KAVEのオープンイベントの日、警察が出動する騒ぎにまでなった渋谷のセンター街の人混みは、ジェジュンという人の日本での人気を見せつけた。日本ツアーから約半年。
4月や6月にプライベートで日本に来ることはあっても、ファンの前に姿を見せたのはツアー以来半年ぶりだった。

日本活動がなくなって、7年。

7年の空白期を持ってもまだ、彼の人気は衰えないことを証明した。

道行く人は、余りの人混みに「誰が来るの?」と一様に疑問に思い、「ジェジュン」もしくは「JYJのジェジュン」と言っても首を傾げる人も多かったという。

「元東方神起で真ん中にいた人」
そう言えば、大概の人が、「ああ」と納得したと言う。

韓流に何の興味のない人でも「東方神起」の名前は知っている。
今、2人になったことを知らない人でも、「東方神起」の名前は人々の記憶に留まる。

それが、この日本社会における「東方神起」というコンテンツの評価でもある。

現在の東方神起ファンから言わせれば、「2人が東方神起を守って来たからだ」ということになるのだろう。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、今、東方神起というグループが、たとえ存在していなかったとしても、多くの日本人には、その存在が記憶されているだろう。
それだけ、「東方神起」というのは、稀有の価値を持ったグループだったと言い切れる。

なぜ、韓流にも芸能界にも全く興味のない人でも、その名前と存在を知るようになったのか。
それは、ずっと言われ続けているように、彼らが、KPOPアイドルの地位を捨てて、JPOPグループとして、日本の芸能界で一からやり直したからだ。

KPOPのトップアイドルとして、日本に乗り込んできた彼らを待ち受けていたのは、日本の音楽業界の厳しい壁だった。
アジアで一世を風靡したという鳴物入りのデビューに対して、日本社会の反応は冷たかった。

ヨン様の「冬ソナブーム」が始まっていたとはいえ、まだまだ韓国に対する好意的な感情を抱くほど、日本社会は、韓国文化に理解もなければ、馴染みもなかった。

どんなにavexが宣伝しようと、誰も見向きもしなかったと言えば、嘘になるだろうか。
ジャニーズという強力なアイドルコンテンツを持つ日本社会に、韓国のアイドルグループのくい込む余地はなかったと言える。

それでもavexは、諦めなかった。
このまま埋もれさせるには、余りにも惜しい実力とパフォーマンス力を持つグループだったからだろう。

結局、どう売るのか。
コンテンツとして、何を売り出すのかの選択だったと思われる。

日本の業界の厳しさは嫌というほど知り尽くしている。
しかし、日本の社会の中で、何が受けるのか、ということも知り尽くしている企業だった。

真面目にコツコツやれば、実力があるグループは必ず生き残る。
必ずブレイクする。

韓国、と聞いただけでアレルギーを起こす日本人も多い風潮の中で、取った方針は、韓国を感じさせない徹底した現地化政策だった。

ファッションも外観も日本風にアレンジした。
日本に住居を構えさせ、日本社会の中で実際に生活を体験させた。
日本の新人グループが歩む道筋と同じように、名前を一から売る為、地方のキー局の情報番組にも出演させた。

どんな小さな仕事でも、どんな地方でも、出演するチャンスがあれば、どんな番組でも引き受けた。

そうやって、一から、「東方神起」というコンテンツを浸透させていった。

そうすることで、彼らは、日本語が上手くなり、日本の文化、日本の考え方というものを肌で感じていった。

日本社会は、コツコツと真面目に努力する人間に好意的な社会でもある。
韓国というものを徹底的に排除し、まるで日本のグループかのように錯覚させるほど、歌に関しては、徹底的に日本語を鍛え上げた。
日本人の好む声、サウンドに特化した曲作りが、アイドル層ではなく、韓流層でもなく、本物志向の大人の聴衆に受けたことが、彼らの日本でのポジションを確立したと言える。

外観の良さは、ジャニーズに飽きたアイドル層を取り込み、本格的なヴォーカルグループとしての音楽は、JPOPのレベルの低さに辟易としていた洋楽志向の聴衆に単なるアイドルではなく高いレベルの実力を兼ね備えた音楽を提供できるグループとして満足感を与えた。

何曲かブレイクしたJPOPバラードを経て、日本社会の中で、確実に「東方神起」というサウンドを確立させることに成功したと言える。
あのまま、活動を続けていたら、韓国人グループでありながら、誰もが知る国民的グループになっていたに違いない。

結局、分裂によって、JPOP界は、この稀有なサウンドの世界を永久に失ってしまったのだ。

「5人の東方神起を越えるグループは、もう出ない」と言われる所以は、ここにある。

分裂後の東方神起は、そのサウンドを継承することは出来ず、JYJもまたしかりである。
あのサウンドの世界は、5人それぞれの声の色合いが、重なり合って初めて成り立つ世界であって、誰か一人でも欠ければ、成り立たない世界なのだ。

絶妙のバランスで、各人の声が配置されていたのが、東方神起というコンテンツだった。
その為、分裂後は、結局、それぞれが、一から、新たな形を求めて、作り直さなければならなかった。

ジェジュンが日本で実質活動したのは、5年余りしかない。
日本を離れて、7年。
韓国で過ごしている期間の方が、既に上回っている。
ましてや、韓国は彼の母国でもある。
小さい時から生まれ育ってきたアイデンティティーは、消す事の出来ないものだとも言える。

5人が日本で過ごした経験値は、それぞれの捉え方や影響の大小に格差があったと感じる。

それは、今もなお、日本活動を継続している2人と、日本活動を離れてしまった3人のその後の考え方にも大きな格差を感じるからだ。

十代のまだ価値観が流動的で、多感な時期に、日本を経験した彼らの中に、日本社会が与えた影響は、それぞれ大きく違ったと言える。
それは、元々、兼ね備えていた性格によるかもしれないし、生育環境の中での体験によるのかもしれない。

ジェジュンにおいては、日本語の習得が一番遅かった。

彼が、よく口にしたのは、「日本に来て、スタッフがみんな親切で優しかった」という言葉だ。
それを裏返せば、少なくとも、彼は、韓国では、そういう扱いを受けていなかった、ということになる。

4歳で養子に出され、養子先は、決して裕福な家だとは言えなかった。
小学生の頃からアルバイトをし、15歳で家を出て自立した。
「経験しなかったアルバイトはない」というぐらい、SMの練習生になるまでは、食べていくためなら、どんな事もした。

やっと東方神起としてデビューした芸能界の中で、彼の後ろ盾は、何もなかった。
出自や学歴、コネと付け届けの世界。
良い家柄や高い学歴が、強力な後ろ盾になる韓国社会において、彼は、裸同然、何も武器を持たなかった。

彼にあるものは、自分の能力だけだった。

その能力を正当に評価してくれる社会。
それが日本だったといえる。
彼は、東方神起が一から始めたのに対し、ジェジュンという芸能人として、ゼロからの出発だった。

「日本は、コツコツ、真面目にやれば、必ず認めてくれる社会」

後輩の超新星のユナクに語った言葉は、彼のそのままの実感だろう。

そんな場所を彼は、手放さなければならなかった。
自分がゼロから作り上げてきた場所も、ポジションも評価もすべて捨てなければならなかった。

だからこそ、彼は、日本に拘るのだと思う。

日本社会なら、裸同然で戻っても、真面目に努力すれば、必ず認めてくれる。

彼の中にある揺るぎない体験が、その価値観を作り上げてきたと言える。

「日本語が心配ですね」
と言った彼の日本語は、7年前よりも格段に上達している。
2年の兵役を終えて開催した日本ツアーで、既に入隊前よりも確実に日本語力が増していた。

全く日本語を使わない日常生活と社会の中で、あれだけの日本語力をキープし、さらに語彙力も漢字力も伸ばしてくるのは、並大抵の努力では出来ない。

「全然、勉強してない」と言ってた彼が、「メッチャ努力してる」と素直に話すようになったのも、彼の中で、ありのままの自分を認め、受け止めるだけの成長があったと感じる。

彼の中に感じる日本。
言動の中に現れる日本は、「郷に入っては郷に従え」という現地化政策の元で、身につけた感覚と言えるだろう。

彼の中では、日本の思考や価値観が、すっかり消化され、韓国人でありながら、彼独特の価値観を生み出す。
それは、韓国人だから、日本人だから、という境界を越え、一つのものとして融和した「ジェジュン」というスタイルなのかもしれない。

今回のKAVEは、KAVEJAPANという名の通り、日本に特化した会社においての彼のオーナーというポジションだ。
即ち、日本においてのKAVEに関してだけ、彼は、責任を持つ、ということになる。

彼の体験の中での日本での事業が、彼独特の価値観と思考によって確立していく事を願っている。

それは、かつて、東方神起音楽を確立させたように、彼独自のスタンスとスタイルにおいての確立だ。決して、誰かの真似をするわけではなく、彼だからこそ、出来る事業の成功を願っている。

「ドラマが終わったら、すぐにまた日本に来ます」

そう言った彼の日本での第二幕の人生は、始まったばかりと言える。

 


オープンイベントが終わり、通常営業が始まったKAVEでは、日本流でない仕事ぶりも見えると聞きました。
確かに彼は、自分がオーナーであり、経営に責任がある、と言いましたが、商売は始まったばかり。
東方神起の最初の頃に、手探り状態だったのと同じように、多くの経験を積み重ねながら、商売が定着する事を願っています。
「コツコツ努力すれば、必ず認められる社会」
そう信じて、確実に努力を積み重ねてきた彼のスタンスが、店員の一人一人に浸透するまでには、ある程度の時間がかかるかもしれません。
それでも、それを批判するのではなく、見守りながら、一緒に育て上げていく、一緒に定着させていく姿勢が、求められているようにも感じます。
羽田を飛び立つ直前に彼が上げた優しい表情の一枚の写真に、彼のKAVEへの思いをファンに託した気持ちが現れているように感じました。