この記事に対する批判ツイを読んだ。その事に関する所感を最後に追記しました。また韓国の実情を知る為に芸能界における階級社会についても追記しました。

 

 

オリジナリティーがないというのは、ここまで惨めになるものなのか。

このところのメンバーのあり方は、目に余るものがある。ここまでしたい放題出来る感覚とは一体どういう感覚なのだろう。

 

全く異なる感性の持ち主なのに、自分の色というものを確立出来ない。5人の頃から、最も韓国人らしく韓国人特有の考え方をしていた持ち主だった。

自信に満ち溢れて日本活動を始めたはずだ。当然、東方神起のメインヴォーカルの地位は俺様のものだったはず。それが何曲出しても芽が出なかった。それはそうだろう。最も韓国人らしい歌い方をする韓国人特有の声質は、日本の聴衆に受け入れられない。それだけの理由だ。

日本で売れるには、トンバンシンギではなく、とうほうしんきになる必要があった。とうほうしんきという響きには、トンバンシンギの声質は似合わない。

メインヴォーカルを奪われた時から、ずっと思っていたはずだ。韓国に戻れば俺様の天下だと。

日本活動中、彼の横でどれだけの嫉妬と悔しさを噛みしめて笑っていたのだろうか。韓国にいた頃には決して味わわなかった屈辱を日本で味わったはずだ。メインヴォーカルを外された曲を初めて渡された時の心情はいかほどのものだったのだろうか。笑顔の裏で何を考え続けていたのだろうか。

 

もう一人のメンバーについては、もっと狡猾なように感じるのは私だけだろうか。

決して被らないジャンルを早くから選択したメンバーにとって、彼がキー局の日本のドラマに出演する影で、自分はBeeTVという配信専用のドラマの出演しか与えられなかった。どんなにしても日本では彼に叶わない。歌の分野でもドラマの分野でも、彼の好待遇は決定的だった。日本では彼のポジションは揺るがない。

韓国に帰りさえすれば、彼を元のポジションに落とすことができる。

そう考えたはずだ。

それほどに韓国における彼のポジションは低かった。いつも心の中で蔑む対象でしかなかったはずだ。出自も教育も持たない。何も持たない彼の後ろ盾はファンだけ。そのファンも日活がなければ力を出すことも出来ない。韓国では、当然自分達のファンの方が多いのだから。

 

韓国に戻りさえすれば、今のポジションから引きずり下ろせる。

そう考えていたに違いない。

日本という後ろ盾を奪い取ること。それだけが目的だったのかもしれない。

 

五年前、JYJとしてのスタートである高麗大学でのshowcaseで観た彼は、私の知らない彼だった、と記事に何度も書いた。けれども今まで書いてこなかった事がある。それは、彼が知らない人だったのと同じようにメンバー2人も知らない人だったのだ。

 

日本では決して見せない溢れるような二人の笑顔がそこにあった。センターに位置する彼を無視するかのような二人の態度を何度も観た。それはその日の司会者にも同じことが言えた。まるで水を得た魚のように二人は伸び伸びとインタビューに答え、終始楽しそうだった。それに反して、彼の凍りついたような笑顔、蝋人形のような表情を決して忘れることはない。

 

日活が打ち切られ、漠然と抱いていた不安の正体を私はその夜、知ったのだった。

「韓国では彼はいつもそう」ファン歴の浅かった私は、5人時代の最初からのファンにそう教えられた。

韓国へ戻る、ということはこういうことだったのだと改めて知った。

 

最初からオンリーだった私は、最初からオンリーブログを展開したわけではない。初めの頃はJYJの記事ももちろん書いた。彼が何よりJYJの活動を望んでいたからだ。しかし高麗大学でのシーンを観た私は、彼がどんなにセンターに位置していても、それは形だけのことなのだと痛感していた。

韓国では、彼の歌を評価してくれる人もいなければ、事務所の後押しもなかった。

メンバーが次々とソロの仕事を始めていく中で、彼だけには何の仕事もなかった。それはまるで日本で彼だけが大きく活動したことへの報いのように見えた。あれほどにメインヴォーカルで歌い続けていた彼の声は封印され、日本での五年間の裏返しのような活動が始まろうとしていた。

 

彼の記事だけを書きたいと思った。

他のメンバーの事を書く時間と場所があれば、彼の事だけに費やしたかった。

他のメンバーのことは、ここで書かなくても多くのブログも記事も扱っている。けれども殆ど活動のない彼のことは、オフショットやつまらない記事以外、上がることはなかった。

彼の日本での評価も人気もまるで何もなかったことのような韓国での状況に、彼だけの記事を書いていこうと思った。他のメンバーの記事を書けば、自ずと彼との待遇の違いを記事にしなければならなくなる。メンバーの活動を知る事は、反面で彼の不遇を再確認することに繋がるのだ。

 

それなら、最初から彼だけを見て、彼だけの事を書けばいい。そうすれば彼の不遇を嘆くこともなければ、他のメンバーと比較することもなくなる。彼だけの記事を書き続けることが、彼の日本での活躍とポジションを忘れないことに繋がると思ったのだった。

だから私は他メンバーの記事は一切書いてこなかった。

それが多くの人にオンリーブログと言われる所以だろうし、JYJのアンチからは、「まるで他のメンバーが存在しないことのように書いている」と言われる所以だ。

 

韓国での活動の日々を重ねれば重ねるほど、今までの日本の彼のポジションや評価とは裏腹な状況になった。それは、一人、専属を断り、韓国式の従来のやり方を拒否し、事務所の経営にも加わらず、あくまでも自分のスタイルを貫こうとする彼に対する見せしめのようにも感じた。日本での抜群の人気と市場を持つ彼から、日本を取り上げる事。彼に韓国人であることを自覚させ、韓国での彼のポジションを自覚させること。

それが目的だったのかもしれない。

 

彼がその事に気づいたのはいつだったのだろう。

デビュー以来、いや、それまでも練習生時代も、彼は何度となく謂れのない差別を受けてきたはずだ。しかしそれに慣れっこになっていたかもしれない。なぜなら、それが韓国社会だから。

 

だからこそ、いつも遠慮し、いつも自信がなく、人の顔色を見て、人に気を使って生きてきた。

そうでなければ生きていけない社会だった。

日本へ来て、初めて彼は謂れのない偏見も差別もない社会を知ることになる。

一生懸命、努力さえすれば正当に評価してもらえる社会。出自も学歴も何も関係ない。素の自分だけが頼りの社会だ。

そんな社会と価値観に接して彼は大きく変わったはずだった。自分に自信を持ち、自分の感情を開放しても大丈夫な社会。安心して発言出来る社会の中で揺るぎない地位を確立していった。

 

その価値観と評価を真っ向から否定される社会に戻ったということ。最も韓国らしい韓国特有の考えを持つ事務所に所属したということに、彼はいつ気づいたのだろうかと思う。

 

それまで日本で培ってきた価値観も考えも真っ向から否定される社会に戻ったのだということをいつ知ったのだろう。

 

サセンの事件以降、彼への事務所の嫌がらせもメンバーの価値観も明らかになったが、表に出なかっただけで、彼はおそらく最初からその価値観と戦い続けてきたに違いないのだ。

自分が初めてプロデュースした写真集を正規の販売ルートに乗せることなく、街頭で叩き売られているような状況を知った時から、それは始まっていたのかもしれない。彼のように出自も教育も何の後ろ盾も持たない人間は、韓国では正当な評価を得ることは決して出来ない。金で平気で記事を買い、賞を買い、スキャンダルをもみ消す社会だ。コンサートにおけるカメラアングルですら金で左右される。

何が正しくて何が正しくないのか、真実さえも金の力でねじ伏せる国なのだ。

そんな価値観を利用しない彼のあり方は、韓国社会では異端でしかない。そんな彼を韓国社会は決して認めないだろう。

 

他人の物を平気で盗み、平気でそのまま流用することを何とも思わない。誰の目にも流用も盗用も明らかなのに、それすらももみ消して、まるで自分のオリジナルのように堂々と出す社会なのだ。

 

そんな価値観の中で彼は生きてきた。

いい商品があれば、流用、盗用するのではなく、一旦取り込んでから、作り替える。よりよきものへ、より使いやすいものへ、オリジナルのいいところを残し、悪いところを改善する。そうやって手を加えることにより、オリジナル商品へと生まれ変わっていく。

 

その工程も価値観も日本の国の特徴と思考そのものだ。

だからこそ、日本はオリジナルで勝負出来るのだ。いいと思ったものをそっくりそのままマネしても、それは唯の偽物にしか過ぎない。

偽物は、どんなにしても本物には叶わない。

彼が手がけてきた商品、カフェ、そのどれもが日本的思考によって成り立っているものだということは誰の目にも明らかだ。彼の価値観の中には、いいものを取り込んで、自分の手を加え作り替える、という思考しかない。そっくりそのまま頂こうという思考はどこにもないのだ。

 

しかし残念なことに、その日本的思考の欠如が、メンバーには著しい。

その事に気づきさえしないメンバーもファンも、それは韓国特有の思考と価値観によるものだからである。あんパンを自分の国が発祥の国だと堂々と言い、平気で同じパッケージの韓国語バージョンを作って売るような国なのだ。その価値観に何の疑問も持たず、金の力で何でも手にいれて育ってきた環境の中では、流用も盗用も疑問すら浮かばないだろう。

よく言う「オリジナルではなく、ウリジナルだ」と叩かれる韓国特有の考え方だ。

そしてそういうメンバーを平気で容認する。

同じグループ内で如何に契約形態が異なると言ってもまるで無関心を装い、自分だけは蚊帳の外という顔をして、全てを黙認する。いつも自分に批判が集まらないように上手く立ち回る。決して自分の立場を明らかにしない。無関心、無干渉を装い、もう一人のメンバーが批判の矢面に立つのをいいことに自分の立場を守り続けている。

 

いつもどちら側につくのが得なのか、その場の状況に敏感だ。大きな批判が来ないように要所要所を抑えて、自分はヒョンの味方であるかのような立場を取る。

ヒョンの肩に常に手を置く姿は、決して離さないという意思の現れのように見える。

 

そんなメンバーに私は、何の関心も持たない。

この5年間、彼の味方になったこともなければ、彼の立場を擁護しようともしなかったメンバーに何の期待もない。

最初から絆などなかったのだから。

震災のキャンペーンのことばを借りて、絆というレッテルを貼ったにすぎない。

その綻びが5年経って、多くの人の知るところになっただけのことだ。

最初からわかっていたのだ、こうなることは。

 

同じ歌手、同じ俳優、同じ芸能界という世界で生きていく限り、必ず活動は被り、取捨択一を迫られる時が来る。

必ずライバル関係になる。

いや、それは最初から。5人の最初から始まっていたに違いない。だからこそ、韓国では個人のファンダムが活発なのだ。

グループの絆など最初からありえない。ここは韓国なのだから。個人が優先され、家族一族が何よりも優先される社会だ。そこに友人も他人との絆も必要ない。地縁、血縁より友人が優先される社会において、初めて他人との絆を築くことが出来る。それは今の韓国社会では到底無理な話なのだ。

 

彼の入隊が決まって、一人のメンバーは、彼との絆をアピールするために打ち上げ会場に駆けつけ、一人のメンバーは、無関心と無感動なコメントを残した。まるで、いい気味だというように…

 

これから彼の動向は、全くわからなくなる。

芸能人キム・ジェジュンではなく、一人の韓国の若者キム・ジェジュンに戻って国民としての義務を果たしたい、と言い、所属する師団を明らかにしない彼のあり方は、最も彼らしい。

 

彼のいない間、私達は更に理不尽なものを見なくてはならないだろう。およそ日本人の感覚からは遠くかけ離れたものを。

 

彼が入隊することが決まり、ただでさえ沈みがちな気分の上に、メンバーのコンサートでのやりたい放題を見て、涙が出るほどだったと何人もから聞いた。

 

彼との別れが現実に迫ってきて、涙が出るとも聞いた。

別れを覚悟した去年の名古屋も、今年の横アリでもファンは泣いた。

 

でも私は決して泣かない。

どんなに理不尽な扱いをされても、酷い状況になっても悔しくて泣いたりしない。彼とのしばらくの別れに、悲しくて涙が出ると言われても決して泣いたりしない。

 

この5年間、泣きたくなるほどの思いは何度も何十回も経験してきた。

でも決して泣いたりしない。

 

彼が歯を食いしばって耐えてきたのだから。

泣いてる暇などない。

泣いてる時間があれば、その分、前だけを見て歩いていく。

 

まだ彼の日本活動は取り戻せてない。

これから入隊し、除隊して、その先にどんな状況が待っているのか、誰にもわからない。

 

彼は韓国という国で生きているのだ。

 

彼の日本活動が始まるまで、私は決して泣いたりしない。

 

 

 

 

追記

 

この記事に書かれていることが全く私の思い込みによるものだという批判ツイを読んだ。

記事はもちろん個人的所感を書いている。しかしその根拠になるものは、事実だ。全くの推論と思い込みだけで記事を書いたことは一度もない。

 

韓国が学歴社会なのは誰もが知る事実だ。そして学歴を持たない人間はどんなに成功しても卑下される。名前を聞けば誰もが知っている大企業の創設者は、学歴を持たず、当然出自も良くない。彼はどんなに世界的な成功をしても、韓国社会では、出自と学歴の事を言われる。「出自」と「学歴」こそが韓国では最も重要とされる。

 

学歴、出自がステータスの韓国社会においては、芸能界ですら例外ではない。芸能人の身分は低いことは周知の事実だが、少し前にペ・ヨンジュン氏と財閥の女性との破局報道があった。破局の原因は、ペ氏が芸能人であることだったと報道されている。出自が確かで名門の家柄の娘と一介の芸能人との婚姻に一族が難色を示したことが原因と言われている。この現代においてすら、日本では考えられないような身分制度と差別は歴然とあり、その事によって恋愛や結婚が自由に出来ないということは事実なのである。身分制度が廃止されたといっても、未だに両班の家柄出身の人間は最も身分が高いとされ、実に国民の8割以上が両班の出身であると自称している。それは裏返せば、両班以外の出身者は差別されるということである。また、出身地によっても差別は行われ、一般的に南の出身者は差別される傾向にある。

 

韓国の芸能界の中にも歴然と身分制度があり、芸能人の中で最も身分の高いのは、映画俳優だと言われている。イ・ビョンホン氏のようにハリウッド映画に出演するような俳優は芸能人の中でも最も身分が高い部分に属する。その次にドラマなどに出演する俳優で、その下にミュージカルなどに出演する歌手がおり、アイドルは最も身分が低いとされている。ましてや、ジェジュンにおいては、出生だけでなく、実母の実家の職業も差別の原因の一つだと思われる。学歴もなく、出自、出生に関する全てが差別の対象になるのは、韓国社会では特別な事ではない。

 

同じ芸能人の中ですら、これだけの身分差別社会なのだ。ましてや、一般社会においては推して知るべしである。そういう韓国の事実を知ろうともせず、日本の事情で物事を推し量ろうとすることは全くナンセンスなことであり、現実を知るべきだ。そんな社会においても、どんな場面にあっても階級と身分によって差別することによって、自分の立つ位置を確保しようとする社会なのだとも言えるメンバーのあるファンサイトは、大学教授夫人や大手企業の妻、事業家の妻など、富裕層ばかりで構成される。彼女達が、ジェジュンの事を「どこの馬の骨ともわからないヤツ。そんなヤツとうちの○○が一緒にいるなんて耐えられない」と言っているのは有名な話である。百想の投票とのときもこのサイトは潤沢な資金を背景に最初から勝負にならないレースを仕掛けてきた。メンバーは、そのサイトを批判することもなく、特別な存在として扱っている。サイトを構成するファンの考えを容認しているからこそ、特別な存在として扱っているのではないのか。そんなことは少し詳しく知ろうと努力すれば誰もが知りえる事実だ。

 

日本活動を始める前、彼は一度も韓国で笑ったことがなかった。大きな口を開けて、大きな声で笑えるようになったのは日本だった。当時、彼のファンは彼が大きな口を開けて笑うのを見て驚きと共にショックを受けたというのは余りにも有名な話だ。

日本では決して泣かなかった彼が、3人になり、韓国へ戻った途端、日本へもどるたびに大粒の涙を零し、号泣するのはなぜなのか。それに比べて、日本活動の頃、泣いてばかりいたメンバーは、韓国へ戻った途端、一度も涙を見せたことはない。

これは事実だ。思い込みでも何でもない。事実の積み重ねの上に推論は成り立つ。その推論を展開しているだけであって、それを何の根拠もない思い込みだと断定するなら、一つ一つの事柄に事実の反証を上げて、反論してもらいたい。

ブログの記事は、その時々に流れてしまえば、何も残らないtwitterの世界とは異なる。文章にして記事にする限り、全くの思い込みで書いているブロガーなど一人も居ないはずだ。

それよりも自分に都合の悪い事実を知ろうともせず、韓国という国を知ろうともせずに、自分の感情だけで批判を繰り返すファンによって、今のファンの対立が生まれたということを知るべきだ。ファンの対立をジェジュンオンリーが作ったと責任転嫁するのはやめてもらいたい。多くの事実に背を向け、同じグループにいるメンバーの不当な扱いを他のメンバーと同じように黙殺し続けた結果が今のファン社会の構造を作ったことを自覚するべきだ。

 

今まで私は他のメンバーに対する批判記事をあからさまに書くことを避けてきた。それは自分のブログをそんなつまらない記事で埋めたくないからだった。しかし、ここのところのメンバーの動向は目に余るものがある。入隊が決まり、彼が不在になることをいいことにやりたい放題である。この先、彼が本当にいなくなれば、私達はもっと理不尽なものを見るだろう。

 

これからジェジュンとジェジュンファンの正念場が始まる。