非常に長い記事になりました。時間がある時にお読み下さい。

ジェジュンのドリフェス出演が発表されたとき、最初に感じたのは、「ああ、KAVEが無事に立ち上がったことの意味は大きかった」という事だった。

彼はずっと日本での活動を希望していた。

それは、韓流スターとして年に何度か来日してコンサートやファンミを行うというものではなく、「かつてのような日本活動」
即ち、日本語のCDやアルバムを出し、日本の音楽番組に出演し、彼の言葉を借りれば、日本のドラマやバラエティー番組にも出演する。
いわゆる、日本の芸能人と同じ活動を望むものだった。

7年前、日本活動が打ち切られた時の最大の理由は、Cjes代表の経歴にあった。
メンバーの事件にも登場したように、代表の父親は、暴力団関係者だ。
その経歴が、ネックとなり、当時契約していたavexは、代表者の交代を日本活動存続の条件にした。
しかし、JYJ側はそれを拒否。
結局、日本活動は打ち切られたのだった。

それから入隊するまでの5年間。
最初の2年こそ、明らかな外圧はあった。
2011年の両国やひたちなかのコンサートでは、確かにavexの妨害行為はあった。
ジェジュン達とavexの専属契約は、3年で、2013年の2月25日までは有効だったからだ。

Cjesは、日本をアジア活動の1地域として、多くのファンがいるにも関わらず、積極的に日本での活動を模索しなかった。
ひたちなかコンサートのあと、ジェジュンが一人残り、日本活動を引き受けてくれるところを捜したのも、日本活動に対する温度差が、ジェジュンと代表、メンバー間で大きく異なったからだ。

もう6年も前のことになるから、書いても構わないと思うが、実は、ひたちなかは、コンサート直前まで開催が決定されていなかった。
当時、たまたま知りあった直接の関係者から、個人的に多くの情報を得る立場にあった。

「震災復興チャリティー」と冠のついたコンサートの開催に一番尽力したのは、茨城県庁だった。
コンサートが開催されれば、大きな経済効果が見込めたからだ。
しかし、JYJの活動をどうしても阻止したいavexの横槍が実際にあったことも確かだ。

少し横道に逸れるが、当時は、「JYJ」という単語すら、日本の芸能界、日本社会から徹底的に締め出されていた。それで、当時主宰していたファンサイトの代表として、ファンの力で地元紙の茨城新聞に「JYJの新聞広告」を出すということを企画した関係で、多くの情報を貰う立場にあった。
その新聞広告は、原稿を入稿する直前に東京本社からストップがかかった。東京本社にavexから抗議があったからだ。
ファンの出す広告も潰した、と当時、ネットニュースになったほど、圧力があったのは確かだ。
県庁にも、avexから抗議の電話があったと聞いた。
それでも県庁は、開催を決定した。

妨害行為によって、大手旅行会社が、企画していた会場までのバスツアーが中止になり、ファンは自分達でバスをチャーターして会場までの足を確保した。
開催地近辺の宿泊施設は、すべて満室になるという中で、あとはコンサートの開催を待つばかりという状況だったが、実は直前まで開催が決定していなかったことを知っていたのは、どれぐらいの人数だろう。

開催の一番の障害は、avexではなく、Cjes側にあると聞かされた。
開催を最後まで渋ったのは、Cjesだった。
あの頃、関係者は、何度も説得するために渡韓していた。チケットは完売し、日本側のすべての手はずは整っていたのだ。コンサートが中止になれば、二度とJYJは日本でコンサートが開けない状況になる恐れもあった。
Cjes代表は頑なだと聞いた。結局、反日感情とも言える日本への不信感を露わにした代表を根気良く説得したのが、ジェジュンであり、最後まで諦めずに熱心に説得して実現したのだった。
だからこそ、コンサートにおいて、「これから日本活動がどうなるかわからない」という発言に繋がっていく。

コンサートの翌日、県庁にお礼に行きたいと言った彼に「そんな必要はない」と一蹴したのも代表だ。
翌日、県庁にコンサートのお礼と寄付金を持参したおり、そのエピソードも聞いた。

そういう代表と彼との日本活動を巡る感情のもつれが、サセン事件の根底に流れるのは、間違いがない。
彼は、いつも彼以外の周囲の人間の価値観と闘い続けてきたと言える。

 

2013年1月に裁判で「今後、東方神起とJYJはお互いの活動を干渉しない」という和解が成立してからのちも、Cjesは、最大のファン層を持つ日本市場に対して、正式な活動を再開しようとはしなかった。
あくまでも韓国方式にこだわり、来日タレントとしての活動で、根を張った活動をしようとはしなかった。

やっつけ仕事のようなコンサート。
日本では、大きな箱だけにこだわり、巨額の収益を見込める単なる市場としてしか扱わなかった。
JYJというグループを日本の芸能界に根付かせる意思などどこにもなかったと言っていい。

そのスタイルは、彼が望む日本活動のスタイルとは全く異なるものだった。

サセンで彼を手中に収めたCjesは、歌手としての彼の活動を完全に封じ込めた。
2012年は、彼はあくまでも韓国の俳優として活動しただけの一年だった。
ミニアルバム「I」から始まる彼のソロ活動は、Cjesのほんの気まぐれだったのかもしれない。
それを本格的な活動にさせたのは、2013年の横アリファンミの実現だったと言える。
この仕事で、Cjesは、彼の日本との強固な繋がりと、強固なファン層を知ることになるからだ。

日本活動に対する考えの違う彼に対して、Cjesが取ったのは、情報管理とマインドコントロールだった。
彼と日本との個人的繋がりに警戒感を持ったCjesは、徹底的に日本からの情報を遮断し、彼への個人的な日本からの仕事をすべて握りつぶす一方で、彼には、「全く日本からオファーなどない」と嘘の情報を与え、「今さら日本に一人で戻っても何が出来る」と言い続けた。
彼に日本の情報が入らないように、日本の情報に詳しいと信頼させた人間を彼に張りつかせた。
結局、彼には、その人物から与えられた日本の情報しか入らない状況を作り上げ、完全に彼を包囲網の中に取り込んだのだった。

その状況の最たるものが、11月の横スタでの「いつ、日本でコンサートが出来なくなるかもわからない」という発言だったと言える。
いつも「頑張って日本活動出来るようにする」と話していた彼が、初めて日本活動を諦めるような弱気な発言をしたのだった。
Cjesは、彼にあくまでも自分は韓流スターなのだ、という自覚を植え付ける為、twitterでの日本語を監視し、この頃は、韓国語でしか彼は殆ど呟かなくなったりもしていた。
それほど、彼に日本への思いも日本活動への思いも諦めさせようと躍起になっていた。
いつも必ずコンサートで行われるWアンコールさえもCjesは封じ込めた。
多くのファンが、彼の言動にショックを受け、ファンを辞める、という人も少なからずいたのは事実だ。

けれども彼は、この7年、潰されても潰されても、日本への思いも日本活動への思いも決して捨てきらなかった。

ひと月後、彼は大阪で見事に立ち直っていた。

「伝説の大阪MC」と言われるほど、彼は自分の気持ちを始めて吐露した。
そして、「いつまでも待っていて欲しい」と言い、日本への気持ちも日本活動への気持ちも彼の中で完全に復活しているのを感じさせた。
彼をマインドコントロールし続けた人物は、次の名古屋以降、彼のソロ活動には一切関わらなくなった。
彼が正しい情報を自分の力で得ている証拠でもあった。
大阪以降、彼は、日本活動に対して、二度と弱気な発言をしなかった。

彼は、ずっとJYJとしての日本活動を望み続けてきた。
その気持ちをCjesは利用して、彼が入隊を遅らさざるを得ないように、日本のCD発売とコンサートを計画した。
「一期一会」と題されたコンサートは、JYJファンの激怒を買うようだが、実に皮肉なタイトルだ。
当時、このタイトルのセンスの良さをJYJファンは歓喜していたが、「一期一会」の意味は、「生涯にただ一度まみえること。一生に一度限りであること」だ。
それから言えば、あのコンサートがJYJ最後のコンサートになり、最後だったからこそ、彼は「Begin」を歌ったのではないかと思えるほど、今の状況を暗示している。

ソロ活動に熱心だったメンバーを辛うじてJYJに繋ぎ留めていたのは、紛れもなく彼であり、彼の心が、JYJから離れた今、彼らを繋ぎ止めるものはない。

 

彼は、日本活動を打ち切られた7年前から一貫して、「かつての日本活動」を望み続け、現地化した日本での活動を取り戻す為の努力をしてきたと言える。
それは、日本社会に根の張った活動であることは間違いない。
年に数回、外タレとして来日公演をするのでもなければ、ファンミを開くものでもない。
あくまでも日本でCDを発売し、日本の番組に出演し、日本の芸能活動をするということを指しているのだ。

この7年間、彼は嫌というほど、日本との繋がり、個人的な日本の仕事をCjesに潰されてきた。
横アリファンミや、切手の発行は、それらの目をかいくぐって奇跡的に実行出来た数少ないものだと言える。
除隊後、Cjesは、彼と日本との繋がりに警戒感を持っていた。
ファンが彼の日本活動を切望していることに対する警戒だった。

2月に行われた日本ツアーでの警戒網は、滑稽とも言えるほどだった。
コンサート会場では、SPが彼の言動を監視した。
日本語に堪能な人間を彼に張りつかせ、会場での発言をチェックした。
横アリ、大阪での彼の発言を受けて、一旦帰国したあとの名古屋では、他の人間と接触出来ないように、ホテルに軟禁状態にした。
異常なほどの警戒感だった。
個人的な繋がりからの仕事だったトレジャーブックをCjesは見事に潰した。
日本ツアーのあと、彼が日本市場でブレイクしないように、彼のコンサートの画像の露出を制限した。
彼が日本との繋がりを作ることに非常な警戒感を持っていた。

KAVEの立ち上げは、Cjesにとって寝耳に水だったかもしれない。
早くから、共同経営者であるゴニ氏の美容院の情報はあがっていたのだ。

「Jholicを日本にも作って」とvliveに書き込んだ日本ファンに対して、彼は「コーヒーショップの経営には興味ない」と言い切った。
日本ツアー以降、全く彼は、日本への気持ちをおくびにも出さなかった。
除隊後の疲れを取る休息期間として、のらりくらりとした生活を送っているように見えた。
ファンは、「日本語のアルバム」の発売を期待したが、出てくる情報は、彼のドラマ関係の情報ばかりだった。

ドラマが決定し、パラダイスファンミの広報映像では、今年は韓国での活動が多く、日本で会えそうにない、と話し、Cjesの意向が再び、強く彼の活動に反映され始めたのを多くのファンが感じたし、Cjes自身もそれを疑っていなかっただろう。
それほど見事だった。

彼は見事に周囲を裏切ったのだ。
ファンには、いつも正直に真実しか話さない人だったのが、見事に騙した。

KAVEの情報が出たのは、ドラマ撮影の最中だった。
日本の喧騒の中でも、彼はひと言もその事について語らなかった。
まるで自分には無関係のように撮影に集中していた。

彼が口を開いたのは、グランドオープンのポスター公開の数日後。
「楽しみにしていてください」
その一言を発しただけで、自分が関係するものなのかどうなのかの言及は避けた。
この発言だけでは、単にゲストとして出演するという関係とも見て取れるほど、彼は積極的な関わり合いを避けた。

KAVEが完全に彼の関与するものであると認めたのは、グランドオープンの当日だった。
「オーナーのキム・ジェジュンです」
彼自身の発言で、ハッキリと自分がこの会社の持ち主であることを認めたのだ。

Cjesに翻弄され、妨害され続けた歌手ジェジュンは、実業家キム・ジェジュンとして、確固たる場所を日本に作った。

Cjesに潰されない為に、共同経営者や、SM関係者を経営に関与させ、表向きは、自分の名前が出ない形にした。登記簿上も彼の名前は存在せず、これなら、どんなに調べてもわからない状況だった。
そして、彼一人ではなく、共同経営者がいることで、迂闊に手を出せない状況を作り上げた。
なぜなら、Cjesに全く関係のない人間の事業を妨害すれば、それは、第三者に自分達の妨害行為を知らせることになるからだ。
今まで関係者の間だけで隠蔽されてきた彼への圧力行為が、関係者以外の人間も知ることになるのだ。
さらにSM関係者を関与させたことで、彼は暗にSMとの関係をCjesに知らせたことになる。
3人でSMを出る時、彼だけが再契約金を提示され慰留された事からもわかるように、SMは、彼の価値を熟知している関係と言える。

 

KAVEが無事に立ち上がった意味は大きい。
たとえ、実業家としてであっても、日本に彼が復帰した意義は計り知れない。

彼は、日本に拠点を持つことで、直接、多くの日本人と交渉することの機会を持つ。
今まで、監視され続けてきた日本との繋がりを、誰にはばかることなく、堂々と行うことが出来る。
音楽活動なのか、実業家としての活動なのか、表向きの顔と水面下での動きは全く別物だとしても、誰に悟られるわけでもない。

「透明人間になったら、マネージャーの愛情が本物なのか、彼の家に行って確かめたい」と言った彼は、入隊前とは、明らかに距離感が違う。
セキュリティーが完備され、家族すら容易に入れない住居に変わったのも、彼のこれからの活動の方向性を暗に示唆している。

 

ドリフェス出演の発表も、KAVEの経緯と同じだった。
彼は、ひと言もそれらしき発言をしなかった。
あえて言うなら、オープンセレモニーでの「ドラマの撮影が終わったら、すぐまた日本に来ますので、楽しみにしていてください」の発言だ。
彼の中では、確実にドリフェスが念頭にあったはずだ。それでも彼は、匂わせることもしなかった。

それぐらい日本活動に関しては、慎重に運んできた。
決して潰されない為には、すべての人間を騙さなければならないのだ。

 

ドリフェスがKAVEの延長線上にあることは明らかだ。
そして、ドリフェス出演が、文字通り、彼の日本活動への再スタートになるのも確実だ。

7年の年月を経て、彼は、自分の力で、日本活動をもぎ取った。
それも、彼が欲してやまなかった音楽番組への出演という形で。

ドリフェスは、歴代の出演者を見てもそうそうたる顔ぶれだ。

L’Arc-en-Ciel、いきものがかり、加藤ミリヤ、西野カナ、B’z、GRAY、ポルノグラフィティー、ONE OK ROCK、ケツメイシ、DREAMS COME TRUE、Perfume、木村カエラ、JUJU、aiko、星野源、EXILE、浜崎あゆみ、平井堅、中島美嘉、三代目J Soul Brothers、コブクロ、スガシカオ、ももいろクローバーZ、XJAPAN、椎名林檎、槙原敬之、V6など・・・

日本の音楽界を代表するアーティストを網羅していると言ってもいいほど、多様なJPOP歌手が出演している。
そんな日本のフェスティバルに外国人として、初めて出演する彼は、単に韓流スターであるという理由から選出されたのではないことは明らかだ。
もし、韓流ブームの再燃を狙って、ということなら、東方神起やBIGBANG、SUPER JUNIORなど、日本で人気のある韓流歌手はいくらでもいる。
何も7年ものブランクのある彼を出演させる必要はない。

7年のブランクを経て、彼がJYJではなく、一人で出演することの意味は計り知れないほど大きい。
決して譲らなかった日本活動のスタイルで復帰出来たのは、紛れもなく彼一人だったからだと言える。
あくまでも彼が個人で引き受けた仕事であることの証拠でもある。
そうでなければ、このような音楽番組に決して出演することは叶わない。
なぜなら、この番組に出演することは、彼が日本音楽界に復帰することを意味するからだ。
彼が切望してやまなかった、日本芸能界に根を張った活動。
その第一歩になることは間違いない。

 

この出演を足がかりに、彼は、日本の音楽界に、再び自分の場所を必ず作る。
顔の広さでは韓国芸能界でも有名だが、かつて日本でも彼の交友関係の広さは有名だった。
必ず、しっかりと根の張ったものに作り上げてくるに違いない。

KAVEの立ち上がった意味は大きかった。

それは、彼の日本での再スタートの第一歩の重要な役割を果たしたと言える。

 


アメンバーで西洋占星術の星読みをする人によれば、天空図から見て、彼が出演する10月26日という日は、宿命とも言える日だそうだ。
西洋占星術では、7年というサイクルが非常に意味を持つように聞いたことがある。一つの物事が完結し、次の新たな物事が始まる。
もし、そうであるなら、7年の歳月が彼を育てるのに必要な年月だったと言える。

 

彼がこの番組に出演することの影響は計り知れない。
多くの人が、彼を知る。
過去に知っていた人も、記憶を呼び覚ます。

ソロ歌手としての彼は、5人時代よりもずっと魅力的だ。
グループ時代に部分的にしか発揮されなかった彼の歌手としての実力は、この7年で、大きく進化し、一人のアーティストに変貌している。
そして、日本語の歌は、現在、活躍しているどの韓流歌手よりも堪能だ。
彼の日本語の歌は、ネイティブに近い。
さらに日本人好みに作り替えた声は、間違いなく多くの日本人の心を引っさらうだろう。
JAPANROCKの影響を受けた彼のROCKだけでなく、バラード曲は、確実に日本人の琴線に触れる。
彼が、正式に日本に戻れば、多くの韓流スターを蹴散らしてしまうだろう。

そんな彼に対する嫉妬は、容赦なく彼とファンを襲うだろう。
5人の分裂時に起きた彼への誹謗中傷が再燃する恐れは、十分ある。
また、JYJファン社会においても、彼だけが戻ることを良しとしないファンは多数いる。
それらは、十分、覚悟しなければならないことだと感じる。

妨害もあるかもしれない。
業界にとって、強固なファン層を持つ彼は、喉から手が出るほど欲しい存在とも言える。しかし、裏を返せば、それは、自分の抱えているドル箱スターの存在を脅かす存在でもあるのだ。

 

彼は、それらのものと渡り合って、日本活動を手に入れなければならない。

日本の音楽番組出演を実現した彼には、次には、日本語のアルバム、CDの発売を期待するだろうし、他の音楽番組への出演も当然期待したくなるだろう。

しかし、ファンが思うように順調に行かないかもしれない。
一見、何も進まない、いや、後退したかのように見える時期があるかもしれない。
しかし、それは、確実に前に進む為に必要な時間とも言える。
焦りは禁物なのだ。
彼は必ず動いている。
表向き、何もないときの方が、実は重要なことが隠されているというのは、よくある話なのだ。

人は、重大な決心ほど、重要なことほど、隠したがる。
決して他人に悟られないようにする。
重大であればあるほど、表には決して出ない。
KAVEがそうであったように、ドリフェスがそうであったように、彼は重大なことほど、隠すだろう。

けれども、確実に物事は前に進んでいるのだ。
この7年が、そうであったように。

 

この7年は、彼がソロ歌手として再生するのに必要な年月日だったと言える。
そして、私は、この7年、彼の側で、彼と一緒に歩けて幸せだった。

 

7年かかって、やっとここまで来た。
彼と一緒に必ず、日本活動を手に入れたいと思う。