東方神起の再始動の記事がたくさんあがっていた。
その中に、「ライジングサン」「どうして君を好きになってしまったんだろう」「ボレロ」の3曲を再録してアルバムリリースするという記事があった。

5人の東方神起の曲として、誰もが知っている曲。
タイトル曲と共に、多くの人の記憶に残る歌声は、ジェジュンの「どうして・・・・・」の第一声。

その歌声を消し去ってしまうという行為が悲しかった。

ただ悲しかった。

以前、たまたま東方神起のブログを読んだことがある。
それは、個人のブログというより、公式のHPに近いようなものだった。
確かに記憶では、「公式」という文字を見た覚えがあるが、後日、どんなに捜してもその場所を見つけられなかった。

その場所では、東方神起が「HUG」でデビューし、日本でもデビューしたあと、活躍した経歴が詳しく書かれていた。
しかし、そのどこにも、ジェジュンはもちろんのこと、他の二人の名前も何も記載されていなかった。

東方神起の経歴が書かれた場所には、最初から二人しか存在していなかったように書かれていた。
数々の日本での曲目の紹介でも、誰がどのように歌ったのか、どこを歌ったのか、という説明の中に、二人以外の名前は存在していなかった。
すべての楽曲は、二人でしか歌っていないかのように記載されていた。
「東方神起」というグループがこの世にデビューしたその時から、二人だけのグループとして書かれていたのだった。

最初から、三人は、どこにも存在していなかったのだ。

私は、その記事を読んだとき、悲しかった。
ああ、二人の東方神起ファンの間では、こういう認識なのかと思った。
過去を消し去るのではなく、最初から存在していなかった、ということなのかと感じた。

悲しかった。
事実を事実として書かれていないものが、事実のように扱われる。

ジェジュンという歌手の存在そのものを否定されているように感じた。

 

ネットが発達している現代では、誰でも気軽に検索をかける。
わからないこと、知らないこと、もっと知りたいこと、興味のあること・・・・・
どんなことでも検索をすれば、簡単に出てくる時代だ。

もし、東方神起に興味を持った人が、検索をかけ、私が見た場所をクリックしたら、その人の中では、東方神起は、最初から二人のグループだった、という認識になるのだろう。

今は、まだ5人の東方神起を覚えている人が多い。
先日のKAVEのイベントでも、渋谷を訪れたジェジュンを多くの通行人は、「元東方神起のセンターにいた人」として記憶していた。
けれども、十代においては、二人の東方神起は当たり前だ。
今の高校生に「ジェジュン」という名前を聞いても、普通は知らない。
そして、新たにKPOPのファンになった人達にとっても、東方神起は、二人のグループなのだ。

ジェジュンは、日本に特別な感情を示してくれる。
歌手として、大きく飛躍したのは、紛れもなく日本活動があったからで、日本で活動していなければ、今の彼の歌声は存在しない。
それは、彼自身も何度もインタビューで話している。
彼が日本活動に固執するのも、ファンが彼の日本活動を望むのも、彼が紛れもなく、日本で活動していたからであり、彼の歌声は、そこに存在していたからに違いない。

日本活動から遠ざかって7年。確実に彼の軌跡は、こうやって消されようとしているのだな、と思う。
だからこそ、彼は、どんな形でもいいから、戻ろうとしたのだろう。
このまま、手をこまねいていては、彼の存在そのものが、日本では消し去られてしまうから。

歌は、瞬間の芸術だと言うけれど、歌声は、その曲と共に多くの人の記憶の中にある。
どんなに新しいサウンドで再録しても、ヒットした当時の記憶の中の歌声は消えない。
そして、その記憶は、紛れもなく、彼の歌声と共に蘇る。

彼が、日本活動を再開したら、多くの人が思い出すだろう。
記憶の中の彼の歌声を。

彼の歌声の中に存在する、東方神起のサウンドの記憶は、人々の中から消えることはない

それは、彼が日本語の歌を歌い続ける限り、永久に失われることはない。

それでも、過去の彼の歌声を消し去られるのだと知って、悲しかった。

私は、ただ悲しかっただけ。

 


娘がユノオンリーの関係で、この7年間の二人の軌跡は、情報を追わなくても知る立場にありました。
彼らが、血のにじむような努力をして、今の東方神起を作り上げてきたことも少しはわかるつもりです。
そして、先日、記事を書くのに、二人の歌う「With All My Heart」をたまたま聴きました。
とても歌が上手くなっているのだと感じました。そこには、二人だけのサウンドの世界が作り上げられていました。だからこそ、もう過去の曲に捕われる必要を感じないのです。
二人の新たな出発に、過去の曲を再録する意味を見いだせなかったのです。

ジェジュンは、決して五人の時の歌を歌おうとはしませんでした。
自作曲の「忘れないで」すら、「あれは、五人の為に作った曲だから、三人でも一人でも歌わない」と頑なに拒否してきました。
その彼が、ichigoコンで「Begin」を歌ったとき、誰が彼を説得したのだろう、と思いました。
彼が、五人の歌を歌ったのは、後にも先にも、あの時限りです。
除隊後のツアーのバックステージで、どんなにファンが歌わせようとしても、彼は歌詞を声に出して読むことすらしませんでした。

「ファンの皆さんのイメージを壊したくない」

その言葉に、彼の気持ちがすべて込められているように感じます。
だからこそ、私は、彼と前を向いて一緒に歩いていける。
過去の曲は過去の曲として、そのまま聴けるのです。

彼が、ソロアルバムを出すまで、私は、五人時代の曲を辛くて聴くことが出来ませんでした。
あれだけ歌っていた彼の歌声が、消えてしまった事実を受け入れることができなかったからです。
五人時代の彼の歌声は、私にとって、悲しい思い出になっていきました。

でも彼がソロアルバムを出したことで、私は、彼の歌声を再び、自分の中に取り戻すことが出来たのです。
韓国語で歌うソロ曲の中に、紛れもなく彼の日本での歌声の軌跡を感じたからです。
彼が、その歌声を失うことなく、新たに自分の音楽を作り上げてからは、私の中で、五人時代の歌を彼の大切な過去の軌跡として聴くことが出来るようになりました。

今、彼は、日本語で自分の曲を歌ってくれる。
その歌声は、紛れもなく五人時代に培った、多くの日本人の記憶にある歌声です。

過去の曲にこだわらなくても、彼は、自分の歌声を取り戻し、歌手として進化している。
彼は、過去の曲を越えて、彼だけの新しい世界を日本に取り戻そうとしている。

だから私は悲しくない。
前を向いて彼と一緒に歩くだけ。

彼の歌声は、必ず、多くの人の記憶に蘇る日が来ると信じているから。