、どんな圧力にも折れてしまわないしなやかな強さを持っていたが、それは、どことなく線が細く、ファンに「守ってあげたい」と確かに思わせるものだったと言える。
しかし除隊後、彼は変わった。
除隊後は、決してメンバーの名前を口にしなくなった。
あくまでも自分だけのファンとの関係を大切にし、自分だけの世界を大切にするようになった。
自己主張をハッキリとするようになり、ファンを明らかにリードする強さを身につけた。
自分のファンは自分で守る、という強い意思と共に、自分で自分の人生を歩いていく、という信念が見える。
「守ってあげる」を韓国語で歌って、と言ったファンに対して、
「ダメだよ、せっかく日本語で、日本語で歌えるようになったんだ。やっと、やっとここまで来たんだから…」と言って決して韓国語で歌おうとしなかった彼。
たとえ、ファンの願いであっても、自分の意思とは違うことはしない、という信念を口にハッキリ出すようになった。
以前の彼も、自分で決めたことを頑固に貫き通す強さを持っていたが、それを口に出すことはなく、行動で表してきたが、その頃の彼よりも自分の意思を現すことに自信を持つようになった。
彼は変わった。
そして、強くなった。
今、彼は、自分の進む道、決めたことをたとえ、ファンから批判されても、貫き通す強さを身につけたと思う。
どんな自分であっても、自分を理解し、ついてきてくれるファンだけでいい、という潔さすら見える。
彼のInsta.のコメントを見ながら、そんなことを思った。
その強さを身につけた彼は、きっと自分の力と意思で、必ず日本活動を取り戻すだろう。
かつての5人時代、3人時代の彼ではない。
一人の歌手として、新しい姿で日本の音楽界に戻ってくる。
強さと潔さを身につけた、彼の新しい姿が、多くの日本人の心を掴むことを信じている。
※
韓国に戻った彼の弾けるような笑顔を初めて観たのは、2011年6月の両国国技館で行われたコンサートと数日後の釜山でのコンサートだった。
私は、両方の会場にいた。
日本活動が打ち切られてから約8ヶ月。
すったもんだの末にやっと決まった両国国技館でのコンサートだった。
アルバム「Beginning」での曲を歌ったコンサートで、彼の久しぶりの笑顔を観た。
「みんないろいろ言いたいことあると思う。メッチャ腹も立つだろう。でもこれから、1000回でも10000回でも日本に来れるように頑張るから」
そう言いながら、楽しそうに笑って歌う彼の姿を久しぶりに観た。
彼は日本に来れば、この笑顔を見せるんだ、と確信した。
しかし、その数日後に行われた釜山でのコンサートでも、彼は日本のステージ同様の弾けるような笑顔を見せた。
楽しくはしゃぎ回るステージの彼を見ながら、私は心が重く沈み込んだ。
なぜなら、彼の笑顔は、日本限定だと思っていたからだ。
韓国で初めて見た彼の笑顔だった。
彼が日本ではなく、韓国でもこのような笑顔を見せたことは、彼が母国でも無防備に自分を見せるようになったのだ、ということを感じた。
日本に戻らなくても、彼は、この場所で十分、伸び伸びと自分を表現出来るのだと感じたことが、私の心を憂鬱にした。
初めて、彼が遠い存在になる、と感じた。
もう日本の手の届かないところにいるのだと自覚したのだった。
でも私の感覚は間違っていたと知った。
釜山から帰国した数日後、私は、その頃、交流していた複数の韓国ファンからメールを貰った。
そのどれもに同じ内容が書かれていた。
それは、彼が、国技館に戻るまで、あのような笑顔を韓国で一度も見せていなかったこと。
釜山での笑顔は、彼が日本に戻れたから。
日本の国技館で日本のファンの変わらない愛情を受取り、安心したから、釜山でもあれほどの笑顔を見せたのだと。
彼の弾けるような笑顔を見て、彼が本当に日本を慕っているのだということを韓国ファンは悟ったと。
その時、私は彼の日本への思いが変わっていないことを感じました。
彼が、日本を求める心、日本活動を求める心は、7年前に活動を打ち切られたその日から、何も変わっていない。
彼が日本を求めるから、日本も彼を求めるのだと思います。
この7年、日本と韓国の関係がどんなに悪化しても、彼の日本への思いは、一度もぶれたことがありません。
彼だから、受け入れられる。
ドリフェスで、彼を初めて知る多くの人は、彼の日本への思いを必ず受け取るでしょう。
そして知るのです。
彼だけは、特別だということを。