人は変わるというけれど、本当に変わったのか、それとも元々こういう人間だったのか、5人時代を殆ど知らない私にはわからない。
ただ感じることは、ジェジュンとジュンスの気持ちは、余りにも違ってしまったという事だけだ。
昨日、ジュンスは、ソロコンで7曲の東方神起時代の曲をメドレーで歌い、多くのファンの感涙を誘ったと聞いた。
ジュンスの気持ちも感涙にむせいだというファンの気持ちも私の心には、何も響いてこなかった。
このことで、さらにジェジュンやジェジュンファンとの気持ちの違いが明確になったと感じただけだった。
【ジュンスが歌った曲】
XIA inTokyo List of old songs Junsu sang:
1. Begin
2. Stand By You
3. Heart Mind And Soul
4. Love In The Ice
5. Proud
6. 明日は来るから
2人の東方神起が5人時代の東方神起の曲をコンサートで歌ったと聞いたとき、多くのJYJファンはどれだけ彼らを批判しただろう。それは、5人時代の曲は5人のものであり、5人以外で歌う以外に歌って欲しくないという気持ちの現れだったのではなかっただろうか。
それとも2人には歌えるのに3人には歌えないという理不尽さに憤っただけだったのだろうか。
2人の東方神起が歌うことを正当な権利だと言ったホミンペンは、「2人は東方神起を守ったのだから、2人が歌うことは当然の権利」と言い張った。
東方神起の楽曲は、あくまでも東方神起の曲であり、SMとエイベックスがその所有権を持つ。
2人がコンサートで歌うたびに「なぜ3人には歌えないのか」という思いが逡巡し、3人なら2人よりももっと上手く歌えるはずだ、という思いにも正直囚われた。
それぐらい2人に5人で歌った楽曲を歌って欲しくなかった。
それは、オルペンの気持ちを理解しているわけでも何でもない。
ただ5人のハーモニーで作られた楽曲は、やはり5人に勝るものはないという思いからに過ぎない。
東方神起は、ハーモニーが全てのヴォーカルグループだった。
その中心にいた声は、紛れも無くジェジュンだった。
5人の中で彼だけが、色合いの異なる声を持っている。
これは、歌を専門にする人間なら誰が聞いても明らかだ。
エイベックスがジェジュンをメインボーカルにしてから、東方神起は頭角を現した。
しかし、エイベックスでなくても、何の私情にも囚われず、公平に声を聞いた場合、ジェジュンの声をメインにしなければハーモニーが成り立たないのは、当たり前のことである。
ハーモニーを作るとき、そのグループの芯になる声は、「華」のある声でなければならないことは、音楽関係者なら誰でもわかることである。
5人の中で「華」を持つ声は、ジェジュンだけだ。
これは、何も私が彼のオンリーだからというだけでなく、何人もの音楽家仲間に5人の歌を聞かせ、誰の声かを知らさずにメインボーカルに誰の声を選ぶかを答えてもらったところ、全員がジェジュンを選んだ。
歌をする人間なら、誰の声をメインに持ってこなければならないかは、当然わかる。
確かに初期のジェジュンの歌は、声の出し方も歌い方も上手いとは言い難い。
しかし、彼の声には「華」があった。
正しい声の出し方とテクニックさえ身につければ、大きく伸びていく可能性を感じさせる声の持ち主だった。
日本に来て、彼は自分でもインタビューで答えた通り、「声のだし方がわかった」と言った。
それは、日本の楽曲の存在が大きかった。
そして、才能を見抜いて彼をメインボーカルに据える英断を下したプロデューサーが素晴らしかったとしか言いようがない。彼の華のある声が核になり、その前後を高音部と低音部を受け持つ4人がハーモニーを作る形になった。ハスキーで主張の激しい声の持ち主であるジュンスとチャンミンの隙間を埋める形で親和性の高いユチョンとユノの声が存在していた。
5人の東方神起のハーモニーはそうやって作り上げられてきた。
楽曲は、どの曲も5人が歌うことを前提に作られた曲でしかない。
メロディーラインは、誰がどのような声で歌うかを想定して作られている。
ジェジュンが、「5人の曲は5人で歌うものであって、3人でも1人でも歌うものではないと思っている」と話したように、5人以外のスタイルで歌うようには、最初から作られていない。
だから、5人の曲を5人以外のスタイルで歌っても、どこかしっくり来ないのだ。
その違和感が、2人の東方神起が多くの楽曲を歌ったと聞いた時に感じた違和感だったのだろう。
それでも2人の東方神起は、その後も歌い続けてきた。まるで5人の時代がなかったかのように。まるで最初からこれらの曲は2人だけの為に書かれた曲だったかのように。
私は、2人のファンでもないから、その曲を実際に聴くことはない。けれどもグループがメンバーを変えてグループの楽曲を歌うことはそう珍しい事でもない。ただ5人時代の曲を2人が歌うには、5人時代のハーモニーを越えた世界を提示できない限り、永久に比べられるだけで終わるだろう。
それぐらい5人時代の楽曲は確立された世界だったのだ。
その曲をジュンスは、一人で歌った。
一人で歌ったジュンスは、感激して涙を流したそうだ。
なぜ、ジュンスはこれらの曲を歌ったのだろう、いや、歌うことが出来たのだろう。
ジェジュンは、自作曲「忘れないで」に関して「あれは5人の曲。3人でも1人でも歌うことはない」と言い切った。
自作曲ですら、5人時代の曲を歌うことを拒否した彼は、今後、5人曲をジュンスと同じように機会があれば歌うのだろうか。
5人時代のハーモニーも楽曲も大切にしている心があれば、到底3人でも1人でも歌う気持ちにはならないのではないのか。
それともやっと歌える状況になり(何が変わったのかは知らないが)、これからは5人時代のハーモニーを払拭するかのように歌いまくるのだろうか。
ジェジュンは、日本語で歌うことが出来ないと言い、TAKUROさんから贈られたModem Beatですら日本のコンサートで日本語で歌うことが叶わなかった。
あれからたった4ヶ月。4ヶ月の間に何が変わり、ジュンスのコンサートにタイミングを合わせるかのように歌える状況になったことに不可思議を感じるのは私だけだろうか。
もし、これがジェジュンだったら、5人の曲を歌えるようになってもきっと一人では歌わなかっただろう。メンバーの気持ちを思う彼なら、どんなに歌える状況になっても一人では決して歌わなかったはずだ。
そんな彼の気持ちは、私達オンリーには痛いほど理解出来るし、そういう彼が歯がゆくなるほど、自分の気持ちの満足よりもメンバーやファンの気持ちを優先するのは、簡単に想像出来る。
5人時代の曲が歌いたい気持ちは、メンバー誰もが同じだったのではないのか。
東方神起を脱退し、東方神起という名前を名乗ることが許されず、百曲以上ある日本の楽曲を歌えない苦渋を舐めてきたのは、ジュンス一人ではなかったはずだ。そのメンバーの気持ちを思えば、例え歌える状況になっても歌うときは3人で一緒に歌おうと思うのが今まで苦労を共にしてきたメンバーへの思いやりではないのか。
そんな思いやりよりも、自分の気持ちを優先したこと。
「歌える状況になったのだから歌って何が悪い」という当然の権利なのか。
最近の慰安婦バッチの件と言い、高陽市の広報大使の件と言い、ジュンスの行動からは、メンバーへの思いやりもファンへの思いやりも何も感じられない事ばかりが続く。
慰安婦バッチをつけ、高陽市の広報を引き受けた時点で、日本に対するジュンスという人のホンネが垣間見える。
そこには、長年、応援してきた日本ファンに対しても、歌手として活動し成功を収めた日本という国に対しても何の礼儀も感謝もないのだという事を感じるだけだった。
韓国人として当然の権利と行動を示しただけのこと。
そういう開き直りにも見える姿勢が感じられるだけだった。
そして、それに呼応するかのように事務所もあからさまな態度を取り続ける。
事務所にとってもジュンスという人にとっても、日本は単なるビジネスの市場でしかないのか。
そうでないなら、日本に対する最低限の礼儀だけはわきまえて欲しい。
ジュンスの行動によって、今、嫌韓twitterのアカウントから、反日のレッテルが貼られている。こういう状況がやがて日本と韓国の文化交流の障害になっていくことを懸念する。
かつてJ-POP界を席巻し、紅白歌合戦に出場するというトップの地位を誇り、多くのファン以外の日本人さえもが感動した東方神起というグループは、今どこにも存在しない。
彼らは、韓流歌手ではなく、正真正銘のJ-POP歌手だった。
あれから4年、多くの日本人は、東方神起と聞いても、「ああ、前に5人で歌ってて、今2人のグループでしょう」としか言わなくなった。
今の東方神起は、誰が聞いてもK-POPの色合いが濃いグループに変化してしまった。
2人でハーモニーを作り出すことは限られている。
かつて、あれだけのレベルの高さを誇ったヴォーカルグループの姿は今どこにもない。
どんなに2人が上手く歌おうと、3人が上手く歌おうと、あの頃の5人のハーモニーを超える音楽を作り出すことは絶対に出来ない。超えることのできないものは、捨て去って、新たな世界をお互いに築いていくことが、5人の東方神起を超える唯一の方法でしかない。
過去の幻影を追っても、前に進むことは出来ない。
それともジェジュンが、コンサートで1人で東方神起の5人の曲を歌ったら、やはり感激するのだろうか…
「忘れないで」を彼が一人で歌いきったら、やはり感激するのだろうか。その時、ジェジュンは心から楽しんで歌えるのだろうか…
あなたは、5人の歌を歌って欲しいと思いますか?