歌を歌う人間にはふた通りのタイプがあると思う。

 

1つは、細かいことに囚われずあっけらかんとしているタイプ。

「歌うのに、細かいことなど気にしなくていい」と言って、豪快に音楽を捉え、歌う。

声帯が強く、声も直線的な響きの力で、歌を制するタイプだ。

クラシック界なら圧倒的にオペラをやる人間に多い。楽天的だ。

 

それに対して、もう一つのタイプは、非常に繊細なタイプ。

歌えればいいという感覚はなく、常に音楽と真正面から向き合おうとする。

声帯は、強くなく、繊細な響きで歌の微妙な変化を表現しようとする。神経が細やかなタイプだ。

これは、クラシック界なら歌曲をやる人間に多い。

 

 

長年、音楽の世界で、歌をやる多くの人間と付き合ってきて、大概の人間は、このどちらかのタイプに当てはまると感じる。

そして、圧倒的に多いのは、あっけらかんとしたタイプだと言えるかもしれない。

 

 

EXILEのATSUSHIが、1年半の休養を経て、ソロ歌手として復活した。

その歌声を聴いた。

休養前、彼の歌声は疲弊しきっていた。

EXILEのメインボーカリストとして、15年、グループを牽引して来た。15年間、毎年、アルバムを出し続け、年に一度、必ずツアーを行った。

蓄積された疲労は、彼から音楽をする喜びまで奪い取ってしまう程、精神的に消耗しきっていた。

「満足に歌が歌えず、引退も考えた。何かが壊れて行きそうだった」

休養前の彼の歌声は、ハスキーさが増して、色艶がなく、声帯が疲弊しきっていた。

 

1年半の休養後、彼は、「Just The Way You Are」のソロ曲で復帰した。

歌声は完全に戻っていた。ハスキーさが消え、明るく軽快な声になっていた。

歌声が蘇ったのだ。

それは、休養によって若返ったとも言える。

 

 

 

声帯は、筋肉の一部で、肉体と同じように、老化する。

声帯の老化とは、具体的には、伸縮が悪くなるのが一般的だ。

伸縮が悪くなると、声帯のくっつきが悪くなり、ハスキーボイスになったり、高音が出にくくなったりする。

それには、年齢的な老化と、疲労による老化がある。

 

 

 

最近、私は、ジェジュンの日本語の歌が聴きたくて、5人時代のアルバムを引っ張り出しては、聴くことが多い。

それは、デビュー直後から、9年前までの歌声。

18歳から24歳にかけての歌声だ。

当然、32歳の今の歌声の方が、老化している筈だ。

しかし、現実には、真逆である。

ジェジュンの歌声は、今の歌声の方がずっと若く響きがいい。

声の状態がずっといいのだ。

即ち、彼の歌声は、若返っていると言える。

 

 

かつて日本活動をしていた頃、彼の歌声の顕著な特徴は、ブレス音の混ざった響きだった。

柔らかい発声にする為に、ブレスを歌声に多く混ぜる歌い方だ。

しかし、この歌い方は、声帯の状態がそのまま歌声の調子に現れる。

 

ジェジュンは、あっけらかんと、歌えればいい、と思うタイプの歌手ではない。

繊細で音楽に完璧を求めるタイプだ。

即ち、声帯は強くなく、繊細な響きで歌を表現する後者の方のタイプと言える。

そんな彼の歌声は、実は、今の方がずっと綺麗でいい響きをしている。

 

 

彼は、この8年間、ほとんどまともに歌えなかった。

「歌えない」ということが引き起こすデメリットは、歌手にとって切実だ。

それは、単に年齢を重ねることによって生じる声帯の老化とは別に、声帯を使わないことによる機能低下を引き起こす。

その兆候が見られたのが、2013年6月の横アリミニコンサートだった。

あの時の彼の歌は決して状態が良くなかった。

韓国に戻ってからの二年間、全く歌えないに等しかった。とくに前年の2012年は歌手業からは完全に遠ざかっていた。

約三年ぶりに再開した歌声は、不安定で、何より体力がなく、コンサートの後半には、ヘロヘロにばてていた。

もし、あの年、歌えていなかったら、おそらく彼は、歌声を失っていただろう、と思えるほど、歌手としてのブランクは3年が限界だった。

あの年に彼は、コンサートを通して、自分の状態を把握したはずだ。

このまま、他の仕事に流されて、歌わなければ、声を失ってしまう、と。

だから、「余り歌わせて貰えない」と言いながらも、セルフコントロールに徹していた。

それは、ある時は、カラオケだったかもしれない。また、ある時は、ハミングで鼻歌を歌う、という行為であったかもしれない。

それでも、彼は、歌手として、自分の歌声をセルフコントロールするという自覚に目覚めた。

これが大きかったと思う。

それ以降の彼は、どんなに歌えなくても、歌声をキープし続けていた。

 

軍隊中を除いて、彼はこの8年。ほとんど歌っていない。

即ち、彼の声帯は、ほとんどまっさらに近い状態なのだ。

歌手として歌い込めていない。

その状況が、彼の声を若返らせている。

疲弊も摩耗もしていない声帯が、存在している。

32歳という年齢と、デビュー14周年という数字に比例しない声帯が存在するのだ。

彼の声帯は、約8年のブランクの中で、老化が止まったままになっている。

さらに言えることは、肉体的な成熟度に合わせて、声帯も成熟し、綺麗で濃厚な響きが出やすい状態になっている。

これは、これから日本で歌手業を本格的に再開する時に、非常にプラスの要因になるだろう。

ほとんど歌い込まれていない声帯は、若さを保ったまま、歌いこめば歌い込むほどに色艶を増す。

 

彼のコンサートが複数日の場合、初日よりも明らかに最終日の方がいい歌声になるのは、歌い込むことによって、声帯の反応が敏感に早くなるためである。

コンサートを回数、こなすことによって、彼は歌手としての感覚を取り戻し、肉体的には、声帯が、歌の感覚を取り戻すのだ。

 

 

彼の声帯は、疲弊するほど歌い込まれていない。

それは、返って彼の声帯を若いままでキープすることになり、歌声が若返っている。

 

この8年の歌手としてのブランクは、間違いなく彼の歌手寿命を長引かせた。

30代になっても、彼の歌声は、実質20代をキープし続けるだろう。

繊細で、音楽と真正面から向き合い、自分に決して妥協を許さない姿勢は、そのまま彼の歌声の繊細さに繋がる。

 

 

韓国と日本の両方で、それぞれにレコーディングされているアルバムには、コンセプトの異なる音楽の世界が広がっているかもしれない。

彼が同じコンセプトのものを用意するとは思えないからだ。

彼の音楽の多様性を楽しむことになるだろう。

 

成熟度の増した音楽性と、若いままの声帯。

 

結局、8年のブランクは、ソロ歌手として長く活躍するのに、優位に働いていくに違いない。

 

 

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しかし、そういう非難記事のイイねに、私の記事と同じ読者がマークを付けていることがある。すると、それは、私を非難することで、結局、自分の読者をも非難することに繋がっている、ということに気づいていない人が多い。

 

 

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