この方法しかイメージ回復が出来なかったのだろう。
唐突な結婚情報を目にした時、そう感じた。
芸能人にとってイメージは致命的だ。
5人のアイドルグループとしてデビューした時のイメージは、芸能界にいる限り、一生ついて回る。ましてや、5人グループでは頂点を極めたのだ。そのイメージはいつまでも幻影となって良くも悪くもその後の人生を左右する。

事件が報道されるまでのメンバーの俳優人生は、希望に満ちたものだったはずだ。
あらゆる新人賞を総ナメし、前途洋々だった。公役を2年果たした後は、多くの仕事が待ち受け、アイドルから俳優へと見事な転身を図る青写真は出来上がっていた。
でも人生はわからない。
一寸先は見えているようで大きな口を開けて待ち受けているかもしれない。
自分が蒔いた種だとは言え、それは希望に満ちた未来を全て壊してしまう程のダメージだったと言える。
無嫌疑の称号を勝ち取ってもなお、世間は許さなかった。
300を超える女性団体が再捜査要望の声明を出し、世間の目は決して事件を忘れてはくれない。終着点は全く見えない状況だった。

一度嵌れば、二度と這い上がれない穴に落ち込んだ人間が、再び表舞台に立つ為には、過去のキャリアを全て捨て去る方法が一番なのだろう。それぐらいメンバーにとって、芸能生活は未練のないものだったのかもしれない。
ゴタゴタしたとはいえ、今なら、過去の栄光のキャリアだけで芸能生活を終える事が出来る。
東方神起というトップアイドルグループの一員であり、見事に俳優として転身し、将来を嘱望される新人俳優としてのキャリアを捨てて、芸能界を引退。その後は実業界に転身し、妻となる人の揺るぎないバックを基盤に、その人生を歩んでいく事が出来る。
5人時代から、物にも人にも執着せず、どこか冷めた視線でいつも自分の気持ちを優先させてきたメンバーらしい結末だ。
自分という存在がファンによってあるのだという事は、意識のかけらにも登らなかったのかもしれない。

デビューして13年目。
5人のその後は、2つのグループに分かれた時から決まっていたのだと言える。
東方神起というグループとしての存続を希望した2人は、兵役後もグループとしての活動を優先する道を選んだ。グループとして存続する為に個を捨て、入隊時期を可能な限り合わせた。今年の後半には確実に東方神起として復帰する。
最初からソロ活動を優先させたJYJにとって、グループ活動は、個人活動の付け足しのようなものでしかなかった。
東方神起として存続した2人に対し、グループとして存在したのは、単なる意地だったのかもしれない。ファンの気持ちの受け皿として形を整えただけの存在だった。
それぐらいJYJというグループは、内容のない、単に3人の集まりというだけのグループでしかない。

3人のじゃれ合う姿が最も好物だというファンの評価は、この7年、グループとして何も努力して来なかった証拠といえる。
妨害が酷かったから、活動が出来なかった、というのは、単なる言い訳に過ぎない。
仮に本当に彼らが音楽活動したかったのなら、インディーズでもストリートミュージシャンでも、1から出直す方法はいくつもあったのだ。
地べたを這いずり回っても音楽活動する道はいくつもあった。
それを選ばず、俳優やミュージカルへと個人活動を優先したのは、紛れもなく彼らの意思以外の何者でもない。
そんなグループが、これからの長い人生、単に東方神起に対抗する意地だけで存続できるはずがない。

人生は長いのだ。
まだ30代は始まったばかり。
10代で社会的地位と名声を得た5人は、これからの人生の方が遥かに長い。
アイドルからの転身は、非常に難しい。
30代は、芸能人として最も難しい分岐点ともいえる。
どの道を選択して行くかによって、その後の芸能人生が決まると言っても過言ではない。
特に韓国の場合、歌手の多くは、俳優に転向するか、実業家に転身する。
歌い続ける事は容易ではない。
その為に20代から、事業を始めたり、演技を始めたりする。
メンバーが実業界に転身しようとするのも、長い人生を見据えれば、当然の選択肢だったかもしれない。

NOと突きつけたのは、これで二度目だ。
NOは、強烈な拒否の意思表示。
是も非もない。
拒否だ。
全ての論争を拒否する。
メンバーに関する事、グループに関する事、自分に関する事。
全ての論争への拒否だ。
それが彼の明確な意思表示であるのは、二枚の写真からわかる。
白と黒だけで表示されたNOは、全ての論争の白黒さえも拒否する、という明確な意思だ。

彼は変わった。
明らかに変わった。
それは、除隊後、彼の言動に明確に現れている。
除隊後、メンバーの名前を一度も口にしていない。JYJという呼称すら、聞いた事はない。
入隊前の彼は、オンリーペンが歯痒い程、メンバーに気を使い、グループを優先させた。
いつも自分のことは後回しにして、メンバーを優先させた。
「www」のコンサート中でもJYJの事を話し、メンバーへのメッセージを忘れなかった。
その彼が変わった。
明らかに変わった。
ツアー中、彼の頭には、自分とファンしか存在していないかのようだった。
自分とファンが、これから、どのように進んで行くのか。
自分のファンをどこへ導いていけばいいのか。
いつも彼の言動には、自分とファンしか存在してなかった。
そこにメンバーやグループ活動は存在していない。
まるで彼は、最初から、ソロ歌手だったかのように、ソロのステージを楽しんでいた。

「死ぬまで歌い続けたい」「90まで歌いたい」「どこまで歌えるかわからないが命の続く限り、歌いたい」

これは、グループ歌手としてではない。紛れもなく一人の歌手としてのメッセージだ。

歌手としての原点に戻る。

歌手を志した時の彼。
SMのオーディションを目指した時の彼。
歌手になりたい、と人生の目標を決めた時の彼。

その彼の見つめる未来には、一人の歌手としての姿しかなかったはずだ。
最初から、グループ歌手になりたいと思ったのではない。

「音楽は妥協する訳にはいかない。それは音楽だからね」
今なお、デビュー当時の歌声とイメージをキープし続けるトップアーティスト小田和正の言葉だ。
オフコースを解散し、ソロアーティストになった理由は、「音楽は妥協出来ない」だ。
「他の仕事なら、気持ちを合わせ、妥協点を見いだして仕事を進めるだろう。でも音楽は違う。
音楽だからね。音楽は妥協する訳にはいかないんだ」

最初は、同じ未来を見つめていただろう。
5人でデビューした時は、同じ未来を見つめていたはずだ。
それは、オリコンで1位を取るという目標だったのかもしれない。
もしくは、武道館のステージに立つ、という事だったかもしれない。
最初は、同じ未来を見つめ、同じ歩調で同じ道を歩いていたはずだ。
でも人生は長い。
分岐点はいくつも用意されている。
人の気持ちは変わるのだ。
永遠に変わらない保証は、どこにもない。
ましてや、5人は、それぞれに持ち味もパーソナリティーも、価値観も違った。
その違和を共通の目標というオブラートで包み込んで来ただけの話だ。
だからこそ、分裂後、グループ歌手を選んだ者、俳優の道を選んだ者、ミュージカルに進出した者に分かれていった。

彼は、ソロ歌手の道を選んだ。
誰よりもグループ歌手でありたいと願い、グループ活動を希望した彼の願いは叶わなかった。

希望が叶わなかった彼が選んだものは、ロックだった。
小学校4年の時に、初めて聞いたJAPANロック。L’Arc~en~Cielのhydeは、彼の中の憧れであり、歌手になるという夢を与えた人でもあった。

彼は原点に戻っただけだ。

その彼にとって、メンバーへの論議もグループ活動への論議も、ましてや、自分に対する論議も必要としない。

「音楽で皆さんを支えたい。
自分の気持ちは、音楽で伝える」

そう話す彼に、論議は必要でない。

彼は自分の信じる道を歩けばいい。

私は、一緒に歩くだけだ。