申し訳ありません、この記事は非常に長い記事になりました。又、政治的側面が内容に含まれますので、必要と感じない方はスルーしてください。

 

船舶事故を契機に韓国の実態が明らかになっています。

 

私は、嫌韓主義者ではありません。

音楽家で尊敬する友人は、在日です。又、娘の留学経験から、韓国の若者を何人も知っています。彼らは、皆、親日家であり、日本文化にも日本言語にも造形が深かった。

 

4年前まで、韓国という国は、私にとって未知の国に等しかった。

何の感情も持っていませんでした。

 

ジェジュンという人の歌声に惹かれファンになり、彼の祖国を知るようになりました。

ファンという繋がりから何人もの韓国ファンとも交流をしました。

韓国ファンを通して知る韓国人のイメージも韓国のイメージも決して悪いものではなかった。

 

しかし、4年が経った今、私の中で韓国という国に対するイメージは大きく変わろうとしています。

 

1997年に金大中氏が大統領になり、韓国は大きく変わりました。

当時、韓国でそれまで禁止されていた日本文化開放を推し進めたのです。

 

ジェジュンは、当時小学生。

彼がHyde氏の音楽を好んで聞いたという環境は、韓国の政策の転換によってもたらされたものです。それ以降、日本と韓国の文化交流によって、両国民は、お互いの文化を共有しあうようになりました。

資源の少ない韓国では、K-POPや映画などの文化を輸出することが国策として取られ、その波及効果によって観光国として海外からの外貨獲得の大きな手段となったのです。

 

この政策によって、ジェジュンは、東方神起のメンバーとして日本に来ることになったのです。

 

韓流ブームの中で見た韓国のイメージは、何ら日本と変わらないように見えました。

日本よりネットも発達し、自分達の意見をはっきりと意思表示する姿は、むしろ好感を持った人が多かったのではないでしょうか。

韓国ファンを通して知る韓国人は、親切で議論好き、意見の相違があっても議論が終わればわだかまりがない。

そんな印象でした。

 

しかし、2012年の李明博大統領の竹島上陸を契機に日韓関係は大きく変化し、それに伴って文化面、民間レベルでの交流も大きく変化します。

 

今まで日本とさほど差はないと感じ、むしろ好感を持っていた印象は、この事を契機に韓国の反日教育、思想統制など韓流ブームの陰に隠されていた韓国の真実の姿を否応なく知る機会となり、大きく変化していったと思います。

 

日本では、思想の自由、表現の自由は、憲法で保障された基本的人権であり、国策によって言動や思想を統制される危険は感じません。

しかし、韓国では全く違うのだという事実を知らなければならないと思います。

 

反日を国策の柱に掲げ、反日感情を煽ることによって経済発展を成し遂げてきた国であり、この国においては、反日感情は、ごく当たり前の感情なのだという事実を知らなければ、なぜ、ジェジュンがこれほどのパワハラ状態に置かれるのか理解することは出来ません。あれほど日本を愛し、発信していたtwitterで日本語を一切つぶやかなくなった背景に韓国の状況を知らなければ、彼を理解することは出来ません。

 

東方神起は、あくまでも韓国の国策にSMが呼応する形で作られたグループであり、日本市場に彼らを輸出することによって、韓国文化を日本市場へ輸出すること。韓国文化は、韓国の大きな資源の一つであり、日本の芸能界市場、音楽市場を征服する目的があったのかもしれません。

 

しかし、東方神起の市場征服は、当初上手くいきませんでした。

日本では、K-POPを受け入れる土壌もジャニーズ以外のグループ音楽を受け入れる土壌もなかったからです。

アイドル路線も活路がなく、K-POPも受け入れられないと判断したエイベックスは、東方神起をJ-POPの新人歌手として売り込み、徹底的に現地化政策を取りました。

 

日本語の歌を歌い、日本語を話す。

日本の文化や日本の芸能人と交流する姿を見せることで、日本人に溶け込ませ、彼らが韓国人である部分を削れるだけ削り落としました。

その事によって、東方神起は、J-POPの歌手として成功したのです。

 

日本語を話し、日本語で歌う彼らは、日本人と錯覚するほど、J-POP界に溶け込みました。

エイベックスの戦略は見事に成功したのです。

外観から見て、日本人と見紛う程になった彼らは、紅白歌合戦という歌手としては最高峰の舞台に出場するまでになりました。誰が見ても東方神起はJ-POPの担い手であり、日本の音楽界に新しいポジションを確立しようとしていました。しかし、私達は、忘れていました。彼らは、あくまでも韓国人であり、韓国の国策に大きく左右される韓国芸能界の人間だったということを。

 

日本での現地化政策の為に彼らは、自国でCDを出すよりも日本での発売が優先され、自国の活動よりも日本での活動が明らかに多い状態になりました。

 

それは、韓国から見ればどうだったのでしょうか。

K-POPを売り出し、K-POPとして日本市場征服を視野に入れていたにも関わらず、東方神起は明らかにJ-POPでブレイクし、J-POPの担い手として、多くの楽曲がアジアのファンを獲得していく様子を見ながら何を思ったでしょう。

 

東方神起は、韓国のものであって、日本のものではない。という感情ではなかったでしょうか?

 

私は、5人から3人と2人に分裂した2010年春、今、JYJやソロコンサートにいつも陰のようについてまわる韓国人S氏が、当時、署名活動後、名前を日本ファン社会で売ったあと、各地で開いていたオフ会に参加しました。

 

その時に彼が話した内容、ことばを今も覚えています。

 

「東方神起は、韓国のグループなんだよ。その東方神起をエイベックスは、日本のものとしようとした。ジェジュンを盗んだんだよ」と。

 

その時、ハッキリ、この分裂騒動の裏には、韓国が日本でブレイクした東方神起を自国に取り戻す意味があったのだと感じました。

あの時の彼の言動は、まさに韓国人特有の日本に優位に立とうとする言動しか感じることは出来ませんでした。

 

韓国人と仕事をやり取りする日本人は、韓国人の日本に対する独特の事大主義という考え方を感じるといいます。

 

事大主義とは、小が大に事(つか)えること、強い勢力には付き従うという考えを意味し、行動様式の1つ。

『孟子』の「以小事大」(=小を以って大に事える)の一節の考えから変遷し、、「小国である自国はその分を弁えて、自国よりも大国の利益のために尽くすべきである」という考えが主流です。

韓国にとっての大国は、あくまでも中国であり、中国からは何をされても文句は言えない、ただ黙って受け入れる。

反対に韓国にとっての小国は、日本であるという歴史的、地理的根拠に基づいた考えかあります。小国である日本は、韓国からの要求を受け入れるべきであり、文句を言う立場にない、という考えです。

小国である日本が、韓国に対して対等、又、それ以上の立場になることは許せず、小国日本が、経済発展を遂げた事、又、韓国に対して対等の立場で物を言う事に関して甘受出来ないという価値観があり、これが、日本に対する反日感情の根底にも流れます。

 

これは、昔から脈々と受け継がれてきた考え方であり、この思想を利用しながら、反日感情を煽り政策を取ることで、経済発展を遂げてきたのです。

 

そういう考えが支配的な韓国から見れば、東方神起を自国に取り戻すのは、当然のことだったでしょう。

 

東方神起時代、5人は、同じようにスケジュールをこなし、同じ部屋に住み、同じ時間を共有していました。

忙しい毎日の中で、ジェジュンだけが、日本に多くの友人を持ちました。

それは、彼が人好きであるから、という理由をよく見かけます。彼は人好きで、誰とでも簡単に友達になるから。

 

しかし、彼は、メンバーと一緒に暮らし、一緒の時間を過ごしているのであれば、友人を作る必要があったでしょうか?それが証拠に他のメンバーは、日本人の友人を積極的に作ったり、親しい関係を築いていません。

彼だけが、日本に多くの友人を得て、日本の文化を積極的に楽しみ、日本人と交流し、日本社会に溶け込みました。

それは、紛れも無く彼自身の意思だったと思っています。

 

日本活動が打ち切られたあとも、日本の友人達と交流し、日本語を忘れなかった。

日本の文化や日本の国民性にまで踏み込んで発言したのは彼だけです。

彼の言動は、日本にいたときよりも、活動が打ち切られたあとの方が、明らかに日本文化や、日本の習慣、日本的思考などに造形を深めていると思われる事を感じざるを得ません。日本から離れて、客観的に日本という国を見つめなおし、それでも彼の中から日本という国が消えることはなかった。

韓国へ戻り、韓国語を話し、韓国人の友人と交流し、韓国社会で生きていても、彼にとって日本への理解や造形が一層深まる状況は、彼自身が強い意思を持って、日本への思いを捨てなかったからに違いありません。

 

そういう彼が生きている場所が、韓国であるということを私達は忘れてはいけないと思うのです。

 

韓国にとって、芸能界は国策の一旦を担う場所であり、C-jesのように政府関係の仕事を請け負う事務所は、その時の政権の政策の一旦を担わされる可能性を秘めています。

 

C-jesのぺク氏が、積極的に政府の仕事を請け負った背景には、SMとの紛争の中で芸能界のシステムに反旗を翻したJYJというグループの所属する事務所としての不利な立場を、政府関係の仕事をすることによって、別の権力を後ろ盾につける目的があったのではないかと思うのです。

 

あからさまな妨害が行われる芸能界に置いて、政府の仕事をしているという新たな力を得ることは、自分の事務所に大きな後ろ盾を得ることにつながっていったと思います。

 

そんな事務所に彼が所属していること。

これは、彼が望む望まないに関わらず、彼の意思とは全く違う力が働く可能性を示唆しています。

 

私は、メンバーの事に関して今まで殆ど記事に書いたことはありません。しかし、今回の一連の動きの中で、ジュンスの言動や、彼とのカカオトークのやり取りを削除したジェジュンの行動から、現在彼が置かれている立場が益々容易でないことだけは想像出来るのではないでしょうか。

 

韓国の歌手のファンである限り、両国の関係は避けて通ることが出来ません。

又、少なくともジェジュンファンである限り、韓国がどのような国であるのかということを知っていなければ、今後の彼の言動を理解することは出来ないかもしれません。私は、ジュンスの反日行動の象徴とも言うべき慰安婦バッチや、反日主義の先鋒を務める出身地の広報大使を引き受けた件に関して、全く擁護することは出来ないと考えています。なぜなら、その行動は、今日本において、まさに嫌韓主義と呼ばれる考えの引き金になった大きな原因であるからです。日本活動をする韓国歌手であるなら、そのような行動を取ることがどのような意味を持つのかを知るべきでした。

彼の今までの言動の中に、私は、彼が親日家だと感じた事は一度もありません。日本に対する感情は、普通の韓国人のそれと何ら変わるものではないように感じました。日本活動がなくなって4年、彼にとって取り立てて、日本へ固執する気持ちを言動から感じたことはありません。今、あちこちのブログに批判記事が載り、ファンでない人までが彼に失望したと言います。その理由は、今回の事だけに限らず、今までの言動の積み重ねでしょう。

 

私達は、韓国の歌手のファンであるのだから、ただ純粋に彼らを応援すればいい。政治的な考えに左右される必要も無く、彼らを信じればいい、と言う人達もいます。彼らの口から発せられた言葉だけを信じればいいと言う人達は、「市の名誉広報大使としてベストを尽くす」と話したジュンスの言葉をどう捉えたのでしょうか。

 

京畿道(キョンギド)高陽(コヤン)市は、韓流国際観光都市としての観光イメージを持つ反面、日本の蛮行を全世界に知らせるという署名活動を市が取り組み13万人の署名を国連に送っている反日活動で有名な市です。その市の広報大使を引き受けるということは、もちろん今述べた両面を併せ持つ市であることを高校生までこの市で過ごした彼が知らないはずはありません。

 

彼の話した言葉だけを信じると言うファンは、当然、反日活動の広報も引き受けた彼を信じて応援するという事でしょうか。

この事実は、JYJとしての日本活動の可能性をさらに低いものにしたと思います。

もし仮に日本活動が予定されていたのなら、このような物議を醸す行動を取ることは考えられないからです。

明らかに日本活動の可能性は無に等しいものになったのではないでしょうか。

 

慰安婦問題は、日本国民として正しい情報を知っておくべき問題であり、韓国と日本の関係をこじらせている重要な原因の一つです。さらに戦後保障の中で既に解決し、多額の保障も済んでいるこの問題を持ち出すのは、国際法違反にもあたる案件です。それにも関わらず韓国政府は、慰安婦問題を諸外国との外交切符の一つとして切り、日本の孤立化を図っています。

ジュンスのこれらの行動は、客観的に見た場合、ハッキリとした政治行動の一つとして見られるでしょう。日本でかつて活動し、これからコンサートを開く立場の人間として、この行動が適切な行動であるかどうか、もっと慎重に判断するべきだったと思います。

 

コンサートやファンミにおける言動は、多くのK-POP歌手達のそれと何ら変わりがなく、日本ファンに特化したサプリメントの販売や、ホテルの会員権の事業に関しては、なぜ、自国ファンも対象に加えず、日本ファンのみに限定するのかの理由が全くわからない。

 

もし仮に彼がファンの為にこれらの事業をしているというのであれば、それは日本ファンに特化するべきものではなく、今まで多くの苦渋を共にした自国ファンはもちろんのこと、ワールドツアーで獲得した世界中のファンが参加出来る事業でなければ、理由を見出すことは出来ません。

 

又、慰安婦バッチをつけ、慰安婦問題を市の政策に取り上げる積極的な反日活動を推進する市の広報大使を引き受けながら、日本市場でコンサートを開く彼の真意を私は知りたいと感じます。

これがあくまでも彼の意思でなく、事務所の指示での行動であったとしても、それを受け入れ実際に行動したのは彼であり、その全責任を負うのは彼自身にあると言えるのです。

 

東方神起は、かつて政治的行動も発言も一切関与しないグループでした。それは、そういう行動や発言をすれば、日本活動している自分達の立場がどのようなものになるかをきちんと判断していたからです。

この判断は、本来事務所が行うべき判断だと思いますが、エージェントだか、所属事務所だかわからないC-jesという事務所は、所属する歌手の立場がどのようなものになるかという初歩的な判断さえ出来ないお粗末な事務所だと言えるかもしれません。

 

C-jesにいる限り、自分の身は自分で守れ。

そう私は、言いたいです。

 

芸能人、歌手という立場で、政治的言動を行うことは、文化に政治を持ち込む行為であり、その事によって、市場を失う危険性をはらんだ行為だということを知るべきです。

 

その行動が、世界平和に繋がる行動であれば、多くの人の共感を得て、芸能人としての大きな役割を果たすことになるでしょう。

しかし、自国の利益の為の行動であり、その行動を取ることによって、他国、それも自分の市場であるファンが多数いる国に対する政治的行動を取ることは、受け入れ難い苦痛をその国のファンに与える危険性があることも知るべきではないでしょうか。

 

そういう点において、ジュンスを擁護する気持ちを私は持ちません。

多くのブログで書かれている記事を読みながら、一人の日本人として、韓国人としての言動を優先するジュンスが、どういう気持ちで日本においてコンサートを開くのか、不思議で堪らないのです。

それともあくまでも仕事は仕事、思想は思想、と割り切っているのでしょうか。

それを受け入れられる日本人が、ファン以外にどれぐらいいるのか私は知りたいと思います。

 

今後、ジェジュンが、反日の言動や活動を求められる可能性がないとは言い切れません。

今の事務所にいる限り、その可能性は、高い確率で存在していると思われます。

何よりJYJというグループは、政府関連の広報大使をいくつもしているのです。これは、文化面に限定されていた活動から、いつ政治的な活動に変化するかわからない危険性を十分含んでいると言えます。

 

アリランのコンサート出演の依頼は、間違いなくJYJのこういう一面から発生した事案であったに違いないのです。そして、最も親日的であるジェジュンが出場させられた事は、彼の置かれている立場の象徴とも言える出来事だと思います。

 

これから、彼は入隊します。入隊すれば、間違いなく徹底した抗日教育がされます。

反日感情が当たり前の日常生活空間の中で暮らしていくことになる。

彼が、反日活動の広告塔にされる危険性もないとは言い切れません。

親日家の彼が、反日発言をすることにより、反日感情の正当化をアピールすることも出来る。

事務所にとって、親日家だった彼を反日家にすることによって、大きなメリットを得ることもなきにしもあらずの社会なのです。

 

船舶事故に象徴されるように、韓国は、国の体面の為には、個人の命など無意味に等しい価値観しかありません。国の政策の前には、個人の思想も意思も潰されてしまう国だという事を頭に入れておかなくてはいけないのです。

 

彼が、もし、反日行動を求められたら、私は、彼に、迷わず踏み絵を踏みなさいと言います。

彼にそれを踏ませることで彼を守る。

その覚悟を私達はしなければならないと思います。

踏ませることでしか、彼を守る手段はありません。

彼が踏むことに抵抗を示せば示すほど、彼にとって危険が迫ることを頭に入れておかなければなりません。

彼が仮に反日発言をし、日本の事を話さなくなったとしたら、それは、そう発言すること、行動することで自分を守ることを選んだのだということを理解しなければ、彼の言動の変化や、行動の変化を理解出来ず、彼がまるで別人になったかのように思い、彼の心が日本から離れてしまったと感じるかもしれません。彼が、大阪や名古屋で話したことが、彼の全てであり、彼の真意であるなら、それと反対の行動や言動をしたとき、彼を理解し信じきれるかどうかが、大きな試金石になるのです。

 

私達は、彼がどれだけ日本を愛してくれるか、日本ファンを愛してくれるか知っています。

そんな彼が、反日行動するには、それ相応の理由があるに違いないと考えます。

 

彼の今までの言動を見れば、彼がそうやすやすと日本への感情を捨て去ることはないとわかります。

そんな彼が、仮に慰安婦バッチをつけ、反日広報大使を引き受けたとしても、私は彼を信じることが出来る。そうすることでしか、今の韓国で彼が生き延びられないのであれば、私は、進んで踏ませます。

進んで、反日行動させることで、彼の人生も彼の心も守らせます。

 

どんな行動をとったとしても、彼が、日本に対する気持ちに変わりはないと信じ切れるから。

 

彼に「踏むことで自分を守って下さい」と言います。

それでも彼を信じて、私は待ち続けます。

彼に踏ませる覚悟を私達は準備しなければいけないのかもしれません。