私は今までも独自の視点と見解で記事を書いてきた。

一番顕著だったのは、入隊直前のMoldirの日本ランチングショーの時に起こったジェジュンへの批難に関する記事だったろう。
私以外のオンリーブロガーの殆どがこぞって彼の批判記事を掲載した。
twitterには、彼への直リプで批判するツイに溢れた。
どんなにオンリーであっても彼の言動に自分達の考えと異なるものがあれば、意見する、というスタンスだった。その風潮は今も続いている。

けれども私は、彼のファンになって6年。ブログを書き始めてから、唯の一度も彼に対する批判をひと言も書いたことはない。
それが私のオンリーとしてのスタンスだからだ。
これから私が書くことは、今のオンリーの風潮には合わないだろう。けれどもオンリーの中にはこういう考えをする人間もいるのだということを書いてみたいと思う。

6年前、彼のブログを始めた時、私は彼の画像しか上げなかった。最初の頃からアメンバーだった人は、私のブログを見て、手を叩いて喜んだ、と言った。なぜなら、ブログの何処にも彼以外のものがなかったからだと言う。

その頃、日本のファン社会は、グループを応援することが当たり前の風潮だった。
デビュー当初から個人ファンサイトが活発だった韓国に比べ、日本では全くと言っていいほど、個人ファンサイトは存在せず、公式のファンクラブの活動が主流だった。メンバー個人を応援するのではなく、「東方神起」というグループそのものを応援する、というスタイルが定着していた。
それは、韓国ファンから「なぜ、日本ファンはグループに固執するのか?ジェジュンだけではダメなのか?」と質問されるほどのことでもあった。
その為、JYJに分裂してからも、当然、その風潮は変わらなかった。
メンバー全員を応援するのが当たり前。誰か個人だけを応援するなどという考えは、異端中の異端だった。

私は正直言って、東方神起時代を殆ど知らない。リアルに知っている5人時代は、解散直前の2009年11月からだ。その時、私はジェジュンのファンでもなんでもなかった。
彼のファンになったのは、年が明けて、2010年の1月からだ。年末に発表された「With All My Heart~君が踊る、夏」が最初のリアルな新曲体験だ。
そんな私は、ファンの風潮もグループ全体を応援するというスタンスも知らないまま、ファン社会に入った。

最初からジェジュンだけのファンだった。

東方神起の音楽的価値、ハーモニーの秀逸さは、私にとってとても心地よいものだった。しかしそれは、彼の歌声がハーモニーの音色の核をなしていたからだ。
これが仮に彼が核をなしていなければ、私は決して東方神起の音楽を好きにならなかったし、彼のファンにもなっていなかっただろうと思う。
それぐらい、私にとっては、彼の歌声だけが全てだった。
その後、3人になりJJYとして活動を始めた時も、彼の歌声が当然ハーモニーの核をなしているからこそ、聴くに耐えたのだと思う。

だから、日本活動が打ち切りになり、韓国へ戻り、JYJとして活動を始めると聞いても、当然彼の歌声がハーモニーの核をなすとばかり思っていた。そしてそのハーモニーであるなら、必ず東方神起を超える音楽を作り出せると信じていた。

最初から彼だけのファンだった私は、当然、自分のブログを始めた時も彼のことだけを書いていた。
もちろん、JYJとして彼が何かに出演すれば、その記事は載せた。けれどもそれは、彼がJYJとして活動したという記録であって、JYJそのものに言及した記事ではなかった。多くのブログが、JYJそのものの記事を書き、メンバー全員に対してコメントを書いたのに対し、私は彼以外に対して一切コメントを書かなかった。
それは、彼以外の人間のことを書くことが嫌だったからだ。
自分のブログには、彼だけのことを書いていきたいと思っていた。
彼以外のメンバーの名前すら書くことに抵抗を感じるほどだった。

その頃の私は彼以外のメンバーのことを何も知らなかった。知ろうとも思わなかったし、知りたいとも思わなかった。

彼だけ。

彼だけを見て、彼だけを書いていきたい。

それが私の本心だった。

だから、どんなに他のメンバーがドラマに出ようと、アルバムを発売しようと、無関心だった。一切記事に触れなかった。

彼がソロ活動をしなかった当初、多くのブログが他のメンバーの活躍を記事にした。そんな時でも私のブログには、一切他のメンバーの名前すら登場しなかった。

彼が活動しない間は、彼の過去の活動に対しての記事を書いていた。
彼の歌についての記事や彼の音楽について、彼の過去の発言についての記事を書き、まるで何事もなかったように彼だけのことを書き綴っていた。
そういうブログは、他になかったかもしれない。

だから、私がひたちなかでJYJの新聞広告を出そうとしたときも、JYJのラッピングカーで東京や名古屋、大阪を走り回った時も、いわゆるJYJファンという人達から、大きなブーイングが起きた。

「kukoという人間は、他のメンバーを無視し続けたジェジュンオンリーだ。ジェジュンだけを応援している人間にJYJの応援活動をする資格はない」と。

無視をし続けたのではなく、書かなかっただけなのだ。書きたくなかっただけ。

自分の場所にジェジュン以外のことを書きたいと思わなかった。
自分の場所は、ジェジュンのことだけを書き、ジェジュンだけで一杯にしたい場所だった。そこにたとえメンバーであろうとジェジュン以外の画像をあげることすら大きな抵抗を感じただけのことである。
ジェジュンがJYJ活動をしているのであり、メンバーであるのなら、JYJを応援する活動をしてどこがいけないのか、私には理解できなかった。
しかし、当時、他のメンバーの記事を頑なに一切あげようとしない私に対して、JYJファンの批判は徹底的だった。他のメンバーの批判記事など一度も書いたことがなかったのに、批判していると言われた。

そのことがあってから、私はJYJの応援を一切しないと決めた。

オンリーなのだから、堂々と彼だけの応援をする、と心に決めた。
そして、彼だけの地下鉄広告を企画し実行した。

それは、その頃、グループそのものを応援するという日本のスタイルから逸脱し、個人応援の盛んな韓国式応援スタイルを踏襲するスタンスだったと言える。
韓国では、個人ファンサイトの活動が盛んで、JYJになってからさらに顕著になった。
多くのファンサイトが競うように彼を応援した。
それぞれのメンバーのファンサイトはどこも決して仲がいい状態ではなかった。むしろどちらかと言えば仲が悪かった。お互いにメンバー同士の激しい批判を繰り返していた。
JYJファンサイトがまともに形成されなかったことが大きな原因だったかもしれない。とにかく仲が悪い。そういう印象しか持てなかった。

韓国ではオンリーが当たり前。日本ではグループファンが当たり前、という風潮がずっと続いていた。

だからその頃、オンリーブログを書いていた私は、同じジェジュンファンからも批判され続けていた。
私のもとに集まるオンリーファンを批判し、「まるで新興宗教の教祖のよう」とまで言われた。

そうやってオンリーであるkukoという人間は、日本ファン社会の中で異端の存在となっていた。
それでも私は彼だけのブログを続けていた。
彼が置かれている立場、環境に気づいてからは、その事に一人でも多くの人に気づいて欲しいと思って記事を書き続けた。

「気が狂ってる」「馬鹿じゃない」「妄想だらけで気持ち悪い」とまで言われたこともある。

それでも私が知りえる情報の中では、どうしても真実だと感じることが多かった。

サセン騒動が起き、直後のロッテファンミに参加した人達の中にメンバーに対する訝しさを感じる人がいた。その頃から、隠しきれない事務所やメンバーに対する違和感を覚える人達が少しずつ増えてきたのかもしれない。
それでもそういう不満や疑念を口に出すことも、記事に書くこともはばかられる風潮は続いていた。

JYJの活動が遠のき、個人活動にどんどんシフトしていくようになった2013年頃から、ジェジュンだけを応援するという人が少しずつ増えてきたと思う。
それが決定的になったのは、横アリのファンミだっただろう。
JYJジェジュンファンと呼ばれる人達が、「やっぱりジェジュンだけでいい」と感じたと言い、多くがオンリーへと傾斜していった。
11月から行われたソロコンが、その流れに拍車をかけた。

今、多くのジェジュンファンがオンリーと呼ばれる人達で占められている。
また、昨今の明らかな事務所のメンバー間の処遇の違いに、彼が置かれてきた環境や立場の厳し
さを感じ、事務所への批判を公然とするファンが増えた。
それに呼応するかのように、今ではメンバーに対する批判も盛んに行われる。

私がオンリーとして批判を一身に受けていた頃、「オンリー=他のメンバーを攻撃する人」という定義がなされた。

しかし、当初から私のブログを読んでいる人なら知っていると思うが、私はその頃、一度もメンバーの批判記事を唯のひとことも書いたことはなかった。
書いたことがないのに、メンバーを批判している、と言われた。
メンバーの記事を一度もあげないということが、メンバーを無視していると言われ、批判していると言われたのだ。

「kukoさんは一度もメンバーのことを批判していないのに、どうして過激とか言われるんでしょうね」とアメンバーから言われたことがある。
アメンバー記事の多かった私は、アメンバー記事で「オンリーを煽動している」と言われ、「メンバーを批判する記事をアメンバー記事に載せている」とまで言われた。

その頃からのアメンバーなら記憶していると思うが、その頃、私は他のメンバーの批判記事を一度も書いたことはなかった。
なぜなら、自分のブログにジェジュン以外の名前を書きたくなかったから。
ただそれだけの理由だ。

記事で人の心を煽動するとは思えない。がしかし、影響を与えることも流れを作ることも出来るのかもしれない。それほどに優れた文章は、多くの人の心を揺さぶるだろう。しかし、自分の書く文章がそれほどのものだとは思えなかった。

多くのオンリーが誕生し、今、オンリーでないファンはジェジュンファンではないというぐらいの風潮がある。

入隊して、彼が笑顔を取り戻し、あれほどに太れないと言っていた彼が丸々と太る姿を見て、今まで漠然と感じていた疑念、妄想とまで言われていた疑念が、現実のものだったのだと知るファンが増えたのだと思う。

そんな流れの中で、公然と事務所を批判し、メンバーを批判する。
名指しで堂々と「嫌いだ」と言い、ブログやツイに汚い言葉を書き連ねる。
そんなファンが増えたと思った。

「嫌いなものを嫌いと言ってどこが悪い」「批判して何が悪い」
そういう風潮を感じた。

そしてその延長線上に、ジェジュンに対しても意見を連ねるものが多かった。
「ファンの要望を言ってどこが悪いのか」

その考えの根底にあるのは、「ファンあってのスター」「私達ファンが彼をここまでに育て上げた」という自負心なのかもしれない。
売れない頃からのファンは、自分たちが彼をここまでのものにした、と自負しているだろう。
だからこそ、物申す、という態度に出るファンは多い。

多くのブログを読み、たくさんのツイを読んだ。
そして非常な違和を感じた。

今、オンリーとして有名なブロガーやtwitterを賑わす人間は、かつて殆どの人間が私を批判したジェジュンファンだ。
その頃のことを知っているアメンバー達は今の流れを冷ややかな目で見ている。
かつてオンリーを批判した口で今、平気でオンリーだと名乗り、自分こそが昔からオンリーだったとのだとまで言うような人を見て、呆れると言う。

「大勢に流れる」

日本人の悪い癖だ。多くの人が賛同する意見に流れ、それが正しいと言う。
流れが変われば、過去の自分はなかったことのようにして平気で時流に乗る。
そして違う意見、違う感覚を持つ人間を徹底的に排除する。

かつてジェジュンファンは、オンリーをファンから除外しようとまでした。

それが、彼がソロ活動を始め、グループにこだわらなくなった途端、態度を豹変させた。
今では、オンリーでなければ彼のファンでないかのような風潮まである。そして事務所やメンバーの批判をあからさまに口にする。

今の流れは、ある意味怖いと感じる。

過激な記事、明らかに批判記事と思われるものに多くの賛同が集まり、そうでないものには賛同が集まらない。
多くの賛同を得る為に、さらに過激な記事やツイを掲げる。そんな風潮を感じた。

そういう人達は、ジェジュンが、昔、自分のファンが他メンバーの悪口を言うことを禁止していたことを知っているだろうか。

彼は自分のファンが他メンバーの悪口を言うと非常に怒った。

その頃、批判合戦のようになっていた個人ファンサイトの争いの中で、自分のファンにだけは、どんなに攻撃されても攻撃し返すことを禁じていた。

彼が今、日本のこのような状況を知ったら、何を思うだろうかと考える。

もちろん、理不尽だと感じることはたくさんある。
事務所の処遇もメンバーの態度も彼の気持ちを知った上で信頼を裏切り続けてきた事実を許すことは出来ない。

私も書きたいことはたくさんあるし、理不尽だと感じることには億面せず書いてきた。
しかし、あからさまな感情の露出や言葉の選択には気をつけてきたつもりだ。

彼のことだけを書いても、彼の置かれてきた状況や環境は書くことが出来る。
メンバーの処遇を読者は知っているのだ。
事務所の明らかな彼への不遇は、メンバーへの批判を書かなくても読者には伝わる。

さらに内面的なことや思想的な違いの批判にとどまらず、外観的な美醜は、個人的な嗜好の範囲であり、それを犯す権利は何者にもないと私は考える。
私が彼を好むように、他メンバーファンはその人の外観を含めたものを好むのだ。それを犯す権利は誰にもない。

私が明らかに批判記事を書くとき。それは、彼の領域が犯されたと感じる時だけだ。
彼が攻撃されている、彼の自由が犯されていると感じる時、私は批判記事を書く。
それはただ、彼を守りたいと思う心からだけだ。
何が起きても、どんな事態になっても彼を守る。
彼の事を理解し、常に彼のサイドに立ち、彼を守る。

私が自分のアメンバーにオンリーしか承認しない理由は、グループ活動をしていた頃から、いつかは一人になるかもしれない、と感じていたからだ。
否、一人になって欲しいと感じていた。

もし、グループから一人になったとき、間違いなく批判の矛先は彼に向かう。
その時、最後まで彼を守りきれるのは、オンリーだけだと思ったからだ。

何があっても、彼がどんな行動を取ろうと、これから先、彼がどんな言動をしようと、彼の選択を支持し、彼の側に立ち、彼を守れるのはオンリーしかいないと思ったからだ。

彼の言動を黙って全て受け入れ、彼を支持する。

彼が自信を持って、自分の人生を取捨選択していけるように彼を支えるのは、オンリーしか出来ないと感じていからだ。

だから私は、オンリーしかアメンバーに認定してこなかった。

同じ芸能界に生き、ましてや同じグループにいて個人活動を始めれば、必ず利害関係が被る。
その時、彼だけを応援しきれるのは、オンリーしかいない。
だからこそ、彼にはオンリーファンが必要だと思ったし、一人でも多くのオンリーファンを増やしたいと思って、ブログを書き続けてきた。

私の場所は、彼の良さを伝える場所であって、他のメンバーの批判を繰り返す場所ではないからだ。
他のメンバーの批判を書かなくても、彼だけのことを書き連ねれば、彼の良さは十分伝わる。
彼の良さを理解する人が増えれば、それは彼だけのファンに繋がると感じている。

長年、人生を共にしてきたメンバーのあからさまな批判記事を書き連ねたブログを目にしたとき、彼は何を感じるだろう。

感情に走った言葉の羅列による批判記事を目にしたとき、彼は心を傷めるのではないだろうかと思う。

私は自分の書く記事で、彼が不快な思いをして欲しいとは思わない。

彼はメンバーへの批判も事務所への批判も、そして彼が独立し、日本事務所とソロで契約して欲しいことも、日本でソロで活動して欲しいことも十分に承知しているはずだ。
そんな彼が今の状況を見て何を思うだろう。

自分の名前がついたたくさんのブログと自分の画像を使ったプロフィール画像を使う人間が、感情に走った批判ブログやツイを書くのを見て、何を感じるだろう。

彼の日本活動を願う心、ソロ活動を願う心とメンバーを批判することは、イコールではない。

彼が思うように活動出来ない苛立ちのはけ口の矛先をメンバー批判に繋げる今の風潮に私は賛同出来ない。

私は、自分の書く記事で彼が傷ついて欲しくない。

彼の名前をブログに曲がりなりにも使う限りは、感情のはけ口のような場所にはしたくないと思っている。

この場所は、彼のことだけを語りたい場所なのである。

私は最初からオンリーだった。

そして決してどんな些細なことであっても彼を傷つけたくないと考えるファンだ。

それが6年、オンリーブログを書き続けてきた私のスタンスでもある。

追記

こんな記事を書いて、あなたは、他のメンバーの悪口を言わないのか?と聞かれればNOと答える。もちろんオフラインでは、感情に囚われた時、憤慨したとき、もちろん批判したことは多々ある。けれどもオフラインと文字にするという行為とでは全く違うと私は感じている。言葉は流れていくものだ。その言葉を一旦文字にした途端、それは、自分の手を離れ、どんな場所にでも飛んでいく。自分の知らないところで、言葉が一人歩きする。
その影響力を私は感じる。だからこそ、文章にする時、言葉を文字にする時には、それに伴う責任があると感じている。短い言葉で自分の心を伝えることは難しい。だから、私は基本的にtwitterをしない。twitterでの言葉の拡散は、書き手の意図を離れ、どこまでの拡散していくからだ。
かつて私は、自分の感情のままにメンバーのことをツイったものをキャプラれ、裏ブログまで立ち上げられて、執拗に付け回され、批判された。その経験から、感情に走った文章を書くことだけはしないように気を付けている。ブログの記事の批判は、いつでも受けて立つ。それは、私の一時の感情ではなく、熟慮した結果の文章だからだ。
オフラインで話したことと、こうやって誰の目にも止まる文章にすることとは全く違うのだということだけは、追記しておきたいと思う。