7.守ってあげる(日本語バージョン)

★過去レビュー(2017年2月日本ツアーさいたまアリーナでの歌唱についてのレビュー)

この曲の彼の歌声を聴いた瞬間、私は7年ぶりにJPOP歌手ジェジュンの歌声に再び会えた。

7年前、私の心を鷲掴みにし、「君に会いたかったよ~」と歌っていた、あの細く澄んだ綺麗な声の持ち主にやっと再会出来たと思った。

この歌声を取り戻すのに、実に7年もかかったのだ。

 

彼は、今回、この曲を全部歌っていない。1番のサビ部分と2番、そして最後のエンディング部分を歌った。

よって、歌い出しを聞いていないことになる。

正直な気持ち、全般を彼の歌唱だけで、一度通して聞きたかった。

定評のある歌い出しからの日本語の「守ってあげる」を是非聞いてみたいと思うが、それは、また、次の機会のお楽しみにおいておくことが出来る。

もう二度と彼の歌声を失うということはないと確信したからだ。

 

 

サビ部分は、彼の透明でクリアな響きの声が綺麗な弧を描いて歌われる。

アカペラで披露されたその声は、静寂の中に、ピンと張った一本の糸のように響き渡り、見事だった。

 

ああ、この声が聞きたかったのだと思った。

 

歌詞だけがインスタで発表された今回の日本語の「守ってあげる」は、言葉数が多く、何も考えずにメロディーに当てはめようとすると、あちこちの部分で字余りの現象を起こす。

私も何も考えずにただ歌詞の言葉だけを当てはめて歌うと、確かに字余りになる。

しかし、彼の歌う韓国語の歌詞を聴きながら、その言葉振りに日本語の歌詞を当てはめて歌うと、字余りにならずに綺麗に当てはめて歌う事が出来る。

彼は、日本語の単語の割り振りを、耳慣れた韓国語の割り振りに綺麗に当てはめて歌えるように作っていた。

見事だと思った。

「忘れないで」は、彼が書いた日本語の歌詞だが、アドバイザーがついていた。

しかし、cjesには音楽プロデューサーもいなければ、日本語が堪能なスタッフもいない。

「守ってあげる」は、純粋に彼だけの日本語力で作った歌詞だ。

 

彼はどれほど日本語を勉強したのだろうと思った。

語学は話す能力と読み書きする能力が必ずしも一致しない。話すことは出来ても読み書きは出来ないという人も多い。

読み書きをするには、きちんと勉強する必要がある。

彼の日本語の語彙数は、外国人の枠を超えたものがある。それも日本で暮らしていないにも関わらずだ。

 

 

韓国語の「守ってあげる」と日本語の「守ってあげる」には大きな違いがある。

 

 

「守ってあげる」(赤字が日本語歌詞)

 

目を開けても 君のこと見つめられない

今はもう 君を見れない

疲れた思い出に曇った君の心を 僕は探せない

霞む思い出に 君が埋もれていく

とても泣いて疲れて これ以上できない

さよなら 告げようとしても

考えても 君に会ったら 大丈夫になりそうだ

君に会えばまた、愛しくなる

 

守ってあげたい

守りたいよ

君の間違ってる悪い癖までも

君の悪いクセもすべてが

辛い僕を笑わせてくれるんだ

僕を笑顔にさせる

少し辛いだろうけど

もどかしいけど

君を愛してると言うよ

いつまでも愛してるよ

先に僕の胸に来る日まで

僕のもとにおいでよ

 

笑えない 笑っても覚えられない

笑っても 覚えていない

今日一日も 夢みたいに目を開けると消えるようだ

まるで夢のように 目覚めれば消えそうで

君に会っても そばにいないみたいだ

隣にいても 孤独さ

表情が下手みたいだ 君を愛するには

ぎこちなくなるよ この思いは

 

守ってあげたい

守りたいよ

君の間違ってる悪い癖までも

君の悪いクセもすべてが

辛い僕を笑わせてくれるんだ

僕を笑顔にさせる

少し大変だろうけど

もどかしけど

君を愛してると言うよ

いつまでも愛してるよ

先に僕の胸に来る日まで

僕のもとにおいでよ

 

もしかして他のぬくもりを探して

もしかして誰かの

僕から去って幸せになるというの?

温もり求めてるの?

だけど君を放せないよ baby

喜べないよ baby

死ぬよりもっと痛むだろうに

胸が張りさけそう

 

僕が君を愛してる

愛してるよ

他の誰でもなく 君の前にいるじゃない

他の誰にも渡したくない

僕が君の手をとっているじゃない

この手は離さないよ

誰かの胸にあげられなくて

君の前では

無理に笑っているじゃない

なぜだろう 無理に笑ってる

手放せない気持ちを どうして

まだ 素直になれなくて

 

 

比較対象しやすいように、韓国語の和訳歌詞の下に日本語の歌詞を並べてみた。

こうすると一目瞭然、韓国語の歌詞よりも日本語の歌詞の方が、より一歩、自発的な気持ちになっていることがわかる。

韓国語の場合、自分の気持ちを遠慮がちに表現しているのに対し、日本語歌詞においては、能動的で意思がハッキリしたストレートな表現の単語を使っている。

書き手の心境の変化が、言葉の選択に歴然と現れた形になっている。

 

「守ってあげる」が書かれた2011年は、6月に領国があり、11月にひたちなかのJYJコンサートのあった年だ。

日活を打ち切られて、彼自身、まだ絶対に活動再開が出来ると確信していた頃。外圧によって日活が出来ないと信じていた頃のことだ。

この歌詞が書かれたのは、「ボスを守れ」で初めて韓国ドラマに出演した時。他メンが当然のようにソロ活動を活発にする中、最後までJYJに拘り、ソロ活動を頑なにしてこなかった彼が、ドラマでもいいからファンに自分の姿を見せることに気持ちの舵を切った作品でもある。

自分を前に出すことが一般的な韓国社会において、いつも少し消極的で自信なさげな彼らしい一面が現れた歌詞とも言える。

あれから6年。その間の彼の歌手としての道のりは、筆舌に尽くしがたい。

外圧だと思っていたものが、実はそうでなかったという事実を自分の中で消化し、前に進むのに、どれだけのものを呑み込んできたのだろうかと思う。

両親の高齢を理由に、現役の軍隊を辞退する方法はいくつもあったにも関わらず、彼は既存社会との繋がりを断ち切るかのように現役で入隊し、自分を極限まで追い込み、今までの価値観や人間関係を払拭できる場所に自分を置いた。

その経験のあとで、作詞したのが日本語歌詞になる。

韓国語の歌詞内容を翻訳するに留まらず、言葉の選択において、微妙にニュアンスを変えてきている。

日本語の「守ってあげる」は、「守りたい」という言葉に変わり、彼のより一層強い明確な意思が反映された歌詞になっている。

それは、特に最後の音節に組み込まれている。

 

愛してるよ

他の誰にも渡したくない

この手は離さないよ

 

この音節に彼の強い意思を感じる。

 

 

歌詞の変化の検証をしたあとに歌い方の検証をしてみると面白いことがわかる。

それは、同じ曲でありながら、言語の違いによって、受ける印象が大きく異なるからだ。

どちらかと言えば消極的な韓国語の「守ってあげる」の歌声には、歌詞の内容とは正反対な直線的な強さを感じる。

サビの高音部はもちろんのこと、中・低音部においても、直線的で突き抜けるような強さがある。

歌詞の中の言葉はそれほどに強くなくても、歌声は、韓国的で直線的だ。

それに比べ、言葉に明確な意思が反映されている日本語の「守ってあげる」は、反対にどこまでも繊細で優しい音色の歌声が用いられる。

これは、二つの言語を完全に彼が歌い分けているテクニックによる。

 

 

韓国語の発音は、子音を強く立てて発音する単語が多く、明確な発音を求められることばが多い。その言語に適した声質は、シャープで直線的な声質だ。

また、二重母音で伸ばす部分も多く、正確な発音で歌うためには、直線的な力強い声で歌うことが要求される。よって、彼が韓国語で歌う場合、その特徴であるビブラートは、影を潜め、その反動として、直線的で色味の濃い声になる。全体の音域を濃厚な色の歌声が支配する。

それに比べて、日本語には、ことばの強弱や緩急がなく、平坦な発音のことばが多い。母音は、あ、い、う、え、おの単純な5つの母音しかなく、他の言語のように複合母音などを持たない。そのため、言葉の発音は単純になる。子音だけの発音がなく、必ず子音と5つの母音の組み合わせによって構成される。

全体に子音を意識して発音しなければ、曖昧で流れやすい。そのような日本語に適した声質は、ソフトでいて、綺麗な繊細な響きを持つ曲線的な声になる。

 

彼は、その日本語の特質に合った声質をしていると言える。

「日本で得た声が自分の本当の声なのかとも思うし、

 

今回、披露されたアカペラのサビの部分を含む日本語の「守ってあげる」には、彼がかつてJPOP歌手として身につけていた歌手としての実力を余すところなく発揮してきている。

何年もJPOPの曲を歌っていなくとも、普段、韓国語の歌しか歌っていなくとも、いざ、日本語の歌詞を目の前にすると、彼の中にあるJPOPへのスイッチが入り、JPOP歌手へと切り替わるのだろう。

「若い頃、最も多く活動した国」というほど、彼の中には、JPOPを歌った記憶が刻み込まれている。

それは、心だけでなく、身体の中にも深く刻み込まれ、日本語の歌を歌う時には、自然と身体がそのように反応するのだということを、今回の「守ってあげる」で彼は私達に証明したかのように思える。

 

かつて、彼が作詞した「忘れないで」は、日本ファンの宝物だった。

今、「守ってあげる」が宝物になった。

この曲を歌う彼の歌声が、日本中に鳴り響くことを心から願っている。

 

JPOPの歌手は、日本語の特質に適した発声と声質を持つ歌手が多い。

直線的な声質の歌手は少なく、多くの歌手は、自分だけの声の色を持つ人が多い。

これは、演歌やポップス、ロックなどのジャンルに関わらず、概してそのような特質を持つ歌手が多いと言える。

それは、日本語の特質から来るものとも言える。

 

ジェジュンの声質は、韓国人には珍しくソフトな響きを持つ。

しかし、これは、何度も書くように、彼の地声ではない。

韓国でデビューした1年間、彼の歌声は、今とは全く異なる。

細く直線的な高音部と少し鼻にかかった中・低音部を持つ歌声だった。

その声は、韓国人歌手としては、パンチが足らず、インパクトのない声の持ち主だったと言える。

しかし、彼の歌声は、日本語との出会いによって大きく変わって行く事になる。

 

彼の歌声の変化が始まったのは、「Begin」だ。

この曲のサビの部分、即ち、彼が歌う部分は、歌詞に母音のあ音、お音が多用され、そのメロディーは、ロングボイスで構成されている。

その為、彼はいやがおうにも喉の奧を広く開け、共鳴腔を大きくして響きを鼻腔に集めなければならなかった。そうやって彼の歌声のポジションは、今まで歌っていたポジションよりも随分高い位置に引き上げられることになった。

これが、却って彼の歌声を大きく転換させるきっかけになったと言える。

高いポジションで歌うために、歌声に普段よりも意識して息(ブレス)を混ぜて歌わなければ柔らかく声を出す事が出来なかった。

その為、彼は歌声に極力、多くの息を混ぜて歌うことになる。息を混ぜると歌声は角が取れて曲線的な響きになり、柔らかい声質に変わる。

そうやって歌うポジションを上げなければ、高音部のサビを地声で歌うことは出来なかったのだ。

彼は、この曲で地声にブレスを混ぜて柔らかい声に歌うということを覚えた。

後に彼が、「それまで歌う時の声の出し方が今一つわかっていなかったが、Beginで声の出し方がわかった。また、キーの高さが自分にとってはちょうど出しやすい高さだった」と話すように、この曲のキーポジションが彼の地声の音域にピタリと当てはまっていたことによって、喉の奥を開けて鼻腔に響きを当てるという歌い方を習得するのにちょうどよい曲だったとも言える。

柔らかな発声になった彼の歌声は、それまでの直線的な響きから、綺麗な曲線的な響きの片りんを見せる事になった。

その甘い響きの片りんは、非常に魅力的なものだったのかもしれない。

彼の歌声の中に、鍛えれば、日本人好みの歌声に変えることが出来るという可能性を示したのも確かな事だった。

その後、彼の歌声は、1年半という期間をかけて、日本人好みの「ソフトで甘く綺麗な響き」を持つ声へと作り変えられていく。

この「甘くソフトな響きの声」に作り変えていくことは、日本語の発音に最も適した声質に作り変えていく事でもあった。

 

元々、彼の歌声は、中・低音域において、甘く鼻にかかった響きを持つ歌声だった。また、高音部はファルセットで抜いてしか歌うことの出来ない芯のない頼りない声だった。

殆ど発声の基礎訓練をしてこなかった歌声は、素直で癖のない発声のテクニックしか持たず、それは言いかえれば、殆ど誰の手も加えられていない原石の声とも言えた。

それが、彼の歌手として最も幸運なことだったかもしれない。

概して、小さい頃から歌を得意として、歌いこんできてる人間は、自分流の癖や発声を身につけていて、修正するのに非常な困難を伴うからだ。

その点で、彼は、オーディションも歌の部門ではなく外見の部門で合格したことや、オーディションの映像を観る限り、歌が好きではあっても、自分の歌に並々ならぬ自信を持っているタイプでもなさそうだった。

それが、彼に可能性をどこまでも広げる幸運にも繋がったと思う。

彼は、Begin以降、徹底的に歌声のレッスンを受ける事になる。基礎からの訓練のやり直しの中で、彼は、高音部の訓練を受ける中で、ファルセットから、芯のある頭声発声へと転換する技術を身につけ、すべての音域の発声を頭声発声に変えたと思われる。

一旦、頭声発声を身につければ、その声は、どんなに喉の調子が悪くても一定の水準で歌うことが出来る。又、どんなに低音域であっても、綺麗な響きを保ち、BGMにかき消されることはない。訓練を積めば積むほど、高音域は伸び、中・低音域は安定した響きになる。

そうやって、彼の歌声は、日本語を歌うのに最も適した声に作り変えられていったのだ。

 

5人時代、彼の歌うバラードは、珠玉のバラードとも言われ、歌声で多くのファンが涙するので有名だった。

全ての楽曲のサビ部分には、彼の甘くソフトできれいな歌声が響き、日本語にマッチした音色を奏でていた。

そうやって彼は、彼独特の声の色を手に入れた。

透明感溢れる伸びやかな高音部、ミルクのように濃厚な甘い響きを奏でる中音部、そしてどんなBGMに消される事のないソフトで存在感のある低音部。

彼の声はこの3種類の音色を持つ声になったのだった。それは、それぞれの音域において、共鳴腔が変わることによる音色の変化でもあった。

そして、その声の特色は、日本語の歌において如何なく発揮されたと言っても過言ではなかっただろう。

彼は、日本語のことばの意味を理解するにつれて、その言葉のニュアンスに合わせて声の音色を使いわけるほどに日本語を熟知していた。

 

また彼の日本語の発音は、その声と同様、全く癖のない綺麗な発音をしていた。それは、彼の口の形と歯並びに大きな原因があると言える。

彼の口元の形と歯並びは、日本人の骨格に近く、日本語の発音に適している形をしている。

それが、彼の声が日本語にマッチする誘因でもあった。

 

それほどに日本語に適した歌声を持った彼が、この7年間、日本語の歌を歌えなくなってしまった。いくつかのカバー曲は、どれもロックテイストで、彼のクリスタルな声が最も発揮されるバラード曲に関しては、全く歌えなかった。

その間、韓国語におけるバラード曲は何曲かあったが、そのどの曲にもクリスタルな透明感あふれた声は用いられていない。

韓国語の歌においては、クリスタルな響きよりもストレートで強い響きを求められるからだ。彼も例外でなく、あえて強い響きの歌声を用いようとしていた。その為にたとえバラード曲であっても、色の濃い太い音色が使われていたのだった。

 

 

日本語の「守ってあげる」は、伸びやかで透明感溢れる彼の高音部が、如何なく発揮されている。

サビの部分の声は、クリスタルなガラスのような繊細な響きを奏でる。

 

今回、アカペラの彼の歌声を聴いて、さらに歌が上手くなったと思った。

力強いロックテイストの曲ばかり歌う中で、彼はきちん声帯をコントロールするテクニックがさらに向上していた。

力を抜いて、ブレスと声のバランスを、ブレス音に傾かせて、綺麗な響きの弱音部を披露していた。

その声は、静寂に包まれた会場の中の澄み切った空気の中で一本の綺麗な弧を描き、細くビブラートの効いた美しい響きを奏でていた。

 

この歌声が彼の持ち味なのだ。

この歌声を持つ歌手は、他にいない。

 

この歌声を取り戻したくて、この7年、日本で待ち続けた。

なぜなら、この歌声は、日本語の歌でしか聴くことが出来ない歌声だからだ。

 

恋焦がれた歌声にやっと再会したのだった。

 

★ドリフェスレビュー(2017年10月26日)

この曲を彼はセトリの最後にもってきた。

この曲を最後に歌うこと、この場所で歌うことに、彼の躊躇はなかったように思う。

それほど、彼はこの曲に「化粧」と同様、特別の思いを込めて、どうしてもこの場所で歌いたかったのだと思う。

非常に緊張した面持ちで歌い始めたこの曲は、彼のまっすぐな歌声が、会場の隅々まで響きわたり、綺麗な響きと透明感溢れる声で、ファン以外の人達を魅了したと言っていいだろう。

この曲は、韓国語の曲であるにも関わらず、彼が歌うとJPOPの色合いを見せる。

それぐらい、この曲のメロディーが、日本語に合っているのだ。

そして、日本語のこのようなバラード系の曲になると、彼の歌声は、一層透明感を増す。

まるでお手本とも言うべきほど、完璧なポジションでコントロールされた歌声になる。

鼻腔に響きわたる声は、倍音になって、繊細な響きを奏でる。

アカペラになるとその魅力は、倍増される。

この歌声に魅了されない人がいたら、お目にかかりたい。

そう思えるほど、綺麗で繊細な響きだ。

彼は、見事にこの曲を歌いこんできていた。

日本語の言葉の処理が、2月のツアーの時とは、違っていた。

それは、とくに語尾の処理の仕方にある。

字余りになるほど、言葉数とメロディーの音数が合ってない場所が多い。

どのように処理するのか、2月においては、おそらく彼も歌うたびに迷ったはずだ。

しかし、今回のドリフェスでは、彼は、語尾をきちんと処理し、綺麗にメロディーに載せて来た。

「ああ、修正してきたな」と感じた。

私が彼を尊敬するのは、こういう部分だ。

どんなにスターになっても、常にいいものに仕上げようと努力する。

良くない、と思えば、あっさりと修正してくる。

この素直さが、彼が、今後ももっと伸びる、進化する、と確信出来る部分だ。

彼は、自分の歌に関して非常に厳しい耳を持つ。

常に客観的に自分の歌を評し、いつでも修正をかけてくる。

批評に耳を傾ける。

この謙虚さと素直さがある限り、彼の歌手としての可能性は無限大だ。

そして、それは、彼の人間性にも通じる。

彼は、ファンが必ずこの歌を歌えると信じていた。

ファンが暗記し、一緒に歌えるように日本語にしたのだ。

だから、絶対に歌える。

どんな場所でもいつでも歌える、と信じている。

そして、アカペラでファンと掛け合いで歌うのは、昔から大好きだった。

「COLORS~Melody and Harmony」でファンと掛け合った記憶を忘れられないのかもしれない。

この曲を歌うことで、彼のステージの一つの世界。

ファンと一体になった世界を指し示した。

ジェネレーションズのファンが、「私達もあんなスターとファンの関係になりたい」と羨ましがったほど、ファンとの強固な結びつきを見せつけた。

7年、日活のなかった彼が、これほどの強固なファン層を保持しているということを、証明した曲でもあったと言える。

 

ドリフェスの総括も一緒に掲載しようとしたのですが、また、4万文字を超えてるとの文字数制限に引っかかりました。

そんなに書いたつもりなかったのですが…(笑)

 

いろいろ書きたいことは山のようにありますが、取りあえずドリフェスの総括は、次の記事であげます。