ドラマ「マンホール」の撮影が終わった。
その翌々日には、彼はパリにいた。
仕事とはいえ、フォトグラファーとしてのデビューだった。

最近の彼は、自信に満ち溢れているように見える。
それは、とくにKAVEのオープンイベント以降、とみに感じる。

この7年間、ジェジュンは歌手として音楽活動がまともに出来なかった。

SMを出た時、2人と3人に分裂したファンの中傷合戦は酷いものだった。

「前の事務所では、自分の目指した音楽と違った」

ドラマファンミで、彼は、事務所を出た理由を初めて話した。
この7年間、彼は、事務所を出たことに関して、ひと言も話さなかった。

「奴隷契約が原因」
「事務所とアーティストとの対等の立場になれるアメリカ方式の関係を目指した」
「余りに過酷なスケジュールに身体を壊しそうだった」
「ソロ活動をしたかったから」
etc.etc.・・・・・・

いろいろ分裂の原因は言われたが、彼の口から語られたことは今まで一度もなかった。

「自分のやりたい音楽」
これが、彼の最大の理由であるなら、その希望は、彼がソロ歌手としてステージに立つようになって、初めて実現したと言える。

「ソロでは、自分の自由にすることができる」
「JYJでは、グループだから、自分を極力出さないようにしている」

彼は、ソロのステージを経験して、自分の中にある自分の本当にしたい音楽を実現し、致命的に音楽をしたいと感じたのだと言える。

 

7年前、JYJになったとき、メディアを媒体とした音楽活動の一切の場を失った。
JYJに楽曲を提供する人間はいなくなり、オリンピック競技場でのコンサートが発表されたあと、コンサートに協力する事業者を捜すのに一苦労した。
それほど、SMという巨大な事務所を訴えた芸能人を擁護する人間は、韓国のどこにもいなかったと言ってもいい。
放送媒体の人間も、芸能界に関連する人間も、すべてがそっぽを向いた。
楽曲を提供されなかった為に、JYJは自分達で楽曲を作るしかなかった。それが「Their Room」だ。
アルバムとして発売することも出来ず、書籍についたCDとして、いわゆる音楽の流通経路とは異なる経路から発売するしかなかった。

JYJというグループをそういう側面から見たとき、順調な音楽活動ができなかったことは事実だ。
それは、巨大事務所に反旗を翻した芸能人の宿命とも言える構図が、あれほどの人気を持ち、アジア全域を凌駕した「東方神起」のメンバーであっても、例外ではないという現実を私達に見せつけた。

JYJが音楽活動を順調に行えていれば、今の状況にならなかったのかもしれないという憶測と、いや、それでもジェジュン以外のメンバーにJYJ音楽に固執する気持ちがなく、ソロ活動に固執する気持ちが強かったのだから、遅かれ早かれ、JYJは、今のような状況になるのだという憶測と、「・・・・・・かもしれない」論議は成り立たないと思いながら、あの頃、いつも感じていたことを思い出した。

それは、「同じ土俵に立たせて欲しい」ということだった。

JYJが、それぞれ、ソロ活動にのめり込み始めた頃、二人の東方神起は、再始動した。
それは、まさに巨大事務所の命運をかけた再スタートだったと言える。
韓国でも日本でも、かつてないほどの力を入れて、再デビューをバックアップした。
その体制は、今も変わることはない。
事務所に逆らわず、事務所に守られて活動することが、芸能人として生きていくことの必要不可欠なことなのだ、と思い知らされるほど、その後の道のりは違った。

どんなに素晴らしい音楽の世界を作っても、どんなに実力があっても、一度でも事務所に逆らった人間は、二度と同じ土俵に立つことは出来ない。
それが、芸能界の不文律だということを、嫌というほど、この7年、味わった。

それは、最初から分かりきっていたこどだったのかもしれない。
日本でも韓国でも、業界の暗黙の了解事項とも言えるものなのだろう。
それでも、あれほどの人気のあったグループなら、その不文律に風穴を開けることが出来るかもしれない、と彼ら自身も思ったかもしれない。
その長い闘いが、JYJ法というものを生み出し、最終的に「和解」という地点を生み出したのだと言うことは、確かなことだと言える。
彼らの行動が、7年を最大とする契約期間というものを芸能界に作り出し、一方的な事務所の搾取に終わらない公平な利益分配の仕組みと芸能人の地位を後押ししたのは、確かな成果だ。

「和解」という折り合い地点を見出してもなお、歌手としての放送媒体への出演は叶わなかった。

これは、個人的な見解だが、私は、JYJとして活動しだした半年後には、もうJYJとしてまともな音楽活動は、韓国でも日本でも絶対に出来ない、と感じていた。
それは、業界のメンツをかけても、阻止するだろうと感じた。

裁判で明らかになった双方の言い分は、それぞれの正義だ。
その正義を貫くためには、業界は絶対に妥協しないだろうと思った。

とくに韓国においては、どんなに日本で活躍しようと、あくまでも東方神起は、韓国のグループである。
そのグループを脱退し、新たに作ったグループが、自由に活動出来るのを許すほど、事務所にとってメンツを潰される事案はない。
メンツを特に大事にする韓国社会において、JYJが自由に活動出来る場所は決して与えられないと感じた。
そして、その理由から言えば、SMと提携して、東方神起を育て上げた日本の芸能界においても、決して、JYJが自由に活動するのを黙認する土壌はない、と感じたのだ。

業界のメンツにかけて、東方神起とJYJを同じ土俵に立たせない。

それが、私が分裂後半年で感じていた事柄だった。

私は、芸能界に決して詳しくない。
けれども、物事の道理から考えれば、その結論しか見えなかった。
どんなにジェジュンが頑張っても、決してJYJでは、韓国でも日本でもかつてのような音楽活動をすることは無理だと感じていた。

案の定、JYJとして放送媒体には一切出られなくなった。(過去に一度だけ出たのは、「成均館スキャンダル」でメンバーが新人賞を受賞したときのテーマソング「チャジャッタ」の歌唱の時のみ)

芸能人として放送媒体に出れないのは、ある意味「死」にも近い。
とくに日本と違って韓国芸能界では、韓流文化という国策に乗っ取った事業が展開され、政府の影響を強く受ける活動の中で、放送媒体に出ない芸能活動という選択肢は、ほとんど考えられない状況と言える。

けれども東方神起という巨大なファン層をバックに持った芸能人を全く芸能界から干してしまえるほどの余裕も韓国芸能界の実情を考えれば、なかったのかもしれない。

彼らの持つ巨大なファン層とそれに伴う購買層、莫大な利益は、業界にとって、無視出来ないほど魅力的なものだったのも確かなことだ。

業界の不文律を崩すことなく、彼らの利益を芸能界に還元させる妥協点が、個人の俳優活動であり、ミュージカル活動だったのだろう。

決して同じ土俵には立たせず、しかし、殺しきることもしない。

もし、JYJを自由に音楽活動させてしまったら、業界が屈したことになり、悪しき例を残すことになる。
そうなれば、第二、第三のJYJが出てくる恐れもある。
あくまでも彼らの現状は、過去に東方神起というアジアを凌駕したグループのメンバーだという例外事項でなければならないという業界の強い意向を感じずにはいられなかった。

数年に一度、アルバムを出し、コンサートを行なっても、決してJYJは、韓国でも日本でもブレイクすることはない。それは、芸能界のメンツにかけても阻止される。
そして、その状況は、決して未来においても変わることはないと感じるのだ。

しかし、これが、ソロ活動となれば、状況は変わる可能性は十分に予測出来た。
それも、日本芸能界において。

日本なら、可能性はあると感じた。
それは、韓国と違い、日本芸能界は、あくまでも外国市場だからだ。
日本芸能界にとって、彼らは外国の芸能人という扱いになる。
本国の状況に必ずしも100パーセント従わなくてもいい。
そして、表向きには、日本は、韓国よりも、芸能人の人権が守られている。
確かに日本でも事務所に反旗を翻せば、仕事を干される。
それでも昨今は、そういう事案がすぐにネットで批判される状況にあり、不文律を行使するのが、難しい状況になりつつある。
その上、あくまでも外国の事務所との契約トラブルが原因で日本活動が打ち切られたのであって、直接、日本事務所と契約のトラブルを起こしたのでもないと言える。
JYJとしての活動は、許さない土壌があっても、これが、個人としての音楽活動なら、目を瞑る可能性はあるのではないかと感じていた。
そして、その可能性は、日本にしかない、ということも感じた。

「日本の放送番組に出るのは、8、9年ぶり?」

ドリームフェスティバルに出演が決まった彼は、本当に嬉しそうに見える。
本国で決して叶わなかった歌手としての放送媒体への出演。
それを、彼はこの日本で手に入れることが出来たのだ。

彼は、この日本で、やっとかつてと同じ土俵に立つことが出来る。

日本語の歌を歌う韓国人歌手として、日本の聴衆の前に立つことができる。

 

ここからが、歌手ジェジュンとしての始まりの一歩になる。

放送媒体に出ることで、ソロ歌手ジェジュンとして再スタートを切ることになるのだ。

 

かつて、どんなに願っても、同じ土俵に立つことすら、叶わなかった。

同じ土俵に立つことさえ出来たら、必ず彼の歌の良さは、多くの日本人に伝わると思った。
しかし、その土俵すら与えられない状況の中では、どんなにファンが彼の歌の良さを伝えても、多くの日本人の耳には届かない。
余りにも不公平な状況の中で、かつていたグループと競い合うことを許されなかった。

歌手であるなら、それぞれの音楽の世界で競いあえばいい。

 

「ただ愛がしたいだけなのに、どうしてそれをさせてもらえないの」

彼の言葉には、音楽で競い合いたいのに、それすらさせてもらえない理不尽な状況に対する反発も含まれていたかもしれない。

ドリームフェスティバルまであとひと月足らず。

やっと同じ土俵で、純粋に歌手としての実力、音楽性で、競い合うことが出来る。

彼の歌手としての歩みは始まったばかりだ。

これからも、彼が同じ土俵に立ち続けられることを願っている。
そして、その土俵を与えられるのは、日本の芸能界でしかない。

 


ブログ7周年の記事には、たくさんのメッセージとコメントをありがとうございました。
以前は、ジェジュンオンリーの読者が圧倒的に多かったのですが、最近は、それ以外のファンの読者も読みに来てくださっているのを感じます。
以前、東方神起の記事を書いた時にも経験したことですが、「出来たらコメントを公開しないでください」と書かれてある東方神起ファンの方のコメントを度々貰うようになりました。
それは、二人になってからのファンであったり、5人の頃からのファンであったり様々ですが、一様にジェジュンを応援している。ジェジュンの日本活動が順調に行くのを願っている。というものですが、東方神起のブログを書いている関係で、公開しないでください、と言われるブロガーの方ばかりです。
それぐらい、やはり、分裂に伴うファン感情のもつれは、根深いものなのだと感じます。とくにそれは、ジェジュンに向けられる刃が圧倒的に多いのも感じるのです。

彼が、日本の音楽界という同じ土俵に立ち、今後も順調に活動を進めていくようになれば、その刃は、必ず彼とファンに向けられると思います。
その時、彼を守りきれるのは、ファンの力しかないでしょう。
やっと自分の力で、同じ土俵に立つことが叶った彼を、私はどうしても守りたいと思います。
一ファンである私は、今までと同じようにブログを書くことしか出来ません。
彼の日本活動が順調に始まったとしても、しばらくは、ブログを閉じることは出来ないのかな、と頂いたコメントやメッセージを読みながら感じた三日間でした。

ブログを辞めないで下さい、と書いてくださった方が多かったことに感謝して、これからもできる限り、自分の言葉で、書き続けたいと思います。
彼の日本活動が安定する、その日まで・・・・・・。