私は、ジェジュンの5人時代を殆ど知らない。
リアルタイムで5人の姿を見た2009年の年末の一連の音楽番組の時は、まだファンではなかった。
だからなのか、最初から、彼だけのファンだった。

長年、音楽の仕事、それも歌の世界で仕事してきて、「歌で心が癒される」という経験は、私の中になかった。
自分のステージを見に来てくれた人が、「声に感動した」「歌に心が癒されました」と言っても、私の中にその体験はなかった。
いつも私の側には、歌や音楽があったが、それは、自分を見つめ直す対象だったり、自分を追い詰める対象でしかなかった。
他人の歌を聞けば、職業柄、音程が気になり、声の出し方が気になった。
そうやって、私の耳は、いつも歌手の欠点を捜そうとする。
そんな私にとっては、歌は、決して心を癒す存在ではなく、音楽の仕事で疲れた神経を逆なでするようなものでもあった。

ある時、娘が放置したままのアルバムが、車のエンジンをかけると同時に車中に鳴り響いた。
それが、東方神起の音楽との自覚した出会いだ。
2010年の年明けのことだった。
音を切ろうとした私の耳は、一人だけの歌声を捉えていた。
それが、ジェジュンの歌声との出会いだった。
何のアルバムだったのかも、今は覚えていない。

 

涙が出た。

彼の歌声は優しかった。
初めて、「歌で心を癒される」という体験をした瞬間だった。

それから、私は貪るように彼らの音楽を聴いた。
5人の音楽の世界は確立されていた。
その中心に、いつも彼の声があった。
彼の声を核としたハーモニーの世界が確立されていた。
それは、楽曲の作りそのものが、そうなっていたからに他ならない。

東方神起の曲は、かなり高度なテクニックを要するものが多い。
それを確実に歌いこなせるだけの実力を彼らは、持っていた。
また、彼らの実力を引き出すように楽曲は作られていたと言える。
楽曲は、5つの歌声の特徴に合わせて巧みに作られた曲ばかりだった。
それぞれの音色と、フレーズの配置が見事だった。
だからこそ、未だに他の追随を許さないものがあると感じる。

ジェジュンが、自作曲の「忘れないで」を

「あの曲は、5人の為に作った曲だから、3人でも1人でも歌わない」

と言ったが、あの頃のすべての楽曲が、5人の歌の良さを引き出すように作られている楽曲ばかりだった。
だから、誰一人の声が欠けても、あの音楽の世界は、作り上げることは出来ない。
それぐらい楽曲として優れたものが多かったと感じる。

今回、再録すると聞いたとき、5人の音色で作られた世界が、2つの声の音色に作り替えられるのだと知った時、ただ、悲しいと感じた。
5つの楽器を使って奏でられていた音楽の世界を2つの楽器で奏でる必要がどこにあるのだろう、と疑問に思った。
その気持ちを素直に記事に書いただけだった。

ジェジュンは、この7年。
満足に歌うことすらできなかった。

過去のすべての楽曲を捨て、歌えない状況になったのは、自業自得だと批判するコメントを読んだ。

過去の優れた楽曲を、二人の歌声で聞きたい。すべての楽曲を歌い直して欲しい、というコメントを読んだ。

二人の東方神起を応援する人達にとって、彼の歌声は邪魔な存在だったんだと知った。
オンリーが固執する彼の歌声は、彼女達にとっては、過去の遺物でしかなく、消し去りたい存在でもあるのかと知った。

そういう人達から、見れば、ジェジュンが歌えないのをファンが嘆くのは、お角違いなのかもしれない。

ジェジュンにとって、この7年は、存在そのものも危ういほどだった。

ただ、生きていればいい。
無事に生きてさえいてくれれば、芸能界に戻らなくてもいいとさえ思う出来事は、何度もあった。

でもそんな事情を知らない人達からすれば、彼の存在そのものが、疎ましいのだ。

7年前、一人日本で活動を続けていた彼に向けられた刃は、今もなお、深くくすぶり続けているのだと知った。

オンリーが望む彼の日本活動が正式に再開されれば、その刃は、間違いなく再び彼に向けられるだろう。

それぐらい、両者の間には、深い溝があり、決して交わることも、理解しあうこともないのだと感じた。

彼に向けられる刃は、彼自身が、十分承知している。
7年前にあれだけ傷つけられても、日本を忘れなかった。
日本を「第二の母国」とまで言う。

彼は、日本に戻ろうとしている。批判されようと、反感を受けようと、邪魔されようと、この7年、彼は、一途に日本に戻ろうとした。

「これからは、僕が皆さんを守ってあげる」

彼は、そう言ったが、彼が日本に戻った時、刃から守るのは、ファンしかいない。

ファンは、彼を守れるだろうか。

承認しなかったコメントを読みながら、そんなことを思った。

「人生、何があるかわからないよ」

そう言った彼の言葉が、心の中に残っている。

 


頂いたコメントの幾つかを承認しませんでした。
彼に向けられた言葉の冷たさを感じたからです。
承認して多くのオンリーに知って貰うことも考えましたが、読んだ人は、確実に傷つくだろうと感じました。
譲歩出来るギリギリの線で承認したコメントを読んで、途中で気分が悪くなった、と言うファンもいました。それぐらい、彼を批判する言葉の刃は鋭かったのだと思います。
コメント欄が荒れるのも嫌でした。

ブログを書き始めて7年。
この場所には、多くのオンリーが集まっていました。
オンリーだと言うだけで、批判され、攻撃を受けました。
でも今、殆どのジェジュンファンはオンリーです。
なぜ、彼だけを応援しようと思うファンが増えたのか、その原因は何だったのか、そんなことを知らない人達から見れば、彼が不遇な目に会うのも当然だという論理なのだと知りました。

オンリーから見れば、5人時代の歌は、宝物ですが、二人のファンから見れば、そうではないのだと感じました。
埋めることの出来ない深い溝を感じます。

 

それでも彼がどんなに傷ついても、前を向いて、自分の自由を取り戻そうとする限り、私もこの場所で、一緒に歩きたいと思います。

彼と一緒に傷つきながら、確実に進んでいきたい。

 

深い溝は埋められなくても、一人でも彼のことを理解しようとしてくれる人が現れるように、オンリーとしての記事を書き続けたいと思います。