「短いからね… すぐだからね…」そう言った彼のことばを聞きながら、3年を覚悟した。横浜のJJ Party に2日間参加した。

 

これが彼と日本で会える最後だとわかっていた。

私のように韓国の彼に会いに行かないファンにとっては、これが本当のお別れ。

どんなに彼との別れがわかっていても、韓国には行く気持ちにならなかった。なぜなら、私は日本語を話す、日本のジェジュン(JEJUNG)が好きだから。

彼との出会いも彼の歌を初めて聞いたのも、J-pop歌手のジェジュンだった。

10月のファンミが流れてからも、個人ファンミをどんなことをしてもやりたい、というのは彼の強い意志だったと聞いた。

 

日本のファンに会いに行く。日本で日本の自分のファンにお別れを言いに行く。

これが彼の意志だと知った。

 

初日には「明日、泣くかも…」と言った彼は、最後まで絶対に泣かなかった。

最後まで笑顔でステージの上に立っていた。

 

3人になっていつも日本のステージでは泣き続けた彼。

5人時代には、どんなにメンバーが泣いても決して涙を見せずにいた彼。

「自分が泣くとファンも泣くから、絶対に泣かない」そう言い続けていたあの頃の彼が最後のステージに戻っていた。

 

今は1月。

一番早い入隊でも3月になる。

遅ければ、パスポートの切れる8月の入隊になるかもしれない。

2年足らずの兵役を終えても、すぐに日本に戻ることは実現しない。

そうなれば、この日本で彼に会えるのは、早くて2年半、遅ければ3年以上を覚悟しなければならないだろう。

 

「仕事も何も手につかない」

「腑抜けの状態」

「この5年間、彼だけを思って彼だけを追いかけてきた。ここから2年、どうやって過ごしたらいいかわからない」

私の周りのオンリー達は、みなこのように呟く。

 

でも私は何も不安に思わない。何も変わらない。なぜなら、彼の日本への気持ちも日本ファンへの気持ちも、そしてきっと日本に帰ってくるという彼の意志も、明確に感じるから。

 

一昨年の大阪城ホールで、日本への自分の気持ちを初めて吐露してから、彼は日本への気持ちを隠さなくなった。それは、日本に自分だけを待ち続けてくれるファン、自分だけのファンの存在を自覚したメッセージだった。

韓国でソロ活動をしても、彼の中には、「やはり日本ではJYJの中でのジェジュンを好むファンが多いのではないだろうか」という疑念があったのだと思う。横浜アリーナの初めてのソロステージ。それを経験する中で、彼の中にハッキリと「自分だけを待っているファンがいる」ということを確信したのではないのか。その確信が生まれたからこそ、「いつまでも待っていて」という彼のメッセージを伝える気持ちになったのだと思う。

どんなに人気があっても、どんなに売上げがあっても、彼の中にはいつも自信のなさを感じてきた。

自信に満ち溢れる他メンバーと違って、彼の中にはいつもそれを感じてきた。

その彼が、初めて一人で日本のステージに立った横浜アリーナのファンミは、彼の中に日本にも自分だけのファンがいるのだという確信を与えたのではないか。

 

5年前、3人になったあと、彼だけが日本に残り活動していた。

日本のドラマに出演し、TV番組に出ていた。

avexと専属契約を結び、日本活動がずっと続くと思っていた。

a-nationの長居競技場に現れた彼の表情の暗さも味スタのLASTsongを歌う彼の姿も今も心に焼き付いている。

9月に新曲のミニアルバムがリリースされ、突然、日本活動の打ち切りが発表されるまで、彼がこの日本からいなくなることなど想像もしていなかった。

 

韓国に戻ってしまった彼。JYJとしてのスタートを切る高麗大学でのshowcase。

そこに私の知っているジェジュンはいなかった。

 

突然、日本からいなくなってしまった彼の日本への思いなど知る由もなかった。

彼が日本で傷ついて帰ったことだけを韓国ペンから教えられる中で、ただ一人の日本ファンとして、彼にどうしてももう一度日本に戻ってきて欲しいと願う心しかなかった。韓国に戻り、JYJとして活動を始めた当時、彼の日本活動を再開して欲しいという気持ちを言うことすらはばかられた。

韓国人の彼の韓国での活動を応援するのは当たり前。彼を締め出した日本芸能界での活動を願うことなど論外であり、彼が韓国芸能界での地位を確立することが先決だった。

 

3人になって初めて出した「成均館」のソロOSTは、当時韓国ペンから「やっと韓国にジェジュンが戻ってきた」とまで言われた。

そんな中で、私はきっと彼は、もう二度と日本に戻りたいとは思っていないだろうと思った。

伝えられる情報の中で、彼が日本活動を望んでいるとは思えなかった。

 

彼の日本への変わらない気持ちを知ったのは、彼の呟きだった。

ローマ字で日本語を呟く彼。

当時、多くの日本の友人をフォローしては、やり取りを公開した。

そのやり取りの中に、彼の溢れるような変わらない日本への思いを感じることになる。

思うように進まない日本活動の中で、何度か来日公演を果たしても、彼の口から直接に「待っていて」という言葉は一度も言ったことがなかった。

いつも「もっと頑張るから」「もっと頑張って皆さんの前で歌えるようにします」彼の口から発せられるのは、ファンへの感謝と決意。それだけだった。

 

再開しない日本活動の中で、これほど頑張っている彼に日本活動を望むのは酷なことなのではないかと思う気持ちもあった。日本ファンが日本活動を望むから、ファン思いの彼は「日本に戻ろう」と無理をするのではないのか。それは彼を追い詰めることになるのではないのか。

韓国人の彼は、韓国で活動するのが当たり前だ。

彼に日本活動を望むことは、彼に大きな負担をかけることになるのではないのか。

そんなことを思うようになっていた。

 

浜スタのステージで彼が日本活動を諦めたように感じ、日本への思いも捨てたように感じたオンリーは多かった。

彼は、韓国のキム・ジェジュンとして横スタのステージに立っているのを感じた。

彼の言葉の端々に、日本への諦めのようなものを感じた。

 

日本語でめっきり呟かなくなったtwitter。

反日主義の政府関係のイベントへの単独出演。

そういうものを見るにつけ、彼の日本への思いに不安を感じるオンリーは多かった。

 

本当に彼は、自分を待っていて欲しいと思っているのだろうか。

韓国社会の反日政策の中で、彼自身の気持ちも変化したのかもしれない。最も韓国流の方針を貫く事務所の中で、日々過ごす彼の気持ちに変化が起きてもおかしくはないのだ。

 

そんな中で彼は自分の日本への気持ちを一度も語らなかった。

「Keshou」を韓国でのソロステージで初めて披露した彼の日本への気持ちを推測していたオンリーにとって、横スタでの彼の態度は余りにも衝撃的だった。

 

横スタのステージからひと月。

大阪城ホールのステージで、彼は思いもかけず自分の気持ちを初めて吐露した。

最後のMCの中で、彼は今まで我慢していた気持ちを一気に吐き出すかのように話し続けた。

 

「いつまでも待ってて」

このことばが、3人になって彼が初めてファンにお願いした言葉だった。

 

このことばを聞きたかった。

 

思えば、5年前に日本活動を打ち切られてから、彼のこのひと言が聞きたいためにずっとファンを続けていたのかもしれない。

彼を待ち続けていいのか… 彼は日本に戻りたいのか…

 

ずっと問い続けてきた疑問だった。

 

彼は今回、日本ファンの為に、日本で自分を待ち続けてくれる自分のファンの為に、ドラマ撮影のスケジュールの中、多くの犠牲を払って戻ってきた。

それは自分の意思を伝える為。

 

「また会いましょう」

 

彼の明確な気持ちを知った今、私は何の不安も感じることなく彼を待つことが出来る。

彼の気持ちがわからず、それでも彼を信じて、ただ闇雲に待っていたあの頃とは違うのだ。

 

 

彼の望みは、彼を信じて待っていること。

決して不安になど思わない。

不安に思えば、彼も不安を感じる。誰よりも不安なのは彼自身なのだ。

入隊するのは彼。

未知の世界を経験するのは彼なのだ。

ファンが不安に思えば、その気持ちは必ず彼に伝わる。

彼が歯を食いしばって涙を堪えたように、私は決して泣かない。泣けば彼が悲しむから。

歯を食いしばって、彼を待ち続ける。

それだけが私にできることなのだ。

 

彼を信じて待ち続けるだけ。

 

「すぐだからね」

 

日本ファンに決して心配をかけまいと笑顔でお別れを言っていった彼の気持ちを信じて支え続ける。