今、東方神起ファンが揺れていると聞く。

それは、MVのミス画像の掲載に端を発したこととは言え、除隊後からファンの中に少しずつ、くすぶっていたものだったのかもしれない。

私は、分裂した側の人間のファンであるから、その問題について口を挟む権利はない。

ただ、音楽の仕事をしてきた人間として、5人時代の「東方神起」という存在は、日本の音楽界にもファンにとっても、そして、メンバー本人達にとっても、無視することの出来ない存在であったということだけは確かなことだと思う。

ジェジュンのファンになって8年。

いつもこの「東方神起」という存在が頭から離れなかった。

 

 

先日、BTS、即ち、防弾少年団の番組を観た。

NHKの「SONGS」という番組で特集を組まれていた。

彼らの音楽は、完全にヒップホップだ。

その音楽を聴きながら、なぜか私は、5人の東方神起を思い起こしていた。彼らも5年目の活動全盛の頃、多くの特集を組まれていたからだ。

もちろん、東方神起と防弾少年団の音楽は全く違う。しかし、その音楽を聴きながら、確実に彼らが東方神起の流れを受け継いでいると感じた。

 

 

 

音楽の仕事を長年してきた経験の中から、ジェジュンのファンになり、5人の東方神起音楽というものを客観的に専門的に捉えてきた。その経験から見れば、どうしても5人の東方神起の存在を外すことは出来ない。

 

今、防弾少年団は、日本の中・高生に絶大な人気がある。それは、かつてのBIGBANGや東方神起世代を支えてきた世代とは明らかに異なる若年層を捉えている。

彼らの音楽やインタビューを聴きながら、日本に於けるKPOPというジャンルを確立したのは、やはり東方神起だったのではないかと感じた。

そして、東方神起の分裂後の5人の音楽というものを考えたとき、日本での活動というものを外して、今の彼らのポジションがあるとはどうしても考えられなかった。

 

 

今回は、その事について書いてみようと思う。

最初に誤解のないように書いておきますが、これはあくまでも音楽面から観た記事であって、今、揉めている事案に対しての見解では全くありません。

 

 

 

1.グループとしての東方神起という存在

 

東方神起の活動記録の2005年から2010年までの部分がごっそり抜けていると聞いた。

いろいろな見解はあるとは思うが、音楽的な見解からすれば、JPOP界での活動と活躍の記録を消したかったということになるのだろう。

 

2004年、韓国でデビューした東方神起、否、「トンバンシンギ」は、当初から一気にトップアイドルの地位へと駆け登った。それは、「東方より神が起きる」のネーミング通り、日本を除くアジア全域を席巻するものだったと言っても過言ではない。

しかし、唯一、進出していなかったのが日本だった。

 

韓国の音楽市場は、日本の30分の1にも満たない。

CDは売れず、違法ダウンロードによって、音楽を手に入れることが当たり前の社会では、韓流コンテンツは、海外に活路を見出すしかなかったのである。

 

アメリカに次ぐ世界第二位の市場を持つ日本に進出することは、韓流コンテンツを輸出するという政策の上で最も重要な案件だったはずだ。

金大中氏の「韓流文化を国外に」という命を受けて、韓流文化を日本に輸出するのは国策だった。しかし、それまでほとんど日本の業界とコンタクトのないSMには、日本進出を具体的にどうすればいいのかわからなかった。

それで、SMはエイベックスと業務提携を結び、レンタル契約という形で、東方神起をエイベックスに貸し出した。そして日本戦略を丸投げしたのだった。

 

 

 

デビュー当初、韓国でのトップアイドル東方神起は、鳴り物入りで日本市場に進出した。しかし、どんなにアジア地域でブレイクし、韓国でトップアイドルだと紹介しても、日本では鳴かず飛ばずだった。

日本のアイドル市場はジャニーズという強力なコンテンツが占拠しており、東方神起の入る余地はなかったからだ。

また、衣装も外見もKPOPそのものの東方神起は、一般の音楽ファンにも受け入れられなかった。

その為、エイベックスは、戦略を変えざるを得なかった。

即ち、東方神起を日本の新人グループとして一から出直させる戦略に変えたのだ。

極力、韓国色を排除し、外見も歌う曲もJPOPアーティストの姿に変貌させたのだ。アイドル路線から離脱し、本格的に歌の歌える実力派ヴォーカルグループとして日本市場に進出を計った。

 

 

もともと、韓国の厳しい練習生制度の元、鍛え抜かれた音楽的素養は、アイドル路線で売るには歌がうますぎた。

それを武器に実力派グループとして一から日本で出直させることにしたのだ。

 

日本芸能界の新人として、先ず、顔と名前を売ることから始めた。

日本各地を巡業させ、地方TV局のバラエティーに出演させ、小さなイベントにも出演させた。

いわゆるドサ回りと呼ばれる日本芸能界の洗礼を彼らに浴びせかけたのだ。

 

「もう韓国に帰りたい」

 

そう何度もメンバーに思わせるほど、それは韓国でトップアイドルの座に上り詰めていた彼らにとっては、過酷で屈辱的なものだったと言える。

 

「どうして日本でこんな扱いを受けなければならないのか」

と口にするほどの扱いだっただろう。

 

そんな中で、「真面目にやっていさえすれば必ず認められるから頑張ろう」とメンバーを説得し続けたのがジェジュンだった。

 

 

エイベックスは、彼の歌声を日本人好みの歌声に変えさせ、彼をメインヴォーカルに据え、益々JPOPのグループとして日本の芸能界に定着させようとした。

日本語で話し、日本の食べ物を食べ、日本に住居を構えて活動する。

それは、どこから見ても、日本の芸能人の生活そのものだった。

 

そうやって、彼らは日本の芸能界にJPOPグループとして認知され始めた。

 

 

一旦、認知されると、ブレイクまでは時間がかからなかった。

アイドルなのに歌が上手い。

 

彼ら5人の作り出すサウンドは、韓国で歌ってきたKPOPアイドル「トンバンシンギ」の音色とは全く違うものだった。

 

 

日本の「東方神起」

 

 

同じ東方神起という漢字を用いながら、韓国の「トンバンシンギ」と日本の「とうほうしんき」とは異なると言われる所以はここにある。

 

即ち、彼らが作り出す音楽は、KPOPとJPOPでは、全く趣きの異なるものだったのだ。

 

 

 

JPOPを歌うのには、日本語に合った発声と歌い方に作り替える必要があった。

歌声そのものを作り替えたジェジュンは、日本でメインヴォーカルの座に就いた。

日本の東方神起のサウンドは、彼の声を中心に作り上げられたハーモニーの世界である。

 

JPOPを歌うために、ジェジュンのように声まで作り替えることはしなくとも、他の4人のメンバーも発声を日本語の歌が歌いやすい発声に変えざるを得なかった。

即ち、5つの単純母音しか持たない日本語を歌うには、喉の奧を大きく開け、口蓋を下げて、深い響きを作り出さなければならなかった。言葉自体に緩急も強弱も持たない平坦な発音の日本語は、歌に最も適さない言語と言われている。

その言語を外国人である彼らが日本人のように発音し、歌うことは、発声から徹底的に日本語に適したものに作り替えていかなければ、明確な日本語を歌うことは出来ないのだ。

 

ジェジュンの甘い歌声を中心にハーモニーを作り出すこと。

さらに明確な日本語の発音で歌うには、そのように発声を変える必要があった。

そうやって、彼ら5人の歌声は、日本での5年の活動中に、本人が望む望まざるに関わらず、JPOPを歌うのに適した歌声に変貌していったのだ。

 

 

 

JPOPに比べてKPOPを彼らが歌うことは何の支障もなかった。

なぜなら、韓国語は彼らの母国語だからだ。

日本語よりも母音数が多く、言葉自体に緩急も強弱も持ち、曖昧な母音も持つ韓国語に適した歌声は、パワフルで、リズミカルなストレートな歌声だ。

これらは、彼らは、元々身につけているものであるから、どんなにJPOPを歌って普段、発声を作り替えていても、いざ、KPOPを歌う段になれば、何の問題もなく元の発声ポジションに戻るのだ。

 

そうやって、日本の東方神起は、JPOPのハーモニーとKPOPのハーモニーの二つを持つ幅広いヴォーカルグループへと成長したのだ。

 

 

 

どんなにBIGBANGや防弾少年団がブレイクしても超えられないもの。

それは、日本語の発音だ。

 

KPOPのままの歌声と発声で、日本語を歌えば、それは、何を言っているのかわからないほど、不明瞭な歌になることが多い。

根本的に日本語の発音に適した発声をしない限り、明確な日本語で歌うことは難しい。

 

東方神起のようにKPOPとJPOPでは、発声そのものまで変えて歌えるグループは、今の韓国のグループには存在しない。

それは、腰を落ち着けて、日本の音楽界で活動したかどうかにかかっている。

僅かに超新星だけが、そういう意味で東方神起のJPOPのスタイルを継承することになるのかもしれない。

 

これが、分裂して8年。

未だに5人時代の東方神起の音楽を求める人が多い理由だと思う。

 

 

 

分裂した東方神起は、その後、「東方神起を守る」と言って残った二人と、「JYJ」というグループを立ち上げて出ていった三人とに別れた。

 

本来なら、JPOP路線のハーモニーの主を担っていたJYJの三人がそのハーモニーを継承することが出来たはずだ。日本のファンもそれを期待したからこそ、JYJというグループに期待を寄せた。

しかし、韓国に戻った彼らは、そのハーモニーを捨てた。

 

「KPOPでもない、JPOPでもない。JYJPOPを目指す」

 

そう言ったジェジュンの言葉は、ソロ活動を優先したいメンバーの思惑の中で埋もれ、三人で音楽をすることすら出来なかった。

 

 

かたや、「東方神起を守る」と言ってグループに残った二人は、確かにJPOP路線を継承した。

日本ではJPOP路線を守り、韓国ではKPOPのスタイルを守った。

しかし、除隊後の彼らの音楽は大きくKPOP路線に舵を切っている。

 

 

 

 

「東方神起は、韓国のグループなのに、エイベックスが盗んだ。日本が盗ったのだ」というこの言葉が、韓国側の正義なのだろう。

正義の前には、音楽の世界など雲散霧消と化してしまう。

韓国側からすれば、韓国で生まれた「トンバンシンギ」が、日本の音楽界でカスタマイズされ、全く趣きの異なる「とうほうしんき」に育て上げられたことが我慢ならなかったのだろう。

 

「ジェジュンを返してもらう」

 

この言葉は、日本ナイズされた彼の姿が耐えられない、という韓国側の感情の現れとも感じられる。

 

 

 

すべての始まりは、KPOPのトンバンシンギだったのだ。

今のKPOP路線は、彼らが、あるべき場所に戻った姿だとも言える。

 

 

 

即ち、東方神起を通して、日本市場には、KPOP音楽の認知が進み、受け入れる土壌が出来上がったのだ。

そこに分裂した東方神起の穴を埋めるかのようにBIGBANGというグループが入り込み、KPOP市場をさらに確立した。

 

KPOPという音楽のジャンルは、この日本で1つのジャンルとして確立されたのだ。

その上に君臨しているのが、今の防弾少年団と言えるだろう。

 

 

もう日本の市場を手に入れるのに、JPOPの真似事をしなくとも、彼らは収益を手にすることが出来るのだ。

そうなれば、東方神起も元ある姿、KPOP路線に戻って、堂々と韓国のグループとして、日本でKPOPの活動をすればいい。

エイベックスから、SMにマネージメントそのものが移行されるかもしれない、という予測は、音楽面から彼らの立つ位置を考えた場合、何の違和感もない。

韓国側からすれば、今までの路線の方がおかしかった、ということになるのだろう。

 

 

しかし、彼ら本人にとって、JPOPを歌ったことは、本当に意味のないものだったのだろうか。

それを次に考えてみたいと思う。

 

 

2.それぞれにとっての東方神起という存在

この記事をあげるのに、もう一度、最初に書いたことを確認させていただきますが、これはあくまでも私個人の見解であって、現在の東方神起の活動を否定するものではありません。

かつて「東方神起音楽から見たJYJの崩壊」という記事を書いたとき、ジェジュンに対して非常に厳しい意見を送ってこられた方が何人かいました。分裂時、二つに別れたメンバーが、公式にも非公式にもお互いに批判するコメントを出したことを覚えています。けれども、ジェジュンだけは、一切、何も言いませんでした。未だに彼はその事について、ひと言も語っていません。そのことだけは、事実ですので、記事の前に記載しておきたいと思います。

 

 

東方神起というグループの日本の音楽界に於けるポジションは、5年で揺るぎないものに昇り詰めようとしていた時の分裂だった。

あのまま、分裂もせず、活動を続けていたなら、他の追随を許さないJPOPのヴォーカルグループになっていたはずだ。

日本では、JPOPの「とうほうしんき」として、韓国では、KPOPの「トンバンシンギ」として、それぞれの音楽的特徴を余すことなく発揮できる稀少なグループに成長し、世界的な活躍も夢ではなかったかもしれない。

それほどにこのグループは、グループとして優れていた。

それは、各人それぞれの歌手としての音楽的基盤がしっかりとしていたからにほかならない。その基盤を作ったのは紛れもなく韓国の練習生制度であり、それは、到底、日本の音楽業界が及ばないものである。

しかし、その基盤だけでは、彼らは、KPOPという一つのジャンルしか歌えないグループだったはずだ。

東方神起の幅広いジャンルと、各人の幅広い歌唱力は、JPOPというKPOPとは似ても似つかない別個の音楽を身につけたことで、培われたものだと言っても過言ではない。

 

何度かreviewの中でも書いたと思うが、KPOPとJPOPでは、全く音楽が異なる。さらに歌手にとって、最も厄介なのは、言語によって、その発声ポジションが変わることである。

この言い方は、ある意味、正しくない。

発声ポジションを変えなくとも、いくつもの言語を歌うことは可能だ。但し、その言葉は、非常に不明朗なものとなってしまう。

なぜなら、言語によって、母音の発音が全く違うものが存在するからである。

たとえば、日本語の発音のまま、英語を話せば、どうだろうか。

誰しも思い当たるだろうが、日本人が、そのまま英語を話せば、それは、カタカナの羅列になって、一体、何を言っているのか、英語圏の人間には全くわからないものになる。

それと同じように、英語圏の人間が日本語を発音すれば、アルファベットの子音と母音の組み合わせで発音され、非常に明朗な部分と不明朗な部分に聴こえる。

東方神起の母国語である韓国語の場合、文法など非常に日本語と似通っており、母音の数も少ない日本語は習得しやすいと言われているが、それでも、日本語の「エ」や「オ」の母音を含む単語の発音には、苦労する。

また、「ザジズゼゾ」が「ジャジジュジェジョ」になるのは、有名は話だ。

ましてや、それで歌を歌うとなれば、発声自体を変えていかなければ、歌えない部分が存在するのは、自明の理だろう。

 

東方神起が、なぜ、他の韓国人グループの追随を許さないかと言えば、それは、各人が、日本語の歌を歌うために程度の差こそあれ、発声ポジションを変えたからにほかならない。

そして、それらを指導し、日本人が聞いても違和感のない歌に仕上げたのは、紛れもなく、エイベックスの手腕なのである。

「どうして君を…」以降に出された曲は、彼らが韓国のグループであるということを全く感じさせない。

歌だけ聴けば、(否、外見上もそうだったかもしれないが)、日本人のグループと聞き紛うほど、彼らの歌う日本語は、ネイティブな発音に近い。

どの国の言語もそうだが、話す時の発音と歌うときの発音とでは、若干、異なる場合が多い。

日本人の歌手も歌う場合に、わざと子音を立てた発音をしたり、タンギングを尖ったものにして外国語のような発音にしたりする場合が多々ある。

そういうことを考えれば、東方神起の歌は、日本人のそれと言っても全く違和感を抱かないほどのグループになっていた。

だからこそ、解散して8年。未だに5人の東方神起の楽曲がリクエストされ、聴き続けられるのだと思う。

そこには、彼ら5人の血のにじむような努力があったからこそのことだったと言える。

 

そうやって身につけた発声と音楽的素養は、その後の彼ら5人のそれぞれ、歌手としての側面を見た時、大きな影響を与えたと言っても過言ではないと思っている。

JPOPジャンルで身につけた表現力は、KPOPジャンルで身に付けていた表現力にさらに幅を与えたと言えるだろう。

全く異なる音楽を経験することで、彼らは、多種多様な歌い方と歌声、音楽的表現を経験したはずだ。

それらが、各人の現在の歌唱力や表現力の基礎になっていると私は思う。

もし、彼らが、JPOP歌手としての活動をしていなかったなら、どんなに日本語で歌っても、日本人の心を掴み取ることは出来なかっただろう。

 

バラードを歌わせれば、右に出るものはない、と言われ、コンサート会場では、多くのファンが涙した。

それほど、日本人の心を掴み取ることが出来たのは、彼らが、日本語を真から理解し、日本で生活し、日本の社会を経験し、日本人の感覚を身近に感じていたからに違いない。

 

分裂後の東方神起のJPOPの歌を何曲か聞いたが、そこには、確かに5人の頃のJPOP路線が息づいていた。たとえ、メインヴォーカルを失っても、JPOPで培ったものは、継承されていたと言える。そういう点で、彼らは「東方神起を守った」のだと思う。

ソロ活動に舵を切った3人は、その活動の中で、JPOPというものの存在をあらためて無視することは出来ないと感じたはずだ。

だからこそ、ジュンスは5人時代の歌をリクエストされて歌うのだろうし、ジェジュンは、JPOP界に戻ってくる。

さらに俳優業に転向して、一旦、音楽を捨てたかのように見えたユチョンは、除隊後の活動再開で、音楽界に戻るのは、十分、JPOP当時に培った活動を意識せざるを得なくなっているからに違いない。

これほどに、彼らの中には、今もJPOP歌手としての経験が息づいているのだ。

 

二人の東方神起は、除隊後、KPOPに大きく舵を切ろうとしているようにも見える。除隊後発表された日本での新曲「REBOOT」はJPOP路線とは言い難く、それ以降、今回のカムバック曲も日本では出されていない。

JPOP界に戻ってくるジェジュン以外の4人にとって、今後の歌手活動の中で、JPOP界での経験がどのように生かされていくのかは、未知数だとも感じる。

5人時代、彼らにとって、JPOPとKPOPは決して対立ではなく、融和した世界だった。

今後、彼ら4人は、どのように自分の音楽活動の中にJPOPを位置づけていくだろうか。

 

彼らが歌手として、未だに日本で絶大なる人気を保ち続けているのは、ファン各人の中にある彼らのJPOPの歌声も一つの大きな要素なのではないかと思う。

9年前、ファンになる以前、初めてジェジュンの歌声を聞いた時、私の心を捉えて離さなかったのは、彼の日本語の歌だった。その後、韓国のアルバムも幾つか聞いたが、やはり私の中には、彼の日本語の歌があった。

その歌声があったからこそ、彼を8年待ち続けることが出来たのだ。

彼は、日本語に適した歌声を韓国に戻ったあとも、手放さなかった。だからこそ、JPOPのカバーを歌っても、彼の歌には違和感がなかったのだ。8年、日本活動が出来なかった韓国人とは、到底思えない。おそらく、今後、増え続けるであろう彼の新しいファンは、彼が日本活動が8年も出来なかったと聞いても信じないかもしれない。

それぐらい、ジェジュンの中には、JPOPが息づいている。

きっと、他のメンバーにも似たような感覚があるはずだ。そして、日本で歌う度にその感覚が思い出されるのではないのか。

 

人は、一旦、身につけた感覚は、失ったように見えて、奥深くに眠っているだけの事が多い。

彼らにとって、日本での「とうほうしんき」という感覚は、日本という国に触れる度に揺り起こされる感覚なのではないかと思った。

 

今後、何十年経っても、彼らの記憶の中から、とうほうしんきという感覚は消えないものだろうと私は思う。

それが、音楽というクリエイトな世界で生きる人間の感覚だろう。

 

 

 

東方神起が二人になってからのファンが多いように、ジェジュンも新しいファンが増えるだろう。

ジェジュンの新しいファンの中には、彼が、8年かけてなぜ、日本活動に戻ろうとしたのか、知りたくない、という人もいると聞いた。

「自分達は、分裂してからのジェジュンのファン。自分達が知った時は、韓流スターのジェジュンだった。だから、彼の過去にどんな事があったのか、知りたいと思わない。過去の5人時代の活動にも興味もなければ、どんな酷い目にあってきたのかも知りたいとも思わない。これからのジェジュンだけ、新しいジェジュンだけを応援する」

そういうファンもいると聞いた。

そういう人達には、私があげる過去記事は、読みたくもない、知りたくもない余計な記事なんだろうと思う。

 

けれども彼は、埼玉アリーナのオーラスで言った…。自分には忘れちゃいけない過去がある、と。

彼にとって、東方神起は、特別な存在だったと思う。

その場所を離脱したとき、これほど辛い未来が待っているとは、予想もしなかっただろう。

でも彼にこの8年があったからこそ、日本に戻る決意をし、JPOP界に戻ったのだと思う。

その彼の過去をファンだったら、共有したいと私は思う。

私は、たまたま、彼が韓国に戻る半年前にファンになり、彼のこの8年をつぶさに見てきた。でももっと遅くにファンになっていたとしても、彼に何があったのか、彼がどんな思いをしたのか、彼が何を思って、日本に戻ってくることを決意したのか、日本人なら知りたいと思う。

反日感情の渦巻く韓国という場所で、反日が当たり前という風潮の中で、それでも尚かつ、日本への思いを捨てなかった彼のことを知りたいと思う。そして、それほどまでに愛してくれた国の人間として、彼の日本活動を支えたいと思う。

私は、そんなファンが一人でも増え、彼を支え続けて欲しいと願っている。

 

 

最後に彼が、その頃の事を初めて少しだけ語ったさいたまアリーナでのオーラスのMCを自分の記録として、ここに掲載しておきたいと思います。

知りたくない人は、読まないで下さい。

 

 

動画19分50秒頃~

 

「今までさ、本当に辛い思い出もいっぱいあってさ…ですよね、その何年か、その数年が…あの…その数年だけがホントに辛い思い出に残っているかもしれないですけど、その辛い思い出のおかげっていうかね、人生って、みんな言うんじゃないですか、波があるって…その結構大きな波だったんですけど、その大きな波を乗り越えて、また、次、僕達がホント、幸せだけを感じれるその時だけを絶対来ると思います。だし、僕、まだ若いしさ…ホント、若いし、二十代にあったその辛い思い出をまた新しい今年の幸せな時間で……。はぁ、難しいね、ホント難しい。ここからは、ホント、僕が思ってる素直な気持ちを…こう全部、みんなにね、言い出したいんだけど、まぁ、喋っちゃいけないこともいっぱいあるしさ…(略)言えないことがいっぱいあるしさ、言えなくても、こうわかる方が結構多いと思うし…まだ、僕のことを知り合って、その時期のことが全くわからない方もいらっしゃってるかと思うんですけど、まぁ、ちょっとだけこう、もう忘れるような過去でもさ、忘れちゃいけない過去が絶対あるんですね、僕には。で、10年前から、好きだったよって言う方々の為にも、まぁ、今年から知った、去年からジェジュンのこと知ったっていう方々の為にも、今現在、僕にとって大事だし、13年前の、前からの僕の過去もすっごい大事だし、いつもさ、いつもいつも今日のこと、明日のこと、すごい大事にしてるんだけど、僕は本当は、本当は、5年、10年後の僕らの姿が、凄い楽しみです。その時の為に一所懸命、僕も頑張っていきたいと思いますし、皆さんも長く長く相変わらず、変わらない応援、送って下さると、10年以上ね、100年、頑張れると思いますよ。これからもよろしくお願いします…(後略)」

 

 

 

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