ずいぶんとブログから遠ざかっていました。
最近は、公私共に忙しくなかなかブログを書く気持ちになれずにいました。
先日、ある人から、韓国のファンが私が書いたと思われるジェジュンのレビューを韓国語に翻訳して紹介されていて、それを読まれた日本のファンが、さらに日本語に翻訳し直してtwitterで回っているようです、と教えられました。 読ませて頂くと、確かに過去に私が書いた彼の歌に関するレビューでした。しかし、余りに記事が多く、私自身、どこに書いたものなのか、見つけることを諦めてしまいましたが…
過去の記事に遡って読み、韓国語に翻訳された韓国のファンの方には、頭が下がります。
彼の歌に関する評価は、この4年間、私の中で何も変わることはありませんでした。
4年前に初めて書いたレビューは、コンテストの第1作に選ばれましたが、今もそこに書かれている気持ちが私の原点であり、何も変わることはありません。
そういうことがあって、すっかり放置していたVocal.Review専用ブログの方へ行ってみると多くの方が読者申請をしてくださっていたのを全く知らずにいました。申し訳ありません。中には、保存期間が切れて、メッセージそのものがなくなってしまっているものもあり、もし、メッセージを頂いていたなら、大変申し訳ないことをしたと思っています。
私がレビューを書き始めたのは、ブログを始めた当初のレビューコンテスト入賞と、その頃懇意にしていた韓国のファンサイトの管理人の方から、「ジェジュンの歌に関する評価が低い。専門家からの彼の歌についてのレビューを書いてください」と言われたことがきっかけです。
私は、彼が東方神起のメンバーであった時から、彼がグループ歌手で終わるような歌い手ではないと思っていました。
歌手には、グループで歌った方がいい人と、そうでない人がいます。
彼は、私達音楽の専門家から見て、明らかに後者のタイプでした。しかし、当時、それを許さない風潮がファン社会にはあり、特にそれはこの日本において顕著な傾向でした。今もそれは歴然とある一部分のファンによって、存在しています。しかし、専門家の目から見て、彼がソロ歌手としての十分な資質を持っていることは明らかであり、その資質を生かすことが、彼自身を一層輝かせることに繋がるということも明白でした。
彼の歌手としての能力の高さを一つ一つ紐解いていくことによって、彼自身にも自分の才能を誰に遠慮することなく発揮して欲しいと願い続けて、レビューを書いてきました。
今、彼は、ソロ歌手として、堂々とステージの上で一人で歌うことに躊躇しなくなりました。
そういう彼の歌を今後も検証し、彼が大きく歌手として成功することを願いながら、レビューを書き続けたいと思っています。
これは、ジェジュンのファンとなった音楽の専門家が、彼にお返し出来る唯一の方法かもしれません。
そんなことを感じながら、久しぶりにレビューを書くことにしました。
★「化粧」の歌唱における歌手ジェジュンの考察
彼の「化粧」は、横浜アリーナのコンサートで初めて登場した。
初日、涙を流して歌うほど思い入れたこの曲が、彼の手によって韓国語に翻訳され、アルバムにまで入れられると、誰がこのとき想像しただろう。
今、韓国語に翻訳された「化粧」は、世界中で聴かれている。
彼の「化粧」の歌唱を私は、一人の音楽家として評価していた。
それは、まず、ことばの処理能力において、この曲で彼が圧倒的な高さの水準を示したからだ。
何度も書くように、日本語ほど歌に向かない言語はない。
それは、日本語のことばは、強弱もリズム感も持たないからだ。
多くのことばの場合、単語自身に強弱やリズム感を持つ。いわゆるアクセントというものの存在だ。
しかし、日本語のそれは、ないに等しい。
どの単語も平坦で抑揚のない発音で構成される。
そのため、作曲家は日本語の歌詞をつけるのに苦労する。
単語そのものにリズム感も強弱も持たないため、そのまま音符に割り振ると、何を言っているのかわからない平坦なひらがなの羅列になる恐れがあるからだ。また、日本語の特性上、一音符に一つの文字を当てはめざる得なく、それがさらにことばの平坦さを助長する。その為、曲のリズム感に合わせて、ことばを割り振ろうと努力しても、却って何のことばかわからなくなるときも多い。
結局、歌詞を正確に伝える為には、その歌を歌う歌手の言語処理能力に頼るしかない。
中島みゆきの「化粧」は言葉数が多いことで有名だ。
この曲が発表された当初、この曲は、当時失恋したばかりの彼女自身を投影されていると言われ、彼女自身、この曲を歌うときには必ず号泣していたという。
余りに泣くために、いったい何を歌っているのかほとんどわからなかった、という話もファンから聞いた。
それぐらい彼女自身の思い入れの強い曲だったに違いない。
1978年に発表されたこの曲は、何人もの歌手にその後、カバーされている。
ジェジュンは、この曲をネットで初めて聞いた、という。
彼の日本でのアレンジは、清水翔太のそれと全く同じだ。
彼は、清水翔太の「化粧」を聞いたのかもしれない。
横浜アリーナで歌った「化粧」は、確かに上手かった。
多くの中島みゆきファンが、「とても韓国人が歌っているとは思えない」と言った。
化粧は、女性歌手が歌うより、男性歌手が歌った方が、なぜか切ない。
彼の甘く切ない声にピッタリとはまって、彼独自の「化粧」の世界を具現した。
アリーナが終わっても、彼はこの曲を手放さなかった。「僕の一番好きな曲」と言った「僕のそばに」ではなく、「化粧」を彼は、ずっと持ち続けていた。
アルバムを制作する間も、コンサートの準備をする間も…
再び、私達が「化粧」を聴くのは、彼が翻訳した韓国語の「化粧」だった。
翻訳して歌おうと彼に決意させたのは、何だったのだろう。
自分の「化粧」の評価が高かったのを知っていたからか。
それなら、「Ultra soul」や「Gramorous sky」のように日本語のまま歌えば良かった。
わざわざ韓国語に翻訳してまで、彼が伝えたかった「化粧」の世界。
この「化粧」の世界を彼自身が、完全に理解しきっていたからに違いない。
「自分の経験の中にもある」という「化粧」の世界は、振られてもなお、相手に愛してもらいたかった、と自分の心に気づく世界だ。
「愛されたい、愛されたい」と願いながら、愛する人からは、愛を与えてもらえなかった彼の中の経験が、この歌唱に投影されて、泣いたのだろうか。
日本語の歌唱においては、聴き比べると彼の進化がよくわかる。
アリーナの時には、ただひたすら歌詞を伝えようと、丁寧に歌う姿があった。
横スタ、大阪と歌い込むたびに彼の「化粧」は、こなれていき、名古屋での歌唱においては、完全に彼の自由自在になる曲になっていた。
彼の日本語のセンスの良さは、一つの部分を取って検証してみても明らかだ。
「流れるな なみだ」
この部分の歌唱において、おおかたの歌手は、「流れるな」と声を張り上げたあと、そのままの強さで「なみだ」を歌うことが多い。そのほうが息をコントロールしやすいし、感情もそのように歌いたくなる。メロディーラインの展開もそのように歌いやすく作ってある。
しかし、彼は、そうは歌わない。
「流れるな」で一旦張りのある声で歌ったあと、「なみだ」だけは、力を抜いたソフトな声で処理する。
これは、「なみだ」ということばに対する彼のイメージだ。
「なみだ」ということばの意味を考えたとき、力を抜いて歌うことが、このことばの持つ響きを正確に具現出来る。
はらはらと流れる涙は、決して強いものではなく、儚さや危うさを伴う。
この場面で流す涙は、決して強い涙ではない。
彼には、完全にこの場所に立つ女性の姿が見えているのだろう。だから、このようなことばの処理になるのだと思う。
彼のようにもともと甘い声を持つ歌手は、得てして、その声に頼りがちになり、表現力という部分において研鑽が甘い人が多い。
しかし、彼は、持って生まれたセンスの良さに加えて、高い言語処理能力と言語感覚を持つ。
ことばの一つ一つに色を与えることの出来る人だ。その能力の高さが、「化粧」の歌唱を進化させた。
名古屋における彼の「化粧」は、自分の側に曲をおいて、一生懸命歌っていた横アリと違って、自分から曲を離し、完全に消化しきった「化粧」を披露していた。
だからこそ、彼は、歌詞の語尾の間違いをごまかして歌うことを自分に許さなかったのだろう。
歌手が、一旦歌いだしたものを途中で辞めるのには、相当の勇気と決断がいる。
しかし、彼のこの曲に対する歌手としての真摯な姿勢は、一切の妥協を歌手ジェジュンに許さなかった。
こういうときの彼の決断力は、一瞬の迷いもない。
それが彼の進歩する最大の原因だ。
今、中島みゆきの「化粧」は、ジェジュンという歌手によって蘇ったと言っても言い過ぎではない。
この日本語の「化粧」を多くの日本人は聴くことが出来ない。
それが、残念でならない。
彼は、韓国語に翻訳した「化粧」をアルバムに入れ、世界に発売した。
韓国語の「化粧」においては、日本語のそれとアレンジが異なる。
日本語の「化粧」は、ピアノアレンジのみで歌うのに対し、韓国語の「化粧」は、ピアノに加えてバイオリンなどの弦楽器が加わる。
そのアレンジによって、化粧は、本格的な楽曲としての重さを持つ。
日本語の繊細な響きには、ピアノアレンジがよく似合っても、韓国語の太い力強い響きには、ピアノだけでは物足りないものが残る。
韓国語の言語には、弦楽器の響きがとても合う。
そういう使い分けが出来るところにおいても、彼の能力の高さの一端を知ることが出来るのだ。
彼が、日本語の歌を歌うときは、従来の彼が持っている元々の声の響きより、細く響かせる声を多用し、韓国語では、従来の少し太い響きの声を多用する。
二つの「化粧」を聴き比べるとその違いがよくわかる。
本来、日本で活動していたならば、「化粧」は、おそらく日本語と韓国語の両方が収録されたCDとして発売されいたに違いない。
今回の試みから、彼の歌手としての可能性が見えてくる。
★歌手ジェジュンの将来の展望と可能性
彼は、昨年、約3年のブランクを経て、見事に歌手として蘇った。
その大きな原因の一つに横浜アリーナがある。
ミニアルバムを出して、コンサートとは名ばかりのファンミ主体のアジアツアーを展開し、最後に横浜アリーナが彼を待っていた。
彼を待っていたのか、彼自身が計画したのか… とにかく、横アリでは、彼は日本だけに特別なプログラムを用意した。
それは、歌手ジェジュンとして日本へ帰ることだった。
アジアツアーのファイナルと言いながら、アルバムから選んだ曲はたったの3曲だけ。
あとの楽曲は、すべてJPOPのカバーだった。
これは、彼が日本では、JPOP歌手ジェジュンとして帰りたいという意思の表れだったように思う。
歌手としての成功体験のある日本でJPOP歌手としてコンサートを3日間行い、彼はドラマの仕事を断って、歌手としての仕事を選んだ。
それは、大きな決断だっただろう。
決してソロ歌手として歌わない、とJYJ活動にこだわり続けた彼からの脱却の始まりだった。
そう決断した彼にとってフルアルバムを作るまでの時間は余りにも性急すぎた。
多くのアーティストが、初めてのフルアルバムに十分な準備時間を取るのに対し、彼のそれは、まるで急に決まった突貫工事のようだった。
人は、急に何か突発事項が起きたときに、本当の実力が見えてくる。
私達の心配とは裏腹に、彼のフルアルバムは、高い水準と完成度を見せた。
それもロックというジャンルにおいて。
「このアルバムは、煉瓦を積み上げるようにして出来たもの」と言ったように、日頃、彼がストックしていたものから、引き出された曲達に違いなかった。
彼は、音楽を手放してはいなかったのだ。
どんなに俳優業に追われ、歌えなくても、彼のそばから、音楽も歌も消えることはなかった。
一人暮らしの中でいつもそばにあるのはピアノであり、音楽だったはずだ。
ピアノを弾くと、頭がスッキリする。
こんがらがって疲れきった脳にピアノは休息を与えてくれる。
歌手であってもピアノが弾けるのと弾けないのとでは、全く違うのだ。
なぜ、ピアノがいいかと言えば、それは歌と全く違う能力を要求されるから。
ピアノを弾いているときは、他の能力の部分は休むことが出来るから。
これが、ピアノを弾くと気分がスッキリする、と言われる所以だ。
彼の側にはいつもピアノがあって、彼の心を慰める。
慰めたり励ましたり、ときに自信も与える。そうやって、この3年、彼は音楽と共に生きて、自分が歌手であるということを決して忘れなかった。
どんなに歌えなくても音楽を、歌を手放さなかったのは、彼の強い意思による。
彼のフルアルバムは完成し、私達は、ロック歌手ジェジュンに出会った。
ロックを提示しながら、彼の中にはJPOPへの強いこだわりが見えた。
彼自身が言っているように、JPOPは、彼に大きな影響を与えたものだ。
そのツールを彼は決して手放さない。
「化粧」を韓国語に翻訳し、JAPANロックをアジアツアーのセトリに入れ、JPOPを歌い続けるという明確な意思表示をした。
歌手ジェジュンの中からJPOPが消えることはないのだ。
「化粧」を韓国語で聞いた韓国の人達は、どんな印象を持っているのだろう。
韓国の人達に、日本の女性の気持ちは伝わったのだろうか。
日本語の楽曲を韓国語に見事に翻訳して歌い続けるジェジュンという歌手は、翻せば、韓国語の歌を日本語に翻訳して歌うことの出来る能力も兼ね備えているだろう。
彼の歌を通して、日本と韓国が近くなればいい。
政治に関係なく、文化の交流が民意を変えることはよくある話だ。
彼に出来るのなら、多くの今、日本でデビューしている韓国人歌手にも出来ることなのか、と言えば、それは違う。
5人の東方神起は、完全に現地化した、JPOP歌手グループであり、KPOPではなかった。
「とうほうしんき」は「トンバンシンキ」とは違うのだ。
「キム・ジェジュン」が「ジェジュン」と違うように。
ジェジュンはあくまでもJPOPの歌手だった。
しかし、今、アジアツアーでのコンサートにJPOPロックを歌う歌手キム・ジェジュンは、決してジェジュンを捨てないという彼の決意なのかもしれない。
入隊までの半年あまり。彼は、どんな仕事を選ぶだろうか。
入隊を控えて、海外に出ることが許されない状況の中で、彼は、最後に何を発信し、何を残していくだろう。
願わくば、たった1曲でいいから、今の彼の歌声で日本語の楽曲が欲しい。
進化し続ける歌手ジェジュンなら、どんな曲を歌っても、日本語の持つ繊細な世界を具現することが出来る。
歌手として進化した彼の歌声を多くの日本人の耳に届けたい。
彼が、除隊後に日本で活動を望むなら、たった1曲でいいから、彼の日本語の曲が必要なのだ。
それさえあれば、日本の市場は、彼を待てる。
彼を決して忘れないだろう。
かつて、彼の甘い日本語の歌声に多くの日本人が好感を持ち、心酔した。
日本人かと見まごうほど、日本という国に同化した彼のことを忘れ去っている日本人は少ない。
記憶の底に眠っているだけなのだ。
その記憶が、完全に眠りにつく前に、歌手ジェジュンとして日本に復活することを願う。
そして、それは、私達の悲願である。
文責 kuko