昨日は大統領選挙日だった。
前回の選挙日に、彼は投票場所を間違えた。その報告と正しい場所での投票の画像を認証ショットとして上げ、ファンにも投票の認証ショットを自分宛に送るように呼びかけた。
あれから5年。
今回、彼からのアクションは何もなかった。
何もなかったことが、彼の一つのメッセージでもあるかのように。

連休中の5月5日。
彼は、一枚の身分証明書の画像をアップした。
ホ・ヨンダル。
それは、ドラマ「トライアングル」の主人公だ。
トライアングルは、主人公の生い立ちが彼のそれと重なり合って、まるで彼そのものを見るかのようなドラマだった。
「特別にキャラクターを作るということはしなかった。いつも友達と話すような言葉でセリフを話し、自分のありのままを見せるような感じで演技した」と彼は言った。
その言葉通り、ヨンダルの何気ない仕草に、普段の彼の姿が見えるかのようなドラマだった。恵まれない生い立ちや出生の秘密を抱え、腐ったような生活をしていたヨンダルが、一人の女性に巡り会うことで、必死にその泥沼からはい出て、人生の成功者になっていく。多くの思惑と罠の待ち受ける世界で、別人のようになって腐った感情に染まらないよう、必死に自分を律して生きていこうとする姿は、そのまま彼の韓国に戻ってからの人生そのもののように見えた。

身分証明書に記された2010年9月16日、という日付は、私にとっても多くのファンにとっても決して忘れることの出来ない日だ。
それは、彼の日本活動が打ち切られた日。

その日付をヨンダルの身分証明書取得日に記したのは、スタッフの単なる偶然でないことだけは明らかだ。
わざわざその日に身分証明の取得日を設定したのは、紛れも無く彼であり、彼の心に2010年9月16日という日は、深く刻み込まれている証拠でもある。
ヨンダルという人物象を自分の人生に投影させようとした彼の気持ちが、そのままこの日付に現れていると言える。

彼は、7年前、日本活動を打ち切られた時から、ずっと日本活動を熱望していた。
それは、どんなに年月が経っても、どんなに反日の環境の中に置かれても、色あせることなく、彼の心の中に深く根ざした思いだったからだ。

 

2010年9月。
それは彼が韓国に戻り、日本との一切の交流が断ち切られたその日から始まっていたのだ。
JYJという隠れ蓑と外圧というベールに包まれて、彼自身が、自分が足を踏み入れた世界に気づかなかったのかもしれない。
それでも、10月のJYJのshowcaseでは、明らかに彼の様子は一変していた。
彼は、自分が足を踏み入れた世界が、底なし沼のように、自分を呑み込む世界だと気づいたのは、いつだったのだろう。
何度も何度も頭を振り、浮かんでは消えていく疑念が、やがて確信に変わっていくのに、どれぐらいの時間が流れたのだろう。
それは、もしかしたら、ある時、一瞬に彼を襲った確信だったかもしれない。
気づいてしまった事実は、彼に容赦なく襲い掛かり、彼を呑み込もうとする。
両足、両手、首に科せられた鎖に気づいたのはいつだっただろう。
遅くとも、「I」の発売が決まる2012年の秋には、それは彼の確信になっていたに違いない。

 

2010年、showcaseが終わり、オリンピックスタジアムでの雪の日のコンサートが終わった頃、反日と闇の権力を持つ事務所の中で、彼だけは、綺麗な心でいよう、と必死にもがいている様子が見えた。
コンサート後の楽屋で、号泣した涙の中に、激しい悔恨の情がなかったとは思わない。

 

あれから7年の年月が流れた。
彼を取り巻く環境は、何一つ変わっていない。
相変わらず、集金目的だけに日本を利用しようとする事務所。
日本での露出を巧妙に抑制し、彼がブレイクするのも、日本に復帰するのも、邪魔し続けている。
除隊してからも、いくつ潰されてきたかわからない。
その度に彼は、泥沼の中から、自分の力ではい上がらなければならない。
そうやって少しずつ少しずつ、彼のエネルギーを奪い取っていく。
彼が、ファンに愛情を求めるのは、空っぽになった心を満たすエネルギーが欲しいからだ。
くじけそうになり、諦めそうになる心を奮い立たせ、自分の足で立ち上がる力が欲しいだけ。

 

韓国に反日政権が誕生し、事務所はさらに活気づくだろう、自分達のやり方が間違っていないと。
彼の希望する形での日本活動はさらに遠のき、はるか彼方に日本を感じているかもしれない。
彼がどんなに成長しても、韓国にいる限り、政権に利用される。
「大人の事情」というのは、政権の事情、事務所の事情だ。
批判の多い6月のファンミ。
彼だけでなく、日本で人気のある他の芸能人も次々開催が予定されている。
唯一、外貨が確実に稼げるコンテンツ。
彼らは、政策の道具でしかない。

 

韓国の芸能界に自由などない。
韓国のアーティストに真の自由などない。
自由に音楽も芸術も表現出来る環境も土壌もない。
そんな国にいる限り、日本ファンが考える自由など、彼には到底訪れない。

 

折しも、トライアングルの主題歌「嫌でも」のMVの再生回数が100万回を越えた。

歌手であることの自分を取り戻した彼は、その澄みきった声と共にどこを目指そうとするのか。

大人になった彼が、自分の力で、事情を解決出来るほど、韓国の情勢は甘くないかもしれない。
彼が真の自由を取り戻す日は、やって来るだろうか。


ファンミの批判は彼に向けられるものではなく、彼の生きる韓国の事情を理解すべきもの。
彼にこのような仕事をさせたくなければ、参加しないこと。
それだけが、唯一、彼を守ることに繋がる。

彼を日本に歌手として取り戻せるかどうかは、ファンの行動にかかっている。
事務所の日本向けのイベントにNO.を突きつけられるのは、唯一、ファンだけなのだ。
どんなに事務所が計画しても、日本ファンの参加が少なければ、イベントは成り立たない。
彼をイベントに引きずり出すのは、紛れも無く日本ファンなのだ。

彼が日本ファンを韓国に呼びつけるファンミを望んでいるかどうか、考えてみればいい。
彼は、いつも言っている。
「活動もない日本から、韓国に来てもらうのは申し訳ない。自分が日本に行かないと」と。

彼は日本活動がしたいのだ。
それは、彼が日本に戻ってくることを意味する。
決して、日本ファンが韓国に行くことではない。