マンホールのドラマを観ている。

私は、韓国語が殆どわからないから、観ているというより、眺めている、と言ったほうが正しい。
今回のドラマは、ストーリーが単純で今のところ、複雑な心理描写がないから、言葉がわからなくても大体は、理解出来る。

ジェジュンのドラマは、「素直になれなくて」はもちろんのこと、「ボスを守れ」から全て観ている。
私は、演技について解説する立場にないが、彼の演技は確実に進歩した。
演技者として、感情の発露が素直になったと感じる。

それは、韓国での第三作「トライアングル」の演技で大きく変わったように思う。

「トライアングル」は、彼の生い立ちをまるで設定を変え、踏襲したような作品だった。

ホ・ヨンダルという人の仕草や表情の中に、素のキム・ジェジュンという人を感じる場面が数多くあった。 そのため、彼自身が主人公の感情を理解しやすく、表現しやすかったように思う。
彼は、ヨンダルを演じるにあたり、「何も役作りをしなかった。普段のありのままの自分を表現した」と語るほど、彼自身とヨンダルの距離は近かったと感じる。

それは、イ・ボムス氏というベテランの演技者との掛け合いによって、彼の能力が引き出されたとも言える。

また、普段交流のあるソクチョン氏が共演する事で、仕事でありながら、非常にリラックスした雰囲気の中で撮影が行われた事が大きい。

トライアングルが、彼にとって、非常に意味深い作品である事は、ドラマ終了後もトライアングルチームと名づけて、頻繁にプライベートで交流している様子からも窺い知る事が出来る。
このドラマで、彼は、多彩な瞳の色合いを表現する事を身につけた。

しかし、この多彩な瞳の色合いは、既に「スナナレ」の時から、垣間見ることが出来たように思うのは、私だけだろうか。

彼の演技は、セリフもなく、静かに表情だけを撮影する部分において、際立つ。
それが垣間見えたのは、ハルを諦め、別れを告げる場面での彼の一瞬の表情だった。
その時、私は、まだファンになりたてで、今ほど、彼の歌について理解していなかったが、表現者という立場から、彼の可能性を無限に感じたのを覚えている。
彼が持つ独特の雰囲気は、何のセリフもない沈黙の場面でこそ、生きてくる。
ただ、そこに存在するだけで、周囲の空気を変えてしまう。

彼は、自身の瞳の中の色合いだけで、怒り、戸惑い、憂い、喜び、悲しみなど、多彩な感情を表現する。
瞳の色合いが変わる時、彼の顔立ち、表情は、一変する。
だからこそ、今回のような多様な役柄を演じる事が出来るのではないか。

これは、彼の歌手としての表現者の天性の勘に由来すると感じる。

彼の天性の勘。

それは、曲の歌い出しの旨さだ。

これは、メンバーの誰も追随できない。
彼が歌い出しを担当した曲は、数多くあるが、イントロの長短に関わらず、瞬時に、その楽曲の持つ色合いを理解し、その世界に準じた歌声を出せるのは、彼しかいない。

どのようなメロディーやリズムが来ても、一瞬でその楽曲の色に自分の歌声を染めて行くのである。

この歌い出しの旨さが、彼の多彩な声を持つ理由でもある。

そして、歌い出しによって鍛えられた表現者としての色合いは、演技者として、感情を抑制した演技の中に反映されるのだと感じる。

役者ジェジュンを支えるのは、紛れもなく歌手ジェジュンの表現力である。

歌によって鍛え上げられた優れた表現者としての能力が、役者ジェジュンの演技力なのだ。

彼は、歌手であるからこそ、他の能力が輝くのだ。

多彩な色合いを持つのは、歌手であるからこそである。


韓国に戻り、2012年は、俳優活動しかしませんでした。それまでの1年半も、彼の歌声を満足に聞けず、ドラマ出演が決まるたびに、彼は、もう歌を捨ててしまうのではないかと、不安に思ったのを思い出します。

けれども彼は、どんなに脅迫されても歌を捨てませんでした。
彼の表現者としての本能が、歌を捨てさせなかったのだと思います。
彼が歌を諦めなかったから、私は、今、彼の歌声に会う事が出来る。
彼には、感謝しているのです。
彼が歌い続けていること。
それだけが全てです。

彼のドラマ出演が、歌手ジェジュンのさらなる飛躍に繋がることを願っています。