よほど売りたくないのか、いや、売れて欲しくないのか。売れると困るのか。

韓国での新譜の発売日と音源の公開日が異なるというのがことの発端だった。
アルバムの発売日と音源の公開日が異なれば、映像の再生回数や売上げに大きく影響するという。
韓国のファンダムがCDの流通元に確認し、その原因がCjesからの指示によるものとの理由で、同じ日にするように是正を求めなければならないという。
今日になって、流通元は、同じ日に公開することが可能だと回答した。しかし流通元が勝手に日程を変更するのではなく、あくまでも事務所からの指示が必要なのだろう。
1.音源公開とアルバム発売日を同じにすること、
2.iTunesの告知をJYJラインで行うこと、
3.YouTubeでMVの公開を早急にすること、
4.日本での各販売店の発売日を統一すること、
以上の4点を要望するメールをCjesに大量に送りつけようという企画が始まっているらしい。
その騒動をどこか冷めた気持ちで見ていると言ったら、ひんしゅくを買うだろうか。
やっぱり始まったと思ったのが正直な気持ちだった。

ジェジュンが入隊前にアルバムの準備をした、と自分で告知したとき、「ああ、見切り発車したのだな」と思った。
彼がアルバムのことを話さないまま入隊したら、きっと発売されないのだろうと思った。だからどんな形で出されるかもわからない時期に、取りあえず、アルバムを作ったと告知しておこうと思ったのかもしれない。本人が作ったと言えば、いつまでも発売されなければ必ずファンが騒ぎ出す。ホログラムコンサートもそうだ。彼はホログラムだとは言わなかったが、「え?ジェジュン、本当に入隊してるの?って思うように、まるでそこにいるかのように、たくさん映像も用意した」と言った。そうやって、自分が準備したものをあらかじめ告知していくことで、事務所が隠すことが出来ないように布石を打って入隊したのだと思う。
入隊直前に来日し、そのことを告知していった。
あの時期に日本にくるためには、彼はそれなりの犠牲を払ったはずだ。それでも直前に来て、ファンの顔を直に見て彼は安心したかったのかもしれない。日本のファンに自分の口から、伝えたいことを伝えてから入隊したかったのかもしれない。そうしなければ、自分が不在中に何をされるかわからない、という不安があったのかもしれない。
それは、今まで彼が歌手活動をしようとした時、事務所がどんな対応をしてきたかを考えれば一目瞭然だ。
最初の二年間は、完全に歌手としての仕事を奪われた。
ドラマなどと違って、コンサートは自主開催出来る。
極端に言えば、私のような人間でも、資金力があれば、会場を借り、コンサートを開くことは可能だ。
日本で外圧があったのは確かなことだろう。確かに外圧はあった。しかし、それはJYJとしてのグループ活動に限られていたと感じる。
東方神起を離脱した3人がグループ活動することは、許されなかっただろう。東方神起というグループを壊して出ていった3人に、堂々とコンサートを開かれたら、事務所は面目丸つぶれだ。
JYJというグループの音楽活動を何がなんでも阻止したいという力が働くのは当然のことだろう。しかし、ソロコンサートなら、どうだろう。一人一人バラバラになって活動する分には、最初から妨害はなかったのではないか。
どんなに法律を作って縛ったとしても、未だにJYJとして放送媒体に出ることが出来ないのは、芸能界の不文律とも言うべき悪しき慣習によるものだと言える。その慣習は、決してこれからも是正されることはないと感じる。
それぐらい、既存のグループを壊して出ていったものが、既存のものと同じようにグループ活動出来るほど、芸能界は甘いところではないということかもしれない。
だから、事務所や事務所擁護派から言わせれば、ジェジュンがソロ活動しなかったのは、彼自身がJYJ活動にこだわっていたからだ、と言いたいのだろう。
最初の二年、彼は、歌手として徹底的に干された。それは、JYJ活動にこだわる彼の気持ちを利用し、グループ活動させることは、彼のグループ活動へのこだわりを持続させ、将来の活動に期待を持たせる為のものだったかもしれない。ワールドツアーと称して、南米まで遠征させた裏には、彼のグループ活動のこだわりと期待感を十分、利用したものだったと言える。
そうやって、彼は、メンバーの中でただ一人、いつまでもグループ活動に固執する気持ちを持つことになっただろう。
その間、他のメンバーは着々とミュージカルとドラマの世界で足場を固めていく。
日本で東方神起のメインヴォーカルを務めた彼の歌声を封じ込め、彼を過去の歌手として葬り去る計画は、着々と進んでいたのかもしれない。その頃、どんなに彼の歌声を捜しても、ネットの中の過去の映像の中にしか、彼の歌声はなかった。その一方で、彼には、俳優としての仕事だけを提示し続けたのではないのか。
「グループ活動は外圧があって難しい。このままなら、ファンに忘れ去られるかもしれない。俳優活動なら、外圧はない」と説得したのかもしれない。
その頃の彼には、ソロ歌手としての活動など考えもなかっただろう。今までグループ歌手として活動してきた人間が、ソロ歌手としての活動をするなどということは、想像もつかなかったかもしれない。
歌えないなら、俳優を選択するしかない、と思い込まされたとも言える。
そうやって、おそらく彼の前に提示された仕事は、俳優以外の仕事はなかっただろう。

彼が俳優としての活動を始めたあと、事務所は、アジア随一の歌手の売り出しに力を入れる。
今まで彼の歌声がメインだったファンダムを、アジア随一の歌手の歌声一色に塗りつぶしていく。そうやって、彼の歌手としての場所を奪い取ることに成功したのではないのか。

あの頃、彼から歌う場所を奪うのが目的なのではないのかと何度も思いながら、彼が俳優としての仕事を選択していくことをただ見守るしかなかった。
彼が日本でブレイクする前、韓国でどのように扱われていたのかを知った上で、彼が韓国へ戻るということは、彼の築き上げてきたポジションを奪われることに繋がると感じていた。
それは、彼のように何の後ろ盾も持たない人間が、トップの座を維持出来るほど、韓国社会は実力主義ではないからだ。日本と似て非なる国は、最も封建的で権力的構造を持つ。金と権力とコネが全ての社会構造の中で、どんなにあがいてもその構造は変わらない。
彼が「自分にはファンしかいない」と言う背景には、何の出自も、学力も、財力も持たない、何の後ろ盾も持たない人間だということを自分自身が知っているからに違いない。そして、そんな人間が、韓国社会で生き抜いて行くには、どのようにしなければならないのかという選択をいつもしてきたのかもしれない。

彼の入隊中には、何をされてもおかしくないと思っていた。
彼が告知していったアルバムをすんなり出すほど、事務所は甘くない。
JYJになった頃、事務所に電話をすると、先ず誰のファンなのか聞かれた。「ジェジュンのファンだ」と答えたとたん、ぞんざいな扱いをされるのは有名な話だった。
最初から、彼に対して事務所はそういう扱いだった。
そんな事務所が何も仕掛けてこないハズはない。

そして彼もどこかで覚悟しているのではないのか。
今まで事務所の嫌がらせが表面化しなかったのは、彼自身が、その事実を悟られないように、事務所が広報しない部分を自分でフォローしていたに過ぎない。
そうやって自分が動くことで、事務所の内圧を緩和していたに過ぎない。
彼が不在になって、そのクッションが外れ、事務所の彼に対する扱いがストレートに表面化しているだけに過ぎず、今までと何ら変わることはないのだとも感じる。

今までも彼に関しては、そうであったように、事務所は、決してファンからの要望を取り入れることはないだろう。
次に事務所が狙うのは、ファンダムの解体かもしれない。
どんなに事務所に文句を言っても、「所属事務所」という看板の元、彼が業務を委託する限り、事務所は彼に関するあらゆる権限を持つ。
その権限の下、ありとあらゆる手を使って、ファンを疲れさせ、彼からファンダムを奪い取ろうとするかもしれない。
彼が一人で闘い続けてきたものとの対峙がこれから始まる。

闘いはまだ始まったばかりなのだ。

※彼が俳優の仕事ばかりしていた頃、記事に「戦いが始まる」と書いたことがあった。当時、随分、批判された。彼の歌う場所を奪われたと感じたからだ。日本であれだけ歌っていた彼が韓国へ戻った途端、全く歌うことが出来なくなった。
歌う場所を取り戻す戦いが始まる。それはひいては事務所との戦いでもあると思った。事務所の反日主義は明らかだったし、彼の日本活動への考えと事務所の日本という市場への考えが異なるのは明白だったからだ。
Cjesは最も韓国的な考えをしている事務所だ。
日本を対等な市場として扱わず、あくまでも自分の配下におこうとする考えを強く持つ事務所だ。そういう点で利益優先で日本を利用するSMとは根本的に異なる。それが日本事務所と契約を結ばず、ツアーからアルバム発売まで、全て韓国の会社で行おうとする理由だとも言える。決して日本の会社とは組まない。組む相手は、韓国系の会社ばかりだ。日本の会社と組まないということは、日本の会社を信用しないということの裏返しにもなる。ビジネスパートナーではなく、配下に置きたいという思惑だけが見え隠れする。それは、日本ファン社会も自分達が管理統括するという考えに結びつく。
そういう事務所に彼がいるということは、その中で彼がどのように扱われるのか、彼が自分の考えや意見を押し通そうとすればどういうことが起きるのか、想像することは容易なことだと言える。

彼が残していったものは、アルバムとコンサートだけなのだろうか。
彼の不在中は何をされてもおかしくない。
なにが起こってもおかしくない。
そういう状況にあるのだということを覚悟しなければならないのかもしれない。