記録のために、KAVEでの彼の部分の動画を掲載します。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……実際、僕は、求めてくれる人がいなければ行くところがありません。国内であれ、海外であれ、ファン達がいるから作品でも僕を見つけて、ツアーをして、広告も撮ることが出来ます。

なんだってそうです。僕は何者でもありません。ファン達がいなければ、どうしてそんなことが出来るでしょうか……」

 

これは、@star1 Vol.65(8月号)のインタビューの中の一部分だ。

 

彼が答えているように、彼は、いつもファンの存在を感じ取り、ファンのことを考えて来たと言える。

入隊前のインタビューでも、「他の人の意見に影響されて自分の意思を変えることはないが、唯一、変えるとしたら、その理由は彼女達(ファン)」というほど、彼は、自分の存在が、ファンの存在なくしては成り立たない、ということを十分すぎるほど知っているスターだ。

 

 

入隊前のMoldirのランチングショーの時にも巻き起こった彼の副業に関する批判同様、今回のKAVEのオーナーとしての彼への批判が、ジェジュンオンリーの中で酷いと耳にした。

 

それを聞いて、「ファンの存在」というのは、いったい何なのか、と考えた。

 

 

 

彼も入隊中、自分にとって「ファンの存在」とはどういうものなのかを何度も考えた、とインタビューで答えている。

 

 

ファンという存在は、芸能人にとって、実に厄介な存在だと思う。

 

 

彼が話すように、芸能人である彼は、ファンがいなければ、存在することすら出来ない。

ファンがいて、ニーズがあってこそ成り立つのが、芸能人という仕事だ。

どんなに自分が仕事をしたい、歌を歌いたい、と思っても、それを必要としてくれる人、必要としてくれる場所がなければ、それは成り立たない世界に彼はいる。

それが、プロという世界だ。

 

芸能人によくプライバシーはない、と言われるが、私はそうは思いたくない。

もちろん、彼らは、自分を人前に晒してナンボの世界に生きている。

だから、普通の一般人とは、比べ物にならないほど、自由も私生活もないだろう。

いつも人目に晒され、何をするにも、何処へ行くにも、自分が芸能人であるということを自覚しなければならない。その対価として、巨額の収入を得るのだとも思う。

 

ジェジュンは、「ジェジュン」という看板を背負って生きていかなければならない。

その看板は、彼に対して、ファンが勝手に作り上げた看板かもしれない。

「ジェジュン」というデビュー以来、ファンが作り上げてきた虚像を彼は、ずっと背負い続けてきたのかもしれない。

それが芸能人の宿命だと言われれば、そうなのかもしれない。

でもだからと言って、ファンの言いなりになる必要は全くないと思う。

ファンの意見によって、人生が左右されるのなら、ファンもまた、彼を縛る鎖の一つでしかないと思うからだ。

「自由な活動を望む」と話す同じ口先で、彼が選択した道を批判する。

彼女達にとって、自由な活動というのは、彼女達の考える世界の中で彼が羽ばたくことを指すのだろうか、と思う。

 

 

13年前、18歳で、羽田に降り立った頃の彼は、本当に神秘的で、何にも染まっていない少年のイメージだった。

日本語を覚えるのに苦労した。

メンバーの中で、一番最後に日本語を習得したのは、彼だった。

その外見に似合わず、決して器用ではなく、物事に真面目に努力するイメージは、当時から何も変わらない。

可愛くて、幼い少年のイメージは、日本活動をする5年間に少しずつ変わっていく。

どんなに辛いことがあっても、決してステージで涙を見せなかった彼は、外観に似合わず、芯の強さを見せつけた。

女性っぽいイメージにも拘らず、実はメンバーの中で一番男気があるとも言われた。

日本では、いつも自由で、開放的で、自分をありのままに表現し、自信に満ち溢れていた。

それは、5年間の活動の中で、少しずつ彼が身につけてきた自信のようにも見えた。

 

 

そんなイメージが壊れたのは、日本活動が打ち切られて、韓国に戻ってからだった。

 

JYJになって、彼の心からの笑顔、日本で見せていたような笑顔を見た記憶がなかった。

 

私の記憶の中にある彼は、いつも不安そうで、自信のなさそうな顔をし、泣いてばかりいた。

日本では決して涙を見せなかった人が、ことあるごとに日本で泣いた。

日本に戻ってきては、堰を切ったように涙を流す場面を何度も見てきた。

 

泣いて、泣いて、その度に、ファンからの愛と信頼を受け取り、立ち上がって韓国へ戻る。

 

そんな印象だった。

 

 

韓国で見せる顔と、日本で見せる顔は、余りにも違った。

 

どちらが、本当の彼なのか。

 

ある人は、韓国では、気弱なイメージだとダメだから、強いオッパとして見せて、日本では可愛らしい男のイメージを使い分けている、と言った。

また、ある人は、日本で見せる顔が、本当の彼の顔で、韓国では、気を張って生きて、仮面を被っている、と言った。

 

そのどちらもが正しいのかもしれない。

 

 

 

人間は、一面では測れない。

 

自分自身を振り返ってみても、いくつもの顔を持つ。

こんな大したブログでもないものを書いている私でさえ、ブログを読みに来て下さる方は、文章から、勝手にkukoという人間のイメージを作り上げる。

私は、積極的に読者と会うほうではないが、実際に出会った人からは、「文章から受けるイメージとは全く違う」とよく言われる。

こんな私ですら、読者が勝手に作り上げたイメージのkukoという人物像をある意味、背負っているのかもしれない。

ましてや、彼は、13年も芸能生活を続け、押しも押されもしないトップスターだ。

彼が、背負わされるイメージは計り知れない。

 

 

 

今回、誰かのレポに、「日本活動が打ち切られて7年。どうしてもJYJというのは馴染みがなくて、私にとっては、いつかまでも東方神起のジェジュンのイメージだったのに、いざ、7年ぶりに見たら、すっかり大人になり、時間が止まっていたのは自分だけだった。それぞれの道を歩くというのは、こういうことなんだな、と思った」と書いてあるのを読んだ。

 

 

この人のレポにもあるように、彼の日本におけるイメージは、今だに圧倒的に「元東方神起のセンターだった人」だ。

JYJの名前を聴いても、記憶にすら残らない一般人でも、「元東方神起にいたセンターの人」と言えば、殆どの人が、「ああ」という表情をする。

 

多くの一般の日本人が抱く彼の記憶は、あの頃の、可愛らしい青年になったばかりの中性的雰囲気を持つジェジュンという歌手だ。

その頃から、ファンだった人は、今、すっかり大人の顔になって、一人の投資家として日本に戻った彼についていけないのかもしれない。

あの頃、歌しか歌っていなかった彼と、今、実業家として日本社会に企業のオーナーという肩書きで戻ってきた彼とでは、余りにもかけ離れたイメージがあるからなのかもしれない。

 

 

ファンになりたての頃、古くからのファンから聞かされた言葉は、「全然、売れなかった彼らをここまでの地位にしたのは、私達。私達がいなかったら、こんなスターになってなかったんだからね」という言葉。

 

確かにデビュー当初から、ファンだった人は、売れなかった彼が、売れるようになり、東方神起を脱退して、経済的にも巨額の富を手に入れるようなスターになったのは、自分達がずっと支えてきたからだ、という自負があるかもしれない。

 

 

 

韓国でデビューした当初、余りにもファンと懇意になり、SMから注意された経験を持つ彼は、今、メンバーの中で唯一、ファンサイトともファンとも一線を引いて、癒着した関係を結ばない。

いつも適度な距離を保って、自分というものを見失わずに、生きてきた人だと言える。

 

タイの王女から個人的に求められたサインですら、「あなたにだけサインすれば、公平でなくなるから」と断った彼は、どんな国のファンとも不公平にならないように、公平な権利を与えようとする。

 

そんな中で、日本という国、日本ファンに対してだけは、誰もが感じるほど、特別な感情を見せる。

今回のKAVEのオープンに関しても、反韓感情の渦巻く今の日本社会に於いて、オープンすることが、決して好意的に取られないだろうということは、十分予測しているはずだ。

渋谷という場所も、あのビルに出店するということも、、その道のプロから見れば、彼にとって決して最良の選択だとは言えない、とも聞いた。

 

それでも彼は、この日本に出店した。

 

その気持ちの中に、ファンへの気持ちがないと言ったら、嘘になるだろう。

 

 

彼が、事業家として、オーナーになることは、誰かの迷惑になることなのだろうか。

ファンの迷惑になるのだろうか。

 

 

彼に本業だけやっていればいい、と言うファンは、いつまでも彼の昔の歌手だった頃のイメージだけを求めているように思える。

彼の歌手以外の面を見たくない、という思惑が見える。

 

 

誰にでも多面性があるように、彼もいくつもの顔を持っていて当たり前だ。

副業に批判的な彼女達が、推奨する本業の場面で、彼は、ファンに決して見せたことのないように厳しい一面を見せる。

彼が要求したことに真摯に取り組まないスタッフを叱りつけるのは、有名な話だし、完璧を求める彼は、仕事面において、決して妥協しないのも有名だ。

一見、譲歩したように見えるものは、彼の中で納得出来たものだけだ。

そのストイックさを自分にも周囲にも求める。

それも彼の一面だ。

 

 

歌手ジェジュンを好きになったのだから、歌手以外の活動は応援出来ない、というファンもたくさんいる。

ドラマに出演する彼を見て、淋しい気持ちになったという人もいた。

日本活動再開が出来ない状況の中で、実業家として日本で事業を展開する彼に、そんなことをしている時間と資金があるのなら、本業が再開出来るように、努力するのが当然だ、と批判するファンも少なくない。

歌手ジェジュンを好きになったのだから、それ以外の分野の彼に何の興味もないし、応援しようとも思わない。それもファンの心理だろう。

けれども、応援しないことと、批判することとは全く別次元の話だと私は思う。

 

彼が、歌さえ歌っていればいい、というのは、あくまでもファンの側の考えであって、実際に社会の中で生きていくのは彼自身であり、彼の人生でもある。

 

 

 

 

彼は、「僕はファンがいない限り存在出来ない」と言ったが、私は、彼が歌わない限り、彼の歌を聴くことは出来ない。

彼が歌ってくれるから、私は、彼の歌に会えるのであって、彼が、「もう歌わない」と決めれば、二度と、彼の歌声に会うことは出来ない。

 

彼が歌わない限り、私は、永遠に歌手ジェジュンを失ってしまうのだ。

 

 

彼は、「死ぬまで歌い続けたい」とも言ったし、「歌を絶対手放さない」とも言った。

 

でもそれは、彼の自由な意思に委ねられている。

 

ある日突然、彼が、「もう芸能人は辞めた。歌も歌わない」と言えば、もう二度と、彼と出会うことは出来なくなる。

 

彼の人生は、彼の手に委ねられており、歌手ジェジュンの存続は、キム・ジェジュンという人間に委ねられているのだ。

どんなにファンが、「歌手を辞めないで」と言っても、彼が、「もう辞める」と決めたら、それ以上、歌手ジェジュンは存在しない。

 

 

スターは、ファンによって存在しているけれども、ファンもまた、スターによって存在しているのだ。

 

彼が、歌手をやめれば、必然的にファンは、彼のファンでいられなくなる。

過去の歌声にしか、彼に出会うことは出来なくなるのだ。

 

 

 

だから、私は、彼が、「歌手を続けたい」「歌を一生歌いたい」と思ってもらえるように応援したい。

 

彼が、歌い続ける為に、実業家としてしなければならないことがあるのなら、それで構わない。

彼が、安定した芸能活動を続けていくために、副業が必要だと判断したのなら、それで構わない。

 

とにかく、彼が歌い続けよう、と思い、日本に戻ろう、と思い、日本活動を再開させようと思ってくれるなら、どんな事業をしようと構わない。

 

 

彼は、どんなに事業をしても、歌手である本質も歌うことも手放さない。

それは、人前で歌った経験のある人間だけが、知っている世界だからだ。

何もかも、どんな悩みも、消し去ってしまうぐらい、圧倒的な力をステージは持つ。

あの感触を、彼が手放すとは到底思えないからだ。

 

 

彼が、多角的な面を見せることで、歌手業を続けるのであれば、それで構わない。

彼が、「ジェジュン」であり続ける為に必要であるなら、何をしようと、私は応援する。

 

 

私は、一生、「ジェジュン」という人のファンであり続けたいと思うからだ。

 

 

 

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昨日、渋谷のセンター街は、騒然とした雰囲気に包まれたと聞きました。

彼を待つファンの人であふれかえったからです。

警察官が登場するほどの人混みでも、事故一つ起こらず、混乱がありませんでした。

「皆さんがマナーを守って下さったから、大丈夫だった」と彼は嬉しそうに話しました。

 

彼は、嬉しかったと思います。

そして、マナーよく混乱も起きず、自分を迎え、送り出してくれるファンを自慢したかったと感じました。

 

彼が自慢出来るファン。

 

そんなファンでありたいと私は思います。

 

 

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