記事が4万文字を越えて、文字数制限がかかり、一度でアップすることが出来ませんでした。
レビューを2回に分けて公開します。
ドリフェスから1週間。
まだ1週間しか経っていないというのに、もうずいぶん前のことだったように感じる。
それぐらい彼の日本再始動の記事のインパクトが大きかったのかもしれない。
もうあちこちでいろんな人が書いているし、公式のレビューも出ているから、今さら、という感がなくもないが、自分の記録ということも含めて書いておきたいと思う。
過去に書いたレビューも引用掲載したあとに、ドリフェスの掲載をするとよく理解して頂けるかもしれないと思い、引用掲載します。
2017年10月26日ドリフェスVocal.Review
1.One Kiss(日本語バージョン)
★過去レビュー(2017年2月日本ツアーにおけるレビュー)
韓国語の歌で耳慣れたこの曲を、彼が日本語で歌えばどのようになる
のか…
そんなことは、今まで一度も想像もしたことがなかった。
しかし、今回、彼が「くちづけ」と歌い始めた時、私は、身体中がザワっと身震いしたのを覚えている。
彼の歌声は、日本語になっても力強かった。しかし力強い歌声の中に優しさが溢れていた。
韓国語に比べて言葉数が少ない日本語は、一音に一文字がつき、表現が非常に難しい。
特にこの曲は言葉数が非常に少ない為に、彼は、韓国語に比べて、各音節をゆっくりと歌っている感覚になったかもしれない。
それだけに上手く言葉を処理しないと、ひらがなが一文字ずつバラバラになり、何を歌っているのかわからない、という状況にもなりやすい曲だ。
でも彼は、言葉の処理が見事だった。
平坦な日本語の音節を緩急のリズムをつけて、歌っていた。それゆえ日本語の言葉が明確に伝わった。
韓国語に比べて違うと感じたのは、その音色だ。
やはり日本語を歌うときは、彼の歌声は、濃厚な響きを奏でる。この曲の全体を構成するメロディーラインはそれほど高い音域ではないため、全体の印象は、太く濃厚な響きを感じた。しかし、濃厚な響きだけではなく、日本語特有の優しい発音が彼の歌声の中に感じることが出来た。
この響きが、彼の歌声のベースを作るもので、ここから派生して、透明感のある音色や甘い響きの音色になる。
力強い中でも、韓国語と違って直線的な音色を感じられないのと、ハスキーな音色が少ないのが、日本語を歌うときの彼の特徴でもある。
それは、きっと日本語の発音に関しては、鼻腔に共鳴させる母音で言葉が構成されているからであって、韓国語においては、鼻腔だけでなく、喉の奥を使う発音があるために共鳴ポジションを喉に落とすためと考えられる。
日本語の「One Kiss」は、力強い歌声の中にも、彼の優しさが溢れた歌声になっている。
ここでも「守ってあげる」の時と同じように歌詞は、間接的でありながら、直線的な歌声の韓国バージョンに対し、日本バージョンは、直接的な強い表現の歌詞でありながら、甘く柔かな発声になっている。
彼が今回、日本語で歌ったことに寄って、言語による彼の歌声の変化を聴き比べることが出来る。
彼の日本語の歌声は、どこまでも優しさに溢れている。
それが、日本語の曲を切望する最大の原因と言えるだろう。
★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)
今回、この曲のイントロを聴いた瞬間、「ああ、やっぱりこの曲から来たのか」とファンは納得したと思う。
しかし、初めて彼の歌を聴く多くの若い世代には、どう映っただろう。そして、多くの業界関係者。かつての彼の歌声、即ちJPOPを歌っていた頃の彼の歌声に馴染んでいた人達。
そういう人達が彼の抱いていたかつての亡霊を、この曲は、1曲で打ち破り、初めて彼を知る世代には、ソロ歌手ジェジュンの姿以外の何者の印象も与えなかったはずだ。
One Kissは、彼のロックの代表曲のように言われるが、実は派手なパフォーマンスも高温のシャウト音もほとんどない。
重厚なハーモニーを奏でるイントロが、その音楽のすべてを物語っている。
歌を支える力強くBGMは、その何層にも重ねられた音に負けないだけの力強い歌声を歌手に求めるのだ。
この曲のイントロは、何度聴いても素晴らしい。当時、この曲の作者、キム・パダ氏が、イメージ通りの音を求めて何度も録音し直したというほど、この曲のイントロの音に込められた音楽性は、その場所にいるすべてのものを圧倒し、席巻する。
それだけの重厚な音で始まったあとの彼の歌声は、その音の重厚感に負けないだけの充実感を要求されるものだ。
ドリフェスの彼の第一声を聴いた時、正直、私は、非常に不安になった。
なぜなら、彼が非常に緊張しているのがわかったからだ。
彼が日本語で歌うのかどうか、聞き入ったファンも多かったかもしれないが、私は彼が日本語で歌うことに疑いも持たなかった。なぜなら、彼は常日頃から、「日本では日本語で歌いたい」と言っていたからだ。
重厚なイントロに負けないだけの中音から始まる充実した響きの第一声だった。
但し、いつもの彼の歌声に比べると、力で押しているのが気になった。
丁寧に日本語を伝えようとするのは、初めて歌った日本ツアーの時よりも一層顕著だった。
彼は、この曲で、今までの日本での自分のイメージを払拭したかったに違いない。
今まで彼に与えられてきたポジションは、あくまでもグループの中のメインヴォーカルという位置でしかなかった。
これからは、どんな時も一人で歌う。
ソロ歌手としてのスタートだ。
丁寧で明確な日本語は、重厚なハーモニーに負けないだけの強さを持っていた。
音にかき消されることなく、きちんと歌詞が立った歌い方だった。
それだけでも、初めて彼の歌声を聴いた人達は、彼が単なる韓流歌手ではない、ということを一瞬で知っただろう。
彼の癖のない日本語は、彼が韓国人であることを忘れさせる。
そして、韓国人歌手にありがちなハスキーさが勝った声は、この曲のどこにも現れない。
彼の持ち味である濃厚な中・低音域でメロディーは展開する。
艶のある彼の響きが多くの人達の耳に届いただろう。
2.MINE
★過去レビュー(2012年1月アルバム「I」発売時)
MINE を聞いた。
ONE KISS も MINE も ロックナンバーだという。
ミニアルバムの発売が発表されたとき、彼は、どうしてロックを選んだんだろうかと思った。
確かにジェジュンという歌手は、どんな分野も歌える。
でもJPOPに慣らされた私の耳には、彼の歌うバラードが一番心地よい。
MAZEを聞いた時の良い意味での裏切り感は、THANKSでの彼のI have nothingを思い起こさせる。
彼の歌唱力は、どこまでも伸びる。
そう確信した一瞬だった。
それは、歌手キム・ジェジュンの限りない可能性を感じた瞬間でもあった。
あれから2年半。
堂々とソロ歌手として戻ってきた彼が最初に選んだ分野はロックだった。
何度も聞いた。
そして、これはロックなのか…と思った。
それぐらい、彼の美しい声は健在だった。
どんな曲を歌っても、どんな激しい発声をしても
彼の根底に流れる美しい声は壊れる事を知らない。
2年半のブランクを経て、堂々とソロ歌手として戻ってきた彼を支えるのは、やはり徹底的に鍛えられた基礎発声だと感じた。
東方神起として歌い始めた初期の頃に大きな決断をして発声方法を変更した彼。
その選択は、やはり正しかったのだと感じた。
正しい発声は、どんな分野のどんな歌い方をしても歌手を支える。
ドラマや映画、そしてJYJ活動で満足に歌えない時期を経ても尚、血の滲むような努力をして一旦身につけた発声は、歌手を決して裏切らないのだということを彼の今回の曲を聴いてあらためて思った。
彼がロックを選んだこと。
それは、きっと彼のソロ歌手としての試みの始まりなのだろうと思う。
これから進化するキム・ジェジュンという歌手の始まりの一歩に過ぎない。
キム・ジェジュンの歌手としての実力の高さをまざまざと実感した。
何も言葉はいらない。
キム・ジェジュンという歌手が作り出す世界に多くの人がとらわれていく。
そんな現象を日本で見たいと思った。
ジェジュンは、ロックを選んで良かったと思う。
★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)
この曲は、One Kissと並んで、彼が自作曲の中で最も好きな曲なのだと感じる。
彼は、この曲を必ずコンサートで歌う。
この曲の歌詞に彼の強い意思の象徴とも言える心が凝縮されている。
この曲は、彼が日本音楽界で、ソロ歌手として誕生するのに不可欠な曲だ。
彼は、この曲を慣れた韓国語で歌った。
今回のドリフェスのセトリに対する私の関心の一つに、彼はすべての曲を日本語で歌うだろうか、というのがあった。
ドリフェスが決まる直前から、ドラマの収録に入っていたと思える。
ドラマ撮影中は、とても音楽の事など考える余裕はなかったと思われるから、それ以前に彼が自作曲にどれぐらい日本語歌詞をつけているかが、私の興味の一つだった。
いつも感じるのは、彼が歌手としての仕事に集中する時間が少ないことだ。
芸能人としての仕事に忙殺されて、じっくりと音楽に向き合う時間が少ないことがCjesに入ったからの私の不満だった。
アルバム「WWW」も「No.X」も、じっくり時間をかけて作ったとは、到底言えない。
いつも時間に追われ、ドラマとの掛け持ちの中で、アルバムに収録する自作曲に取り組んだり、録音作業を行なっている。
音楽事務所でないCjesには、およそ歌手という職業に対する尊厳も歌手そのものを大切にするという感覚も最初から欠損していると言える。
そんな中で、彼が自分自身でスケジュールを管理しながら、取り組んできた2枚のアルバムだ。
「毎日、音楽の作業に取り組む、ということに慣れた」
彼は、除隊後にこう発言していた。
何も予定がなくても音楽の作業に取り組む。
作詞や作曲というイマジネーションを必要とする仕事は、精神的にゆとりがなければ、いいものを作ることは出来ない。
そういう時間的余裕が彼の中に果たしてあっただろうか、と思っていた。
日本語に如何に堪能であっても、それを歌うということは、また別の次元の話になる。
「いずれ僕の曲は、全部日本語の歌詞にします」
ツアーでそのように彼は話したが、歌詞をつけることと歌って自分のものにすることとは全く別なのだということを、アンコールツアーのたまアリでのステージで、私は感じたし、それは彼自身が最も感じていたと思われる。
たまアリのステージで披露された「Love you more」と「守ってあげる」の日本語歌詞による歌は、どうしても準備不足、歌いこみ不足というものを感じさせないわけにはいかなかった。
それは、彼自身が、「やっぱり時間が足りなくてうまく行かなかった」と話しているように、最初から予定されていた「One Kiss」「Good morning night」「Just another girl」に比べると明白だと言える。
それなら馴染みのある韓国語で歌った方がいいに決まっているのだ。
彼は、セトリの2曲目に「MINE」を持ってきた。
「One Kiss」で自分のカラーをしっかりと提示し、さらに「MINE」でパフォーマンスを披露した。
自分以外のファンが多くいる場所では、一気に自分の世界に引き込んで行く必要がある。
そういう点では、インパクトがあり、強いメッセージ性を持つこの曲は、うってつけだったと言える。
「MINE」は、非常に歌い込まれた曲で、どんなに緊張しても破綻しない。
この曲も彼は、力強い歌声でいつもより押し気味に歌っていた。
それが、少し私には、不安を感じさせるものだったと言える。
3.RUN AWAY
★過去レビュー(2016年2月「No.X」発売時におけるレビュー)
霧の中に彼の歌声だけが響いている。姿は見えない。澄んだ透明感溢れる歌声。やがて霧の晴れ間に、遠くから歩いてくる彼の姿が見える……
そんな印象を抱いた曲の始まりだった。
この曲は、彼が今まで歌ってきたどの曲とも大きく異なる。
ビブラートの全くない、あたかも別人のような歌声と直線的な歌い方。
この曲の何処にも、今までのジェジュンという歌手の面影すらない。
彼の曲として、初めてこの曲を聴いた人は、ジェジュンという歌手を私達とは全く違った印象で捉えるだろう。
ジェジュンという歌手の特徴的な歌声。即ち、ビブラートや濃厚な響き、そういうものを全く消し去った別人の歌声だからだ。
ここまで彼が、自分の歌声をコントロール出来るとは思わなかった。
彼は、この歌声を一体どうやって作り出したのだろうと思った。そしてやってみた、自分の声で。
彼は元々ビブラートを持った声だ。ビブラートを持った声の人が、ビブラートを消し去って直線的な声で歌う為には、かなり慎重に声をコントロールする必要がある。
直線的な声を出す為には、腹筋に力をいれて横隔膜が上下しないように下に固定し、声を出す時には腹筋と背筋に力を入れて歌わなければビブラートを消し去った声を出し続けることは出来ない。意識して骨盤から腰骨にかけて力を入れて下半身を固定し、上半身をそこにしっかりと乗せる姿勢で歌うことによって、ビブラートを消し去った声を出すことが出来る。
1曲全てをその声で歌う為には、慎重にその状態を続けなければならない。短いセンテンスや歌の一部分を直線的な声で歌うのであれば、その場その場で、今書いたような身体の状態を作り出せば、ビブラートを消した声で歌うことは可能だ。しかし、1曲全部を通して歌おうと思えば、きちんとその声を自分の声として消化し、身につけたものでなければ難しい。
彼はアルバムの最後の曲にいつもメッセージを込める。どの曲もそれぞれにメッセージ性の高い歌詞であることに変わりはない。
「All alone」といい、「Paradise」といい、どちらも彼の心情を込めた非常にメッセージ性の高いものになっている。そして、それらの曲を歌うときは、必ず、彼は本来の声の特徴を消し去る。
この「Run Away」にも同じことを感じる。
一つの世界が終わり、新しい世界を自分と一緒に始めよう、と言っているように私には思えた。
「新しい世界の始まり」
この曲を彼の新しい声で歌うことで彼の心境の変化と除隊後の決意を私達に示したかったのではないだろうか。
★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)
MINEの激しいパフォーマンスの後に、一転、彼はこの曲を歌った。
元々のセトリでは、「MINE」のあとは、「All That Glitters」を歌うはずだった。
それが、MCが長かった為に割愛され、「Run Away」になった。
彼は、この曲をセンターステージに出てきて歌った。
何のMCも挟まず、いきなりこの曲が始まった時、会場はまだ、MINEのパフォーマンスの余韻が残っていた。
MINEとこの曲とでは、余りにも世界が違う。
本来なら、インターバルが欲しいところだが、そうも行かなかった。
また、この曲のイントロは非常に短い。
彼は、会場の喧騒を全く気にせず、この曲の世界に一人入っていったのがわかった。
こういうときの彼の集中力は見事だと思う。
彼の歌声は、MINEの力強い歌声とは全く異なるものだった。
MINEが「動」なら、RUN AWAY は「静」だ。
彼の歌声が、会場を一瞬にして、会場を「静」の世界に引きずり込むのがわかった。
歌手は集中力だ。
如何に空気感に惑わされず、その場のその瞬間の自分の世界に集中出来るかにかかっている。
集中できたなら、自分の歌の世界に聴衆を一気に連れていくことが可能だ。
彼の切り替えは見事だった。
ただ、彼の歌声が、少しハスキーで、声帯のくっつきが悪いのが気になった。
声の伸びがいつもに比べれば、固く、響きの明度が暗かった。
それが、私の懸念になった。
4.化粧
★過去レビュー(2013年横アリミニコンサートでのレビュー)
「化粧」は、言葉数がとても多い歌です。
日本語の歌を歌う時、もっとも苦労するのは、日本語が歌に適さない言語だからです。
多くの言語が、一つの音に一つの言葉が割り振られるのに対し、日本語は、一つの音に一つの文字が割り振られます。すなわち日本語の単語がバラバラになって音符に割り振られていきます。
これが、日本語が音楽に適さない言語と言われる理由です。
一つの単語がバラバラに割り振られるために、言葉のイントネーションを理解し、強弱を持って処理していかなければ、観客は、一体何を歌っているのか全く理解することが出来ません。そういう言葉の処理をするためには、日本語を十分に理解し、伝える能力が要求されます。これは、日本人でも高い能力を要求されます。
彼の歌った「化粧」には、ストーリー性のある歌詞がつけられていました。その為に、単に言葉を処理するだけではなく、観客にイメージを具体化出来るように歌う必要がありました。
言葉のイントネーションを正確に伝えながら歌うことは、とても難しく、言葉をどのように処理して発音するかが、一番のキーポイントになります。
日本人でも難しいとされる「中島みゆき」の歌を彼が歌うこと。
その世界をネイティブでもないあ彼が高いレベルで表現したこと。それもピアノだけの伴奏に乗せて切々と歌い上げることの能力の高さに専門家として深く感銘を受けました。本当に彼が歌手として優れた力量の持ち主なのだという事を再確認したのです。
彼の日本語の表現力は、群を抜いていると思います。
彼の歌う「化粧」の曲を聞いて、とても外国人が歌っているとは思えなかったです。おそらく彼の歌だけを聴かせれば、多くの日本人が、当然日本の若い歌手が歌っていると思うでしょう。それぐらい、彼の日本語を歌う能力は、ネイティブを超えています。ことば一つ一つのニュアンスを理解し、処理する能力に長けているのです。
彼の日本語の能力がここまで高いとは想像できませんでした。
この曲を聞いて、私は、彼のファンということを離れて、本当に一人の日本人として、彼に日本の歌をたくさん歌って欲しいと思いました。
きっとどんな曲でも彼の色に染め上げてくる。
もっともっと多くの日本の楽曲を彼に歌って貰いたい。
「ジェジュン」という歌手が、日本の歌をどのように表現するのか、多くの日本人に聴かせたいのです。
★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)
この曲のレビューは、前記事で既にあげました。
ここでは、当日、感じた率直な印象を書きます。
セトリにこの曲が組まれているのを知ったのは、本番の前日だった。
実は、それを知った時、少し違和感を持った。違和感というよりは、懸念。
それは、今回のセトリが、「守ってあげる」を除いて、すべてROCKジャンルだったからだ。
確かに「All That Glitters」も「RUN AWAY」もROCKとは言えない。しかし、KPOPの強いメッセージ性のある曲に対して、「化粧」は余りにも雰囲気が違うと感じた。
おそらく躍動感溢れるパフォーマンスを披露しているステージの中で、いきなりこの曲を歌うことが、会場の雰囲気にそぐわないのではないのか、という懸念を感じていた。
しかし、当日、私の懸念は一瞬で払拭されたと言ってもいいだろう。
確かに「化粧」は会場の雰囲気に合わなかった。
彼の歌が始まった時、どうして彼は、この曲を選んだのだろう、と感じた。
私の席は、センターステージのすぐ脇前方。周囲は、ほとんどがジェネレーションズの若いファンで占められていて、皆、彼の歌を着席して聴いていたのだ。即ち、傍観していた。
歌い始めた当初、ざわつきさえ感じる客席の中で、彼は誰よりもアウェー感を味わっていたかもしれない。
しかし、彼は強かった。
そういう客席の雰囲気を一切構わなかった。
客席の雰囲気にそぐわなくても構わない。自分の音楽の世界を提示するだけだ。
そういう強い意思を感じた。
この曲は、ソロ歌手として日本でデビューするのに絶対に外せない曲だ、という彼の強い決意の現れを感じた。
そして、彼は、この曲を歌うことを日本人の誰よりも自信を持っている。
そう感じさせる歌だった。
この曲をほとんど知らない若い世代が、彼の歌に聞き入っていた。
会場はシーンと静かになり、彼の歌声だけが響いていく。
ゆったりと歌う彼の明確な日本語が、聴衆の心を掴み取る手応えを感じた。
5.Good Morning Night(日本語バージョン)
★過去レビュー(2017年2月日本ツアー時におけるレビュー)
彼は、2013年の横浜アリーナで披露したB’zの「ultra soul」でのファンとの掛け合いをとても気に入っていた。だから、自分の曲で、ファンとの掛け合いが出来て盛り上がれる曲を作ったのだろう。
彼の思惑通り、この曲は、「NO.X」の中でも唯一、ファンと一体感を感じられる曲の作りになっている。
彼は、ファンと一緒に盛り上がるのがとても好きだ。
コンサートでは、必ずファンに語りかけ、ファンとの掛け合いで歌いたがる。
しかし、韓国語では、どんなに盛り上がっても、日本では盛り上がれない。それは、韓国語の歌詞だからだ。それほど、言語の壁は、音楽の前にも大きく立ちはだかる。
彼が日本語を付けたことで、本当の意味で盛り上がることが出来る曲になった。
サビの部分を「もう1回」「もう1回」とねだられるのも、この曲を作った時から折り込み済みだっただろう。
日本語で歌う彼の歌声は、7年前に聞いたミニアルバム「The…」の中の「Get Ready」の明るかった歌声を思い出させた。
日本語だと彼の声は、記憶の中にあるあの頃の歌声に戻る。
どんな曲を歌っても、彼が日本語で歌う限り、あの頃の彼の歌声だ。
JPOPを歌いこなすために作り上げた歌声。
日本人の好む色合いの歌声。
どんなに作ろうとしても誰にでも出来るものではない。
彼の歌声だから、JPOPに合う色調になったのだ。
その声にするために、陰でどれだけの鍛錬と苦労をしたのか…彼は決して見せない。
日本語を維持するために、彼がこの7年間にしてきた努力は、JPOPを歌う声を失わない為でもあった。
彼の歌声は、日本語の歌で蘇る。
失われた声を取り戻すのは、彼自身だ。
彼の歌詞によって、彼の歌声はもう一度、日本の表舞台に登場するだろう。
その日を心から待ち望んでいる。
★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)
化粧で、聴衆の心を自分の方にたぐり寄せた手応えを感じた彼は、この曲で一気に責めにかかった。
知らない曲で、聴衆に掛け合いをさせるのは難しい。
ジェジュンの前に歌った三浦大知は、みんなで盛り上がる為に、曲の説明を十分に行なった。即ち、どこで掛け合いをするのか……。
しかし、ジェジュンは一切説明しなかった。
しなくても、このアップテンポで単純な曲は、誰でもすぐに飲み込める。
繰り返されるメロディーと言葉は、誰もがすぐに理解出来るものだ。
アップテンポのイントロが始まった瞬間には、多くの聴衆が立ち上がっていた。
彼はとても楽しそうだった。
彼自身がハイテンションになり、最もノリノリで歌った。
ステージの端から端までをくまなく走り回り、そして何度もサビを繰り返した。まるで、それが元々の楽曲に組み込まれているかのように。
スピーディーなステージを披露した。
この曲を歌った時に彼の緊張は、解きほぐされたと言えるだろう。
全身に汗をかき、身体が温まったのも良かったのだと思う。
残り2曲の声の調子は、私の懸念を吹き飛ばしていた。
6.Just Another Girl(日本語バージョン)
実は、私はこの曲と「Love you more」の2曲の日本語バージョンのレビューを書きそびれたままになっている。
歌詞レビューと音楽レビューの2種類を上げなければならないのに、書いていないのだ。
理由の一つに、2月のツアー当初、この2曲の日本語歌詞が明確に伝わらなかった。
とくに「Love you more」のラップ部分は、低音で彼の言葉が聞き取りにくかったせいもある。
そんなこんなで現在まで書けていなかった。
それで、今回、音楽レビューだけ、先にここに書こうと思う。後日、時間を見つけて、必ず2つの曲の歌詞レビューと音楽レビューは公開します。
★音楽レビュー
ジェジュンは、日本ツアーで、自分の2枚のフルアルバムと1枚のミニアルバムの中から、最低1曲ずつは、日本語の歌詞をつけた。
どのアルバムからも1曲は日本語歌詞をつけることで、どのアルバムも日本語バージョンにする、という明確な意思を見せたように思う。
即ち、彼にとっては、どのアルバムに含まれる曲も、韓国語のままでいいと思う曲は、ないのだということを示したかったのかもしれない。
「Just Another Girl」は、「WWW」のタイトル曲で唯一MVが公開されている曲でもある。
強いメッセージ性を伴い、今までの彼の歌のイメージを打ち破り、ROCKを本格的に選んだということを示す曲でもある。
その曲を日本語で歌った。
日本語は、何度も書くように非常に音楽に向かない言語と言える。
緩急や強弱のない平坦な言葉は、スピーディーな曲に不向きで、言葉の処理が難しい。
彼は、この曲の日本語歌詞を言葉数少なく仕上げた。
ということは、歌い方によっては、言葉が一音に一文字付くことになり、非常に間延びした音楽になる危険性を孕んでいる。
しかし、彼は、その数の少ない言葉を見事に処理している。
非常に力強く濃厚な響きに乗せて、明解な日本語で歌っている。
えてして、低音部の響きというのは、抜けやすいものだが、彼の場合は、しっかりと響きを保ち続ける為に、言葉が非常に立っている。
また、日本人でも響きが抜けやすく、何の言葉がわかりにくい「H」音で始まる言葉
「はき違えてる」「2人で過ごした部屋も」「…必要ないから」「振り返らないよ」「振り回されないから」
これらの言葉を非常に明確に歌っているのが印象的だった。
彼の日本語は、非常に明確で、癖が全くない。
これが、何も知らない人が聴いた時、「日本の若い歌手が歌っているのだと思った」と言われる所以だろう。
★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)
この曲の第一声を聴いた時、
ああ、歌い込んできたんだな、と思った。
それは、2月のツアーで聴いた日本語とは比べ物にならないぐらい、こなれた印象を持ったからだ。
確実に自分のものにしている。
そう感じた。
力強い歌声は、バンドの音量の響きにかき消されることはなく確かに存在していた。
この曲の音域は、彼の最も楽な中・低音域が大半を占め、非常に彼としては、歌いやすい音域になっている。その為、力で押さなくても、響きだけで歌うことが可能な音域とも言える。
しかし、響きだけで処理をしようとすると、言葉の明確さを欠いて、日本語が流れてしまう。その為、彼は、この歌を歌う時には、言葉一つ一つのエッジを立てて歌っている。
前曲で、十分に温まった声帯だが、いつもに比べると艷やかさが少し欠けているように感じた。
これは、この日の歌唱全般に言えることで、その理由と原因については、最後の総括に書くことにする。
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