Love Musicを観た。

邦楽が好きで、hyde氏を音楽の師と仰ぐ一面を誰はばかることなくコメントする彼にとって、日本という国はなくてはならない存在だったということを感じた。
歌手という職業を目指そうとしたのも、hyde氏の音楽を聴いたことから始まったのだから。
彼にとってJPOPは、日本活動を始める前から、彼の中に擦り込まれた音楽だということがわかる。
これが、他の韓国の歌手とは全く異なる部分なのだと思った。
JPOPは彼にとって、異国の音楽ではなく、彼の音楽を作る上でなくてはならない要素なのだということ。
それがわかるインタビューだった。

JPOPを歌うために、日本人好みの発声に変えた彼。
発声を変えるには、並大抵の努力ではできない。
何度も書いてきたように、歌手にとって、発声を変えることは容易なことではない。発声を変えるということは、今まで慣れ親しみ、身体に馴染んだ歌声を手放すということだ。それは、スポーツ選手が、フォームを変えるのと同じことで、根本的に一から作り替えることを意味する。
歌は、スポーツと全く同じで、筋肉を使って行う。その為に、発声を変えるということは、今まで培ってきた筋肉の使い方だけでなく、それに伴った感覚まで、全く別のものを作るという作業になる。
彼は、新しい歌声を自分のものにするまでに一年半がかかったと言った。
彼が、並大抵の歌手ではないと感じるのは、新しい声に作り替える作業をしながら、一方で、歌い続けていたことだ。
新しい声の感覚を完全に自分のものにするまでは、彼は歌うたびに今までの歌声の古い感覚と、新しい歌声を出そうとする感覚とのせめぎ合いの中で、身体を使って歌わなければならなかった。
その為、「SKY」までの曲は、古い声が中心で、殆ど、新しい声は使われていない。新しい感覚の歌声を試して歌おうと思うまでは、やはり以前の感覚の古い声の方が、彼にとっては歌いやすかったからだ。
しかし、彼は、古い感覚の声を使いながら、一方で、確実に練習を積み重ね、新しい感覚の歌声を身に付けていた。だから、「SKY」でいきなりその声に切り替えることが出来たのだと思う。
歌手にとっては、慣れ親しんだ感覚を手放すことは大変なことだが、それも彼にとっては、JPOPを歌うには必要なことであり、抵抗感は、全くなかったのかもしれない。

幼い頃から聞きなれた音楽。
大好きだった音楽。
それらを歌う日本人の発声と歌声を彼は多くの楽曲を聴きながら身につけようと努力しただろうし、今も努力し続けている。

彼が、多くの楽曲の中から、デビュー曲に選んだ曲は、最もJPOP的な要素の高いミディアムバラードだった。
ミディアムバラードは、いわゆるバラード曲よりも少しテンポ感が良く、歌い上げていく曲のことを言う。
「Sign」は、まさにミディアムバラードの王道を行く楽曲で、後半の高揚感溢れる楽曲の作りと繰り返される高音のサビの部分は、彼の高音の魅力を余すところなく伝えるものであり、印象的な歌声と共に人々の耳に残りやすい。

デビュー曲の重要性は、非常に高い。
彼は、「自分を知らない多くの人に知ってもらえるのが楽しみでもある」と言ったが、彼の過去のグループでの活動を知らない人は、彼の歌声も知らない。
それらの人には、「ジェジュン」という歌手は、ソロ歌手以外の何者でもなく、JPOP歌手以外の何者でもない。
そんな彼らは、初めて聴く彼の歌声と楽曲のタイトルを共に記憶していくだろう。

彼を知らなくても、曲を聴いたことがある。
曲のタイトルはわからないが、サビの部分は知っている。

多くの一般人にとって、楽曲とはそういうものである。
そして、楽曲と共に歌手の歌声の印象によって、歌手のイメージを記憶していく。
楽曲と共に「ジェジュン」という歌手を記憶していくのだ。

 

「ジェジュン」という歌手は、幾つかの武器を持つ。

3オクターブ半にも及ぶ声域の広さ
伸びのある高音域
甘い中音域
ソフトな響きの低音域

その中で最大の武器でもある伸びのある高音は、非常に印象的だ。
その最大の特徴を十分に発揮することの出来る楽曲を彼はデビュー曲として選んだ。

彼は、JPOP歌手としての自分の最大の魅力と武器を知り尽くしていることになる。

どう歌えば日本人の好みになるのか。
どう歌えば日本人の琴線に触れるのか。

それは、幼い頃より、身体に染み込んだ彼のJPOPの感覚が、自然と歌手としての感覚を作っていくのだろう。

 

彼は、「ジェジュン」という歌手に、JPOPのソロ歌手として、最も魅力的で印象的なイメージを作り上げさせることに成功したと言える。

 

日本のあちこちで彼の歌声が響き渡る日も近い。

 

「Sign」は、これから始まるJPOP歌手ジェジュンの多くの楽曲の中で、最も印象的な曲になるだろう。

 


Mステよりも先に収録されていたLove Musicで歌う彼は、本当に嬉しそうだった。
この8年、どんなに彼が望んでも韓国では手に入らなかったものを、この日本で叶えていく。

彼は、最初から、日本活動を切望していた。
過去と同じ内容の活動を望んだ。

日本で日本語のCDを出し、音楽番組に出演する。

歌手ならごく当たり前の活動。しかし、それは、日本の事務所と正式に契約しなければ、決して手に入れることの出来ない活動だった。

日本の歌手として活動する。
このスタンスを彼は頑固に欲し続けた。
だから、どんなにCjesが主催して日本でコンサーを開いても、彼は納得しなかった。
来日歌手としてのコンサートでは満足しなかったのだ。

「やっぱり日本では日本語で歌いたいんですよね」
そう彼は言い続けた。
「日本では日本語でCDを出したい」

彼の求めた活動は、日本の歌手としての活動だった。

 

彼が韓国でこの8年、満足に歌手活動が出来ていたなら、どうだっただろう。
メディアに露出し、テレビに出演していたとしたら・・・。

それでも彼は、日本での正式な歌手活動を望んだのではないかと思う。
なぜなら、歌手ジェジュンを作り上げたのは、JPOPだったからだ。
JPOP歌手としての活動がなければ、彼は、歌手として存在していたかどうかわからない。
当然、彼は、歌声を変えなかっただろうし、歌声を変えなければ、歌手としての限界は見えていた。
彼は、決して歌が上手い歌手ではなかったからだ。

「Beginを歌って、やっと声の出し方がわかった。それまでは、どうやって歌ったらいいのか、わからなかった」

彼にとって、JPOP歌手として活動することは、歌手としての原点に戻ることだと思う。

「身体がボロボロになっても、この9年、10年、見れなかった、会えなかった分を全部見せてあげたい」

 

彼は、これから、9年、10年かけて、今までの活動を取り戻す。

JPOP歌手ジェジュンの歩みは、始まったばかりだ。

 

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