今日は、セウォル号の事故から二年。未だに引き揚げられない船内には多くの犠牲者が取り残されたままになっています。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に、一日も早く行方不明になっていらっしゃる方々がご家族の元に帰られることを願っています。
その人がどのような人間性を持つのかということは、何かあったときにわかるというのが、定説だが、大地震があった日本という場所に住んでいるファンに対して、呆れるほどの鈍感さを発揮しているのを見ると、曲りなりにも世間からスターと呼ばれる評価を得ている人間が、自分の意思で物事を判断し、実行する力を持っている人間なのかどうか、ハッキリと見えてくる。
地震の甚大な被害が拡がり、ジェジュンの記事をあげることすら、考えてしまうような状況の私の目に映ったのは、単に事務的な文章が並んだコンサートチケットの申し込みメールだった。そこにひと言の気遣いも挨拶もなかった。
4年も日本に滞在し、日本人のように生活した経験があるにも拘らず、平気で慰安婦グッズを身につけ、何事もなかったように来日し、笑顔を振りまき、過去の歌を歌い踊る神経の持ち主なのだから、日本に何が起きようとお構いなしに、自分の宣伝活動だけできる神経は当然持ち合わせているのだろう。
私の考えの方が甘かったのだと思い直した。
そういう人間だから、ああいう事務所を経営するような人間と懇意になれるのだろう、とも思える。それを「類は友を呼ぶ」と言う(笑)
もうアイドルとも言えない年齢になった。自分の言動の全ての責任を自分が負う年齢なのだ。自分をアーティストと称するのであれば、尚更のこと、自分の言動は、自分の歌手としての評価に繋がるのだということを知るべきだろう。
日本という市場を相手にするなら、最低限の礼儀とモラルだけは持つべきだ。
その最低限の感情も持ち合わせていないというのなら、日本という国から撤退すべきなのではないのか。
そんな判断も出来ないぐらい子供であり、そんな指示もできないぐらい事務所の言いなりなのか。最低限の礼儀やモラルを親から学ばなかったのか。
親が教えなくとも、礼儀もモラルも自分で身につけることはできる。それとも新聞やニュースも見ないぐらい自分のことで精一杯なのか。
それとも日本と似て非なる国は、災害によって被害を受けている国の人間にひと言の気遣いも社交辞令さえもしないのが当たり前の国民性なのだろうか。
貰いたいばかりで、何も与えようとしない国。
そういう評価のある国に彼がいることが酷く悲しい。
そしてそんな国で日本的な気遣いをどうやって身につけたのだろうかと考える。
学歴はなくとも、多くの本を読み、洞察力を養い、思慮深さを身につける術を彼は知っていた。
人間の価値は、出自や学歴で決まるものではない。そんなくだらないものにしがみつき、こだわり、真の評価を与えようとしないから、自分の国を捨てようとする考えが生まれるのだとも言える。
体調が悪い中でも軍人としての任務を怠らず、その上に与えられた役目をきちんとこなそうとする彼の姿勢から、その人の持つ人間性と「生きる」ということに対するスタンス、物事に取り組む真摯な態度を感じることが出来る。
それは、誰に教えられたものでもなく、自分の中で考え、その場の状況を把握し、判断していく能力と自分に対する厳しさを併せ持つ人間だけに与えられたものなのかもしれない。
ジェジュンという人のファンであることに誇りを持てることが、私にとって最大の喜びでもある。