私の部屋には、未開封のDVDが何本もある。そのどれもが、ジェジュンの東方神起時代のものだ。
ファンになったのは、2010年1月。
5人が実質上、分裂していたにもかかわらず、表向きは、5人で新曲を出し、メイキングを撮影していた頃だ。
エイベックスは、不安なファン心理を煽るかのように、今まで発売したDVDのバックナンバーを全て発売した。今から思えば契約が切れることがわかっていて、最後の一儲けだったのだろう。それを薄々感じながらも、ファン歴の浅い私は、その全てのDVDを買い漁った。
けれども、結局、そのDVDのどれもが未開封のままだ。
日本でJJYとして活動が始まり、6月にはTHANKSが行われた。その間も彼はドラマに出演していて、日本に彼がいるという安心感、毎週、TVで彼を観ることが出来るという満足感の中で、5人時代のものを観ようという気持ちにならなかったのかもしれない。
日本で彼がいても、3人には裏切り者というレッテルが貼られ、常に攻撃対象になっていた。特に彼は一人、日本に残っていたために、2人のファンの不満を一身に浴びる格好になっていたと言える。連日、ネットを徘徊すれば、ファンの叩き合いという構図の中で、とても5人時代のものを観る気持ちにはならなかった。あれほどに聴き込んだ5人時代の歌を聴くことさえ苦痛だった。
そうやって分裂から約半年。突然、彼の日本活動が打ち切りになった。
気持ちの箍が外された。登りかけていた梯子を外されたような気持ちだった。
彼がa-nationを終えて、日本を離れる時、空港の出国ゲートの前で立ち止まり、深々とお辞儀をした、と聞かされた。
何か様子がおかしかったとその場にいた人から聞かされた。
そして、日本活動の打ち切りだった。
深々とお辞儀したときの彼の気持ちは、どうだったのだろうか、と思うと堪らない気持ちになった。もう二度と日本には来れないかもしれないという不安を抱えて、どんな気持ちでお辞儀をしていったのだろうかと…
そう思うと涙が出そうだった。
それから私は5人時代のDVDを封印した。
最近、twitterなどで彼の5人時代の映像をよく見かけるが、どれも殆ど知らないものばかりだ。たぶん、DVDのどれかには入っているのだろう。
5人時代のアルバムも長い間、聴くことが出来なかった。特に彼が一切歌うことが出来なかった2012年は、辛くて過去の歌声を聴くことさえ出来なかった。
5人時代のアルバムを聴けるようになったのは、つい去年のことだった。彼の日本語の歌が聴きたくて、久しぶりにCOMPLETE SINGLE A-SIDE COLLECTIONを取り出した。
彼の歌声の変遷が聴きたくなったからだ。
あれほどに悲しくて聴くことすら出来なかったアルバムを平気で聴くことが出来た。彼の歌声が懐かしく、私の中で5人時代の曲は完全に過去のものになったのだと感じた。
それは、彼がソロ活動をし始めたからに違いなかった。
ソロで歌う彼の歌声をコンサートやアルバムで聴くことで、私の飢えは満たされていたのだと知った。
5人時代の曲を聴き始めた頃、彼のソロパートが終わる度に、もっと聴きたい、もっと彼の歌声が欲しい、彼だけの歌声で、始めから終わりまで聴きたいと思い続けてきた。
その私の心の飢えを彼は、ソロ歌手として歌う事で満たしてくれていたのだと知った。
あれほどにグループにこだわり、絶対にソロでは歌わないと言い続けていた彼に、最初から私はソロ歌手としての歌を願った。
決して叶えられない願いなのだと何度も失望しながらも、彼のソロ曲を諦めることが出来なかった。
歌手であるなら、歌が好きなら、きっと彼はソロになる、と信じていた。
曲の始めから終わりまでを一人で歌う快感は、それを経験したものにしかわからない。
彼がその経験をしていないとは思えなかった。
彼がソロとして踏み出すのにたった一つ必要なことは、「自信」だけだと思った。
彼が自分のソロ曲に自信を持つこと。一人でも歌えるのだと自信を持つことだけだと思った。
これほどに歌が上手く、多くのファンを魅了する歌声を持ちながら、信じられないことに彼自身が自分の歌に自信を持っていなかった。
「ボスを守れ」のOSTを歌った時から、いつも彼の瞳の中には不安が色濃く宿るのがわかっていた。
どうしてそんなに自信がないのか、さっぱりわからなかった。
それでも他のメンバーがソロ活動にシフトしていく中で、彼もどこかで気持ちの踏んぎりをつけたのだろう。
最初はミニアルバムから……
ファンミという形態を取りながらミニコンサートを開いた。
そうやって少しずつ少しずつ、ソロ歌手としての歩みを始めた彼の歌声を2013年には、たくさん聴くことが出来た。
その満足感の中で、いつしか5人時代の曲は完全に過去のものになったのだと思う。
私の部屋には、多くの未開封のDVDがある。
これは、彼が日本で再デビューして、日本活動が始まったら、きっと開封することが出来るだろう。
その時、若い頃の彼の日本活動を、彼の人生の通過点として観ることが出来ると信じている。
私の中の彼の日本活動は、味スタのa-nationで止まったままだ。
いつの日か、必ず、そのコマが動き出す日が来ると信じている。
その時、私の部屋から、未開封のDVDはなくなるだろう。
その日を信じて、待ち続けたい。
※
前記事の過去記事にコメントやメッセージをありがとうございました。2012年は本当に一つの転換期だったと思います。
ジェジュンにとっても私達ファンにとっても忘れられない年になりました。
サセンを仕組んだのが一体誰なのかも含めて、事務所はなぜ、彼に「ジャッカル」を提示したのかということも深い意味を持つかもしれません。
あの映画は、最初、事務所は、他のメンバーを主役にするつもりでした。歌手の役ですから、当然、事務所イチオシの歌手にさせたかったのです。しかし、その歌手では、スポンサーがうんと言わなかった。スポンサーは、ジェジュンでなければならないと言ったのです。それで、彼に決まったという経緯があります。
ジェジュンは与えられた役を見事に消化して、自分のイメージを壊す事を厭わなかった。ですが、本来、あの役をどのように演出するかは、制作側の意図が大きく反映するものです。即ち、あれほどにイメージを壊さなければならないような役にするのかどうか。もし、イチオシの歌手がキャスティングされていたとしたら、もっと別のイメージのものになっていたかもしれません。共演女優が、ジェジュンを説得し、事務所も説得して、彼は映画に出る事を決めました。
ただでさえ、過酷なドラマ撮影の中で、同時期に映画の撮影を被せる必要があったのかなかったのか。それも含めて、作為的なもの。彼のイメージを貶めたいという意図を感じないと言えば嘘になります。そんな中で起こった転落事故。あの時の事務所の対応を見れば、如何にその事故自体が、胡散臭い匂いのするものだったと思うのは私だけでしょうか。
あの頃は、そこまでするだろうかと日本の常識から考えて半信半疑で想像していたことが、今なら確信出来るという状況は怖い構図だと思っています。
そして、あと7ヶ月で彼は間違いなくその環境に戻る。
戻ってくる。
その時、何が起きるのか、想像したくもない、と今は思います。
彼と一緒に起きてくる事を乗り越えていく生活が、再び始まるのだということを心に留めておきたいと思います。
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