イベントの冒頭。
何の音楽も紹介もなく、薄暗い照明の中、ステージに現れた彼は、「手紙を書いて来ました」
と言って、とつとつと読み始めた。
それは、トップアイドルとして君臨したキム・ジェジュンからの手紙ではなく、日本活動を8年間、ただひたすらに切望し続けた1人のジェジュンという韓国の若者からの手紙だった。
「諦めないでよかった…… ありがとう」
そう言って深々と頭を下げた彼は、まるでこれから日本でデビューする新人のように見えた。
2018年2月1日は、ソロ歌手ジェジュンの始まりの日だった。
私は、幸運にもイベントに参加した。
限定イベントというものの特質は、その場所、その空間に存在した人達だけに与えられた記憶があると思う。
「もっともっと小さな所でやりたかった。ファンの皆さんと同じ空間を共有したかった」
彼はそう言った。
そして、何度も
「今日から新しく始める」
「今日が新しい始まり」
そう語った。
「長く待ち続けてくれたファンの皆さんに、何をプレゼントとしようかな、と思ったら、これしか浮かばなかった」
と無料イベントを開催した理由を答えた。
彼は、非常に緊張していた。
イベントが始まり、司会者とのやり取りが始まっても
「今も唇が1000回ぐらい震えてる。すっごい緊張してますね」と語った。
そして、何度も何度も小さなため息をついた。
「新しいヘアメークの人にして貰うのも、なんか慣れなくて、変な感じですね」
スタッフも出会う人も、何もかもが、彼にとっては、新しい出会いであり、彼にとっても、全てが新しい始まりだった。
まるで、メジャーデビューを控えた新人歌手のファンミのように、彼は謙虚で、ある意味、初々しかった。
ファンの要求に対して、
「めっちゃ上から目線じゃないですか?」と笑いながら、やんわり交わした。
自分も新しく始めるから、ファンも新しい気持ちで応援してほしい。
そんな彼の気持ちが伝わるようなイベントだった。
彼は、歌わなかった。
「今日は、100パーセント歌いません」と言った。
「ツアーはしません。僕は、アルバムが出てからツアーをする」
ソロ歌手として生きていくと決めた彼の譲れない、譲らないスタンスのように聞こえた。
日本では、彼は、ずっと歌手だった。
どんなにドラマに出ても、あくまでも歌手。
歌手の椅子にきちんと座っていた。
その彼を歌手ではなく、単なる韓流スターに仕上げたのは、韓国であり、Cjesだ。
彼から歌手の椅子を取り上げ、俳優の衣を着せ、俳優業の片手間にたまに歌を歌わせる。
そんな韓流スターに仕立てあげた。
それが、彼を韓国に取り戻すことだったのか。
8年前、日本活動が打ち切りになったとき、「やっと彼を韓国に取り戻せた」という言葉を何度も聞いた。
日本でブレイクし、トップグループにのし上がり、国民的な行事である「紅白歌合戦」に二度も出演を果たした東方神起というグループ。すっかり日本の現地化政策の中で、日本のヴォーカルグループとして存在感を確固たるものにしていた東方神起を、韓国に取り戻すこと。
そんな言葉を関係者から何度となく聞いた。
「ウリ○○」「ウリ○○」
韓国文化を知る中で、この言葉に嫌というほど出会ってきた。
それほど、韓国という国は、何でも自分のものにしなければ気に入らないように見える。
自分達のものはもちろん、他国のものでも、自分達の国にルーツがあると言い張るのが得意な国だ。
そんな国からしたら、東方神起から出た彼が、日本ナイズされるのは耐えられなかっただろう。
彼に自分が何人であるのか、自分の国はどこなのか、自分が何者であるのか、それを知らしめることから始まったのかもしれない。
そうやって、8年。彼を韓国という国に閉じ込めてきた。
彼に政府関係の広報大使をいくつもさせ、アリランを大統領の前で歌わせ、ナショナリズムを徹底して叩き込んで来た。
それでも彼の日本に対する思いは変わらなかった。
彼を歌手の椅子に座らせたのは、紛れもなく日本という場所だったからだ。
彼にメインボーカルというポジションを与え、歌手としての成功体験を与えたのは、日本という国だった。
決して突出した歌い手とは言えなかったビジュアル担当の彼の歌声を生まれ変わらせ、七色のヒーリングヴォイスと言われるまでに成長させたのは、日本の音楽だった。
彼の生まれつき持って生まれた歌声の特性、骨格、声帯の形。
それらの特質に一番適合し、才能を伸ばしたのは、紛れもなく日本の音楽との出逢いに於いてだった。
だから、彼は日本活動にこだわった。
「日本では日本語で歌いたい」
何度も何度も彼はそう言った。
それは、彼の歌手としての揺るぎない成功体験に基づく言葉以外の何者でもない。
自分を歌手として初めて認めてくれた場所。
自分の歌を初めて静かに聞いてくれた場所。
自分の歌声を好きだと言ってくれた場所。
人は、自分の中にある成功体験を決して忘れない。
彼が日本活動にこだわった理由は、日本での活動が彼の成功体験と直結しているからに他ならない。
そしてその体験は、彼だけの中にある感覚であり、誰もその中に立ち入ることを許されない場所でもある。
その場所に土足で踏み込み、歌手としての自覚も歌手としての活動も場所も奪い取ったのは、他でもないCjesだ。
彼を単なる俳優、韓流スターに仕立て上げ、徹底的に韓国人としての自覚を促し続けた。
そうやって、韓流スター、キム・ジェジュンは出来上がったのだ。
彼を再び歌手の椅子に座らせ、ソロ歌手としての自覚を呼び覚まさせたのは、皮肉にも軍隊という場所だった。
ぺク氏は、入隊前、何度も彼を「入隊させたくない」と発言している。
「軍隊に入れば、人間が変わる。そういう苦労をさせたくない」とも言っている。
彼にグループでの日本活動をチラつかせては、何度も説得し、入隊を伸ばさせて来た。
そんな説得を振り切るかのように、現役入隊を自分の口で発表し、軍隊に入ったときから、もうCjesには、手が出せない状態になった。
ぺク氏の最も恐れた「人間が変わった」のだ。
除隊後の彼は、すべてを自分で決め、自分の口から発表した。
JAEFANSが発足しても、ケイダッシュの新年会の画像が公開されても、彼の日本活動の正式な発表がなかったのは、彼が、自分の口から、日本活動再始動をファンに伝えたかったからに違いない。
先ず、ファンに伝えたい。
日本活動の再開は、自分の口からファンに伝えたい。
彼の冒頭の手紙には、そんな彼の気持ちが溢れていた。
「JB’sは、日本での僕の個人事務所です。ケイダッシュさんがマネージメントしてくれる」
「いつも大きなステージでコンサートとかしてきたけど、今回は、小さな場所でやりたいとケイダッシュさんにも何度も言って、協力してもらった」
そう彼は言った。
JB’s、JAEFANS。
彼は、日本での自分の活動に必要な場所にすべて自分の名前をつけた。
あくまでも自分が活動の主導権を握るのだ、という彼の強い意思の現れのように思える。
ケイダッシュは、彼の意向を組みながら活動させてくれるのに適した事務所なのだろう。
音楽事務所であるなら、経験に基づいた既存のやり方を押しつけてくる可能性もある。デビューしたての東方神起の頃とは違う。
プロデューサーのいないCjesの中で、彼は、自分の歌手活動を何もかもを自分でカスタマイズしてきた。その経験が皮肉にも彼にプロデューサーとしての能力を伸ばさせる結果になった。
そんな彼は、日本活動も当然、自分で何もかもしたいと考えるはずだ。音楽人の少ないケイダッシュなら、それも可能であり、彼は自由に出来る。
さらに、メディアにめっぽう強く、看板俳優を多く抱えている事務所となれば、歌手以外の活動の可能性は十分に広がる。
少々のスキャンダルは、もみ消してしまうほどの力を持つ事務所だ。
彼は、最もいい事務所と組んで再始動のスタートを切ったと言える。
ケイダッシュだからこそ、Cjesも黙って手を引かざるを得なかったとも言える。
「グループ名も過去のことも×で」との意思をハッキリ、メディアに伝えた彼は、過去の日本活動を捨てて、一からやり直そうとしているように見える。
ソロ歌手ジェジュンと表記された記事は、まさに彼の決意と意思の現れであり、日本の芸能界で一人で活動していくという宣言でもあるだろう。
日本活動に関しては、誰にも何も言わせない。
誰にも邪魔をさせない。
やっと手に入れた日本活動の場所を彼は、誰にも渡さないだろう。
この8年間、切望し続けた日本活動。
彼が、その場所を手放すことは二度とないはずだ。
ソロ歌手ジェジュン
その誕生とスタートの場所と空間を共有出来たことに感謝している。
彼を日本に取り戻したい、と願って8年。
こんな日が来るとは思わなかった。
諦めないでよかった。
彼の姿を見ながら、心からそう思った。
文責kuko
(文章の一部、又は全部の無断引用、転載を禁じます。リブログのみ許可)
※
限定イベントというものは、その空間を共有したものだけに与えられたものだと思っている。
多くの芸能人は、少人数のクローズイベントを行なっている。日本の芸能界では、何百人規模のイベントは決して珍しいことではない。
そして、その内容が公式以外から公開されるということなど、聞いたことがない。
それが、日本の芸能界とファンのあり方だった。
今回、イベントの内容が、あちこちに情報として出され、冒頭の手紙の文字起こしまでされているのを見かけた。
冒頭の手紙は、彼が、本当にこの日、集まったファンの為に書いてきたものだった。
それが、文字起こしされ、広く拡散されることになると彼は想像しただろうか。
あれほど詳細な内容は、録音していない限り、決して出来るものではなく、イベントの始まる前に、「録音、録画、撮影は一切禁じています」と放送された注意事項のルール違反としか言いようがない。
今回のイベントでは、入場前に手荷物検査はなかった。
それは、限定イベントと名打っている限り、そんな検査などしなくても当然、注意事項は守るだろうという善意の信頼に寄るものだと思える。
その信頼を見事に裏切ったファンが何人もいたということになる。
会場で録音し、撮影し、それを公開する。
それは、まるで韓国と同じだと感じた。
8年前、ブログを始めたとき、韓国からあがる盗撮映像や画像の多さに、マスコミで公式に発表されなくても記事を書くのに事欠かなかった。
日常茶飯事のように挙げられる画像や映像を観ながら、それが当たり前のように感じていた。
マスコミに封印され、情報も上がらず、それらを頼りに彼の動向を知る。
そんな日常がファンとして当たり前のように感じてきたことは確かだ。
彼が日本に戻る。
日本芸能界で活動する。
それは、正式に発表され、これからは、彼が個人的にInsta.にあげる画像と公式に発表される画像の露出だけで十分になるはずだ。
彼は、普通の芸能人になったのだ。
日本の芸能界の単なる普通の芸能人。
日本で、芸能人のプライベートな画像が多数流出したり、ネットに拡散されるという状況は異常としか言いようがない。
今回、空港での撮影が一切禁止になったことでもそれは、明らかなはずだ。
それが、日本の芸能界のルールだからだ。
その場所に彼は戻った。
ファンもその場所に戻り、ルールを守るべきだと思う。
イベントには、本当にひとにぎりのファンしか参加出来なかった。
そして、記念品が欲しいと思うと言われて、彼が急遽考え、作ったという限定のグッズまで、購入する特権を与えられた。
そんな幸運に感謝こそすれ、録画しようとか録音しようとか、そんな邪念が入り込まないほど、彼の気持ちの溢れた空間だった。
あの場所にいたほとんどのファンは、あの瞬間の彼の言葉を心に刻んで帰ったはずだ。
あの場所の空気感を大切に自分の心の中に閉じ込めたに違いない。
それが、彼の言う「共有したかった」という気持ちだったと思う。
イベントには、カメラが入っていた。
いずれ何かの形で出す予定があるからこそ、カメラの撮影が入っていたとも言える。
イベントに参加出来なかった多くのファンは、それによって内容を知ることが出来るはずだ。
それを盗撮や盗聴をして平気で拡散するという行為を私は到底理解出来ない。
オフレコで話すことと、文字にして公開することとは、全く次元が違う。
他にもルール違反をしていたファンがいたとしても、それを自分だけで楽しむ、親しい人達と共有するというオフレコの行為と、文字にして拡散するという行為との間には、大きな違いがあると私は思う。
ブログを書いて8年。
ブロガーとして多くの事を体験してきた。
ブログを書き始めた何年かは、稚拙な文章や表現で誤解されたり、怒りに任せて名指しで書いたことで、批判された事もある。
そういう経験を重ねて、文字にして拡散する事の責任を少なからず感じるようになった。
自分の意見やスタンスと違うと感じた事を記事にする時も、私は決して名指ししない。
多くの人がそれを読み、推測するのは自由だが、決して私は断定した覚えはない。
単なる一般論として、1人のブロガーの意見を書いてきたに過ぎない。
それを誤解し、批判するのは、自分だと認めているようなものだろう。
文字にして拡散するという事とオフレコで話す事との間には、大きな溝があると感じている。
それを飛び越えて文章にするのであれば、その文章に全責任を持つ覚悟が、たとえブロガーといえども必要なのではないかと感じてきた。
たった2300人の限定イベント。
あの場所で何が語られ、どんな空気感だったのか。
それは、彼が記者会見で語った公式の言葉の中や、新聞での記事で十分ではないのか。
彼の今後の活動を見れば、それは自ずと伝わってくるものだと思う。
彼が日本活動を再開したこと。
「新しい始まり」と語ったこと。
日本の芸能界に戻ったということ。
そんな彼と同じように、私も日本のルールに乗っ取った記事を書いていきたいと思う。
今まで、記事やreviewを書くとき、極力、公式の画像や映像を使用するようにしてきたが、それでも盗撮画像や映像を使うこともしばしばだった。
けれども今後は、公式で出された画像や映像、彼が個人的に公開したもの以外は、極力使用しないことにする。
特に日本活動については、絶対に使用しない。
JAEFANSの規約には、サイト内の情報や画像の使用を禁止している条項があるにも関わらず、スクショして公開するのも、ルール違反と言えるだろう。情報を拡散するなら、何をしてもいいというのは、韓国ナイズされた感覚のようにも感じる。
今後、彼が日本のメディアに露出すれば、一気に新しい多くのファンを獲得するだろう。
そんな時、盗撮の画像や映像の氾濫したブログを見れば、日本の芸能界のルールに慣れている人達はどう思うだろうか。
やっぱり韓国人のファンだから、と思われないだろうか。
彼は、日本の芸能界に自分が定着することを望んでいる。
そんな彼の存在を嫌韓派の人間は決して歓迎しているとは言えない。
ネットの記事へのコメントを読めば、わかる。
それでも元KARAのジヨンを今、応援する日本人が多いように、彼のスタンスは、必ず多くの日本人に受け入れられ、嫌韓派の人間にも理解される存在になると確信している。
そんな彼の足を引っ張らないファンでありたいと思う。
それが、一人のブロガーとして、彼の為に唯一、出来ることなのではないか、と感じた。
※
長くパソコンのブログのトップ画像を変えていませんでした。
2013年6月26日の横アリでの彼の最後の肉声のコメント時の画像にしてきたのには理由がありました。
彼は、この日、日本にソロ歌手として戻ったからです。彼は、このイベントで初めて、日本に自分だけのファンがいることを知りました。そして、彼のソロ歌手活動を希望するファンの存在も知ったのです。けれども彼の切望する日本活動の扉は開きませんでした。
彼の日本活動への気持ちを忘れない為に、彼の日本活動が正式に再開されるまで、画像は変更をしないと決めていました。
2018年2月1日。彼は日本活動を再開すると公式に宣言し、多くのメディアの取材を受けました。
彼は、本当に嬉しかったと思う。8年間の悲願が実った記念すべき取材の画像をトップ画像に据えることにしました。
ファンとして、ブロガーとして、この日の彼の思いと笑顔を忘れない為に。
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