年末も押し迫ってきましたね。
今年も気ままにしかブログの更新が出来ず、申し訳ありません。
今年最後の記事にこういう題名をつけなければいけないほど、笹原氏とその周辺の情報に振り回された一年だったかもしれません。
最近、私は車中でずっとこれを聴いています。
まあ、言うまでもないことですが(笑) こういう題名の記事とこれを聴いているからといって、5人を待望しているわけではありません。5年前、JYJになってジェジュンの日本語の曲が聴けなくなりました。
日本語の彼の歌が聴きたくて、JYJになった当初は、このアルバムをよく聴いていました。
でもそれから以降、彼に起こった数々の出来事がさらに私をJYJの歌声から遠ざけてしまいました。
満足に歌うことも出来ない中で、日々、彼の活動は歌手から遠ざかっていきました。
あの事務所に入ったことが全ての始まりだったのかもしれません。
その上に、JYJになってからの曲には、満足に彼の歌声が入っていませんでした。彼が作った歌ですら、彼がメインパートを取ることはほとんどなかった。彼の歌声を聴きたいと思えば、この東方神起時代のアルバムの歌を聴くか僅かにあるOSTのソロ曲を聴くしかありませんでした。
そのうち私は5人の歌を聴くことが出来なくなりました。
過去の歌声を聴けば聴くほどに、伸び伸びと歌う歌声と彼が置かれている状況との違いに辛く、さらに年月が経つほどに歌手としての生命を断たれるような危機感を持つようになったのです。
そして私は、5人時代の歌を封印しました。Vocal.Reviewも5人時代の歌は聴けなくなり、彼のOST曲を僅かに書くことしか出来なくなったのです。
それは、歌手ジェジュンの封印を意味していました。
それから3年。
私は久しぶりに5人時代の東方神起の歌が聴きたくなりました。
きっかけは「Begin」でした。
「Begin」は私の最も好きな曲です。
それは、歌手ジェジュンの始まりの歌だったから。
彼は、この曲から大きく変わりました。
彼が東京ドームでこの曲を歌ったのを聴いて、どうしてもあの頃の彼の歌声に出会いたくなりました。
それで、棚の奧に眠っていたこのアルバムを出してきました。
「HUG」に始まるこのアルバムには、東方神起時代のシングルのほとんど全て45曲が納められています。
「HUG」の歌声を聴き始めた途端、私は全く彼の歌声を何の感情も持たずに聴くことが出来ていることに気がつきました。
そればかりか初めて彼の多くの曲を知った頃のように、楽しんでどの曲も聴くことが出来る。
彼の歌声の変化も、伸び伸びした歌声も、いつから彼が完全に頭声に切り替えたのかも…そういう彼の歌手としての変化と成長を一人のファンとして純粋に楽しむことが出来るのです。
そして気がつきました。
彼の5人時代の歌声を楽しめるようになったのは、彼がソロ歌手として十分、その歌声を届けてくれたからだということを。
昨年一年、彼はやっとソロ歌手としての活動を始め、堂々と歩き始めました。
彼の中には、JYJというグループで歌う時とソロ歌手として歌う時とでは、明確に区別しているのだということもわかりました。フルアルバムを「一番好きなアルバム」と言い、「宝物」と言う彼は、ソロ歌手としての活動を決して手放さないと確信出来ました。
きっと彼は、今後もソロアルバムを出すし、ソロ歌手活動をすると思います。
彼はソロ歌手活動の中で、十分に歌声を届けてくれた。
日本では、必ずJ-POPのカバーを歌う彼は、J-POP歌手としての歌声を聴かせてくれる。その満足感が私の中に彼の過去の歌声を純粋に楽しむことが出来る余裕を与えてくれたのだと思いました。今、私はずっとこのアルバムを聴いています。そしてB-SIDEアルバムも楽しみたいと思うようになりました。
5人時代の映像も歌声も悲しいだけだった過去は、もうどこにもなくなりました。
彼の歌手としての道のりと成長の一つとして捉えることが出来る。
そこには、5人復活を望む心はどこにもありません。
過去は過去として、過去の5人グループとして存在しているだけです。
「5人が揃い、敏腕のプロデューサーがつけば、もとの5人のハーモニーになるのか」との質問コメントを頂きましたが、私は過去の歌声も過去のハーモニーも取り戻すことは出来ないと思います。同じハーモニーや歌声を求めても、それぞれに5年もの間、活動してきた5人にとって、あの時代に戻ることは出来ないでしょう。
JYJはJYJとして、東方神起は東方神起として、それぞれの道を血の滲むような思いをして活動してきた今、あの頃の歌声をそのまま要求することは、彼らにとって酷なことであると私は思います。
そして同じように血の滲むような思いをして、5人東方神起を諦めてきたファンがいます。
5人時代、多くのファンが、「これから」と思った矢先に梯子を外され、分断された気持ちを胸に押し込めそれぞれのファンになっていったのです。
そして分裂後にそれぞれのファンになり、5人時代は過去のものと認識するファンも数多くいるのです。特に日本活動を継続してきた東方神起のファンには、多くの新規ファンがいます。
2人が多くの過去の楽曲を2人で歌い、その歌声にもハーモニーにも慣れてしまったファンにとって、5人に戻ることは、違和感しか覚えないかもしれません。
「5人一緒のステージに立つ」「オルペンの皆さん、おめでとうございます」という情報から「5人に戻るのではなく一時的にコラボするだけ」という情報になり、「JYJでも東方神起でもなく新しい名前のグループになる」という情報まで出されて、ファンは混乱する一方です。
まことしやかに出されるこれらの情報は、如何に低迷する音楽界にとって、5人の東方神起というグループがもたらした利益が大きく、過去の幻影に引きずられているかということを示している。
思えば、JYJになって以来、何人のこういう輩が垂れ流す情報に惑わされてきただろうか。
それほどに5人東方神起の存在は、J-POP界の歴史に間違いなく一つの点を残したと言える。
折しも韓国では、同じK-POPのアイドルグループが明洞において「東方神起とJYJのコラボを切望する」という主旨のプラカードを持ち、パフォーマンスをしたことが記事になった。
その主張は、「日本で活動してみて、如何に5人の東方神起という存在がすごいものだったかということを実感した。東方神起によって韓国人であることを誇りに思えた。その5人が二つのグループに別れていることは残念でしかない。是非もう一度5人でコラボして活動して欲しい。それは兵役前の今しかない」日本でも韓国でもかつての5人東方神起を越える存在は出ていないといっても過言ではない。
東方神起のアジア進出は韓流文化を一つの産業にするという国策の基に行われたのです。日本においては、日活のスキルを持たなかったSMがavexに丸投げした為に、単に来日活動にとどまらず、全くの新人としてJ-POPでデビューし活動していく手順を踏んだことが、他国とは全く違う存在として成功することに繋がったのです。東方神起を作り上げたのは、SMではなく、avexであったと言っても過言ではないでしょう。J-POPにおける東方神起とK-POPにおけるTVXQとは似て非なるものなのだから。
今の彼ら5人の人気を支えるのは、間違いなく日活時代の東方神起というJ-POP界のヴォーカルグループであり、J-POP界の東方神起としての活動がなkれば、今の地位はないと言えるだろう。
それほどの存在を日本の業界がそう簡単に諦められるはずはない。
そうやっていつまでも5人が活動を続ける限り、5人待望論は消えることは決してない。
情報の真偽は、いずれ時期が来ればわかる。
どんな選択になっても、それは彼が選択した道を一緒に歩き続けるだけ。
それは、オンリーペンの唯一の強みだ。
彼がどんな選択をしてもずっとそばにいる。その為にオンリーペンは存在している。
彼のどんな選択もどんな活動も支援し続ける。
来年、彼はドラマ撮影をある種犠牲にしても日本へ戻って個人ファンミを開く。
個人ファンミは彼自身が強く希望したと聞いた。10月に延期になって以来、その実現の為に粘り強く決して諦めずに実現させたのは、彼の強い意志の賜物だ。その横浜で、私のように韓国へ会いにいかないファンは、入隊前の彼にお別れを言うことになるかもしれない。彼が決して日本活動を諦めない限り、私達オンリーも彼の日本活動を諦めない。それはまるで相思相愛の関係と言えるだろう。
来年、多くの彼のファンが彼に会えるように願っている。
今年も多くの方にアクセスを頂き、ありがとうございました。
私のブログは「特別」と言ってくださった方に心からお礼を言います。
拙い文章を今年も多くの方に読んでいただき、ご迷惑をおかけしたことをお詫び致しますと共に来年も気ままなブログにお立ち寄り下さるとうれしく思います。
本当にありがとうございました。
最後にジェジュン切手のお返事企画で、ジェジュンからお返事を日頃仲よくさせていただいているアメンバーの方が頂いたので、ご本人の許可を頂いて画像をご紹介します。
ジェジュンは抽選で選ばれたハガキを大阪でそれぞれの文面に合わせてお返事しています。
すごくデコルテされた当選ハガキもあったようですが、この方はごく普通に書かれたと言われていました。
おめでとうございます。
事務所を通さず、企画されたものは、彼の隅々まで行き届いた心配りと誠実さが現れていて、満足するものばかりです。
これからも彼が企画したものが実現されることを願っています。
追記事
【無人のMBC控え室に見える厚顔無知】
前記事で今年最後の記事にするつもりでした。
でも余りにも目に余る明らかな虚偽を平気でLINEに流す事務所に本当に韓国の一面を見た思いがします。
ジェジュンのことを理解しようと、置かれている立場を理解しようとするため、韓国という国を知れば知るほどに、余りの民意の低さと思想統一、言論統制を感じるしかありません。
今回のMBCの一件にしても少し調べれば、ドラマの撮影があるかどうかなどすぐにわかりそうな虚偽の事柄をいとも簡単に平気で公式LINEにあげ、まるで出席出来なかったのは、彼の問題のようにすり替える厚顔さは、平気でなにもかもを自分の国がルーツだと言い張る厚顔さによく似ています。
少し調べれば真実かどうかわかる虚偽の情報を真実だと言い切る厚顔さ。
もういい加減にして欲しい、と何度思ったことかわからない。
こういう構図が、事務所への不信とメンバー間の亀裂を生んでいくという子供でもわかりそうなことさえわからない感覚は、何度同じことを繰り返してもそのことから全く何も学ばず、進歩発展しない韓国という国のあり方そのものだと言えるでしょう。
嫌韓感情は、親韓感情から始まった。
これは、最近の嫌韓感情が、通り一片的なものではなく、かつて韓流ブームを下支えしていた韓流ファンが、アイドルを通して親近感を持った韓国という国を知れば知るほど、実は嫌悪感情を持つことになっている、ということを現したものです。
ジェジュンという人を好きな私達は、彼の中にある「誠実さ」「真面目さ」「謙虚さ」というものに多く惹かれる。
しかしこの特徴は、いわゆる韓国人の特徴というよりは、日本の国民性に酷く似ている。
そして、彼のこのような性格と、決して信念を曲げず、環境に屈しないあり方は、韓国での彼というあり方を特異なものにするだけであって、決して有利に働くものではない。
それが韓国社会というものだ、と在日の友人に聞いたことがあります。
それほどに韓国という国において、彼のような「まっすぐ」で「誠実」で「清廉潔白」であろうとするあり方は、生きにくい社会であり、国家であると言えるでしょう。
なぜ、彼がここまでの扱いをされても事務所を出ようとしないのか… なぜ、コンサートで彼のソロ部分であるにも関わらず、彼は大写しにならないのか。
なぜ、彼の大写しの映像はすぐにひいてしまうのか。
表に出ている情報だけが全てと思うことは危険であり、それらが全てではないのです。
韓国社会においては、出自、学歴、経済力が不可能なことでも可能に変え、理不尽なことでも正々堂々とまかり通る社会であるということ。
日本と韓国とは全く違う国だということを私達はアタマに叩き込んでおく必要があるのです。
そんな国で、最も韓国らしい考え方をしている事務所に所属しているということ。
彼はなぜ、「運命はない。なぜなら自分で切り開いてきたから」というのか。
その言葉に彼の置かれている立場も状況も私達は理解することが必要なのだということをお伝えしておきます。
今はなにも動けない。
兵役というものを目の前にして動くことはできません。
そのことだけは、私達は理解しておかなければなりません。
そしてどんなに虚偽を並べても真実は明らかになること。
行なったことの代償は、自分で払わなければならないということは真理だということをお伝えしたいと思います。
人は、生きる場所が与えられており、どんなにその場所を奪っても、その場所へ戻ってしまうということ。
彼が選択してきた道は、結局彼にとってプラスになっただけであり、どんなに歌う場所を奪ってもそこで光り輝く彼を葬り去ることは出来なかったということを事務所は知るべきではないでしょうか。
以上のことを追記して今年の記事を終わりたいと思います。
無人の楽屋に彼の居場所はあるのでしょうか。
こういうことを繰り返される度に、彼を韓国という国に置いておきたくないと思う感情がふつふつと湧いてくるのです。
韓国と日本。
どうにもならない壁が二つの間にあることを改めて感じながら、当分、韓国という国を訪れる気持ちにならないということを明記しておきたいと思います。
最後はジェジュンの画像で締めくくりたいと思います。
皆様、よいお年をお迎え下さい。
ありがとうございました。
kuko
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