7年前の今日、9月27日にブログを始めた。
私のブログの歴史は、彼が日本から去った年月と同じだ。
7年経って、ドリフェス出演をちょうどひと月後に迎えて、本当にこの月、9月にブログを始めて良かったと思う。
書き始めた時、これほど長く書き続けることになるとは夢にも思わなかったし、これほど多くの方に読んでいただくブログになるとも思わなかった。

9月にブログを書きはじめようと思ったのには、理由があった。

7年前の、9月16日、ジェジュンの日本活動打ち切りが発表された。
それまでの私は、何度も書くように単なる普通のファンだった。
THANKSとa-nationを経験して、ライブの楽しさを知ってしまった。何より、ジェジュンの生の歌声を聴けることが嬉しくて仕方なかった。

あの頃の私は、4月にジェジュンのドラマが始まり、その番宣で「笑っていいとも」や「食いしん坊」に出る情報を、唯一のジェジュペンに教えてもらい、彼の映画「天国への郵便配達人」のギャランティーカードを手に入れる為に、友人の分も早朝から映画館に並び、二度も映画を観る。そんなごく普通のファン生活を始めたばかりだった。

当時、5人に戻って欲しいファンと、2人のファン、3人のファンの対立が激しく、何が真実で何が嘘なのか、情報は錯綜し、情報を求めて、私もご多分に漏れず、あちこちのブログを徘徊しては、時々コメントを残すようなファンだった。
それでも日本活動が無くなるなどとは、夢にも思っていなかった。

私は、日本語を話し、日本語の歌を歌い、日本の番組に出演する彼しか知らなかった。
だから、彼が韓国人であるという自覚も持っていなかった。
それぐらい、彼は、他の日本人芸能人と遜色がなかったからだ。

あの頃、twitterの世界では、松浦氏や千葉氏のツイアカをフォローしては、多くのファンが、投稿していた。だから、活動打ち切りが決まった時も荒れに荒れた。

今でも打ち切りを聞いた時のことを昨日のことのようにハッキリ覚えている。
ショックだった。

発表されたとき、彼は、韓国に戻ってしまっていた。
もう二度と日本で彼に会えない、という事実に言葉を失った。
ああ、彼は韓国人だったんだ、と思い知らされた。

それから、あちこちのブログを徘徊した。
どんなに徘徊しても、何もわからなかった。
彼の姿も歌声も日本のどこにも存在していない、という寂しさだけが現実だった。

2010年という年は、私にとって、やっと子育てから開放されて、自分の楽しみの為に人生を使い始めた年だった。

彼のファンになり、本当に楽しかった。

いろいろ不安な情報はあっても、根本的に楽観主義の私は、何とかなると思っていたのかもしれない。

彼が日本の芸能界からいなくなる、ということを想像すらしていなかった。
せっかく見つけた宝物を取り上げられたような気分だった。

嫌だった。

彼がいない、という現実を認めることが嫌だったのかもしれない。

自分の気持ちの寂しさを埋める為に、自分だけの部屋が欲しいと思った。
自分のお気に入りの画像を貼り付け、彼のことを書く部屋。
そう思ってブログを作ったのが始まりだ。
アメブロの本を購入し、説明を読んでも、PCのメール以外、殆ど触ったことのない私には、何のことだかさっぱりわからず、娘に立ち上げて貰った。

本来なら、キリのいい10月1日から始めるべきだったのかもしれない。
しかし、9月は、彼の日本活動が打ち切られた月として悲しい記憶が残る月になった。

後から振り返った時に、悲しい思い出と共にあるのが嫌で、ブログをスタートさせた。
彼が日本を去った悲しい思い出を自分のブログを始めるという楽しい思い出の月にしたかったからだ。

ブログを立ち上げて、翌日には、コメントがあがった。
見ず知らずの人からのコメントに驚いた。何より、自分のブログを読んでいる人がいる、ということに驚いた。

右も左もわからないでブログの世界に飛び込んだ。
あの頃は、アメンバーというものもよく知らず、誰でも親しくなればアメンバーに承認していた。

消失してしまったブログを最初から読んでいた人は、覚えていると思うが、最初は、私もミーハーブログだった。
彼の情報や、お気に入りの画像を貼って、ひと言、二言、書いてあるだけ。

ただ、3人の画像やJYJの情報記事は貼り付けたが、他のメンバーの記事は一切載せなかった。
元々、興味がなかったからだ。
それでも、その頃は、JYJの記事を書くのが当然で、JYJの動向しか情報も上がっていなかった。
彼のことを書こうと思えば、自然とJYJの動向になった。

 

ブログを立ち上げて数日後に韓国のファンサイトのブログに行きあたった。
そのブログには、私の知らない彼の記事が山のようにあがっていた。

彼だけの記事。
貪るように読んだのを覚えている。

このサイトとの交流によって、私は多くのことを学んだ。
「オンリー」という言葉を教えられたのも、このサイトとの交流だった。

ブログを書き始めて二週間後に行われたJYJのshowcase。

これが私の韓国でのコンサートの初体験だった。

案内してくれた韓国のサイトの人から、「kukoさんは、オンリーなのか?」と聞かれた。

「オンリーってどういう意味?」
と聞いた私に、彼女達は、「彼だけが好きなのか?それとも、他のメンバーも好きだけど、彼も好きなのか?どちらなのか?」と言った。

私は、「もちろん彼だけが好きだ」と答えた。

すると彼女達は、「あなたはオンリーだ。あなたみたいな日本人に初めて出会った」と言った。

「今まで多くの日本ファンに出会ったが、みんな、彼も好きだけど、他のメンバーも好き。3人が好きだけど、その中で彼が一番好き、と答える人ばかりだった。彼だけが好き、と言った日本ファンは、あなたが初めてだ」と言われた。
そして「日本にオンリーファンを増やして」と言った。

私は、帰国後、自分のブログをオンリーブログに変え、彼以外の画像を削除した。
JYJの情報も、彼の部分だけを書いた。
彼以外、元々、書きたくなかったからだ。
オンリーという言葉を教えられて、彼だけの場所を作ってもいいのだ、と思った。
彼だけの画像を貼り付け、彼だけのことを書いた。
そして、彼以外のファンでアメンバーだった人達を削除した。

大したアメンバー記事も書いていなかったが、アメンバーを外すと言うと、ずいぶん抵抗されたのを覚えている。
「どうしてジェジュンファンだけなのか?」と何度も言われた。
半ば喧嘩するような形で、外れて貰ったのを覚えている。

当時、日本のどこにもオンリーブログは存在しなかったし、オンリーという言葉すらなかった、と後から古くからのファンに聞かされた。

5人時代からのファンでなかった私は、日本のファン社会もブログの世界のことも何も知らなかった。
もし、知っていたら、オンリーブログにしていたかどうかわからない。

7年の間には、彼にも多くの事が起きたが、私にも多くの事が起きた。

彼が韓国に戻ってからしばらくは、彼への批判が渦巻き、彼を守る為には、強い記事を書かなければ、到底守れないと思ったこともある。

オンリーという概念のない日本ファン社会では、「新参者が何を言うの」という風潮があったかもしれない。

とくにreviewコンテストで入選してから、ブログを知る人が多くなり、訪ねてみれば、彼以外のことはどこにも書かれていない。
ソロ活動を望んでいる、と書かれているのを読んで、批判してくる人は多かった。

私は、最初から彼だけを応援するファンを増やしたかった。

ずっと歌の世界で仕事してきて、芸能界でないにしても、音楽の世界の善し悪しは知っていた。

同じ世界にいる限り、必ずメンバー間で、仕事が被る。
その時、彼を一番に応援してくれる人、彼だけを応援してくれる人が欲しかった。

だからアメンバーを承認するのも、多くの質問をやり取りした。

公では書けない多くの情報を、アメンバー記事で書いていた私のブログは、アメンバー記事が多かった。
アメンバーになるには、何度も質問のやり取りをし、なかなか承認されないことでも有名だった。

なぜなら、あの頃は、本当にオンリーと言える人が、少なかったからだ。
皆、大なり小なり、他のメンバーに愛着を持っている人が多かった。
なりすましも多く、アメンバー記事に何が書かれているのか、知るために申請してくる人も多かった。
本当に彼だけを応援する人なのかどうなのかを見極める為には、多くの質問をやり取りするしかなかった。
また、しょっちゅう、アメンバーを解除した。
現在アメンバーで、発足当時からの人が何人もいるが、その人達は、十回以上の解除を経験してきたはずだ。
その都度、何度も私からの質問に答える羽目になったと思う。
それぐらい、私は、ファンに懐疑的だった。
その代わり、一旦、アメンバーになった人をとことん信頼していた。
でもそれが大きな間違いだったと気づかされることを何度も経験することになった。

彼も信頼していた人や、友人の多くの裏切りを経験したが、私も何度も信用していた人からの裏切りを経験した。

ブログの世界に入らなければ、人間不信になることはなかったと思えるし、これほど経験したブロガーはいないだろうと思うほど、多くの体験をした。
裏ブログを立ち上げられたり、ハッキングされてブログごと消失したり・・・。
およそ、実社会では考えられないような出来事にいくつも出会った。

最初の頃は、裏切りを経験するたびに、酷く落ち込んだ。
オンリーに対する批判を送って来る人の言葉に傷つき、ブログをやめようかと思うこともあった。
kukoという愛称は、学生時代からの愛称だが、ファン社会では、アッケの代表のように言われた。
アメンバー記事を通して、オンリーファンを煽動していると言われ、まるで宗教だと言われたこともある。
私は、他のメンバーをあからさまに批判する記事を書いた覚えはないが、他のメンバーの記事を書かないことが気に入らない人は多かった。
他のメンバーを無視していると言われた。
彼が、事務所からずっと圧力を受けていることを書いた時は、「頭が狂っている」とまで言われた事もある。

私は、彼の為に何かしたくて仕方のないファンだったから、署名活動を立ち上げたり、新聞広告を企画したり、ラッピング広告をして走り回ったり、地下鉄広告を実行したりしたが、その都度、猛烈な批判の嵐を浴びてきた。
今でも私を批判するファンが多いことを十分承知している。

それでも私は、自分が傷つくのは構わないと思ってきた。
どんなに批判されても、書きたいことを書く。
それが、ブログを始めた時からの私の中の不文律だ。

そうやって書いてきた状況の中で、7年経って、これほどオンリーファンが増えるとは想像もできなかった。
当時は、日本活動を望むことなど、到底、口に出せない時代だった。
今は、多くのオンリーファンが存在し、彼のソロでの日本活動を望み、歌手活動を望む。
彼が事務所からずっと圧力を受けてきたことも多くのファンが知ることになった。
あの頃から考えれば、夢のような話だ。

それでも私のブログの読者になる、アメンバーになる、と言うだけで、批判される人がいるのも確かだ。
だから、私は、極力、ブロガーをアメンバーに承認しない。
今、ブロガーでアメンバーの人が何人かいるが、その人達には、それぞれ読者がいて、多くの繋がりを持つ。
私のアメンバーであることで、迷惑をかけるかもしれないと思うからだ。
でもどの人も、アメンバーになることに熱心だった。
オンリーであることが当たり前のファン社会になったのかな、と思ったりする。

 

私のブログの歴史は、彼の韓国に戻ってからの歴史と重なる。

 

韓国にいる彼のことを知ろうと思えば、今は、ネットしかない。
毎日、多くの人に訪れて貰うブログだが、私は、一日も早く、このブログを閉じる日が来るのを心待ちにしている。
彼が、日本活動を再開し、多くの情報が溢れるようにマスコミを通して提供されるようになれば、こんなブログなど不要になるからだ。

その時、私は、ネットの社会から消えようと思っている。
普通の一人のファンに戻って、彼の日本活動を楽しみたい。

 

オンリーだの、オルペンだの、JYJペンだの、と言う日が一日も早くなくなり、彼のファンは、もちろん彼だけを応援する人達ばかりになる日を夢見ている。

 

ジェジュンは、ソロ歌手であるのが当たり前で、名前に何の冠もつかない。
多くの人は、「ジェジュン」という名前だけを認識する。

そんな日が来るのを待っている。

 


7年前、ブログを書き始める前の私は、何一つ、自分で物事を決めることの出来ない人間でした。
この7年の間に知り合った人には、想像出来ない、と言われるほど、ブログを書き始める前の私とは別人です。
書く、ということが、私を変えたと思っています。

ブログを書き始めて、誰にも相談出来ないことが続出でした。
自分で決断しなければならないことばかりで、それは、時間との勝負だった事が多いです。
即答を求められること、即断を求められることの連続でした。

誰も書かないようなことを書いて、その反響に、一旦、文字にして発信する、ということの責任の重大さを感じたことも何度もあります。
一度、文章にして発信してしまったものは、どんなに消しても残るのだという事実も知りました。
誰が読んでいるかわからないネットという不特定多数の人間の目に晒されることの怖さは、今も痛感しています。

自分が書いた記事で、彼の力になりたいと思って書いてきましたが、彼の足を引っ張ることもあったかもしれません。

誰も彼のソロ活動を望まない時から、私は彼が必ずソロ歌手になると信じて来ました。

7年後、

彼がソロ歌手として、日本の音楽界に戻ることになったのは、本当に夢のようです。
決してソロ歌手にはならないと言っていた彼が、私の夢を叶えてくれました。

今、ソロ歌手としてステージに立つ彼は、私がブログを書き始めた最初に夢見た彼の姿です。


音楽の世界で歌うことで、自分を表現することしか知らなかった私は、彼のファンになり、ブログを書くことで、「書く」というツールを身につけ、音楽の知識を生かすことも出来るようになりました。
裏切りも経験しましたが、多くの方とも知り合いました。
この7年、何があってもずっと私の側で支え続けてくれた人が何人もいます。
そういう人達に出会えたのも、ブログのおかげだと思っています。

ネットという特殊な世界だからこそ、人間の本質を知ることができたとも思います。

音楽を何の為にしてきたのか、わからないほど疲れていた時期もありますが、今、私は、自分が音楽をしてきて良かった、歌の世界で苦労してきて良かったと思っています。
彼のブログを書くことで、自分の音楽の体験を肯定出来るようになりました。

7年前、彼のファンにならなければ、
そして、彼が、日本活動を打ち切られなければ、決して私はブログを書いていません。
彼が、日本を去ったことが、私に新しい世界を与えてくれたと思っています。

彼には感謝しかありません。

そして多くの読者の方にも感謝します。
こんな拙いブログを読みに来て下さることに。

これからもできる限り、私の言葉で、彼の事を書き続けたいと思っています。

一人でも多くのオンリーファンを増やしたい。
それが、私の願いです。