ジュンスの新しいミュージカルの仕事は、「ドラキュラ」の主演で7月17日~9月5日までの上演だという。ご立派な活動だ。まるでJYJアルバムの発売と活動をドラマの記者会見で話したジェジュンを嘲笑うかのように、見事なタイミングで発表された。

 

最初から十分予想出来た展開だった。

自分のミュージカルの地方公演を3月頭まで入れ、その間にユチョンはドラマに5月頭まで主演させる。それと入れ替わりにジェジュンに7月末までのドラマを入れ、その間に日本でソロコンサートを開く。

JYJのアルバム発売や活動を匂わせながら、ジュンスが何の仕事も入れずにJYJ活動の再開のためにジェジュンのドラマ終了を待っているとは到底思えなかった。

予想を裏切ることなく、ミュージカルの長期の仕事を入れた。これで7月~9月頭までは、ミュージカルに掛かりきりになる。

一体、いつJYJは、活動再開の為の時間を取るというのだろう。

それともドラマやミュージカルの片手間にJYJの新しい音楽を提示出来るほど、自分達はレベルが高いとでも思っているのだろうか。ファンの目は節穴ではない。昨年のドームコンサートのあと、どれだけの人間がJYJに失望したのか知らないのだろうか。

東方神起の音楽で鍛えられた耳を持つファンに付け刃のコンサートは通用しない。

それとも日本ファンは、JYJに飢えているから、姿さえ見せればいいとでも思っているのだろうか。

少なくともジェジュンはそうは思っていなかったし、今も思っていないだろう。

この4年間、JYJ音楽にこだわり続けたのは、ジェジュンだけだった。

その事実は多くのファンが知っている。

 

もういんじゃないかと思う。

JYJの音楽活動は、きっと再開されないだろう。仮に再開されても、それは単なるソロの寄せ集めか過去の遺産の曲か、それとも出さずにしまっておいたかつての録音曲なのか…

 

この4年間、結局ジェジュンが望んだJYJの音楽グループとしての活動もJYJ音楽の確立も出来なかった。出来なかったのではなく、取り組まなかったのだ。それは、決してジェジュンの意思ではないだろう。彼だけは、最後の最後までJYJの音楽にも活動にもこだわり続けた。

 

JYJが音楽グループとして存在しないのであれば、グループとしての存在価値はどこにあるというのだろう。

かつて奴隷契約とまで呼ばれるほどの劣悪な契約条件の下で、SMに反旗を翻し自分達の活動に対する正当な評価に基づく報酬を求めるという大義名分の元では、JYJがJYJとしての存在価値もあっただろう。でもそれも今となっては、奴隷契約から多くのアイドルを解放した象徴でしかない。

 

JYJの基盤は間違いなく東方神起時代に養われた音楽活動にある。

東方神起の見事なグループ音楽の確立は、他の追随を許すものではなかった。その基盤の上に今の二人の東方神起もJYJもあるのだ。

ファンは、かつての5人のハーモニーから、さらに脱却した音楽を期待したに違いなかった。とりわけ5人のうちでもJYJの3人の歌唱力は抜きん出たのもがあった。この3人になら、5人の東方神起を超えるグループ音楽を確立し、新しい魅力あるサウンズを提示できる可能性は多々あった。そして、それを3人の多くのファンも期待したに違いなかった。

 

しかし、JYJは、自らグループ音楽の確立を放棄した。

それは、誰の思惑だったのか。事務所の思惑だったのか、ジュンスなのかユチョンなのか。

少なくともジェジュンでないことだけは確かな事だ。グループ活動は、メンバー全員が同じ方向を向いていて初めて可能になる。

ソロ活動をしていても、基盤にグループ音楽が確立されていれば、グループとして存在する。

しかし、JYJは、JYJとしての基盤を作る事をしなかった。

ミュージカルや俳優業を優先する姿勢からは、とてもJYJ音楽を確立しようという意思も意気込みも感じることは出来ない。

ジェジュンからメインボーカルの座を取り戻したジュンスの歌手としての野望も欲求もJYJのグループ活動では満足出来ないものだったのだろう。

 

私は、5人時代からのファンでないから、ジェジュン以外のメンバーのことは殆ど知らなかった。どんなエピソードを持ち、どんな考え方をしているのか。

私が知っていたのは、歌を通して感じる人間性だけだ。

歌をする人間なら、その人が歌う歌を聞いただけで、どんなタイプの人間なのか判断することができる。控えめなのか、自己顕示欲が強いのか、消極的なのか積極的なのか、柔軟性があるのか頑ななのか… それほど歌は、その人の性格を現す表現方法の一つだ。そこには、声の良し悪しや歌の上手い下手という技術的なものではない、人間性がそのまま現れる。

素直な人の歌う歌は、やはり素直な一面を見せる。

歌を聞けば、私のように何十年も歌の世界で多くの人の声に触れ、指導してきた人間なら誰でも同じように判断するだろう。

そうやって私の中のジュンス像もユチョン像も出来上がっている。

それが正しいかどうかは知らない。けれども最近の言動を見るにつけ、当たらずとも遠からず、と感じることが多くなった。

 

5人時代のエピソードを多く知る人達は、その頃のイメージを引きずっている人が多いのだろう。けれども私達が見ていた彼らは、エイベックスとSMによって日本市場を征服するために日本人好みに作り上げられたイメージでしかない。

 

彼らは全員韓国人で、間違いなく反日教育を受けてきた。その事実も日本に対する感情も一切を封じ込めて、日本活動していたにすぎない。ジュンスが、慰安婦バッチをつけ、高陽市の名誉広報大使になった事は、間違いなく彼の意思以外の何者でもない。

それは、事務所の思惑でも親の思惑でもなく彼自身の判断によるものだと言われても弁解の余地はない。

28歳にもなる青年が、自分の正当な利益配分を求めてSMと戦った青年が、その行為が反日につながるかどうかの正当な判断も出来なかったとは誰も思わない。いかに親の意向に左右される韓国であっても、自分の人間的評価に繋がる行動であることぐらいは判断出来るはずだ。

ジュンスには、慰安婦バッチを付けない選択もあったし、広報大使を引き受けない選択もあったはずだ。それでも彼は、バッチをつけ広報大使を引き受けた。その行動と引き換えに何を失うのかは、彼に判断出来なかったとは言わさない。

 

彼は、この二つの行為によって、自らを政治的活動に参加させたのだ。

ファン社会以外のtwitterを見れば、その評価は一目瞭然となる。

 

日本活動をするなら、日本にファンクラブを持つ身なら、政治的活動や言動を控えるのは、せめてものファンに対する思いやりと礼儀ではないのかと思う。

少なくとも5年間、日本で活動し、多くのファンを持つ日本に対して、個人的な主義主張を横に置いて、政治的な事に一切関わらないスタンスを取ることはいくらでも出来たはずだ。

しかし、彼はそれをしなかった。

それは彼の自由な意思であり、28歳にもなる一人の韓国人としての判断だと思われても仕方がない。

 

そんなジュンスが、来日公演をする。

何を語り何を歌うのか。

それともそんなことはすっかり忘れて、ステージに立つのだろうか。

日本ファンの声援を受けながら、自分のしたことを思い出したりはしないのだろうか。

日本ファンを見たとき、心に一点の曇りもないのだろうか。

多くのファンが自分の行動を知っているというのに…

 

ジュンスのこれらの行動は、JYJを音楽活動だけでなく日本活動への考え方の違いも浮き彫りにした。日本活動だけでなく、日本という国に対する価値観、考え方の違いを鮮明にした。

今までオブラートに包まれ、もしかしたら…という疑問を抱いた多くのファンを確信に導くことになったと言われても仕方がない。

これほど考えの異なる人間が、同じグループで一つのものを作り出すことは出来ない。

これほど明らかになった違いを知っても、JYJにこだわるファンは、彼らに一体何を求めているのだろうか。

 

ジェジュンが2人のメンバーとイチャイチャしているのがとても幸せそうに見えるから、とJYJジェジュンペンは必ず言う。

果たして本当にそう見えるのか。

ソロコンサートで見せた彼の笑顔は、JYJコンサートで見たことのないほど輝いていた。

それは、自分の思いを自由に表現出来る空間を手に入れた顔だった。

何の制約もなく、誰に遠慮することもなく、その空間にいるのは自分一人だという開放感の表れだった。

彼のソロコンサートの前には、JYJのコンサートは霞んでしか見えないというのは、私がオンリーだからか。

ジュンスファンもJYJコンサートの時の方が、ジュンスが幸せそうに見えると思っているのだろうか。数々上がってくる動画での表情を見る限り、私にはそうは思えない。ソロの開放感を味わった人間は、グループ音楽に同じだけの価値観と満足感を得られない限り、ソロで歌うことを選ぶ。

 

それは、ソロを味わった事のない人間には決してわからない開放感だ。

そして、歌手であるなら、一人で歌いたいと思うのは、歌手としての当然の欲求であり、それを持たない人間はいない。

 

ユチョンに至っては、この4年間に音楽を捨てたようにしか思えない。

音楽の才能に恵まれ、いつも7割か8割の力しか出さずとも高いレベルをクリアしていた彼にとって、全力で取り組みたいと思ったものは音楽ではなかったのだと思う。

そうでなければ、あっさりと音楽を捨てることは出来ない。

JYJの最初のアルバムは、英語だった。あのまま英語でアルバムを出し続けていたら、音楽を捨てなかったかもしれない。

 

これほどまでに方向性の違ってしまった3人が、新しいJYJ音楽を確立してくるのかどうか…

毎年毎年、「JYJのアルバムを出す予定」と言い続けたジェジュンは、今何を感じているのだろう。ファンに決してリップサービスしない彼は、結果的に何度も何度もファンを裏切った発言をしたことに対して何を感じているだろう。

 

その裏切りは、ファンだけでなく彼自身にたいしても同時に行われているのだから。

 

もういいんじゃないかと思う。

 

JYJにこだわり続けたのは、ジェジュンだけだったし、ジェジュンがその手を離すはずはないと思い続けているJYJファンが彼にJYJの存在責任を背負わせているだけなのだ。

彼は、きっと裏切らない。

彼がいる限り、JYJは絶対になくならないと。

 

同じように思った東方神起は、分裂してしまった。

JYJは今や名前だけで、実質形骸化したグループだ。

 

その原因を作っているのは、ジェジュンではない。

それなのにジェジュンだけにその責任を負わせる意味がわからない。

 

twitterの世界に行かない私は、「ソロ活動をやめさせてJYJ活動をお願いしよう」という活動があることを最近知った。

ジェジュンのドラマ出演が決まったとき、JYJファンが事務所にお願いのメールをしようと呼びかけたと聞いた。

それならジュンスのミュージカルに対しても同じように事務所にお願いのメールを送るのだろうと思っていたら、そんな呼び掛けはない、と聞かされた。

なぜ、ジェジュンのソロ活動はJYJ活動の邪魔になって、ジュンスのソロ活動は邪魔にはならないのか。

そうやって呼びかけているJYJファンは本当にJYJファンなのだろうか。

今、JYJファンは、本当に彼らがアルバムも出さず、コンサートもしなくてもいいと思っているのだろうか。それとも、ドームコンのようなコンサートでも満足するのか。

 

JYJ活動が出来ないのは、他でもないメンバー自身の選択によるものだ。

本当に活動を望むのなら、事務所にお願いするのではなく、メンバー自身にお願いの署名でも届けたらいい。

それほどの熱意と行動を示して、ジェジュン以外のメンバーにJYJ活動への熱意を取り戻させればいい。

それが出来なければ、JYJの音楽活動は、これから先も何も変わることはないだろう。

 

もういいんじゃないかと思う。

 

私は、とうの昔にJYJの音楽には失望した。

音楽の基盤を持たないJYJというグループには何の魅力も感じない。

 

もういいんじゃないですか?

Kuko