昨夜の突然の訃報は、7年前の悲しみを彼の上に繰り返させたように感じて、言葉がなかった。

彼の近しい人が亡くなるのは、これで二度目。

空港に降り立った彼の表情が余りにも悲しかった。

 

 

ジョンヒョンという人を私はほとんど知らない。

ただ一度、深夜に彼の番組を観た記憶がある。

スタジオで多くのファンと語り合いながら、ピアノを演奏したり歌を歌ったり……。

楽曲を何も知らない私でも彼の才能に惹かれて、とても楽しいひと時だった。

その時の記憶はなぜか鮮明に残る。

 

才能溢れた人が亡くなるのは、とても辛い。

才能があるからこそ、苦しみ、自分を追い込む。

 

 

音楽を突き詰めると、結局、自分の人間性に行き着く。

自分というものを深く考えるようになり、知らぬ間に自分を追い込んでいく。

そこには、音楽と自分しかない世界。

他者の決して入り込めない世界が広がる。

 

遺書を読んで、彼もその沼に落ちたのかもしれない、と感じた。

 

 

 

 

ジェジュンは、近しい人をこれで二度も失った。

七年前のヨンハ氏のときには、はたで見ているのも辛いほど憔悴しきっていた。

 

 

 

「生き馬の目を抜く」と言われる芸能界。

 

韓国という過酷な競争社会の中にある芸能界は、日本の比ではないだろう。

トップアイドルに上り詰めた人間には、そのポジションを下りることが許されない。

常に前を見続け、常に走り続けることを要求される。

トップであることが当たり前で、その場所から抜けることは許されない。

 

 

才能がある人ほど、その才能を要求され、才能が枯渇する恐れと闘い続けながら、それでも前に進むことを要求される。

ファンの期待、事務所の期待。

自分というものを振り返る暇もなく、前を向いてただひたすら走り続けることを要求される世界。

 

 

そんな世界で、純粋に音楽と向き合おうとした若い命が失われたことが悲しかった。

 

彼の魂が今、解放されて、安らかな場所にいることを心から祈っています。

 

 

 

文責kuko  (文章の一部を含め、無断掲載、転載を一切禁止します)

 

 

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私も二十代、音楽の深い闇に落ちかけたことがある。

毎日、自分はどうして生きているのか、なぜ、存在しているのかと自問自答した。

その頃の愛読書は、ルソーの「人間不平等起源論」

 

音楽というものを突き詰めると、結局は、自分という存在を問う作業に突き当たる。

 

芸術を志した人間なら、一度や二度は、その沼に落ちかける。

毎日、突き詰めた感情だけに支配されていく。

 

 

ジョンヒョンという人は、とても真面目で優しかったのだと思う。

真面目で、逃げることをせず、真正面から向き合った為に、自分を追い詰めた。

自分と音楽だけが存在する世界。

自分を追い詰め、突き詰めて、沼に落ちてしまった。

 

それでも彼は、ファンのこと、残された人達のことを思って、自分の心の中の葛藤を言葉に残していった。

自分の死を知って、多くの人が苦しまないように。

 

 

若干、27歳。

 

自らの命を絶つ直前まで、他者のことに心を馳せる彼の優しさが、余りにも悲しかった。