ここに1つの動画がある。この動画についての韓国の記事と最近twitterで取りざたされたジェジュンの歌い方についての反証記事をあげる。
記事自体は、韓国のウィキペディアとも言われるナムウィキに書き込まれている記事である。自動翻訳機を使って翻訳されているために、ところどころ表現のおかしいところがある。
この記事に書かれている内容に納得出来ないアメンバーから、反証を依頼された。検証するために記事の元となっているジェジュンのある動画を慎重に検証した。

まず、この動画に関する韓国の記事を全文貼り付ける。記事に対する反証と私自身の見解は、韓国記事のあとに記載する。

以下の記事の反証を依頼された。

この記事は、日本で言えばWikipediaのようなページの記事だろうか。
歌手ジェジュンについての紹介記事を翻訳したものをtwitterで紹介した人がいる。
翻訳は、翻訳機による自動翻訳によるものらしく、ここに転載する。

https://twishort.com/1HHjc

「김재중」
ナムウィキに記載されているジェジュンの実力(ボーカル)

アイドルという札がついたボーカルの中では、同じグループのこの方と一緒に最上位の実力を備えたボーカルと評価される。デビュー初めから着実に歌唱力論議に包まれた東方神起のメインボーカルとして、歌唱自体を変えるなど急速に発展する姿を見せてくれて、( 韓国1集と2005年夏シングルの間に唱法がさっと変わった)チームの音楽の中心を保持してくれた。現在に近い歌唱力を持つようになったのは、約2006年の日本1集 – 韓国3集の間の期間。

ボーカルとして音色自体は簡単に言えば、パワフルな美声。ここで生来のハードウェア、つまり豊かな声量と広い音域が加わり旧東方神起5人の中でも断然引き立つ、「爽やか」歌唱を駆使できるメンバーであり、そのおかげで、どのジャンルにでもよく似合うことが強みである。低音0オクターブ ソ#、真性3オクターブ ファ#、高音4オクターブ レに達する音をきっちり活用できる音域はかなり有名。 SM音楽の基本的なベースであるダンスポップ、R&B系バラード、SMPはもちろん、コンサートなどでのソロ公演では、ロックもよくこなした。

彼の強力なボーカルのハードウェアについての有名な映像がある。 4集のコンサートで個人技で準備した野菊の「それだけが私の世界」を歌ったリハーサル映像がそれ。コンサート映像と比べてみれば面白いが、実際のコンサートでは、体を振って頭をおろし苦しそうに歌う姿は知ってみれば演技だった。実際には、傾いたように立って歌う姿から。つまり、そのパワフルな高音をほとんど苦労することなく出す声なのだ。ジュンスに比べて静かに立って歌うとよく歌ってるように見えないので、このようなパフォーマンスを見せてくれるという裏話がある。
https://youtu.be/j9QpQB2Q76o

韓国1集の時まで、前述のパワーのみに依存するボーカルに近かった実際のライブの場合力が入りすぎな感じをしばしば与えたが、それ以降、複数の曲を経て、繊細さと表現力の面でも脱アイドル級に発展した(2004年活動当時と2005年以後の‘Whatever They Say’公演を比較してみれば明確に差を感じることができる)。その事項が重要に作用するR&B系の曲でも当然のようにメイン。バラードで感情線の微細な部分までつかみ出す表現力と緩急調節力も認められている部分である。何を言っているかわからない場合は韓国2集の「내가 허락할테니 (Love is Never Gone)[I’ll Allow It] 」のクライマックスの部分を聞いてみよう(続く二つの小節の感じが異なる)。日本4集の「TAXI」も良い例。 1節リフレインと最後のリフレインの音/歌詞が同じ部分を曲展開に応じて全く異なる雰囲気で消化する。すぐに次のパートであるチャンミンは二つの部分をほぼ同じ感じで処理したものと対比される部分!

韓国のアルバムでももちろんリードボーカルであるが、役割配分がより確実な日本では、名実共に第1ボーカルとして大活躍する。特にシングルカットされた人バラードのでサビを含む曲のほぼ半分以上を担当し、良い評価を受けてきたことがある。逆に、ただでさえ難しい曲なのにパート偏重のおかげでライブするたびに死んでいく姿もよく見られた(…)。

ボーカルに弱点があるならばライブ安定感が不足したこと、そして歌詞伝達力. 前者の場合デビュー初めから大一ボーカルでありながらも’東方神起のリードボーカル=ジュンス’という認識を作成し影響を及ぼした程にコンディションにともなう起伏が激しかった。 ますます良くなったということより、少なくとも韓国2集以後ではその良い時は今や狂気の水準(2009年The Secret Codeツアー東京ドーム公演での’Forever Love’,’Bolero’や2010年Thanksgiving Live in Domeでの’君のために’,’Rainy Blue’,’I have Nothing’などはジェジュンファンならば必ず見なければならない映像に選ばれるほどだ)。ならない時はそのままサブボーカルA水準という感じだ。 後者は東方神起脱退以後のソロ活動期に聞いてから時々言及される問題点で、若干表面のかっこう働かせるように発音を転がす傾向があって聞きたくないという人までもたびたびある。 主に高音を上げる時こういう現象が見える。サラヘッチムアアアアアアン!!!! これとか事実まだアイドル出身という偏見一つで低評価する人々もいるだけに、正当な評価を受けるためにはこういうわずかな問題点でも改善する必要があるとみられる。

一緒にリードボーカル役割を受け持ったジュンスとは色々な面で対比される。 ジェジュンはボーカルとして持って生まれた声量と音域対を有していたがオンチであった反面ジュンスはこれと正反対に非常に優れた音感を持っても酷使終わりに壊れた声でハードウェア的な限界を有していた。 二つとも自身の弱点を練習と経験で克服して脱アイドル級と評価されるボーカルに成長したという点がおもしろい。 事実このような点のほか純粋に歌唱スタイルだけ比較しても二人は完全に違ったタイプだ。ハキハキと怒鳴る高音または、いわゆる’美しい’で表現される美声を前に出すジェジュンとは違って、ジュンスは非常に狭い音域対を持ったがその中での途方もない表現力と安定感、そして個性のある音色を武器にする。 もちろん二つのリードボーカルのスタイルが異なるおかげで東方神起の音楽は一層豊かになりえたことだ。 もちろんファンたちもその点を認知するのでこの二つはよく‘ボイスメイト’という名前で編集されて、ファンたちに最高のボーカル コンビで称賛を受ける。

アカペラでのパートはミドル、すなわちメイン. 音域だけで問い詰めればミドルハイを引き受けるジュンスとパートを変えなければならないことも同じだがどうしても音色特性上もう少し’原音’にふさわしい方だとそうなったようだ。 そのためかアカペラ開始前の音程つかみをジェジュンの音に合わせて調整する姿をしばしば見ることができた。

2.2抜粋自動翻訳機使用

上記の記事に対する反証を書くことにする。
記事内容の中で、私が猛烈に反証したくなった部分が、赤字で示した部分だ。
先ず、最初のYouTubeの動画が上げられているリハーサル映像についての反証を行う。
この動画は、つい最近もtwitterで取りざたされ、まるでジェジュンが何の苦もなく歌えるものをわざと大きなパフォーマンスをして、聴衆の関心を惹きつけているかのようなツイが出回ったと聞いた。それもそのツイを回しているのが、あろうことかジェジュンオンリーだというのだから、私は呆れて物も言えなかった。ジェジュンファンになって6年。未だに不思議なのが、ファンだと言いながら、彼に説教する人、彼の批判をする人の存在だ。彼を信じれないのならファンをやめればいい。彼のことで気に入らないことがあり、文句があるのならファンをやめればいい。彼は、あなたに「ファンになって欲しい」と言ったのか。勝手に自分でファンになっておいて、彼の揚げ足を取ったり、彼を下げたり、批判したり…
自分の思い通りの彼でないからと、文句ばかり言うファンが多いことに辟易する。こういうファンが、きっと除隊後、独立しない、事務所を出ない、日本と契約しないと言って、彼を叩くのだろう。東方神起を離脱後、そんなファンを数多く見てきた。彼はどんな気がするだろう。自分の画像のアイコンを使っている人間から誹謗中傷される。自分のファンから傷つけられることほど、悲しいと思うことはないだろう。それほどに傷つけられても、なおかつ、日本を好きでいてくれる心、日本を求めてくれる心に、私は彼に申し訳ないという気持ち以外の何者も持たない。せめて、私だけでも、彼の批判をどんなことが起きてもしない、と固く思うのは、そういう彼の6年前を見てきたからだ。
そういうファンが、この動画についても彼の歌手としての実力を下げるような呟きを平気でしていると感じる。何がしたいのか、何が言いたいのか、私には全く理解不能だ。
私は、これだけは専門家として断言する。彼は、紛れも無く身体を使って歌う熱唱型の歌手であって、声だけに頼って歌う小手先の歌手ではない。そして、この動画が添付されたこの記事が公開される意味は、巧妙に仕組まれたジェジュン下げなのだと思うものである。

動画を注意深く見て欲しい。歌を歌う人間なら、これが本当に彼の歌っているものなのか、アテレコなのかは、すぐに見破ることが出来る。それは、彼の腹筋を見れば一目瞭然だ。彼の腹筋は、殆どと言っていいほど動いていない。この記事主が書くように、らくらくと高音を出せるとしても、腹筋を使わないで歌える歌手がいたらお目にかかりたい。どんなに強靭な声の持ち主であっても、腹筋を使わずに声を出すことは不可能だ。なぜなら、声帯と横隔膜、その下にある腹筋は一本の太い筋肉で繋がっており、声帯を動かし何らかの声を出す時には、必ずそれらの筋肉が連動する仕組みになっている。ましてや、これほどの高音を歌っているパートにおいて、全く腹筋を使わずに歌うことは人間には不可能である。
次に映像を進めて聴いていると、明らかに彼の口元の動きと音声がずれている箇所が何ヶ所かある。またしゃがみこんで歌ったり、後ろを向いて歌っているにも関わらず、音声は全くブレがない。それらが、この映像がアテレコで歌っている証拠でもある。その証拠に対し、音声自体が最初からずれているという反論は的確ではない。なぜなら、ずれていない箇所も数多く存在するからだ。
私達のように歌を仕事とする人間が見れば、この映像はアテレコで歌っているということにすぐ気づく。
これは、コンサートのリハーサルの「場当たり」と呼ばれるもので、自分の立つ位置、ライトの確認、カメラワークの確認などをするリハーサルの一種だ。リハーサルには、この「場当たり」と呼ばれるものと、実際に歌を歌って音響を確認する「音リハ」と呼ばれる二種類があり、大抵のコンサートでは、時間をずらしてこの二種類のリハーサルを行う。また、時間がないときでも、必ず場当たりは行われる。それは、歌手の為ではなく、スタッフの為に行われるコンサートの確認作業になるからだ。
上記の理由から、この映像が記事主の書くような、彼が殆ど苦もなく高音を出すということの証明にはならない。

次に彼が高音部を歌うときに、身体を折れ曲がらせ歌うのは、単に大げさなパフォーマンスに過ぎないと書いている部分に反論する。
私は、2015年1月、日本で行われたバースデーファンミに於いて、実際に目の前で彼の歌う姿を観ることが出来た。その時、彼は「Brighter」を熱唱した。この記事主の言うことが本当であるなら、彼は私の目の前で、腹筋、背筋を駆使して演技したことになる。
彼は、腹筋も背筋もこれ以上出来ないと思うほどに身体を使って歌っていた。それは、高音部を出す時に特に顕著だった。それが全て演技によるものだったというのだろうか。
私は、これらが演技だとする人に尋ねたい。どんなメリットがあって、それほどに背筋や腹筋を動かして演技する必要があるというのか。もし、身体を使わなくてもラクに歌える技術と声を持っているなら、歌手としてそれを自慢するだろう。この記事主が書くように「おおげさな演技」をするメリットが歌手にあるとは思えない。身体を使わなくても、これほどに高音をラクに自分は出せるのだ、ということは、歌手としての自慢にこそなれ、デメリットにはならないのである。

彼の発声を聴けば、それが身体を使って出している声かどうかは、歌をする人間には容易に判断がつく。
身体を使って歌う声には、響き以外に芯が通った声になる。それは、身体を使わず強靭な喉で歌う喉声とは明らかに別物だ。
彼がデビューまもない頃から韓国で主に活動していた最初の1年間の歌声とその姿を確かめればいい。彼の声は明らかに今の歌声とは違って、響きも浅く、芯の通らない声をしている。そして身体を今のように折り曲げて歌っていない。大きく手を広げて歌ったりしているが、彼の腹筋も背筋も殆ど動いていない。即ち身体の部分は仁王立ちに近く、ステップを踏んだり振り付けによる動きをしているだけで、声を出すための動きをしていないのだ。
彼自身が自分の歌声についてインタビューに答えているものがある。
最初の頃は、自分の歌声が自分自身でもよくわからなかった。しかし、日本に行き、日本の歌を歌うようになって、自分の歌声というものが、どのようなものなのか、どの声を使えばいいのかがわかるようになったと答えている。そして、それは、Beginの歌で初めて自覚をし、その声を身につけるのに、1年半ぐらいかかった、と答えている。
彼の歌声については、何度も記事に書いてきたが、確かに「Begin」以前と以降では、彼の歌声に少しずつ変化が見られるようになり、「Sky」において確立されたと私は感じる。
また、その頃から、彼の歌い方のスタイルが今のような身体を使う歌い方に変わっていったと感じる。
とにかく実際に歌を本格的に基礎から勉強した人間であれば、彼の歌声を聴けば、どのように声を出しているのかがわかり、歌う姿を見れば、それがアテレコなのか、実際に声を出しているのかは、一目瞭然なのである。
この映像は完全にアテレコの映像であり、彼自身がその場で声を出して歌っていないことは明白な事実である。

また、彼が「オンチであった」という部分と最後の赤字の部分、即ち、彼の音程に合わせてアカペラが歌われたとする部分についてだが、確かに彼の音程に合わせてアカペラは歌われている。そして、彼の唯一の欠点を言えば、音程が若干上ずる時があるということだ。
この音程が「上ずる」という現象は、頭声発声の人に起こりやすい特徴で、地声で歌う人には絶対に起こり得ない。
音程の正確さにおいて、ビブラートの響きを持つ声は、ビブラートのないストレートな声質に比べ、若干の誤差を生じがちだ。それは、音の持つ幅に対して、ビブラートの響きの核を為す音の高さが、どこを取るかによって生じる誤差である。音の幅の中心を取る場合、殆ど誤差は生じない。しかし、音の幅の下の部分を取れば、若干下がり気味の響きに聞こえ、その反対に上の部分を取れば、若干上ずった印象を持つ。
上質のビブラートを持つジェジュンの場合、その響きの核は、いつも音程の幅の中心に置かれていることが多い。
アカペラで歌う場合は、ジェジュンの響きの幅に他のメンバーが合わせることになる。5人のメンバーのうち、ビブラートを持つ歌声は、ジェジュンだけであり、その他のメンバーは彼の響きの中心を取る音程に合わせることになる。
その為に原曲に比べて若干の音程の幅のずれが生じるのを防ぐ為に、彼の音色の持つ音の幅に合わせるということになる。
そして「声が上ずる」歌手と「音程が下がる」歌手とでは、どちらの方が修正しやすいかと言えば圧倒的に「声が上ずる」歌手の方になる。
「上ずる」音程は、響きの位置を修正するだけで、正しい音程になる。しかし、「音程が下がる」のは、その原因が複雑だ。発声の仕方が悪いために音程が下がるのか、根本的に正しい音程を取れないのか、腹筋が弱いせいで下がるのか、下がっていることに気づかないのか。原因は複雑だ。そして、高音部が下がるという現象は、歌手としての老化に繋がる根本的な問題を含むことが多い。年齢が上がった往年の歌手にありがちな「音程の下がり」は、歌手生命に繋がる。デビュー当初の音程で、デビュー曲をいつになっても歌い続けれる歌手は、日本でも限られている。それを考えるだけでも、歌手と音程の正確さは、歌手生命に直結した問題だと言える。

この記事を注意深く読んでみるといい。
ジェジュンの紹介記事であるにも関わらず、青字で示した部分では、完全にジェジュンよりジュンスの方が優れた歌手だと説明している。
この記事を誰が書いたのかはわからないが、ジェジュンの歌手としての評価を巧妙に下げる為に仕組まれた文章だという印象を拭うことはできない。
そしてこれが、韓国で一般の人も読める「歌手ジェジュン」の評価に繋がるナムウィキに書き込まれているということが、韓国でのジェジュンの置かれている位置を指し示していることになる。
こうやって、彼の歌手としての評価は、巧妙に潰されていく。
その思惑も理解しないで、この記事を安易にRTし、彼の動画を記事の内容に従って批判するツイをまき散らすファンがいることが私には信じられなかった。

「この記事の反証を出せるのはkukoさんしかいません。お願いします」と言われて、この記事と動画の存在を初めて知った。
彼の歌手としての実力を批判する記事があれば、私に紹介して欲しい。
その記事を論破するだけの自信がある。それぐらい、彼は、歌手として非の打ち所のない進化をこの6年間で遂げてきたと言える。
他のメンバーが、6年前と同じ位置に留まっているのに対し、彼は確実に進歩してきた。そして、まだまだソロ歌手として伸びしろがある。
完成されてしまった歌手よりも、進化し続ける歌手の方が、どれだけ魅力的かわからない。
そして、彼が進化し続ける限り、私のreviewも終わることはない。

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