KAVE JAPANのオープンイベントにジェジュンが帰ってきた。

昨夜、遅くまでの撮影があったにも関わらず、早朝の空港に現れた彼は、満面の笑顔だった。

何かから解放されたような無防備な笑顔。

日本に来る時、必ず見せる彼の笑顔がそこにあった。

 

 

オープンイベントで、彼は、自分が「KAVEのオーナー」であることを明言した。

 

会社の登記簿謄本まで取り寄せる物議を醸した「社長」「オーナー」の名称問題は、これで決着がついたと言える。

登記簿上、彼が代表取締役になっていないにも関わらず、「オーナー」であると明言したということは、彼が、この会社に投資家として多大な投資をしている、という推測に繋がる。

「責任を感じる」と言う発言の裏には、彼が経営者として実質上の権限を持っているということにも繋がるのかもしれない。

多忙な撮影の合間を縫い、わざわざスケジュールを空け、短時間の滞在にも関わらず、日本にやって来るということは、彼がこの会社の実質上のオーナーであることの顕れとも言える。

日本に在住していない彼が、登記上、会社を立ち上げることは難しく、実際の登記に関しては、在日関係者を立て、実質上の権限は彼が握る。

それなら、彼の名前は、ギリギリまで表舞台に出ない。

今まで、数限りなく、日本での足がかりともなることを事前に潰されてきた経験から、彼は、そのようにするのが、一番安全で、かつ確実に自分の居場所を作ることが出来るのだと判断したのかもしれない。

 

 

この7年間、彼の日本に対するスタンスは一度もぶれたことがない。

あのような形で日本活動を打ち切られたあとも、日本に対する気持ち、日本活動に対する気持ちがぶれたのを見たことがない。

いつも彼のスタンスは、変わらない。

 

「以前と同じように日本活動がしたい」

 

そのひと言に尽きる。

 

 

 

彼が実業家として、副業を始めたのは、思うような芸能活動が出来ない韓国においては、当然の成り行きだったと言える。

それでも最初の店coffeecojjeeは、共同経営者に店名を譲ることを条件に、独立しなければならなかった。ファンが慣れ親しみ、グッズのクッションを求めて、早朝から長蛇の列を成したほどの場所と名称を置いて、一からやり直したのが、現在のJholicだ。

 

典型的な韓国式接客だったcoffeecojjeeに比べて、Jholicは完全に細部にわたるまで心配りされた店づくりだった。

それは、かつて彼が日本で経験した日本流の接客を踏襲していると感じられる部分がいくつも存在した。

 

ファンが購入したレシートには、必ず彼の名前がオーナーとして記され、僅か一つのドリンクを購入してさえ、彼のサインが印字されたレシート袋に入れられる。

 

それは、東方神起時代、コンサートでグッズを購入すれば、レシートにメンバーの名前が記入されていたのを踏襲するかのように感じられた。

また、グッズのサイズに合わせた大小のショップ袋が何種類も用意され、購入した数に見合ったものがきちんと提供される。

店で手焼きされるクッキーやお菓子類は、日本では当たり前のようだが、決して韓国ではありきたりでない、綺麗にラッピングされた形で提供される。

 

この一見、日本では当然のサービスは、諸外国ではなかなか見当たらない。

 

このように細部に渡って提供される、お客の要望に対して隅々まで行き届いたソフト面のサービスは、彼が実際に日本で居住し、体験してきた中で、養われた感覚だと言っても過言ではないだろう。

 

これらの事が、実現出来たのは、彼が一人オーナーになってからのことであって、決してcoffeecojjeeで提供されたものではなかった。

 

どのようにすれば、ファンのニーズに応えることが出来るのか。

いつもファンの側に立って、物事を考え、ファンを喜ばせること、ファンが満足出来ることに視点を置いて、店舗を経営していく。

その感覚が、彼の事業を安定したものへと発展させてきたと言える。

 

決して儲けようと思っているのではなく、「ファンの人が、安らげる場所を。ゆっくりお茶出来る場所を提供したいだけ」という彼のコンセプトが、結果的に、多くの顧客を生み出す結果となっているだけだ。

 

 

明洞のメイン通りから一本筋入った場所にあったとはいえ、かつてのJholicは、雑居ビルの二階、三階にあり、一階のショップの奧に階段があった。

必ず一階の店舗を通り抜けなければならない作りの店舗では、Jholicに行きたい人間にとっては、一階の店は、単に通り道でしかなかった。

また、特別なグッズが売り出される時は、グッズを求めるファンの列が、階段を通り抜け、一階の店舗に溢れるほどになった。

そういう環境であったためなのか、一階の店舗は何度もオーナーが代わり、最終的には、荷物置き場のような空き店舗のようになっていたのを記憶している。

明洞という繁華街にあっても、ファン以外、一般の観光客がフラッと立ち寄る事のない店舗とも言えた。

 

その場所を彼は、すっぱりと引きあげ、江南のオフィス街に近い場所のビルの一階に移転した。

開放的で一般的な店舗は、場所柄、ファン以外の客も訪れやすい場所になった。

 

こうやって、彼は自分のやり方で、誰の助けも借りずに、一から事業家としての歩みを始めたと言える。

 

 

日本での足がかりを作ろうとする度に潰されてきた彼は、どんな形でもいいから、日本に自分の場所を作ろうと思ったのかもしれない。

芸能人として、日本に戻ろうとするとき、今まで、どれだけ妨害されたかわからない。

それは、決して外圧でないことは、もう多くのファンが知っている。

 

「敵を欺くには、先ず身内から…」という諺は、韓国にもあるのだろうか。

身内だと思って信頼してきたものが、実は、最も近い敵だった、ということを何度も経験する中で、彼は、事務所が一切、手を出すことが出来ない個人実業家として、日本に戻ることを実現させた。

 

今日のイベントは、KAVEのオープンイベントの形を借りた、投資家実業家キム・ジェジュンの日本での第一歩の始まりでもある。

 

 

ファッションショーやヘア・ショーを舞台下から見守る彼は、にこやかな表情の中にもときおり、鋭い視線を投げかけていた。

その顔からは、芸能人としての顔は消え、冷静に状況を把握し、鋭い勘で、素早い判断と決断を下すことのできる投資家としての彼がいた。

 

彼は変わった。

「最近は、自分の意見を主張することが出来るようになり、ストレスが減った」と言った彼は、除隊後、明らかに変わった。

 

いつ、日本のファンが居なくなってしまうだろうか、と不安に思い、「忘れないで」と懇願し、泣いてばかりいた気弱な彼は、もうどこにもいない。

 

31歳の若手実業家の自信に満ちた顔が、そこにあるだけだった。

 

 

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渋谷は、昔から彼が大好きな場所の一つです。

「渋谷のスクランブル交差点の真ん中で、好きな人にキスしたい」と言ったほど、彼は、この街の雑踏が好きなのかもしれません。

日本では、芸能人としてではなく、一人の人間として自由に歩き回れる。

雑踏の中に自分を隠すことの出来る渋谷は、彼が昔から慣れ親しんだ場所だったと言えます。

 

 

今回の彼の実業家としての日本での第一歩に対して、「本業は、どうなのよ」と批判しているファンもいると聞いた。

本業で日本に帰れるにこしたことはないでしょう。

それは、誰であろう、彼自身が一番感じていることです。

だからこそ、この7年間、彼は、何度も本業で日本に帰ろうとしたのではないでしょうか。

 

でもそれは、叶わなかった。

何度も何度も潰された。そして、それは、除隊後も変わらない。

 

 

彼が、日本に戻る方法は簡単です。

日本活動を再開する方法は、至極、簡単でたった一つの方法しかないと私は思っています。

それは、彼自身も当然、知っている方法だということも。

でも彼は、それを選択しない。

今のところ、彼は、それを選択しようとはしないのです。

 

だったら、別の方法を模索するしかありません。

 

どうしても、彼は、自分の力で、自分だけの力で、日本での芸能活動の扉をこじ開けようとしているのがわかる。

簡単で明解な方法があるにも拘らず、それを選択しようとしないのは、彼の意地なのかもしれません。

 

彼の意地が、状況を打破するのか、それとも諦めて、本来の方法を取るのか、それは、彼にしか決められない。

それでもこれだけは確かに言えるのです。

 

 

彼は、日本に戻ろうとしている。

日本活動を再開させようと試みている。

 

 

一見、何の関わり合いもないように見えることが、実はのちのちの大きな伏線になっていた、ということは、よくある話なのです。

 

 

実業家、投資家としての彼は、芸能人キム・ジェジュンを必ず日本に戻すでしょう。

その為の始まりの一歩なのですから。

 

 

私は、そう固く信じているのです。