前記事に再びたくさんのコメントとメッセージを頂き、申し訳ありません。多くの方にご心配のメッセージを頂いて、読ませていただきました。

この場所は、特別な場所ということを書いて下さる方が多く、たかが私のような素人の書く文章を大事に思って下さる方が多い事に恐縮するばかりです。

前記事にも書いたようにブログは、私にとっては麻薬のようなものです。その麻薬にコントロールされないように、適切な距離を保ちながら、更新を続けていくことが出来るようであれば、これからも書き続けたい場所だと思います。今までのようにブログを更新することに熱心になるよりも続けているサポートや、他の媒体を使って彼への気持ちを別の形で表すことに多くの時間を割きたいと考えています。そのことが必ず彼のサポートになると信じる心を失わないでいたいと思うのです。

ただ、何人もの方から「このブログがなくなればどこへ行けばいいのか、どうすればいいのか」とメッセージを頂いたものとして、そのように思っていただける事を心から感謝しています。そして、自分が書きたいと感じた時、ブログを更新していきたいと思います。

 

ジェジュンのファンとしての私が何が出来るのかということを考えながら、ブログに対して自分の感情をコントロールしていきたいと思っています。

多くの方からご心配を頂きましたが、このブログを辞める気持ちは持っていません。ただ、何かことがある度に「書かなければ…」というブログを持つものとしての義務感のようなものからは、自分を解放したいと思うのです。

 

必ずブログ以外の形で、私のジェジュンへの気持ちを表すものを実現することが、一人のファンとしての彼への気持ちの証になると信じています。

 

ブログを書くということから積極的に離れている間、多くのことが起きました。もういつも起きる事に何も驚く気持ちを持たなかったです。

それは、ある時期から、韓国での考え方の常識というものを知ったからでした。

 

彼がSMを出てC-jesに移った時から、それはもう始まっていて、表面化していなかっただけなのだろうと思うのです。

SMという大手事務所に所属し、5人時代には、韓国での地位をあっという間に築いたあと、日本で鳴り物入りでデビューを果たしても、彼らはスムーズに駆け上がることが出来なかった。何度も挫折しかかったとき、最後まであきらめなかったのは、ジェジュンでした。

 

彼には、その頃から「諦める」という文字がなかったのかもしれません。

日本で苦しみながらも少しずつ地位を築いた彼の経験値の中に、「日本では、真面目に頑張っていればいつかは必ず認めてもらえる」という超新星のユナクにアドバイスした価値観が生まれたのは明らかなことだと思います。

 

しかし、その価値観を持ったのは、彼の他に誰もいなかったのではないかと思う。

なぜならその価値観こそが最も日本的発想にほかならないからだ。

 

もう最近では、事務所のパワハラともいうべき行為は、余りにも常態化していて、いちいちここに書きだしたらきりがないほどだ。それに伴い、彼の置かれているポジションに理不尽さを感じ、多くの人がオンリーになっていく。

 

今、ジェジュンペンでオンリーでない人は、本当にジェジュンの事を考えているのか、と思うほどにその行為はあからさまで、その上、取ってつけたようなメンバーのJYJ連呼には笑いさえ起きてしまうほどだ。

 

しかし、このパワハラの原因を作っているのは、紛れも無くジェジュン自身だという見方が韓国にはある。それは、彼の考え方も行動も余りにも韓国の常識から外れたものだからだ。

 

ここに今更書くまでもなく、韓国では反日主義が当たり前の社会だ。特に50代以下の世代において、反日主義は、国策であり、その感情を煽ることによって、多くの経済的発展を成し遂げた。

国内で何か大きな問題が起きる度に先ず最初に流されるのは、日本への責任転嫁である。沈没船事故の当初、その原因が、日本製の船舶にあったかのような情報が流されたが、まさに自己反省の前に反日を煽るという行為を繰り返しながら、韓国という国は、前へコマを進めてきた。

 

そんな教育と国策の中で育ってきた人間が、日本社会の中でデビューし地位を築く為に徹底した現地化政策の中で5年という歳月を過ごしてきたのが、トンバンシンギではなく「とうほうしんき」というグループなのだ。

 

「トンバンシンギ」と「とうほうしんき」という2つの顔を持つ彼らの思考の中には、おそらく二つの国の考え方の違いというものを局面局面で感じてきたに違いない。

その経験の中から、思春期を経て自己を確立していく大切な時期に日本という国の考え方と韓国という国の考え方の違いの中から、何を自分の中に取り入れてきたかは、その後のそれぞれの発言や行動の中で明らかに感じることが出来る。

 

彼の行動や言動の中に感じる日本的思考は、多感な時期を日本という異国で過ごした経験に培われたものに違いない。

 

多くの事象や特に今回のトライアングルの事務所の扱いから、彼が明らかに他の2人のメンバーと契約が違うことが伺える。

扱いの理不尽さを逆手にとって、契約が違うのであれば、扱いが違うのが当然であり、契約に見合った扱いを事務所はしているに過ぎないというファンもいる。

オンリーであるからこそ、彼に対する理不尽とも言える扱いの不平等感は、実は、彼自身が招いていることでもあるのだという考えである。

 

他のメンバー達が、専属契約を結び、あらゆる仕事のマネージメントを依頼しているのに対し、彼は、JYJ活動以外の仕事に関して、個々に依頼をしているように感じる。だからこそ、グンちゃんのファンミやテグでのコンサートのように明らかに事務所を通さず、又は最低限のマネージメント以外を依頼していないような仕事が垣間見えるのではないだろうか。

 

メンバーが事務所の株を購入し、自分の親族を役員にさせるという構図は、ごく一般的な韓国社会の考え方の一つに過ぎない。近しい人間だけで「家族」「同族」という非常に濃密な人間関係を構築するのが韓国社会である。当初、Cjesが設立されたとき、3人の地位が事務所に対して明らかに上であるというマネージメント方式を取っていると思ったのは、大きな間違いだったといわざるを得ない。

 

「家族」「同族」意識の強い韓国社会において、ビジネス的関係は構築出来ないのだろう。

その後事務所に加入した多くの俳優や歌手の発言、そしてぺク氏自身の発言からも、「Cjes」という一つの大きな家族を形成するための一人一人の存在であるということが事務所の考え方であるということが伺える。

 

所属歌手のコミが移籍後、「家族」ということばを何度も口にすることや、ジェジュンのコンサートに平気で自分の持ち歌を何曲も歌う厚顔さは、日本人から見れば違和感のある事であっても、所属タレントは皆、一つの家族であるという考え方を持つ韓国であれば、何の違和感を持つものでもないのかもしれない。

 

しかし、これは、ジェジュンが望んでいた欧米型、日本式のマネージメントとは大きく異なる。

彼は、当初からぺク氏に対して強い疑念と不安感を持っていたことは、JYJマガジンの彼らがぺク氏に自分達のマネージメントを託すいきさつの中で書かれている。その疑念は、この4年間の彼に対する扱いと彼の抵抗を振り返れば、正しい疑念だったといわざるを得ない。

 

彼が事務所に対して求めた事、即ち、所詮事務所と所属タレントとの対等な関係を構築するということは、同族意識の強い韓国において不可能であり、それが理解されるには、余りにも社会自体が未成熟であると言えるのだろう。

 

彼のファンでないごく一般的な韓国人の何人もの知人に彼の状況を話した時、異口同音に疑問を呈されたことは、

「なぜ、彼は専属契約を結ばないのか」

「なぜ、彼は、そんなに抵抗するのか」ということだった。

 

韓国社会において、事務所に全て自分の事を丸投げするやり方も、同族、家族として絆を求めることも、ごく一般的な考えであり、それに抵抗し、契約を結ばない方がおかしい。事務所の社長に全幅の信頼を置き、依頼するのが当たり前の中で、なぜ、彼はその事に抵抗するのか。

 

彼の方が、おかしいのだ。

だから、パワハラとも言うべきものをされても、それは当たり前のこと。しかし、彼らは、それと同時に彼に深い同情を示す。

 

「彼のような出自の人間は、どんなに韓国社会で頑張ってもダメだ」

「彼のような経歴を持つ人間は、どんなに頑張って成功を手に入れても認められない。それが韓国というところ」

「出自は一生言われる。どんな社会的地位も成功も韓国社会において、出自に勝るものはない」そして、さらに続ける。

 

「だから、彼は、日本にこだわる」

「出自による言われのない差別をずっと受け続けてきた彼が、初めて出自から解放された場所が日本だった」

「日本でなら、自分さえ頑張れば、正しい評価をしてもらえる」

「彼のような人は、日本に戻ってくるしかない。どんなに韓国で頑張っても正しい評価を得ることが出来ない。だから日本に戻るしかない」これらが一般的な韓国の知人達の感想だった。

 

これは、全てが正しいとは言わない。しかし、実際に彼らの口から示された彼と同じような境遇にいて、韓国社会で成功した人物の名前は、余りにも有名で、そんな成功者ですら未だに出自について言われ韓国社会では認められていないという事を聞くと、韓国社会における出自と経歴は、深い闇のように社会全体を構築し、それゆえに高学歴を獲得することに異常なまでの執念や、子供の学歴の為になら、平気で母子をアメリカに留学させ、単身韓国に残り、仕送りを続ける父親が多数いる社会の構造が垣間見えるのである。

 

ジェジュンの特殊な出自と養子先、そしてその後、生活の為に学歴を捨てざるを得なかった経歴は、日本でこそ美談として迎えられても、出自が全て、学歴が全ての韓国社会においては、一生ついてまわるものであるという事を彼自身が嫌というほど理解しているはずである。

 

そして、芸能社会に入っても、そのレッテルからは一生逃れられないという事を覚悟した彼にとって、何の差別も偏見も持たない日本社会を多感な時期に経験したことが、彼の人格形成にも人生に対する考え方にも価値観にも大きな影響を与えたと言えるのではないのだろうか。

 

私達日本人が、彼を身近に感じる最も大きな要因に、彼の日本人的思考があることは否めない。

「一番好きな日本語は、すみません」

「日本では、真面目に努力していれば、いつか必ず認めてもらえる」

「日本人は、ハッキリ言わなくても気持ちをわかってくれる」

 

彼が感じた日本の空気感は、初めて大きな口を開けて笑ってもいい、初めて何を話してもいい、初めてスタッフが親切だった…etc.etc.

 

初めて大きな口を開けて、深呼吸するような解放感だったのかもしれない。

 

日本の自由さと差別意識のない価値観に構築された成熟した日本社会の中で、初めて彼が自分を自分として認めてもらえる場所に出会ったのかもしれない。

その思いが、彼を日本にこだわらせるのかもしれないと、知人達の話を聞きながら思った。

 

彼は、日本社会で生きて欲しい。

何の差別もなく、彼の努力をそのまま彼の成果として正しく評価する場所に戻ることが、彼が本当にやりたい事に繋がる唯一の方法だと信じている。

そうでなければ、彼が、ここまで抵抗して、日本にこだわる理由がわからない。

 

ドラマ「トライアングル」をはじめとする彼のソロ活動に対する事務所の扱いは、酷いものがある。それは韓国の常識から考えれば当たり前のことなのかもしれない。

そして、それに抵抗する彼の方がおかしいのかもしれない。

 

それでもそんな不自由さの中で、ギリギリの線で、彼は自分の志も自分の気持ちも見失わずにこの4年間戦い続けてきた。

JYJという括りの中にいる限り、事務所を辞めることは出来ないと考え、他のメンバーが韓国方式のマネージメントを選択する中で、ただ一人、自分の考えを貫いてきた。

 

ぺク氏との距離を保ち、事務所との距離を保つことは、どれだけの困難を伴うかわからない。そして、事務所の嫌がらせも、数々の不手際も彼には既に織り込み済みなのかもしれない。

事務所にいる限り、韓国社会にいる限り、それはどこまでも続くだろう。そして、それも全て彼は甘受しているのかもしれない。

 

彼が韓国の常識から抜け出し、韓国社会から抜け出す決断をする為の準備をしなければいけないと考えているなら、今は、力を蓄える時期だ。

やみくもに事務所を出ても、その後に何が待っているかは、彼自身が一番知っている。

同じことを繰り返さない為にも、兵役を控える今は、じっと力を蓄え、多くの事を我慢しなければいけない時期なのかもしれない。

 

ファンの一人として、彼が甘受しているものは、受け入れる。

全ての事象は、大きな決断の前の過程であって、その過程の中で彼が自分を見失わず、それすらも糧として成長していく姿を見守ることが出来るのは、幸せなことなのかもしれない。

 

4年前、彼があのまま日本に残り、活動を続けていたら、彼は間違いなくトップアイドルにはなれただろう、事務所の力で。

しかし、多くのものを得ることは出来なかったかもしれない。

 

4年の間、彼はじっと我慢し、自分の能力に磨きをかけ続けてきた。それは、彼が「コツコツと努力すれば、必ず認められる」という日本的思考を身に付け、誠実に実行してきた成果だったと言える。

 

運命は、彼にトップアイドルの可能性を捨てさせ、クリエイターとしての才能を開花させた。

歌手であり作詞家であり、デザイナーであり、経営者である彼は、単に表現者という立場から、「ものを作り上げる」という作家の立場へと大きく飛躍した。何が起こっても、誠実に自分の出来る限りの努力をして、自分見失わず実行する彼の姿勢は、何が起きても、きっと彼自身にとって、いいことになるという不変の真理が働いているように感じる。

 

その彼を見守り、支え続けること。

それだけが、ファンとして出来ることなのだと思う。

 

彼は今日も戦い続けている。