たった1枚の写真にこれほどファンダムはガタガタになるのだと思った。
ならば、除隊後に彼が相変わらずCjesに留まり、韓流スターとして活動を続けることがわかったら、ファンダムはどのようになるのだろう。
彼の画像が出なければ出ないで、良かったと安心し、いつまでも音沙汰がないとJJ切れになったという。
画像が上がれば、一喜一憂し、その隅々の情報まで目をさらのようにして追いかけ回す。
久しぶりに上がったオフショットに映し込まれた小さなTATOO.
そのTATOOを廻って賛否両論が起きている。

これほどファンダムがガタガタになるとは彼自身が一番想像出来なかっただろう。それより彼自身、自分の画像が公開されるとわかっていたのだろうか、とも思ったが、一般人との画像を全て断り、友人、知人とのショットだけが上がる現状は、彼が承知したからこそのことだとも言える。

新たに身体に刻んだ小さなTATOOの真偽だけでなく、仮に本物であるなら、「約束を裏切った」とまで批判が起きている状況は、結局、彼が自分達の思い通りの行動をしなければ批判するのだという現実を顕著にしたのかもしれない。

女性とのツーショットが上がる度に起こる批判と落胆。
副業の仕事をするたびに巻き起こる賛否両論。
そしてTATOOに対する猛烈な批判。

これらは、全て、彼自身への強烈な介入でしかない。
いつもこのような批判が巻き起こる度にそう感じる私は、ファン失格なのだろうか。

ジェジュンファンは、誰かさんのファンと違って、本人にハッキリ物を言う。
そう自負するファンからすれば、私のような考えをするファンは、失格なのだろう。

こういう問題が起きる度に私は思う。

彼は、あなたにファンになってくれ、と言ったのか?

ファンになるならないは、自由だ。
今の状況は、ファンになっておいて、自分の思い通りの彼でなければ、自分の思い描く言動をする彼でなければ、彼自身を攻撃するというスタンスだ。

このスタンスに誇りを持っているファンからすれば、私などお呼びでないだろう。

「ジェジュンファンは、駄目なものには、駄目とハッキリ彼に物申す。何でもOKという溺愛じゃない」

Moldirのランチングショーの時同様に、自分達の価値観から、彼が外れれば、NO,を突きつけることが、彼の為だと自負する姿だ。
そういうファンを見る度に、ファンというのはどういう存在なのだろうかと思う。

彼のファンになって6年。
その間に、彼はいくつのTATOOを身体に刻み込んできただろう。
その度にいたたまれない気持ちになった。
なぜなら、その行為は、自傷行為にしか見えなかったからだ。
あといくつ刻んだら、彼の心は満たされるのだろう。
いや、満たされることなど永遠にないのかもしれない。

けれども、TATOOをしなければ、彼はその満たされない心をどこに求めるだろう。
女だろうか、薬だろうか……

そう思うと、たとえ自傷行為だとわかっても、それを止める気持ちにならない。
なぜならTATOOは、唯一、彼自身の中でだけ完結出来る行為だからだ。

彼のファンになって以来、彼がTATOOを刻む度に、いたたまれない気持ちと共に何度も乗り越えてきた。
TATOOだけではない。
彼が金髪に染めるとき。
その時も彼の中には必ず何かが起こっている。
その度に彼の存在を脅かす得体のしれないものを一緒に乗り越えるしかなかった。

そうやって、いくつもの出来事を受け入れてきた。

「そんなにTATOO嫌いなの?わかったよ、もう入れないよ」

確かに彼はそう言った。

下腹部に入れた時のファンダムの騒動も当然彼は知っているだろう。
それでも彼が入れるのであれば、ファンとしてそれごと受け止めるだけだ。

TATOOを入れた彼の価値に何ら変わることはない。

歌手であり、日本を愛し、日本をこよなく大切にする彼という人間が、何ら変わることはないのだ。

この6年。ファンになって彼に一度も要求する気持ちになったことなどない。

彼のこの6年を振り返れば、歌手を続けてくれたこと、芸能界にいてくれたこと、生きていてくれていること。

感謝する以外に何の感情もない。

日本を嫌いだと言われても仕方ない。
日本にはもう行かない、と言われても仕方ない。
歌手をやめて俳優になる、と言われても仕方ない。

芸能界を辞める、と言われても仕方ない。

彼に何を選択されても仕方ないのだ。

なぜなら、彼の人生は彼のものだから。

彼に事務所を出て、もっと自由に活動して、と願う。

彼に自分のしたいことをして、と願う。

そう願う口で、彼のすること、言うことに一々文句をつける。

彼に自由を願いながら、自分達の価値観という足枷を嵌めるのは、ファン自身だ。

自分達の価値観の中でなら、彼に自由を与えるのか。

自分達の許容範囲の中だけで、彼に自由を願うのか。

自分達の言動の中に矛盾を感じず、彼に自由を願う。
彼女達の願う自由とは、一体どういう自由なのか。

私はそんなファンにはなりたくない。

私は、自分の選択で彼のファンになったのだ。
彼から強制された覚えはない。

ファンはファンでしかない。それ以上でもそれ以下でもない。

ましてや、彼の人生に立ち入ることも出来なければ、彼の選択、決定に介入することなど出来ない。

自分の価値観を押し付けて、彼がもし不幸になったとしたら、その時、責任を取れるのか?
私は取れない。

誰も人の人生に責任など取れない。

彼の人生は、彼自身が、彼の選択と決定によって歩いていくべきものだ。

彼は優しい。
ファンにとても優しい。

けれども自分が納得したことでなければ、絶対に行わない。

自分が納得し、決定したことに対しては、全責任を自分で負う人だ。

それだけの強い意思があったからこそ、反日主義者の集まりの事務所の中で、どんな恐喝にも負けず、自分の意思を貫いてきたのだ。
韓国芸能界の黒い闇を内部に抱え込み、その闇を否定しない事務所の中にあって、一人、自分を見失わず、自分の生き方と考え方を貫いてこれたのは、彼が、決して自分が納得しないことは行わないという強い意思の持ち主だったからに相違ない。

どんなにファンが批判しても、これからもTATOOは入れるかもしれないし、副業は手放さないだろう。

TATOOも副業も全て、彼の表現の一つであって、表現者としての彼を形作る一つの要素でしかない。

彼がこの先、何を身体に刻もうと、何を行おうと、私はそのまま受け入れる。

彼のファンになったとき、彼の選択も決定も全てそのまま受け入れると決めたからだ。

彼が除隊後、もし、Cjesに残り、そのまま活動したとしても、それが彼の選択であり、彼の決定であるなら、一介のファンである私には、何も言う資格はない。

彼が自分の命を守り、自分の人生を続けていくために下した決断を受け入れるだけだ。

私は唯の一介のファンでしかない。
ファンは、ファンであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

そして、私は、彼のファンであり続けたいと思うだけだ。