TGMを鑑賞した。
ここでは、あえて鑑賞という言葉を用いることにする。
観戦と鑑賞。
細かい言葉の違いだが、コンサートを観ることを観戦と言うらしい。
「観戦」という言葉をコンサートにも使うということを私は、ジェジュンのファンになってから知ったが、音楽の世界で仕事してきた人間としては、どうも違和感を覚える。それで、鑑賞という言葉を使うことにする。
実は、コンサートレビューがreviewの中で最も難しい。
なぜなら、音源をあとで確かめることが出来ないからだ。
今まで、ジェジュンが日本の事務所に所属していなかったときには、韓流式に当たり前のごとく、違法録音による音源が出回り、私もそれを利用したことがある。しかし、日本の事務所と正式に契約した今は、そういうものを利用することは極力避けたいと思う。なぜなら、日本には日本の流儀があり、ルールを守るということが、ひいては、彼の日本での存在を守ることに繋がると思うからだ。
それゆえ、アルバムreview以外のものに関しては、音源はなく、記憶が頼りになる。
ということで、4月1日のTGMのreviewは、当日の記憶と印象を頼りに書くことになる。
最初に先ず言っておきたいのは、コンサートreviewの場合は、1曲ずつの細かいreviewではなく、全体的な印象に依る彼の歌唱についてのreviewになるということだ。
また、ここに書く事は、あくまでも私個人の感想であり、各人、参加した人それぞれの思いがあって然るべきだと感じる。その為、見解が大きく異なることに関して、批判を受けることは遠慮したい。
「歌」は、各人それぞれのものであり、印象もそれぞれのものだ。正しい評価というものはなく、多くの人間の共通の印象が、その歌の評価を代表することになるが、少数派の意見や見解が間違っているというものではない。
各人それぞれの感じ方が、reviewそのものであるということを予め明記しておきたい。
故に、reviewに関する批判は、無用の論議であるということを知っていただいた上で、私個人のreviewをお読みいただきたいと思う。
これほどに前置きをするのは、おそらく多くの人の感想と私の今回の感想が全く違うだろうということを予想するからにほかならない。
今回の彼の歌唱を絶賛するコメントや高い評価を呟いたものをいくつも読んだ。それらを支持する人達には、私のreviewはおそらく不快なものになるかもしれない。
この8年、曲りなりにも彼の歌を聞き、検証し、reviewを書き続けてきた人間として、今後の彼の歌手活動に一つの警鐘を提議するためにあえて今回のreviewを書くものである。
長い記事になるかもしれませんので、お時間のある時にお読み下さい。
また、記事は公開します。
review関連記事、音楽記事の公開希望の意見を複数頂戴しました。貴重な情報とご意見をありがとうございました。
限定記事にすることのジェジュンにとってのデメリットも含め、検討したいと思いますので、決定次第、またご報告致します。
とりあえず、今回の記事は、公開します。
★芸能人ジェジュンとしての評価
2月1日に正式に日本でのソロ活動再始動を宣言して以来、初めての歌手としての正式なステージ活動だった。
TGMの大トリというポジションでの出演は、ハッキリ言って事務所の力以外の何者でもない。事務所の力でもぎ取った出演順と言える。
それは、芸能人として何ら恥ずべきものでもなんでもない。
しかし、この9年間、全く日本で歌手活動をしてなかった歌手が、大トリの出演を取るということは、当然、普通に日本で活動してきた歌手のファンから言わせれば、違和感を持つのは当然のことと言える。
「どうして、韓国人歌手が大トリなの?」
これは、誰もが抱くごく普通の当たり前の疑問と感じる。
その疑問を口にしたファンに対して、「悔しかったら自分の贔屓の歌手が大トリを取れるように頑張らせたらいい」と反論しているジェジュンファンの呟きを読んだが、私には、その反論は、ジェジュンファンとしての一方的な見方でしかないと感じた。
なぜなら、
「ジェジュンて誰?」
「よく知らないけど、韓国人歌手らしい」
「ジェジュンて、韓国人歌手でしょ」
これが、9年ぶりに日本芸能界に戻ったジェジュンという芸能人に対する日本社会の当たり前の評価だからだ。
とくに会場を埋め尽くした若い世代に於いて、ジェジュンを知らないのが普通であって、ジェジュンの出番時に会場をあとにした多くのファンに対する批判は、正しいとは言えない。
4時間にも及ぶ長丁場のフェスの中で、目当ての歌手の出演が終われば、早々に会場をあとにしたいという心理は、不思議な事でもなんでもないからだ。
これが反対の立場であれば、早々に会場を後にしたジェジュンファンは数限りなくいたに違いない。
それでも、今回、ファン以外の人間に対して、芸能人ジェジュンとしてのアピールは十分すぎるほどだったと言えるだろう。
会場グッズの全品目完売宣言。
会場を埋め尽くした緑のペンライト。
オリジナル曲のファンとの掛け合い。
これらの事柄は、日本活動を再始動させた芸能人ジェジュンを広く内外にアピールするには、十分過ぎる材料だったに違いない。
日本活動を正式にまだほとんど始動させていないにも関わらず、これほど多くのファン層を持ち、グッズを完売させるだけの購買力を持つ。絶大な人気に支えられて、日本に復帰したジェジュンという芸能人の印象度はピカイチだったはずだ。
十二分にファン層以外の人間に深く印象づけたと言える。
芸能人ジェジュンのステージ活動始動としては、十分に満足な結果だったと感じる。
★歌手ジェジュンへの評価
芸能人ジェジュンへの高い評価に対して、歌手ジェジュンへの評価は、私からは手厳しいものになるということを予め書いておこうと思う。
それは、この8年間、幾つかのコンサートを観てきた中で、今回の彼の歌唱が最も良くない印象を持ったからだ。
歌手としては、非常にコンディションが悪かった。それは、楽曲のキーポジションを下げて歌ったことや、ファンとの掛け合いという形で、楽曲を歌わない構成にしたことからも彼自身が一番自覚していたと思える。
私の個人的には、最後まで声が持つだろうかという懸念を抱くぐらい、当日の喉のコンディションは最悪だった。
それを、そう感じさせないだけのパフォーマンスで乗り切ったのは、やはり日本活動が出来るということの絶対的な安心感が彼の中に自信として満ち溢れていたからに違いない。
あれほど楽しそうにステージを熟す彼を今まで見たことがなかった。
今の彼の表情には、「不安感」というものが消え、「安心感」と「安定した活動に対する信頼感」しか見えない。
それが、彼の揺るぎない自信に繋がっていることは、明らかな事実だ。
しかし、歌手活動という部分で冷静にステージや歌唱を分析してみれば、多くのファンが感じるような高評価は、私には決して感じられなかった。それが何に起因するものなのか、それらも含めて、書いていきたいと思う。
今回のプログラムは、ドリフェスプログラムをそのまま踏襲したものになった。
このプログラムが、彼の今回のコンディション作りも含めた歌手活動の準備不足をそのまま現している。
即ち、今回のコンサートに関してハッキリ言えば、歌手として明らかに準備不足だったと言えるだろう。
2月1日の発表から、二ヶ月。
日本に滞在していたにも関わらず、なぜにこんな状態になったのかと言えば、それが歌手ジェジュンと芸能人ジェジュンとの関係の難しさをそのまま現しているとも言える。
おそらく事務所も彼自身も、二ヶ月のタイムスケジュールは十分取られていたに違いないし、4月1日の始動は、名実ともに新しい始動が予定されていたに違いない。まさか、ドリフェスのプログラムをそのまま踏襲することになろうとは、予想もしていなかったはずだ。
しかし、実際には、過去の曲目を並べたドリフェスでのそのままのプログラミングとなった。
それは、歌手ジェジュンのスケジュールに芸能人ジェジュンのスケジュールが侵食した結果と言わざるを得ない。
その状態が最も顕著だったのが、フォトピープルの仕事だった。
フォトピープルの仕事の正式開始は、3月22日。TGMの一週間前である。
当初の予定では、この期間はおそらく空白期間で、TGMの練習期間として十分時間が取られていたと思われる。
しかし、その空白の時間に韓国側は、フォトピープルの仕事をねじ込んできた。
日本での正式活動再開を発表して二ヶ月。大半の時間を日本に滞在する彼の状況は、韓国側からすれば、焦り以外の何者でもない状況だ。
フォトピープルの仕事は、ハッキリ言ってジェジュン頼みの企画だ。
今回、第二弾の放送が、5月に決定される中で、日本に滞在する彼を参加させるためには撮影場所を日本にする以外に彼を説得することは出来ない。
日本での仕事のスケジュールが最優先されている彼に参加を決断させるための苦肉の策が、日本での撮影だったと言える。日本なら、他の仕事と掛け持ちの参加が可能だと説得出来るからだ。
それは、彼自身もそう判断したかもしれない。又は、本格的な日本の始動時期の4月までに韓国の仕事をこなしておきたいという判断が彼の中にあったかもしれない。
いずれにしても、あの時期にねじ込んだという事実が歴然とある。
連日の野外撮影。富士山までの遠出。
結局、撮影のすべてのスケジュールが終了したのは、28日と思われる。
歌手ジェジュンに専念する時間は、29、30、31日の僅か三日間しか与えられなかった。
連日の撮影に、遠征。
ハードスケジュールをこなした後に、歌手モードにチェンジするのは容易ではない。
本来なら、疲れを十分に取らなければ、身体的疲労が蓄積されたままになる。しかし、本番まで僅かの時間しかなかった彼には、疲れを取る時間的余裕も気持ちの余裕もなかったと思われる。
バンドは、準備万端だった。ずいぶん前から、練習期間を十分に取り、バンドとしての音楽は出来上がっていた。
彼だけが遅れた形になった。
練習時間を十分に取れない中で、コンサートに出演しなければならない場合、歌手が一番に考えるのは、安全策だ。
過去にしっかりと歌い込んだ曲で構成することが最も安全策と言える。
歌い込んだ曲というものは、ある程度の完成度を予想することが出来る。即ち、どんなにコンディションが悪くてもそれほどの破綻をせずにうまく纏めることが出来るということになる。
当日の彼の歌声のコンディションが最悪だったと感じる理由は幾つかある。
先ず、キーポジションを下げたこと。
これは、「守ってあげる」の曲自体のキーポジションを下げた。
キーポジションを下げて歌手が歌う場合の理由として考えられる主な原因は、喉の状態が悪いということだ。
当日の彼の喉の状態が最悪だと感じたのは、1曲目から、すぐにわかった。
彼にしては珍しく「押して歌った」からだ。
この力で押して歌う方法は、歌手には何ら普通の歌い方で、問題にするものではないと言える。但し、それは、普段からそのように歌っている歌手に於いての場合だ。
彼の場合は、「押して歌う」という発声法をしたなら、それは、よほど喉の状態が悪いと言える。
なぜなら、彼は、決して「力で押して歌う」という発声法を取らない歌手だからだ。
彼の発声法は、力で押すのではなく、あくまでもブレスの力で響かせて歌う手法を取る。
この二つの手法は、全く違う発声法であり、彼のような発声法を取る歌手は、全体的に非常に少ない。
ブレスの力によって、声帯を響かせて歌う発声法は、喉のコンディションが、非常に大きく作用する。
声帯をブレスの力によって、薄く伸縮させるテクニックを使って、低音から高音まで響かせる。それは、声帯を力で押してくっつけて歌う手法に比べて、非常に繊細で、綺麗な響きの出る発声法である代わりに、声帯のコンディションがそのまま歌声に反映する手法でもある。
この日、彼は、声帯のくっつきが非常に悪かった。
身体が疲労すれば、自ずと声帯も疲労している。さらに、二日間、彼は練習の空白を取り戻すために、猛練習をした。おそらく当日のリハーサルでもかなり歌ったはずだ。
その為に、彼の歌声は、ハスキーな声になっていた。
歌声がハスキーなものになる原因は、疲労しかない。
声帯が疲労するとくっつきが悪くなる。くっつきが悪くなると、どうしても反応が悪くなるために、歌手は焦る。その焦燥感を解消するために力で押して、何とか声帯をくっつけようとする。そうすると、益々、声帯の伸縮が悪くなり、ハスキーな歌声になる。
即ち悪循環に陥るのである。
この日の彼の歌声はまさにこの状況だった。
これほど、状況の悪い彼の歌声を聴いた記憶が私にはない。
そして、高音部はもちろん伸びを欠く。その為にさらに力で押して、何とか声を出そうとする。
各楽曲の高音部のサビ、また、ロングヴォイスは、すべてこのような歌声になっていた。
彼にしては、非常に珍しいと言える。
そうでもしなければ、声が出なかった、というのが、本当のところなのかもしれない。
その為に「化粧」における歌声では、多彩な色を現すことが出来なかった。
彼の歌声は、日本語の言葉によって色みが変わる。歌声の響きが変わるのだ。
たとえば、明るい意味の言葉の場合は、声色が非常に明るくなる。反対に暗い意味合いの言葉であれば、響きが暗くなり、色みが深くなる。
「化粧」のように物悲しい楽曲の場合と、「守ってあげる」では、同じバラード曲であっても、言葉の色みが異なり、その違いによって、楽曲全体の色みが変わることによって、聴衆に与えるイメージが異なるものになる。
ところが、この日の彼の歌声は、どの曲も色みが同じだった。
あえて言うなら、バラード曲と「JAG]「GMN」などの曲目との声質が同じだった点だ。
そのことが、彼の状態がよくなかったことを顕著に示していると言えるだろう。
しかし、これは、あくまでも私個人の見解であって、「いや、彼の歌声は素晴らしかった」と感じる人もいれば、「十分に七色の声だった」と思う人もいるだろう。
コンサートreviewの難しさは、固定評価を現しにくい点だ。
何度も書くように「歌」は瞬間の芸術であり、その場限りで消え去っていく運命にある。
その時、その瞬間に各人が感じた評価がそのままどれも正しい評価であると言えるだろう。
★今後想定される懸念
今回のスケジュールを見てもわかるとおり、彼がCjesとの関係を続ける限り、スケジュール調整は難しくなるのは必至だ。
さらに多くのファンは彼の歌手活動を望むが、ケイダッシュの戦略も絡み、活動のバランスがさらに難しくなると思われる。
但し、彼自身が、「歌手ジェジュンです」と宣言したように、彼の中での自覚はあくまでも歌手活動が本業であるという部分は譲れないだろう。
今後、彼がどのようにバランスを取って、仕事をこなしていくかは、Cjesとの関係をどのように取っていくかにかかっている。
韓国と日本の両国間で、彼の取り合いになることは避けられないだろう。
Cjesとの関係をどのようにしていくかが今後の日本活動のキーポイントになりそうだ。
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