私は、twitterを基本的にやらない。
kukoアカでは、記事の更新通知とジェジュンの呟きを確認することだけを目的にしている。
もちろん、プライベートな別アカも持っていて、普段は、そちらにいる。そこでも彼の呟きだけは、見られるようにしている。
だから、ファン社会のtwitterの世界にはどちらかと言えば疎い。
以前のアカでは、よく自分の考えを呟いていた。フォロワーも400近くいたかもしれない。
けれども、アカウントを乗っ取られて、深夜に英語で勝手に呟かれるようになって、削除した。

私は、基本的にtwitterは、好きではない。
それは、呟きというものには、責任が余り伴わないと思うからだ。
他の人はどうかしらないが、呟きは、基本的に、その場の感情の現れだと思う。
140文字という制限された中でのことばは、その時その時の一瞬の感情の発露でしかない。
TLは流れていき、多くの人の呟きに紛れていく。
自分が、その時に呟いたことは、その瞬間の真実かもしれないが、多くは、その場限りの感情の吐露で、大方が忘れ去ってしまうことだ。
その事に気がついてから、私は、twitterで自分の意見を言うことを辞めた。

人の気持ちは変わりやすい。
今、自分が真実だと思っているその感情が、次の瞬間には、もう変わることもある。
多くの人が、自分の知らないところで読んでいる呟きが、RTされている間に、もう自分の感情は違うところにあるかもしれない。
過去に呟いたことは、その瞬間の真実であって、今の自分を縛るものではない。
それに比べて、ブログや、実際に話すことばは、ある程度の責任が伴う。
それは、その瞬間に消えていくものでもなければ、流されていくものでもない。
いつまでも、人の記憶に残り続けるものだ。

ジェジュンが、ソチで韓国の選手に対して呟いたことばから、彼はやっぱり韓国人だった。もうJPOPを歌わないし、日本も諦めたのがわかる。
だから、離れる、というファンが多いと聞かされた。

離れたければ、離れればいい。

この4年間で多くのファンが彼の元から去っただろう。
彼が、東方神起を脱退したとき、彼の多くのファンは、彼を責めた。
今まで、センターでメンバーの中で一番愛くるしい存在だった彼を徹底的に責めた。
JYJの3人になって、メンバー2人がソロ活動を始めてもそれを責めるファンはいなかった。
でも、彼がソロ活動を始めたとき、「JYJを諦めるのか」「JYJの活動はもうしないのか」と彼を責めた。
彼が、自分だけで事業を始めると、「お金さえ儲ければいいのか」「本業を忘れて、事業家になるのか」と責めた。日本語で呟かなくなれば、「やっぱり彼は韓国人」「日本のことなんか、どうでもいいと思ってる」「日本を諦めたとわかった」と彼を責める。

ファンは、身勝手だ。
彼が日本語で呟けば、「やっぱり日本を忘れてないのね」「やっぱり日本が好きなのね」そんな呟きを見て、彼は何を思うのだろうか。

twitterは、基本的に自分の呟きたいことを呟けばいい。
日本活動ができなくなり、日本のファンとの交流も接点も一切を失った時、彼は、ファンとの交流にtwitterを用いた。それは、半分は、ファンに自分の所在を知らせる為。そして、もう半分は、本来の目的である自分の感情の吐露だったと思う。

彼は、自分に正直だ。
彼ほど、自分に正直な人はいない。
彼ほど、感情が顔に出る人も珍しい。

彼の呟きの中には、いつもその時その時の正直な気持ちが吐露される。
気分が反映される。
ナーバスな感情の時には、ナーバスな呟きに。アグレッシブな感情の時には、アグレッシブに。
その時その時の彼の気持ちをそのまま見せているだけ。
その気持ちや感情は、次の瞬間には、もう変化しているかもしれない。

彼は、「日本を諦めた」と呟いたのだろうか。
彼は、「JPOPを歌わない」と呟いたのだろうか。
彼は、「私は韓国人だから」と呟いたのだろうか。

私の記憶には、ない。

「JPOPが大好き」
「JPOPばかり聞いていた」
「JPOPから影響を受けた」
「日本にもっと来れたらいいな」
「日本のファンの皆さんは特別」
「僕と皆さんは、遠距離恋愛みたいだ」
「いつもそばにいるよ」
「いつまでも待ってて」

THANKSの大阪初日の彼を初めて観たとき、何も具体的に話せない彼を観ながら、彼の人間としての誠実さを感じた。

それまでの彼を私は殆ど知らない。
何の知識も殆ど持たないまま、ただ、彼を観た。
彼が5人の時に、どんなことを話し、どんな存在だったのか、その時の私には、殆ど知識がなかった。
ただ、歌の上手い人。歌から受ける彼の人間性を感じてコンサートに臨んだ。
一人の芸能人としての彼を観たとき、彼の人間としての誠実さを感じた。
韓国人だとわかっていながら、その誠実さは、日本人である私達と何も変わらないと感じた。

その時の私の直感だけが、彼への気持ちを支えている。

その後、韓国へ帰ってしまった彼を観て、韓国で活動する彼を観て、日本にいるときとは、全く違う彼を観て、それでも、彼が日本を諦めたとは思わなかった。

韓国で活躍をし、韓国で話題になる度に彼の中から、日本への思いも日本も消えてしまうのではないか、と何度も思いながら、それでも彼が、日本を諦めたとは、どうしても思えなかった。私は、2011年の釜山コン以来、去年のバースデーコンまで一度も彼に逢いに韓国へ行かなかった。
日本に来れずに、韓国でしか彼に会えないとわかっていても、いつか彼はきっと日本へ帰ってくる、と信じていた。
彼が、日本を諦めたとも、日本を忘れたとも、どうしても思えなかった。
そして、彼の中から、JPOPが消えることも日本語が消えることも、どうしても考えられなかった。

彼の状況を知る度に、何か起きる度に、彼の置かれている立場を考える。
この4年の間にどんな状況でも、彼は、日本への思いをどこかに現そうとしていたように思う。

日本のように自由な国でも今、芸能人の立場で、韓国への好意を示したら、どうだろう。
韓国語で呟いたら、何と言われるだろう。
それでも、まだ、日本は、個人の表現の自由を保障されている国だ。
ネットで嫌韓ムードが漂う中、攻撃されることを覚悟すれば、自由に表現出来る。
しかし、韓国は違う。
韓国で、今、親日感情を現すことは、彼自身を危険に晒すことになるかもしれない。

彼のファンであるのに、彼に彼自身を危険に晒すかもしれない呟きを求める気持ちが私には理解出来ない。
自分の大切な人を追い込む状況をファン自身が作り出す。

彼が、どんな気持ちで「化粧」をリパッケージに入れたのか、韓国語にわざわざ翻訳してまで伝えたかったJPOPの世界。
「化粧」は紛れもないJPOPの曲だ。
どんなに韓国語に翻訳しても、そこに描かれている世界は、日本の情感の世界だ。
そんな行為一つとっても、彼の日本への思いは、私には理解出来る。

どんなに日本への好意を口にしても、行為で示さなければ、それを信じることは困難だ。
実際に韓国のコンサートで堂々と自分の曲目とJPOPを並べて歌うセトリを組んだ彼の行動だけが、私にとっての真実。

4年待ち続けたことば。

「いつまでも待っていてください」

決して、今まで口にしなかったことば、どんなに心の中で思っていても、彼は、ファンに一言も要求しなかった。

「頑張るから」
「皆さんに会えるように頑張るから」

どんなに苦しい状況でも、何一つ要求しなかった。

「もっともっと頑張るから」
「頑張って頑張って、皆さんに会えるようにします」
「よろしくお願いします」

その彼が、ファンにただ一つ、願ったこと。

「いつまでも待っていて」

私は、待てる。
何一つ、要求しなかった彼が、たった一つだけ、願ったことだから。

彼が日本語を忘れない限り彼が日本を嫌いにならない限り
私は、彼を待てる。
待ち続ける。

それは、私が彼に約束したことだから。

離れたい人は離れればいい。

私は、彼がどんな人生を歩いても構わない。
彼が、彼の生きたいように生きればいい。

彼が「いつまでも待っていて」と言う限り、彼の中から、日本が消えることはないと信じてる。

私が彼から離れる時は、
彼が、「もう待たなくてもいい」と言った時だ。

そんな日が来るのだろうか…

「いつもそばにいるよ、そばにいるからね」
私もいつもそばにいる。
彼のそばに…