今年は、10連休のチュソクだというのに、ジェジュンは、ドラマ撮影終了後、パリへ旅立った。
仕事とは言え、フォトグラファーとしてのデビューになる。
パリから送られてくる画像も映像も、また、彼自身があげるInsta.も今まで経験したことのない新しい世界の中で、彼が楽しんでいる様子が見て取れる。

もともと、独特の構図で場面を切り取るタイプだった。
twitterやInsta.には、彼の隠されたメッセージが忍ばされていることが多く、ファンは画像の隅から隅までを拡大しては、そのメッセージを捜すのが当たり前のようになっている。

そんな構図を楽しむ彼の写真には、彼独特の切り取り方があちこちに見え隠れする。
カメラを片時も手放さず、「新しい趣味」と言い切るフォトグラフの世界は、彼の感性を表現する新しいツールになるだろう。

パリコレのフォトグラファーとして派遣された、という割には、彼があちこちのファッションショーで撮影している様子は見受けられない。

パリに到着した夜、行われた山本耀司氏のファッションショーでは確かに最前列に座ってカメラを構える彼の姿があった。
しかし、その後、連日、行われている多くのデザイナーのショーに彼が参加しているという情報は見られない。
パリコレは、現地時間の3日が最終日だから、彼の担当は山本耀司氏だけだったのかもしれない。

彼がなぜ、山本耀司氏のショーを担当することになったのかの経緯はわからない。
しかし、パリに到着した当日の夜に、ショーに参加し、撮影するというハードなスケジュールをあえて組んでまで、その場に臨んだ成果は、ドリフェス出演という日本活動の第一歩を踏み出そうとしている彼にとっては、十分なメリットがあったと言える。
山本氏が、自身のItwitterの誕生日画像にジェジュンとのツーショットを選んだからだ。
おそらく初対面であったと思われるジェジュンとの画像をわざわざあげるほどのインパクトが世界的なデザイナーの中に残ったのかもしれない。

山本耀司氏は、川久保玲、三宅一生、高田賢三などと共に日本の服飾界を牽引してきた重鎮だ。
1972年にワイズを立ち上げ、その後、パリ・プレタポルテ界に進出した。
フランス芸術文化勲章「シュバリエ」を始め、民間人に与えられる最高位の芸術文化勲章「コマンドゥール」を受賞。また、数々の企業やスポーツチームのユニフォームを手がけ、バイロイトなど世界的な音楽祭においてのオペラの衣装や北野武監督の映画の衣装なども担当する幅広いデザイナーとして有名な存在だ。

コンセプトである黒を基調とした独特のカットデザインは、ジェジュンの嗜好にも合ったかもしれない。
また、ジェジュンの友人である城田優は、今年6月に行われたパリコレで、山本氏のファッションショーにモデルの一人として登場している。
縁もゆかりもないように見えて、実は今後何かあるかもしれないと感じさせる。

韓国のネット番組の企画したという今回のパリコレ撮影は、結果的に、彼に日本との新たな縁を与えたと言えるかもしれない。

フォトグラファーとしてパリコレに参加したジェジュンは、日本のファッション誌にインタビューされ、日本語で答えている。

日本のデザイナーのファッションショーを撮影していなければ、彼は、日本のファッション誌のインタビューを受けることもなかったかもしれないし、こうやって記事になること、活字になることで、彼は、確実に日本で露出していく。

本業だけすればいい、という考えのファンの目には、今回のフォトグラファーとしての仕事も余計な仕事として映るのかもしれない。
しかし、音楽もフォトグラフも個人の感性を要求される仕事であり、どちらもクリエイティブな仕事に違いない。
被写体をどの構図から、どのように切り取って写し取るのか、という感性は、音と言葉という素材から、何を切り取って、曲に作り上げていくのかという感性に通ずるものがある。

感性の鋭い人は、何をさせても独特の世界を構築する。
それは、自己が確立されていなければ、決して構築出来る世界ではなく、自己を確立するには、自分というものをよく知り、受け入れる土壌がなくてはならない。

ドリフェス出演を決めた以降の彼は、まるで別人のように自信に満ち溢れている。
その自信は、彼の言動からもわかるように、自己肯定から来ている。

以前の彼は、自己肯定の発言がなかった。
いつも何かに追われ、何かを背負い、何かに引け目を感じながら、それでも前に進もうとしていた。
しかし、今の彼には、自己肯定感しかない。
ありのままの自分を受け入れ、自分を大切にし、自分の決めた道を進む。
その肯定感が、彼の自信に繋がっているように見える。
そして、その自信の理由の一つに、ドリフェス出演がある事は間違いない。

自己肯定による自信は、彼に新しい世界への挑戦も、新しい出会いも躊躇させない。
今、彼の人生の歯車は、やっと間違いなく前へ回転したと思える。
そして、その先に見えているものは、日本活動、日本社会への復帰、という文字に違いない。

彼が山本耀司氏を選んだのは、偶然だろうか。
それとも彼が選んだのではなく、たまたま韓国の番組スタッフが、彼に日本のデザイナーを割り振ったのだろうか。
もし、割り振ったのであれば、そこには、やはり彼が日本語が堪能である。日本に強固なファン層を持っている、ということが理由の一つにならなかったとは言えないだろう。
それとも全くの偶然から、山本耀司氏のファッションショーを撮影する事になったのであれば、それは逆に、ジェジュンという人のどこまでも日本との縁を感じずにはいられない。
数あるデザイナーの中で、なぜ山本耀司氏でなければならなかったのか、全くの偶然なら、それも彼を日本に結びつけようとする力が働いたとしか言いようがない、それもドリフェス直前のこの時期に・・・。

今回の出会い、少なくともデザイナー山本耀司氏の脳裏には、日本語を堪能に話すジェジュンが焼き付いたはずだ。
そして、日本のファッション界の人間も知ることになる。

そうやって、彼の駒は、日本へと日本へと回転しているように見える。

フォトグラフという新しい世界は、彼にまた一つ、日本との繋がりを与えた。

フォトグラファーとしての仕事は、彼に新しい世界との繋がりを与えた。

そして、彼は、ドリフェス後、私達を新しい世界に連れていくだろう。
それは、この7年、彼のファンとして経験したことのない世界に違いない。

あれほど望んだ日本での復活。

彼の新しい世界の幕開けを心待ちにしている。


パリからの帰国は、10月7日とのこと。
フォトグラファーとしての仕事は、3日で終了だから、その後は、10年ぶりのパリをプライベートで楽しむという感じなのだろう。
芸能人としていつも視線に晒される生活をしている彼にとっては、海外は唯一の息抜きの場所と言えるのかもしれない。
そんな場所にまで追いかけてくるサセンの存在は、粘着性の強い韓国社会の一つの構図のようにも見える。

私は、幼少の頃からの環境にフランス語を話す叔母とフランスのレビューやシャンソンがあったせいか、結局、フランス音楽を専攻した。
フランスの芸術は、文学も絵画も音楽も哲学的で、個人の好き嫌いがハッキリ別れる。
感性として受け入れられない人間には、苦痛でしかない。

フォーレやラベル、プーランクやショーソンという近現代の楽曲のメロディー展開に、クラシックではポピュラーなドイツやイタリア物を歌う友人からは、「到底理解出来ない」とよく言われた。
それでも私には、ドイツやイタリアの音楽の方が苦痛でしかなく、フランスの音楽に触れて、やっと心が解放されたと感じたものだった。
それぐらい、クリエイトな仕事をする人間にとって、感性は、理屈ではない世界になる。
自分の感性に合わないものに触れることほど、苦痛なものはない。

彼がInsta.にあげたモノクロの風景画は、私が幼少の頃に好んだフランスのモノクロの写真集の構図によく似ていて驚いた。
引き込まれるような奥行きのある構図。モノクロは、いつも私の想像力を刺激し、広がりを感じさせる世界だ。

彼は、きっとフランスで新しい自分の感性に出会ったに違いない。

彼の写真を見ながら、そんなことを思った。


前記事の企画にたくさん応募をありがとうございました。
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曲目は複数あげる方が多く、かなりの曲数になると思われます。
結果発表は、しばらくお時間を下さい。
よろしくお願いいたします。