ユチョンが日本ファンミで話した内容を見聞きした。

初日は、「日本で住みたい。また昔のように活動したい」と言い、ファンの反応に自信を持った二日目には、「日本で会社を作り、活動したい」とまで言った。

それを聞きながら、ユチョンは、日本で一体何をしたいのだろうと思った。

 

ファンミでは、自作曲を二曲用意した。もちろん日本語だ。

そして、5月には、ホールツアーを行うという。その時には、もっとたくさんの自作曲を用意すると言った。

ユチョンは、歌手に戻るつもりなのだろうか。

 

 

8年前、韓国に戻ったあと、歌手ではなく俳優の道を歩み続けた。

得意だったピアノも売り払い、自分の周りから音楽というものを一掃した。

僅かにお付き合い程度にJYJで歌を歌う。

そんなユチョンからは、音楽にも歌手というものにも何の未練もないように見えた。

新人俳優として手に入れられないものはない、というほどの賞を受け、Cjesという俳優事務所の力を借りて、韓国俳優としてトップまで上り詰める人生しか眼に入らなかったはずだ。

次々と打診されるオファーの数々に、自信を持ち、弟とCjesからの独立まで視野に入れていた俳優人生は順風満帆だったはずだ。

それが、落とし穴に落ちた。

 

Cjes、即ちぺクの怖さを知らなかったのか。

ぺクがどんな犯罪で、前歴者になったのかということを忘れていたのだろうか。

それともお気に入りの自分だけは、特別だとでも思っていたのだろうか。

 

 

ぺクは、自分の元を去ろうとする人間を決して許さない。

去ろうとしているものに手をこまねいてみているほど甘くはない。

8年前、ぺクがいなければ、JYJは、芸能界に存在することすら出来なかったのだ。

その恩義を忘れてくれるほど、お人好しではない。

たとえ、今は堅気の芸能事務所の社長であったとしても、骨の随まで、暗黒の世界に浸りきって育った生育歴は、ぺクの身体の中から消え去ることはない。

 

だからなのか。

「会社に日本で会社を作って欲しいと頼んだ」とユチョンは言った。

そこには、自分一人の力で日本に戻ろうとする決意も覚悟も何も感じられなかった。

 

 

人は、自分にとって大切なことほど、口を閉ざす。

口を閉ざすのは、その決意が固いからだ。

軽々しく口に出せないほどの決意。

誰にも言えないほどの決意。

大切に思えば思うことほど、口を閉ざす。

そして、黙って着実に実行する。

 

 

ジェジュンは、除隊後の日本ツアーのあと、何も言わなくなった。

日本活動に関して、口を閉ざした。

彼は、入隊前までずっと一つのことを言い続けてきた。

「昔のように日本で活動したい。CDを出し、音楽番組に出て、ドラマもやりたい」

それは、どれも、日本事務所との正式な契約がなければ、決して手に入れることの出来ない活動だった。

彼が望み続けたのは、ただ一つ。

日本事務所との正式な契約だった。

 

それを望み続けたからこそ、あくまでも韓流ビジネスをしようとするCjes、ぺクとの軋轢を生んだ。

彼がその考えを変えようとしないと知れば、ぺクは、ありとあらゆる方法で嫌がらせをし、圧力をかけた。

それは、時には、彼の命をも危険に晒したかもしれない。

それほど、ぺクは、Cjesというものの力を見せつけようとした。

Cjesのやり方でなければ、日本で歌うことなど出来ない。Cjesの世話にならなければ、日本でコンサートを開くことなど出来ないのだ。歌いたければ、Cjesのやり方に従うしか道はない。

今さら日本に戻っても何も出来ない、と吹き込み続け、誤った情報を与え続け、完全にマインドコントロールし、彼に、あくまでも韓流スターである事の自覚を植え付けようとした。

韓国人である自覚。

韓国人として単に日本には、他の国と同じようにビジネスで行っているだけであって、決してライフスタイルを求めるのではない、ということを言い続けた。

 

それに抵抗し続けたからこそ、あれだけのパワハラ状態に置かれたのだ。

 

しかし、ユチョンは違った。

自ら、韓流スターとしての道を歩むことを望んだように感じた。

日本でもあくまでも韓国俳優のファンミという形でしか活動しようとしなかった。

日本よりもどちらかと言えば、中国に重きを置いているかのようにも見えた。

それが、豹変した。

 

欧米で吹き荒れた Mee To 運動は、韓国では遂に自殺者まで出る騒ぎになった。

性スキャンダルを持つ芸能人は、芸能生命をも脅かされる事態になっている。

公役を終了してもなお、半年以上の自粛状態を作り出さなければならないほど、韓国での評価は厳しい。

自国での活動を諦めたあとは、他国に活路を見出すしか道はない。

それでもユチョンは、その方法を誤ったように思う。

 

もし、ユチョンが日本で本当に活動を望むとするなら、それは、何で戻るのか。

捨て去った音楽で歌手として戻るのか。

それとも日本語を習得して、元KARAのジヨンのように日本の俳優として戻る覚悟があるのか。

「日本に住みたい」と言い、「日本で昔のように活動したい」と言うのなら、もちろん、それは日本の芸能人として日本芸能界に戻ることを意味する。

しかし、ユチョンが頼ったのは、あくまでもCjesだ。Cjesという韓国の企業なのだ。

 

 

Cjesは、日本に何の伝手も持たない。

2013年4月。JYJの東京ドーム公演の折り、ジェジュンのサポートがしたくて、Cjesのジェネラルマネージャーと交渉したことがある。

その時、言われたことは、忘れない。

「ああ、日本のことは全くわからない。だから好きにしてくれていい。勝手にやって!」と。

 

あれから5年。Cjesは、日本の公演は、すべてプロモーターと組み、在日系の企業と組んだ。

決して、そこには、日本企業と組もうとする姿勢は見られなかった。

そんな企業が、会社を作って活動出来るほど、日本の業界は甘くない。

 

ジェジュンが契約を結んだケイダッシュ。

ケイダッシュにジェジュンがユチョンを呼ぶ可能性についての懸念があると聞いたが、それもないと思える。

ジェジュンは知っている。

この日本でのJYJというグループに向けられる一般人の評価。

JYJというグループが、この日本でどのように思われ、メンバーがどのような評価を受けているかということを。

曲りなりにも自分の力で、会社を立ち上げ、社長として多くの日本人と出会う中で、彼はJYJというものの評価もメンバーに向ける視線も十分に感じたはずだ。

そして、今、日本活動を正式に始めようとする自分が、何をすることがマイナスになるのかということも、彼は十分に知っている。

それを知っているからこそ、JYJの文字を消し、記者会見でもグループ名もメンバーの名前もタブーとする条件を付けた上で、質問に答えているのだ。

そんな彼が、やっと手に入れた日本芸能界の場所を危うくするようなことをするはずがない。

他のメンバーとの過去のわちゃわちゃは、既に妄想と化している。

 

 

「日本で活動したい」

「日本に住みたい」

「日本で会社を作りたい」

 

結構なことだ。

 

でもそれは、自分一人の力で実現しなければならない。

ユチョンは、失ったファンの信頼も、愛情も、芸能人としてのポジションも、誰の力も借りずに、自分の力だけで取り戻さなければならない。

そして、日本で活動するということは、日本の一般社会に溶け込むことを言う。

日本の風習に従い、日本の慣習に従い、日本流の思考をしてこそ、日本で仕事することが出来る。

 

8年前、韓国の何もかもを好意的に捉えていた頃の日本とは、違うのだ。

ジェジュンですら、日本活動再開のニュースのコメント欄には、批判コメントが書き込まれている。

批判があるのを承知で、彼は戻ったのだ。

 

 

もし、本気で日本に戻りたいのなら、Cjesの手を離して、日本に戻る覚悟がなければ、決して日本で成功はしないだろう。

 

 

ユチョンは、自分の力で立ち上がらなければならない。

その方法しか、道はない。

 

そして、それは、半年後に戻るジュンスにも同じことが言える。

 

 

ユチョンは、公の場で、日本活動への希望を口にした。

Cjesがどのように出るのか、お手並み拝見だ。

 

 

kuko

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ジェジュンとケイダッシュとの繋がりに関しては、あらためて別記事で。

 

ジェジュンは、絶対に動かない。

彼の力を頼りにする関係性は、もう終わったのだ。

その事をファンもメンバー自身も理解する必要がある。

彼は、もう別の場所を歩いている。

その場所には、自分自身の力で追いつくしかない。